37 重いものは困りもの

2011.10.29


 重いものと軽いものとでは、どっちが好きかと聞かれたら、ためらうことなく軽いものと答える。もっとも、ものごとのすべてについてあてはまるものでもなく、たとえば、給料袋は重い方がいいし(といっても今は現金が入っているわけではないが)、漬け物石は軽くてはダメだ(とっても、別に漬け物をほんとうにしているわけではないが)、そして、そしてと考えてもなかなか後が続かない。

 重い人間と軽い人間(体重ではなく)とでは、と考えても、やっぱり重い人間は苦手だ。重い人間ってどういう人間かというと、偉い、あるいは偉いと思っている人間だ。いやむしろ偉いと思っている人間こそがほんとうに重いのかもしれない。ほんとうに偉い人間というのは、重さを感じさせないものだ。

 人間のことはともかく、歳をとってくると、重いものは実に困りものである。家にあるぶんにはまだいいのだが、それが不要になって捨てるとなるともう始末におえない。

 ぼくの書斎にあるもので一番重いのは、たぶんスピーカーだ。40キロぐらいはあるだろう。1人では持ち上げられない。スピーカーというのは、基本的には重くないと重く低い音がでないはずだが、最近ではかなり小型のスピーカーでも低音をきちんと出すものもあるから買い換えたいのだが、この重いスピーカーの始末ができない。ヨドバシカメラのオニイサンに、冷蔵庫みたいに買ったら古いの持って行ってくれるなんてことあるの? って聞いたら、それはできませんとあっさり断られた。まあ、そんなに高価なものではないが、それなりにいい音が出るし、持ち上げて使うものでもないので、買い換えはやめた。

 使うたびに持ち上げて移動しなければならない困りものに、今では義父の遺品となった碁盤がある。厚さが30センチほどもある脚つきの碁盤で、それが2面あって、義父が病床につく前から長いこと押し入れの中に大いばりで場所を占領して眠っていた。この碁盤は、本榧(ホンカヤ)製の最高級品で、買えば数十万円するという代物。もちろん碁石だって本格的で、白石はハマグリでできていて、厚みも1センチ以上もある。こういう碁盤や碁石をつかって碁を打つ気分というものは最高のはずである。しかし「最高の気分」になれるには、ある程度碁が強くなければダメで、ぼくのように打つたびに負けるヘボでは、「最高の気分」などになれるはずもない。

 それでも、『サザエさん』の波平よろしく、その碁盤の前に和服かなんか着て正座し、棋譜を片手に石を並べるなんていうのもなかなか乙なものではないかとずっと思ってきたのだが、なにせこの碁盤が重い。部屋の隅にあるものを移動するにもギックリ腰覚悟というのでは、乙な気分どころではない。そうかといって、部屋の中央に置いておくわけにもいかない。第一、ぼくはまったくといっていいほど碁を打たないし、棋譜を並べるなんて殊勝なこともしない。そんなわけで、1面は親戚に引き取ってもらい、もう1面も、義父の古い知人で棋力も5段だか6段だかの人に引き取っていただくということになった。

 あとは、若い頃に買ったスチール製のファイリングキャビネットだ。A4版で4段もあるヤツで、これがずーっと我が書斎に片隅に鎮座している。中にはそれなりの「重要書類」が入っているので、そう簡単には捨てられないのだが、どうも最近これがうっとうしくなっている。何とかして捨てたい。そのためには中の「重要書類」という重いモノを捨てなければならない。「重要書類」といっても、ベイスターズが優勝したときの新聞とか、三島由紀夫が割腹自殺したときの週刊誌とか、そういった類のものもあるから、実はほとんどが捨ててもいいものなのかもしれない。

 なにはともあれ、重いモノから解放されて、軽いモノに囲まれて、身軽に生きていきたいものだと切に思う今日この頃である。


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