32 チェーンソーを買いに

2011.9.30


 ここ十数年、いや数十年の懸案であった「隣の庭問題」がとうとうめでたく解決した。

 隣家の庭は、我が家の庭と背の低いフェンス一枚で接しているのだが、ここに植えられた竹やらグミやらイチョウやら姫リンゴやら南天やら柿やら、その他の雑木雑草が、さながら原生林のように生い茂り、雨が降れば雨の重みにしなった竹がこちらの庭に覆い被さり、秋ともなればグミやイチョウの落ち葉が我が庭に降り注ぎ、家の前の道路には落ちた姫リンゴが腐って踏みつぶされ、竹ときたらその根は我が庭に侵入してあちこちに小さなタケノコが頭をもたげるといったありさま。隣家の住人は、仕事に忙しく、庭の手入れもできないということで、何度かぼくや近くの人たちが庭木の伐採などを手伝ってはきたのだが、木は切ってもすぐに驚くべき成長を遂げてしまうので、事態は一向に改善されず、積年の悩みの種となっていたのである。

 それが、この夏、事態は激変。とうとう全面的な建て直しということとなったのだ。家は解体され、庭の木も文字通り根こそぎされて、あれほどうっとうしかった隣家の庭は、今や完全な更地となった。

 そうなってみると、今度は我が家の庭も、そう褒められたものではないことが実感されてきた。庭師が作った庭だが、庭のメインとなるヤマモミジの木が、植えた時には幹の太さも1センチほどしかない苗木だったのに、20年以上を経った今は、直径が20センチほどの大木となり、梢は二階まで届くほどとなってしまった。春の芽吹きなどはとてもきれいなのだが、冬になると大量の落ち葉が庭を埋める。数年前に、庭師に頼んで、地上1メートルほどのところで切ってもらった。それでも、またそこから枝がどんどん伸びて、相変わらず落ち葉掃きも大変である。この落ち葉が今度はきれいになった隣家の庭を汚すことになっては、我が家が悩みの種になってしまう。

 ということで、このヤマモミジを思い切って切り倒すことにした。ところが、20センチもある幹は、ノコギリなどではどうにもならない。これはチェーンソーを使うしかないということで、ホームセンターに買いにでかけた。

 売り場には、電動のチェーンソーが並んでいる。いちばん安いので8000円弱だ。これでいいかなあなどと家内と話をしていると、50代と思しき主婦めいたオバサンが、「これで切れるかしらねえ。」などと話しかけてきた。聞けば、この前の台風15号で、庭木が倒れてしまい、ノコギリではどうしようもないので買いに来たのだという。ぼくも一度も使ったことないので、よく分からないんですけど、まあ、そう何度も使うことはないので、安いのでいいんじゃないかと思っているんですよ、などと話しているうち、結局その8000円ぐらいのを、ぼくもそのオバサンも買うことになって、レジに持って行った。

 レジのオネエサンが、「油はどうしますか?」と聞くので、「え? 油がいるんですか?」と聞き返しながら、そうだ、おれはチェーンソーの使い方をまったく知らないんだと気づき、あわてて、レジは待ってもらって、売り場のオニイサンの所へ行って、チェーンソーの使い方を聞いた。

 オニイサンは、何やら迷惑そうな顔をして説明を始めたが、ぼくが「このくらいの木を切り倒そうと思うんだけどね。」と言ったら、即座に「立木はこれでは切れません。」と言う。これでは全然モーターのパワーが足りないから、切れないのだという。じゃあ、どれなら切れるの? と聞くと、13000円ぐらいするものを指して、「これなら切れます。でも、これは家庭用で、チェーンの緩みを閉めるのに工具が必要なんですよね。家庭用はけちってますから。」なんて言う。じゃあ、どれがいいわけ? と更に聞くと、店頭では扱ってないんですが、と言って、カタログを取り出し、この業務用のものがいちばんいいです。これなら、チェーンを閉めるのも簡単だし。ただ高いので。」というので、値段を見ると23000円とある。でも、こうなったら、いいものを買うしかない。これにするよ、というと、取り寄せの書類を作ってきてくれた。それを見ると、値段が14000円に値引きされている。それじゃ家庭用と大差ない。

 何事も聞いてみるものである。何にも聞かずに、8000円のものを買ってしまったら、大損するところだった。オニイサンは、やたら詳しくて、そもそもチェーンソーというのは、このチェーンの一つ一つが小さなノミみたいなものなんです。だから、切るというより削るという感じなんですね。使いはじめは、この歯が跳ね返る感覚が分からないので、なるべく根元を使ってください。慣れれば先の方を使うこともできます。使っているうちに歯が緩んできますから、必ず締め直してください。それから、軍手をすると繊維が歯に巻き込まれることがあって危ないですから、素手がいいと思います。皮手袋でもいいんですが、それだとスイッチを押す感覚が鈍るので、素手がいいですね。などといった注意点を、ボソボソと呟くように説明してくれた。たぶん、人付き合いの苦手なタイプなんだろうけれど、こういう人はいい。

 ところで、例のオバサンも一緒に説明を聞いていたのだが、「これじゃあ、シュジンにやってもらわないとダメねえ。」とため息ついて、買うのをやめて帰っていった。え? あの人、自分でチェーンソー使って庭木を切るつもりだったの? ってちょっと驚いた。いったいどういう「シュジン」なんだろう。

 モノは一週間後ぐらいに入荷するということで、楽しみに店を出た。


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