19 牛の立場

2011.7.23


 今回の福島県産の牛肉の放射能汚染はとても深刻な問題だが、それはそれとして、一連のテレビ報道を見ていて、いちばん驚いたのは、牛のエサが稲ワラだったということだ。

 牛が何を食べているのかということは、よく考えてみたこともなかったが、放牧されている牛が草を食べている姿はテレビでも、実際にも見たことはあったので、何となく草なんだろうぐらいにしか思っていなかった。ワラを食べているシーンも見たことがないわけではなかったが、あんなに大量の稲ワラを仕入れて、ほとんどそれだけを食べさせているなんて、びっくりした。

 確か狂牛病騒ぎのときは、肉骨粉を食べさせたとかいうことが問題になっていたような記憶もあるから、ワラも食べるかもしれないが、それは副食程度で、もっといいものを食べているのかと思っていたようなフシもある。松阪牛だったかが、ビールを飲まされているというような映像を見た記憶もある。とすれば、「高級黒毛和牛」ともなれば、ワラなんかではなくて、もっと高級なものを食べているに違いないと思ったとしても、無理からぬところだろう。それが、あの膨大なワラの束だ。

 牛は、あのワラを、どう思って食べているのだろう。牧場の野草よりもずっとまずいに違いない。それでも、それしかなければ、うまいうまいと食うのだろうか。口の中でパサパサしないのだろうか。ぼくは特にパサパサするものが嫌いだから、よけい同情してしまう。

 豆はパサパサするから嫌いなの、と家に来て家内としゃべっている女性の話を、隣の部屋で聞くともなく聞いていたら、なんとその人は、納豆も、豆は嫌いだから、ネバネバだけ食べるの、って言っていた。納豆のネバネバだけ食べるって、それどうやるんですかって、部屋を飛び出して聞きたかったが、かろうじて思いとどまった。

 ぼくの昔の友人に、イチゴのツブツブが嫌だから、皮をむいて(というか、親にむいてもらって)食うんだと言うヤツがいて、そんなことしたら真っ白いイチゴになっちゃうじゃないかと言ったら、それでもいいんだと言いはっていたのを急にその時思い出してしまった。

 まあ、いろんな人がいるということだ。

 それにしても、「国産黒毛和牛」が、ワラをあんなに旨い肉に変身させてしまうということは、すごいことだ。けれども、そんなうまくもないものを大量に食べさせられて、せっかく大きくなったと思ったら、殺されて人間に食われてしまうというのは、何とも気の毒な感じがする。

 動物の肉を食うということは、やはりずいぶん罪深いことだ。牛だけではない。鶏も、あの狭い鶏小屋に閉じ込められて、一日中食わされて、あっという間に殺される。ブタもしかり。宮沢賢治が、ある時期から肉食を完全に断ったのも分かるような気がする。

 福島県内の肉牛の出荷が停止されたが、売れる見込みのない牛でも、日々のエサは与え続けなければならない。牛はどんどん大きくなっていってしまうし、エサ代はかかるし、と肥育農家(この言葉も初めて聞いた。)の人びとは深刻な事態を嘆いている。

 原発も、人間が作っておきながら、それを止めるのに四苦八苦している。牛も、大量消費のためのシステムを人間が作ったために、いったんこういう事態になると、その牛の持って行き場がない。政府が買い取るといっているらしいが、買い取って処分するということで、牛にしてみれば、どっちみち殺されるのだから同じことかもしれないが、なんともヤルセナイ話である。


 

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