34 子どもの字

2011.10.11


 ぼくが所属する書道教室の展覧会「第3回書を楽しむ麗川会展」も今日が最終日となった。

 今回は母の書が多く展示されるということで、千葉に住んでいる長男家族も来ることになっていた。その時に、病床にある家内の父にも会っておいてもらったほうがいいだろうと思っていた。何度も危篤の危機を乗り越えてきた父だが、ここ2ヶ月ほどは随分弱ってきているので、ひょっとしたら来年を迎えることは無理なのではないかと思えたからだ。ところが、父は、10月6日の未明、風のようにこの世を去った。あっという間の出来事だった。

 葬儀は近親者のみで執り行うようにとの父の遺志で、8日に通夜、9日に葬儀をとりおこなった。秋らしい穏やかな天候のなか、父の89年という長い人生の終幕を、親族と親しい友人とともに見届け、見送ることができたことは幸いなことであった。父に関しては書きたいことは山ほどあるが、今は静かにその人生に思いをはせていたい。

 さて、葬儀も済んだ後、麗川会展に来てくれた孫二人、上は小学校3年生の男の子、下は幼稚園の年長。受付で記帳を求められた。本当は筆だけではなく、ボールペンも筆ペンもあるのだが、先生が「そういうのを置いておくと、筆で書いてくださらないから、隠してね。」と言うので、筆と硯しかない。

 書道展に行って、筆で記帳をするのは、ものすごく勇気がいる。ぼくもいまだに書道展で筆で記帳したことはない。いや、ボールペンですらない。記帳をお願いしますと言われても、「すみません…」などといって、そそくさと逃げてしまう。しかし先生は筆しか置くなという。それは決して意地悪でそうしているのではなく、少しでも筆に親しんでもらいたい。決して筆で書くということは敷居の高いことではないのだと分かってほしい、という気持ちなのだ。

 孫たちはどうするのかなあと思って見ていると、男の子の方がまず筆をとった。山本由宇と立派に書いた。別に書道を習っているわけではないが、なかなか堂々とした字だった。次に女の子のほう。これもまったく臆することなく筆をとった。筆の真ん中ぐらいを持っている。受付の方が「もう少し下のほうを持つといいわよ。」と教えてくださる。筆に墨をつけると、ものすごい筆順で「山」と書いた。「本」も右払いを先に書く。それでも「山本」とちゃんと書いた。次は「由」の字。この筆順も面白かった。最後の字になった。「由」の字の真下に小さく「山」と書いた。あれっと思っていると、その下に大きく「支」と書いた。最後の字は「岐」なのだが、偏を上に持ってきたのだった。

 これを近くで見ていた母親が「この子、『岐』を、『山』と『支』の2字だと思っているのかもしれないですね。」と言った。そういえば、葬儀のときの記帳で、その時は横書きだったのだが、「山」と「支」をずいぶん離して書いていたなあと思い出した。それでも横書きだと「離れている」としか思わない。ところが縦書きだと違った字となる。

 こういうことはよくあることだ。たとえば「島」だ。この字は、「嶋」と書いたり、「鳥」の下に「山」を書いたりする。こういうある意味自由な書き方には、この孫娘の書き方と似たような心理的な由来があるのかもしれない。

 由岐ちゃんは、これじゃダメなのかと思ったらしく、もう一回書かせてくれというような目つきで、モジモジして、なかなか受付の前を離れようとしなかったが、「由岐ちゃん、ちゃんと書けたねえ。すごい!」と褒めたら、それでも未練はあるようだったが、そこを離れた。

 子どもが字を書いているところを見ると、字というものが何であるかが分かるような気がする。うまく書こうとか、こう書いたら笑われるんじゃないかとか、そういった一切の邪念なく、素直に書くことが、何より大事なんだと思い知らされる。

 書展は大盛況だった。先生は、来場された初老の紳士に会の主旨を尋ねられて、「『書を楽しむ』、ということなんですけれども、ただお遊びで楽しむというのではなく、一生懸命に努力をしてそこに楽しみを見いだして欲しいと思っています。」というようなことを話していた。紳士も、それはこの展覧会を見ているとよく分かりますと答えていた。

 ぼくも、二人の孫の、字を書くときのあの真剣な顔つきと手の動きを、忘れないようにしようと思った。


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