24 大人は黙って……

2011.8.13


 国立博物館で開催されている『空海と密教美術展』に出かけた。つい数年前なら、お目当ては様々な国宝級の仏像であったはずだが、今回は空海の自筆の書だった。人間、変われば変わるものである。約2ヶ月にわたる展覧会は、途中で展示替えがあり、書の方も、有名な『風信帖』は8月23日以降となる。そのかわり、それまでの期間には『灌頂歴名』が展示されている。この『灌頂歴名』こそがお目当てだった。

 書に詳しくない人には、なんじゃそれ? てなもんだが、事実、つい数年前まではぼくも、「なんじゃそれ?組」だった。しかし今は違う。どうしてかというと、書の歴史の勉強を猛烈にしたというわけではなく、今まさに、この『灌頂歴名』の臨書に取り組んでいるからだ。

 この『灌頂歴名』というのは、空海が京都の神護寺において、密教でいう「灌頂」を授けた人の名前を手控えに書いた、つまりはメモである。メモなので、字は揃っていないし、書き間違えは墨で消したままだし、普通ならこういうものは残らない。ところが、空海の書となれば残るのである。

 次はこれを書いてみたらどうでしょうか、と先生に『灌頂歴名』の本を渡されたときは、正直言って、エ〜ッと思った。小さな字で、グチャグチャ書いてある。ほとんど判読不能なものまである。そしてそのとき、ああ、これだったのか、と思い当たった。十数年も前のことだが、母の家に行ったら、今ねえこれを書いているんだよと見せられたのが、まさしくこの『灌頂歴名』だったのだ。こんなにさあ、消してあるところまで、ちゃんとそのまま書き写すんだよ、という母の言葉に、それが誰の書かということも確かめもせず、へえ〜、めんどくさいことするんだねえなんて言って、ろくに見もしなかった。それが展覧会場に展示されたのを見たときも、よくこんなたくさんの字を間違えずに書けるもんだと感心はしたけれど、それがいかなるものかについてはまったく無関心だった。

 お母様も昔書かれたので、それで、どうかなあと思いまして、という先生の言葉に、ああ見たことありますよ。あれはこれだったんですか。もちろんやります、と答えたはいいが、それから約3ヶ月、いまだに全部の文字を臨書できていない。四苦八苦の連続である。その四苦八苦のモトが、その実物が来ているのであるから、見に行かないわけにはいかないのだ。

 『灌頂歴名』はおろか、空海の自筆の書を見ること自体初めてのはずである。それと気づかず見たことがあったかもしれないが、考えてみれば、源氏物語の自筆本だって残っていないのに、それより200年も前の空海の自筆の書が残っていて、それを目の当たりに見ることができるとなんてスゴイことだ。会場で最初に目に飛び込んできたのは、空海24歳の時の書、『聾瞽指帰(ロウコシイキ)』という10メートル以上に及ぶ巻物だった。30分ほどかけて見た。スゴイとしかいいようがない。一文字一文字が、目に食い込んでくる。見れども飽かぬとはこのことだ。

 さて、とうとう『灌頂歴名』だ。さすがにその展示の前は人だかりがしているが、それでも5分も待たないうちに最前列に出てゆっくり見ることができた。やっぱり、印刷で見るのとは大違いで、筆遣いがよくわかる。どんな筆を使ったのかも分かるような気さえする。墨で消した字も透けて見える。こういうのを本当の意味で「参考になる」というのだろう。感嘆あたわず、見入っていると、隣や後ろからいろいろな声が聞こえてくる。

 「へ〜、間違えても消してあるわね。そうねえ、これでいいのね。」「そうよ、これでいいのよ。」と納得しあってさっさと行ってしまうオバサンの二人連れ。何がいったい「これでいい。」のか。書なんて、かしこまらなくてもいいんだ。間違えたって気取らずに、こうやって消しておけばそれでいいんだ、ということか。オイオイ、冗談じゃないぜ。そういうことじゃないだろう。これはねえ、メモなんだよ、だから人に見せるつもりはなかったわけで……、なんて心の中で思っていると、今度は、「普通ね。普通だわよ。」「おまえに、そんなこと言われたくないよ。」という中年の夫婦。何がどう「普通」なのか。「弘法も筆の誤り」なんていって、有名な人らしいけど、そんなにうまくないじゃん、普通だわ、ということか。え〜とね、それは違いますよ。この『灌頂歴名』の字はね、空海の字の中でももっとも力強い書として有名でして、この一字をまねて書くのも大変なんですよ……なんて思っているうちに、「達筆じゃないわね。」と言い残して去る女性。「達筆」って何ですか……なんてまたまた思っているうちに、今度は何だか書道家みたいな中年の男が連れの女性に説明している。これはねえ、灌頂の儀式の時に書き付けたメモだからね、ほら大きい字と小さい字があるだろ。大きい字は、空海の字だけどね、小さいのは寺の若い坊さんなんかが書いてるんだ。だからここにはいろいろな人の字が混ざっているんだ、全部が空海の自筆だというわけじゃないんだということを知っていないとね、と自信たっぷり。オイオイ、そんな話どこにあるんだ、あんたの推測にすぎないんじゃないの? ちゃんとした裏付けがある意見なの? いいとこ見せようと思ってウンチク傾けてるんだったらやめてくれないか、って、もう、頭の中はパニック状態。

 いいから、みなさん、黙って見ましょうよ。子どもみたいに、思ったことをすぐ口に出すもんじゃありません。黙って、敬意を持って、静かに見ましょう。「別にうまくないなあ。普通だなあ。」と思っても、それはあなたが「普通」だからであって、空海が「普通」だからじゃありません。一度でも、この字を、真剣に学ぼうとしたものは、この字の底知れない深さ、力強さは身に染みるはずです。生まれて初めて、空海の書に接し、感動して、そこから何かを学ぼうとしている人間もいるんです。いい歳した大人なんでしょ。幼すぎる感想を述べたり、自分の知識をひけらかしたりするのはやめませんか……。

 まあ、しかし、ぼくもほんの数年前までは、そういう人たちと大差なかった。今でも大差はないが、それでも、少しは書が分かってきたような気がする。たとえ分からなくても、書を見ることが楽しい。


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