31 決死の歯医者行

2011.9.24


 珍しく台風がきた。上陸ないしは接近予定の前日は出勤日ではなく、当日が出勤日にあたっていたので、明日はひょっとすると朝から休校かなあと生徒みたいな期待を抱いてメールの配信(学校からの緊急時のメールがある)を待っていたら、夕方になって、メールが来た。内心「やったあ、休校だあ。」と小さく叫んでメールを開けたら、「明日はパン屋さんはお休みです。」なんていうメール。だから弁当を持たせて登校させて下さいという。そんなメールをこんな時に出すなよなんて呟きながら、次のメールを待ったがとうとう来なかった。

 翌日、つまり台風の当日、登校してみたら、案の定「午前授業」にするとのこと。しかも、ぼくの授業はカットされてしまった。カットされた先生で、「ど〜しても授業をやりたい。」という方はすぐに申し出てくださいとのことだったが、「ど〜しても授業をやりたい。」なんて教師になって一度も思ったことはないから、口では、せっかく出てきたのにどうしてくれるんだなどと文句を言いながらも、(ぼくのような非常勤の講師の場合は、授業がない時は勤務日であっても出勤しなくていいことになっているのだ。したがって、この決定が前日になされていれば、わざわざ出勤することはなかったわけで、この文句にはかなりの正当性があるわけである。)内心は、シメシメで、それじゃあぼくがいると、また余計なことばかり言って、みなさんにご迷惑をかけるだけですから帰りますと言って、9時ごろにはさっさと学校を出て帰ってきた。

 お昼すぎから、だんだん風雨が激しくなってきた。気象庁のホームページで雨雲の動きを見ていると、どうやら夕方6時ぐらいがこの辺のピークらしいと見当がついた。台風の動きと雨雲の動きがリアルタイムに手に取るように見ることができるのだから、すごい時代になったものである。

 それにしても、もし6時頃がピークだとすると、困ったことになったものだ。先日、次男の嫁の妹が東京でピアノコンサートに出演するということで、鹿児島から嫁のお母さんも出てきて、コンサートのあと中華街で食事をしたのだが、何かをかんだときに奥歯の詰め物がとれてしまい、歯医者に予約をしたのだが、それがちょうどこの日の6時だったというわけだ。歯医者は、しかし、家から200メートルぐらいの所にあり、小走りでいけば2分とかからない。まあ、何とかなるだろうと思っていた。

 3時を過ぎたころからものすごい雨と風となった。台風は浜松あたりに上陸した。気象情報では、ものすごい雨雲がこっちへ向かってくる。家の雨戸も全部閉めたが、その雨戸が風でガタガタ音をたてる。最近ではそうもないのだが、幼い頃の恐怖体験がトラウマになっていて、ぼくは雨の音に異常なくらい恐怖を感じるのだ。その雨に風が混ざったらその恐怖は倍増である。

 歯の方は詰め物がとれただけで、まったく痛みなどないので、別に今日、無理して行くことはないのである。今日はキャンセルしますと電話一本いれればそれで済むことだ。しかし、200メートルほどしか離れていないのに、雨が降ってるから行けませんというのも、何だかだらしない。学校のほうは、ホイホイ休むのに、変なところで格好をつけるものだ。

 そうこうしているうちに、風雨はますます激しくなる。4時半を過ぎたころ、電話が鳴った。「歯医者さんじゃないの?」という家内の予想どおり、「患者さんにお電話しているのですが、みなさん来られないということで、山本さんはどうなさいますか。いつでも診察はできるのですが。」とのこと。「あ、それじゃ、すぐに行きます。6時ぐらいがピークみたいなので、助かります。」といって、ビニールの雨合羽とビニールのズボンをはき、傘を手にもって、玄関の戸を開けた。

 開けた瞬間、後悔した。横なぐりの風などという生やさしいものではない。しかしこれでやめては男がすたる、ってわけでもないが、まあ200メートルだ、何とかなる、そう思って、雨と風のなかに突進した。

 家を出て20メートルぐらいで広いバス道路に出る。雨がアスファルトの上を猛烈な勢いで滑っていく。雨粒が見えない。まるで消防の放水車だ。風もすごい。冗談ではなく、吹き飛ばされそうになる。小さな十字路にさしかかると、その脇道から突風が吹き出して行く手をさえぎる。なんども電柱にしがみついたり、家の塀に身を隠したり、およそ考えられるかぎりの防御の姿勢で、ホウホウノテイで何とか歯医者にたどり着いた。その姿をもし家の窓から見ている人がいたら、まるでスーパーマリオの実写版だと思ったことだろう。

 歯の治療は30分ほどで終わったが、その間、風雨はますます激しくなり、今度は家に辿りつくまでのさらなる苦難が待っていた。途中で、ほんとに死ぬんじゃないかと思ったくらいで、そういえば、テレビで、何とか県では、小川の様子を見に行ってくると言って出かけた75歳の男性の行方がわからなくなっていますなどいうニュースが流れると、どうして小川の様子なんか見に行くのかなあ、困ったもんだよね、老人ってのは、なんて言っていたけど、これでオレが風に吹き飛ばされて死なないまでも骨折でもしようものなら、「横浜では、この暴風雨のなか、近くの歯医者に出かけた61歳の男性が、強風にあおられ骨折しました。」なんてニュースになるんだろうな。それを見た人は、「バカだなあ。歯医者なんていつでも行けるじゃないか。困ったもんだなあ、老人は。」なんて思うんだろうなあ、などと電柱にしがみつきながら思ったものだ。

 家に着いたときは、もう大冒険の後のようで、心底ホッとした。そして、4時半から5時半にかけての1時間が、まさに950ヘクトパスカルという「非常に強い」台風15号の横浜でのピークだったことが分かったのだった。


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