27 見るだけカメラ

2011.8.27


 この夏休みは、「処分の夏」だった。夏休みの目標のひとつに掲げた「電子書籍化のだいたいの完了」は、実に涙ぐましい努力をした結果、今までに電子書籍化した本の数がとうとう2200冊を超えた。これでも「ほぼ完了」とはいえないまでも、かなり本棚もすっきりしたことは確かだ。しかしまだまだ残っている。

 それに比べて、CDはほとんど姿を消した。正確には数えていないが、おそらく2000枚を超えていたはずだが、そのすべてをパソコンに取り込みiPodなどで聞けるようにした後、友人にあげたり、中古買い取りに出したりした結果、家にまだあるCDは、50枚ぐらいになった。

 その後にきたのが、カメラとレンズである。ぼくが買ったカメラやレンズはたかが知れているのだが、家内の父が長いこと風景写真をやっていたので、半端じゃない数の大型のカメラやレンズが家にあった。父は、病床にあり、もう写真を撮ることもないだろうということで、家内の母も処分したいということだったので、思い切って中古カメラ店に引き取ってもらうことにしたのだ。

 カメラやレンズといっても、大型のものが多いので、その重さも半端なものではない。車で運んだのだが、1日では運びきれず、2日に分けて運んだ。もっとも、無理すれば1日でも運べたのだが、何しろぼくも家内も寄る年波には勝てず、重い物を無理して運ぶと後がこわい。それに、いっぺんに売り払うには忍びない思いもあった。

 とにかく、前提となるのは、これらのカメラやレンズは、もう、ぼくも息子たちも使うことはないだろうということだ。つまり今回処分の対象となったのは、すべてフィルム用のカメラ、およびそれに付随するレンズである。世はデジタルカメラの時代。中古カメラ店の人も言っていたが、カメラ人口の実に98パーセントは、すでにデジタルカメラ使用者なのだそうだ。ぼく自身も、ここ10数年というもの、フィルムで写真を撮ったことがない。小学生の頃から写真を撮ってきたのだが、あっさりフィルムカメラには見切りをつけたのだ。

 ことカラー写真に関するかぎり、フィルムで撮るよりも、デジタルの方が断然いい。その最大の理由は、金がかからないということだ。金に糸目をつけないなら、フィルム写真の世界で遊んでみたいと思わないでもない。しかし、そんな金はどこにもない。モノクロ写真の世界なら、圧倒的にフィルムがいい。モノクロ写真を、カラープリンターでプリントしても、普通のプリンターではまずきれいなプリントはできないのだ。しかし、モノクロ写真をこれから力を入れて撮っていこうという気持ちはない。気持ちはあっても、もう時間がない。

 まあ、そんなこんなで、ぼくの持ち物としては、デジタルカメラと使い勝手のいいレンズが数本あればいいということに落ち着いたわけである。

 2日目。ぼくの父の持ち物だったけっこういいカメラや珍しいカメラにも見切りをつけて、袋につめた。しかし、最後まで迷ったのは、家内の父からもらったコンタックスのカメラと、カールツァイスの3本のレンズだった。これもフィルム用のカメラなので、処分対象だったのだが、カメラのデザインが素晴らしいのと、レンズのほれぼれするような美しさに、まさに後ろ髪を引かれる思いがした。それでも、いったんは袋につめて床に置いたのだが、残ったデジタルカメラとレンズがカメラ用の乾燥ケースに並んでいる様を見たら、どうにも味気ないというか殺風景なのである。

 デジタルカメラといっても、ニコンのデジタル一眼だから、それなりの風情はあるのだが、やはりコンタックスのカメラと、カールツァイスのレンズのたたずまいにはかなわない。このカメラとレンズがあれば、ひょとして数年後にフィルムで写真を撮ってみようと思うかも知れないとも思った。しかしそれも多分ないだろう。だけどなあ……、などと考えているうちに、自然とそれらを袋から取り出し、ケースに並べていた。

 そばにいた家内は、使わないんだったら売ればいいじゃないの、と言う。それはそうかもしれないけれど、きれいだからなあ、とぼく。きれいだから置いておくわけ? と家内。うん、見ているだけでいいカメラやレンズというのもあるよ。使わなくても、持っていたいものもある。それじゃなきゃ、生活にウルオイがなくなっちゃうよ……。

 生活のウルオイと、身辺の整理。持ち物をなるべく少なくしていくことが、味気ない日々を生みだしてはつまらない。スッキリしていて、しかもウルオイのある生活。それが理想だが、なかなかその兼ね合いがムズカシイ。


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