33 ハッピーバースデイ

2011.10.4


 昨日は満62歳の誕生日だった。

 朝、通勤のために、上大岡駅からバスに乗って、iPodで演歌でも聴こうかと思ってシャッフルモードにしてみた。シャッフルというのは、曲の順番を勝手にiPodが決めて流してくれるという機能である。さて最初に何が流れるかと思ったら、何と門脇陸男の『祝い船』だった。結婚を祝う歌で「晴れの門出のはなむけに 唄に踊りに手拍子を 今日はめでたい心の船出 辛いこの世の荒波越えて ドンと漕ぎ出す 祝い船」という歌詞なのだが、この1番だけだと、あながち結婚式用とばかりもいえない。「今日はめでたい心の船出 辛いこの世の荒波越えて」などは、お年寄りなら誕生日用にもいけるなあと思って聴いた。「辛いこの世の荒波」はもうあってほしくないが、年寄りの誕生日というのは、その都度、「心の船出」なのかもしれない。いや、そうであるべきなのだろう。

 学校では、1、2時間目と、昼過ぎの5、6時間目が授業。1時間目の授業の最初に、「え〜、今日はオレの誕生日でね。」と言うと、お〜っと歓声があがって拍手。2時間目も同じ。別にわざわざ今日が誕生日だなんて言わなくてもいいのだが、どうしても言いたくなってしまう。それは、祝ってほしいからではなくて、ただ単に授業の「枕」が欲しいだけなのである。

 拍手があったあと、おめでとうって言われるのは嬉しいけれど、この年になると誕生日っていうのは、何だか死に一歩一歩近づいているっていう実感があって、ちょっと淋しくもあるよ。そう言うと、生徒はちょっと神妙な顔になった。誕生日を迎えて、これでまた死に一歩近づいたなんて思うという感覚は、高校生には絶対にないだろう。でも、彼らもいずれ分かる日が来る。

 それはそうと、朝、乗ってきたバスでiPodで演歌をシャッフルしたら『祝い船』が流れて、感動したよ、なんて話したついでに、その後、大船から学校までの清泉女学院行きのバスに乗ったら、今日はあちらは休校らしいんだけど10人ぐらいの生徒が乗っていてね、彼女らがあんまり気が利かないから叱ってやった、なんてことを話した。

 栄光の生徒は、大船から学校までは歩かなくてはならないことになっている。ただし、怪我などで坂道を歩いて登ことが困難な場合に限って、このバスに乗ってもよいことになっている。昨日ぼくが乗ったバスには、休校なのに何かの用事で登校する清泉女学院の生徒10人ほどの他に、松葉杖を持った栄光の生徒が1人乗っていたのだ。女生徒たちは、栄光の生徒が松葉杖を持って座席に座っていることを知っていながら、彼が栄光の前で降りるときに、話に夢中になっていて、彼が降りやすいように立っている場所を移動するということをしない。彼は、まだ思春期だから、すいません、降りるのでちょっとどいてくださいと女生徒たちに向かって言えないでモジモジしている。で、ぼくは思わず、女生徒諸君に向かって、ちょっとそこどきなよ、少しは周りを見て気を使えよ、とかなり大きな声で怒鳴ったのだった。

 誤解がないように言い添えるが、ぼくは清泉女学院の生徒に敵意を持っているのではない。むしろ逆である。何しろ、彼女らは家内の後輩なのだから。だからこそ、そういう無神経さを見ると余計に腹がたつのである。

 え? ほんとに怒鳴ったんですか? と教室の生徒たちはびっくりした顔をした。いつもは、「怒鳴ってやろうと思ったんだけどね、まあやめといた。」ってオチがつくので、ほんとに怒鳴ったというのが意外だったらしい。

 そうだよ、この歳になるとね、そのくらいのことはするさ。君たちも気をつけて欲しいんだけどね、最近のバスは、降車口を幅広くとって、ノンステップになっていたりする。そうすると、その降車口のところのポールに、高校生なんかがよく寄りかかってケイタイなんかをいじっていんだ。それで、バスがとまって、お年寄りが降りようとしても、彼は絶対に動かない。降りるには十分のスペースがあるからいいだろうと思っているんだよね。しかしね、それじゃ、ダメなんだ。お年寄りはね、そのポールにつかまりながら降りたいんだよ。そうしないと危ないんだ。だからね、お年寄りがそのポールにつかまれるように、どかなきゃダメなんだよ、分かるかい?

 生徒は、いつになく真剣に聞いていた。なるほどそうなのかといった表情が多く見られた。こういうことは、「お年寄り」でなくては言えないことだ。これこそ生きた教育である。それなのに、教師は生徒と歳が近いほうがいい、だから高齢者は要らないなどという学校経営者もいると聞く。とんでもない不見識である。

 さて、昼休みもおわって、5時間目。教室に行って始業の挨拶をすると、いきなりハッピーバースデイの合唱と拍手。午前中の話が、伝わっていたわけだ。そして6時間目。教室に行くと、電灯が消してある。おや生徒はいないのかなと思って、扉を開けると、いきなりの拍手とハッピーバースデイの大合唱。黒板には「Happy Birthday!」とか、大きなケーキの絵とか、「今まで有り難うございました。」とか、ぼくの「遺影」のような絵とかがところ狭しと描かれている。教卓を見ると、チョココロネと、ナタデココジュースと、ノートの紙で折った折り鶴が置いてある。「これ、何?」と聞くと、プレゼントですと言う。思わず、何か変なものでも入ってないだろうなと言うと、大丈夫ですよ、ジュースだってまだ開けてませんから、と言う。なるほど、ジュースもまだ冷たい。チョココロネも、袋に入ったままだ。これもか? って折り鶴を指さすと、前に坐っていた生徒が、それは捨てていいですと照れながら言う。

 昼休み、噂を聞いて、購買部でナタデココジュースとチョココロネを買う生徒。ノートを切って、それで折り鶴を折った生徒。たった10分の休み時間に黒板に絵や言葉をかく生徒。そして電灯を消して、ぼくの到着を待つ生徒。そういう生徒の姿を思い描くと胸が熱くなる。ほんとにいい若者たちである。

 ところで、昨日は、6時間目の後に避難訓練があった。6時間目の終了間際にサイレンがなると、しばらく待機したあと、教室の生徒を連れて校庭に避難することになっている。生徒を引率して校庭に出たぼくは、教科書と出席簿と、そしてナタデココジュースとチョココロネと折り鶴を抱えていたので、他の教師の注目を浴びた。そんなものをもって教室から出てくる教師は普通考えられないからだ。「それ、どうしたんですか?」と聞く教師たちに、「いや〜、お誕生日プレゼントなんですよ。」と言うと、みんなニコニコして、口々に「おめでとうございます。」と言うのだった。


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