23 真夏の覚悟

2011.8.8


 この夏は水墨画だなどといって、小鳥の絵の練習をしていた7月の下旬に、「第51回現日書展」の公募作品として出品していたぼくの作品が、なんと「特選」を受賞したという通知が入った。電話で伝えてくださった先生も大変喜んでいたが、ぼくは天地がひっくり返るほど驚いた。この展覧会への出品は今年で3回目で、去年は「佳作」に選ばれたというだけで、もう死んでもいいなんて思ったのに、今度はいきなり「準特選」をすっ飛ばして「特選」なんて、信じられないようなことだった。先生の話によれば、公募作品は200点ほどあるそうで、その中で、10番目ぐらいにはなるということで、ますます信じられない結果といってよかった。

 ぼくの作品は、いわゆる「現代詩文」というジャンルで、伊東静雄の『秧鶏は飛ばずに全路を歩いて来る』という詩を、ぼくなりの字で書いたものだ。お手本はないから、臨書ではなく創作ということになる。ぼくが適当に書いていったものを先生が何度も直してくださり、字の配置、墨の濃淡・潤滑、線の太さと細さなどきめ細かい指導があって、最終的には何枚も書いた中から先生が一番いいと思ったものを選んで出品ということになったわけだ。したがって、ぼくの力で入賞したというより、まさに先生のお陰以外の何ものでもないのだが、それにしても、書けば書くほど結局は昔から変な字だなあと思ってきた自分のくせ字に戻っていってしまうのをどうしようもなかった。どうしてこんな字になってしまうんだろう、こんなんでいいんだろうか、でも案外いいかも、いやいやダメだこんなの、そんな風に思いながら書き続けた。一ヶ月ぐらい苦闘が続いた。もちろん毎日書いていたわけではないけれど。

 そうやって何とか仕上がった作品をオズオズと先生に見せると、メチャクチャ直されるかと思いきや、先生は全然直さない。ああ、すてきですねえ、目移りするなあなんていって、ずらりと並べた作品を眺め、これとこれがいいかなあなどといいながら、じゃあ、この3枚をお預かりしておきます、ということでおしまい。その1枚が受賞したのだ。だからやっぱり驚く。

 自分ではどこがいいのか分からない。ぼくが何十年もコンプレックスを感じてきた自分の字の形がそこここに残っている。もちろん、先生の字を懸命にまねたり、ぼくなりの工夫をしたりもしたが、何だかやっぱり子供じみた変な字だなあという感じは拭いきれない。それでも、その字が受賞したということは事実なのだ。

 展覧会の会場で、先生に「どこがいいんですかねえ。」と聞いたら、「普通の方は、長いこと修練して上達した字を何とかして崩そうと苦労するのですが、ヤマモトさんの場合は、その必要がないわけです。」というようなことをおっしゃった。つまり、一生懸命に崩そうとしなくても、最初から崩れている、その崩れた字が評価されたのだということらしい。そういえば、榊莫山も「形をうまくまとめることより、形をくずすことのほうが大変だ。」と言っていたような気がする。これもそういうことと関係があるのだろうか。

 同じ会場にいた知り合いの方も「おめでとう。すごいじゃないの。」と言うから、「いやあ、どうもよく分かんないんですよ。」と言ったら、「同人の先生方の作品見たでしょ。この会は、もう、あれだから、いいのよ。自信持ってどんどんやればいいの。」と言う。「あれ」って言われても何だかよく分からないけれど、「自由と奔放 燃える現日」というのがどうもキャッチフレーズのようなので、「あれ」というのは「自由・奔放」ということなのだろうか。

 とにかく、なにはともあれ、それこそ一生をかけて書道に精進してきた先生方から、いちおうの評価を受けたことは確かなことで、それは正面から受け止めなければならない。正面から受け止めるということは、それなりの覚悟を持つということだ。覚悟というのは、自覚を持ってそのことにきちんと真面目に取り組むという覚悟だ。

 何をやっても中途半端で、ちゃらんぽらんで、賞状などをもらったことは、自慢じゃないが高校卒業以来一度もなかった。(高校卒業の時には、学校への貢献をたたえられ「栄光賞」という賞をもらった。ちなみに、成績優秀な者には「栄光優等賞」というのが与えられた。)水彩画もずいぶん描いてきたが、結局一から十まで独学で、褒めてくれる人は結構いたが、やっぱり自信をもてなかった。学問においても、大学紛争の時代で、まともに学ぶことができなかった。ぼくはゼミひとつ受けたことがない。高卒教師と自称するゆえんである。教師の仕事にしても、どこか逃げ腰で、不真面目で、教育一筋に取り組んできたという人生ではなかった。(今日の「おひさま」で、陽子先生は、卒業する生徒に「私はいつまでたってもあなたたちの先生です。それを忘れないでください。」と言っていたが、ぼくときたら「卒業したら、君たちの名前なんか忘れてしまうからね。だからどこかで会ったら必ずまず名乗るように。」なんて言ってきたのだから、その差歴然である。)

 ほんとうに基礎の基礎から先生について学び、その教えをよく守り、それなりの努力もし、階段を一歩一歩あがるように上達して、公式な展覧会に応募して評価されるなどといったことは、ぼくのこれまでの人生にとって、まったく初めての体験なのだ。それだけに、今回のことはぼくにとってはとても大きなことなのだ。

 今回の受賞は、ちょっと書が上達したからといって、今度は水墨画だなどといってすぐに脇見をするぼくに、もっと真面目に書に取り組みなさいという「警告」であるのかもしれない。

 今後の人生は、もう書道一筋で行きたいと、つい調子に乗って思ったりもするが、ぼくは自分のことはよく知っているつもりだ。気が多くて、飽きっぽいという性格はいかんともしがたい。それでも、何とか、残りの人生の何分の一かでも使って、書の道に精進できればいいなあと思っている。


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