30 暑っ!

2011.9.16


 文化庁の「国語に関する世論調査」で、「寒っ」という言い方に違和感を感じない(「自分も使う」もしくは「自分は使わないが、他人が言うのは気にならない」)人が85パーセントにのぼり、「すごっ」「短っ」「長っ」「うるさっ」も65%以上だったと新聞に載っていた。テレビでもおおきく取り上げられ、キャスターの安藤優子は、「これでは、もとは『寒い』なんだってことも忘れてしまうんじゃないでしょうか。」などと、トンチンカンなコメントをして、隣の木村太郎が「そんなことはないでしょうけど」とあわててフォローしていたような気がする。(チラッと見ただけなので正確ではありません。)

 「同庁国語課」によると「語幹のみの用法は文法的には間違っていないという。」と新聞には書かれているが、文法的に間違っていないなら、いったい「何的」に間違っていると思って調査したのだろうか。まあ、今まで使われていなかったのに、ここへ来て急速に使われるようになったということなのだろうが、だからどうした? と言いたくもなるではないか。

 確かに近ごろの芸能人はやたら「寒っ」とか、「すごっ」とか連発して、面白がっている。テレビではそれをわざわざ字幕で示すものだから、余計に印象に残る。そうしたテレビ的な用法が一般に広がっていることは別に税金を使って調査しなくてもわかりきったことで、それでも実際のデータが欲しいのだとすれば、そこの何らかの意図があるということになる。

 斎藤孝が出てきてコメントするには、言葉というものは変化していくものだから仕方ない面はあるとしても、どこかで誤用を阻止しないと国語はどんどん乱れていってしまう、というような趣旨のことを言っていた。(これも、あんまり集中して聞いていなかったので、正確ではありません。)

 いずれにしても、文化庁には、「正しい国語を守る」という意識があることは確かなことだろう。そのこと自体に問題がないわけではないが、まあそれはおくとして、それならなぜ「文法的には間違っていない」用法を取り上げ調査するのか、やはりその意図が分からない。

 文化庁の国語課のご意見をたまわるまでもなく、「形容詞の語幹のみの用法」があることは、全国の高校生なら誰でも知っている「はず」である。古典文法の教科書を見れば、ちゃんと書いてある。

 たとえば、「新版 古典文法」(東京書籍)には、「形容詞・形容動詞の語幹の用法」の最初に、「感動詞+語幹」とあって、「あなかしこ」「あらたふと」「あなをさなや」「あなめづらか」の四つの例が載っている。「あな」「あら」が感動詞で、その後の「かしこ」が「かしこし」、「たふと」が「たふとし」、「をさな」が「をさなし」の(最後の「や」は助詞)、「めづらか」が「めづらかなり」の、それぞれ語幹である。

 これだけちゃんと用例が載っているのだから、これをちゃんと勉強した全国の高校生は、「寒っ」が「文法的に間違っていない」ことなんて先刻承知なのである。

 新聞記者氏が「文法的には間違っていないという。」というように、文化庁国語課の意見を紹介する形でしかこのことを書けなかったのは、その記者氏が、高校時代に文法の授業を真面目に受けていなかった証拠である。(もっとも、「高校時代に文法の授業を真面目に受けた」高校生というのはごくごく少数のはずだから、この記者氏を責める気持ちはあんまりない。)

 そもそもこの「寒っ」問題に関しては、古典文法を持ち出すまでもなく、昔から我々が歌ってきた「おおさむこさむ、山から小僧が泣いてきた」という童歌を思い出せばいいのだ。件の新聞記事では、「同庁国語課によると、『寒っ』は、19世紀の滑稽本で使用が確認されているが」とあるけれど、こっちの例のほうが分かりやすい。

 「大寒小寒」は、しかし、不思議な言葉で、これを「ものすごく寒いのか、ちょっと寒いのか、どっちなんだ?」などと息巻いてはいけない。辞書によれば「小寒」はただ「大寒」があるから関連づけて出てきた意味のない言葉らしい。しかし「大寒」は、ひょっとしたら「おお、寒(っ)」ではなかろうか。そこまでは辞書にもない。

 しかし、そんな古い、今どきの子どもはまったく知らない童歌を出すより、机の脚に、足の小指をぶつけたときに、ぼくらが何と叫ぶかを思い出してみればいい。「いたっ」と言うに決まっている。よほど深窓の令嬢でもないかぎり「いたい」とは言わないだろう。江戸っ子なら、「いてっ」というはずだ。おそらく何百年も「いたっ」とか「いてっ」とか言ってきた日本人が、だからといって、「お腹がいたいということはない。」という言い方を忘れて、「お腹がいたっときはない。」などと言うようになったわけではない。安藤優子のコメントがトンチンカンな所以である。

 「寒っ」に戻れば、これは文法的には「あなさむ」の「あな」(感動詞で「ああ」という意味)を省略した用法だと考えられる。「寒っ」にしろ、「すごっ」にしろ、「短っ」にしろ、みな驚きを伴ったときに限って使われている。そういう意味でも、「寒っ」は、日本語の「正統的な正しい用法」にのっとっているといえるのではなかろうか。(ぼくは文法学者ではないので、自信はありません。)

 それにしても、9月というのに、暑っ!


Home | Index | Back | Next