16 確率と不安

2011.7.16


 『おひさま』を見ていたら、若尾文子にお話を聞くという設定の斉藤由貴が、「でも昔のお産って大変だったでしょうね。」と言うと、若尾が「そうかしら。今の方がむしろ大変なんじゃないかしら。だって、昔は、お母さんの言うことを信じていればよかったんですから。」というようなことを言って、後はドラマに入ってしまった。

 脚本家の言いたいことは、たぶん、「今の妊婦のほうが大変だ。なぜなら、絶対的に信じられる『母』も近くにいないし、おばあちゃんもいない。そのうえ、雑誌やネットに、情報があふれていて、どれを信じていいのかわからずに不安に駆られるからだ。」ということだろうと思う。

 情報がないのも不安だが、ありすぎるのはもっと不安だ。いいかげんな情報なら、むしろないほうがましだとも思える。現代人は、あふれる情報を、取捨選択するいとまもなく、一方的に流し込まれて、それで日々不安に苛まれているのだ。

 三浦半島の活断層群が最近にわかに注目され、テレビでも大々的に報道された。その報道のされかたをみると、まるで明日にでも地震が起きて、横浜やら鎌倉やらが震度7の激震におそわるような錯覚におちいる。テレビ局は、わざわざ湘南海岸や鎌倉に出かけて、観光客にインタビューまでする。質問された若者は「そうですか。鎌倉にも人が来なくなっちゃうんですかねえ。」なんて言う。で、まとめは、「食料の備蓄をしましょう。」となる。

 しかし、三浦半島の活断層群のことは昔から知られていて、今度の大地震の影響で、その地震の起きる確率が、今までより高くなったということにすぎない。今後30年間に起きる確率が13パーセントほどになったということらしくて、全国に散らばる活断層の地震が起きる確率がだいたい3パーセントぐらいなのにくらべると、ダントツに高いということのようだ。(正確にはよく知りません。これもいいかげんな情報です。)

 この「今後30年間に起きる確率」という表現は最近よく耳にするのだが、なんだかよく分からない表現である。もっと高校で確率の勉強をちゃんとやっとくんだったなどと思うが、ぼくらの頃に確率なんて、きちんと教えてなかったのではなかろうか。もっとも数学はまったくチンプンカンプンだったので、何を教わり何を教わらなかったのかさえ定かではないが、いずれにしても、この確率というのはクセモノである。

 仮に三浦半島の活断層群の地震の「今後30年間に起きる確率」が13パーセントだとして、では、それに対してぼくらはどう対処したらいいのか。もちろん、もっと確率の高い首都圏直下型地震とか東海地震とかがあるわけだから、食料の備蓄などはかなり真剣にしている。けれども、それにくわえて三浦のことを言われても、どうしようもない。神奈川県民の不安をあおるだけではないか。

 正直言って、そのテレビ報道を見ていたとき、やはりぼくの中には嫌な気分がひろがった。もちろんその正体は「不安」である。

 けれども、「今後30年間に起きる確率」が13パーセントの地震より、「ぼくの死」のほうが遙かに不安なはずである。「今後30年間にぼくが死ぬ確率」は、どう少なく見積もっても、98パーセントぐらいにはなるだろうから。(こういう計算でいいのか?)「今後30年間に起きる確率が13パーセントの地震」が、100年たっても起こらない確率は、これもどう計算すればいいのか分からないが、30パーセントぐらいはあるかもしれない。それに引き替え、「ぼくが100年たっても生きている確率」は、どう考えてもゼロである。そもそもそんなのは「確率」ですらない。

 東海地震が「今後30年間」に起きる確率が80パーセントを超えるといっても、それでもぼくが「死ぬ確率」よりは低い。

 つまり、確率で表現されるような「出来事」に関しては、いちいち気に病んでもしょうがないということである。起きるかもしれない事態を心配する前に、必ず起きる事態──つまり自分の死──に対して、準備したほうがはるかによい。

 死への準備とは何か。それは結局「今をよく生きる」ことだ。

 死に関しては、「情報」は一切ない。宗教も、決して死に関する「情報」を提供するものではない。宗教は、ぼくらに「今を生きる」ことしか、ぼくらに出来ることはないのだということを教えるのみだ。イエスのあまりにも有名な言葉もこのことを言っているのだ。

あすのことを思い煩ってはならない。あすのことは、あす思い煩えばよい。その日の苦労は、その日だけで十分である。(マタイ6-34 フランシスコ会訳)

明日のために心配するな。明日は明日が自分で心配する。一日の苦労は一日で足りる。(同 バルバロ訳)

 バルバロ訳の方が面白いが、いずれにしても「明日は明日の風が吹く。」とか「ケセラセラ」とか言った言葉は、たぶんここに源がある。ラテン系の人が、楽天的なのは(ほんとうにそうか確かめたわけではないが)、こういった信仰があるからだろう。

 なお「不安」への具体的な対処法については、名越康文『心がフッと軽くなる「瞬間の心理学」』(角川SSC新書)がとても参考になる。日々「不安」に苛まれている方には、一読を勧めたい。


 

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