15 言えそうで言えない言葉

2011.7.14


 大船駅西口側のバス停を降りて、改札口前を通過し、東口へ出て、またバスに乗って、学校に着く。これが、最近の通勤経路だ。

 大船駅の改札口へ向かう通路では、私立の小学校へ通う子どもたちの群れとすれ違うことになる。小学校の1、2年生ぐらいの子どもたちは、男の子も女の子も、おそろいの水色の制服にくるまれて、この暑いのに元気いっぱいにこちらに向かって歩いてくる。いいなあと、いつも思う。

 先日、その小学校の2年生ぐらいのちょっと太り気味の男の子が、これもちょっと太り気味のお父さんと一緒に歩いてきた。彼らが改札口に近づいたとき、お父さんが子どもに向かって、小声で、「お互いにがんばろうな。」と言うのが聞こえた。子どもはうなずいて、そのまままっすぐに西口側のバス停の方へ歩いていき、お父さんは改札口へ向かっていった。

 「お互いにがんばろうな。」──その一言が、妙に身に染みた。いいなあと、思った。

 そんな言葉を、ぼくは父からかけてもらったことがあるだろうか。そんな言葉をぼくは息子たちにかけてやったことがあるだろうか。そんなことを思いながら、歩いた。もちろん、どちらもなかった。そんな言葉をかけたり、かけてもらったりする親子関係ではなかった。といって、仲が悪かったということではない。ぼくの父も、ぼく自身も、ただ照れくさかっただけだったのだと思う。でも、照れずにそういうことが言える関係というのは、やはり羨ましい。照れるとか照れないとかいったことではなく、時代が変わったということなのかもしれない。それなら、いい時代になったということだ。

 「がんばれよ。」ではなく、「お互いがんばろうな。」という言葉には、お父さん自身の大変さが滲み出ていて、そしてそのうえで、子どもへの励ましがあって、更に、親子を越えて、人間としての連帯感にあふれている。サラリーマンにはサラリーマンの厳しさがあり、小学生には小学生の厳しさがある。その厳しさは、同質なものだというはっきりとした認識がある。

 何気ない言葉だけれど、言えそうで言えない言葉だ。その言葉に、このお父さんの「教育」へのしっかりとした姿勢が感じられる。

 昔の父親は、決してそういう言葉をかけなかったと思うが、しかし、無言のうちにそう子どもに語りかけていたのかもしれない。「親の背中をみて育つ」ということは、そういう言葉を、語らない親の姿、親の行動の中に見いだして育つということだろう。

 震災後、スポーツ選手などが、「ぼくたちが頑張る姿を見せることで、少しでも被災者の方々に元気になってもらえればいいと思います。」というような言葉を発することが多くなったが、それを聞く度に、どことなく「言い訳」じみて感じられもし、そんなこと言わなくてもいいから、君たちは君たちのやるべきことを全力でやればいいじゃないか、それをだれも非難などしないよ、と言いたくなったりもするのだが、しかし、やはり彼らの言葉には、このお父さんの「お互いにがんばろうな。」と同質の精神があることは確かなことだ。

 がんばっている人を見て、励まされる、ということは、確かにある。その当たり前のことが、何か新しい発見のように感じられる昨今である。


 

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