14 決められない

2011.7.9


 暑い暑いと言いながら、ちょっと冷房をきかせた部屋で、エダマメとヤッコをつまみにキーンと冷えたビールを飲むのと、寒い寒いと言いながら、炬燵に入って、湯豆腐をフーフー言って食べながら冷やした純米酒(燗酒は苦手なので)を飲むのとどっちがいいかと聞かれたら、ちょっと困る。

 その昔、多分大学生のころ、山口百恵と吉永小百合がぼくの両脇に坐って、お酌をしてくれるという夢を見たことがあるが、その場合も、もしどっちからお酌をしてもらいたいかと聞かれても困ったと思う。もちろん、夢だから、そんな無粋な質問はなくて、どちらからもお酌をしてもらっているうちに目が覚めた。覚めてからもしばらくは、陶然として(こういう状況を表現するのにこれ以上適切な言葉があるだろうか。いい言葉だ。)、部屋の空気がピンク色に見えたもんだぜと、ある時、授業で話したら、男子高校生どもは、共感を示すどころか、へん、トンだエロオヤジだぜと言ったふうな呆れた顔をしていた。今じゃない。今見たんじゃない。たぶん大学生の頃のことだと言いたかったが、まあそんな昔話をさも嬉しそうに話す教師というのも、尊敬にあたいしないことは確かなことだから、弁解はやめて、授業の本題に戻った。

 しかし、かのモンテーニュも言っている。

 このエセーが人々の判断に値するとしても、私の考えでは、一般の俗衆にも、稀有なすぐれた精神の人々にも、あまり喜ばれそうにないと思う。前者には十分にわからないだろうし、後者にはわかりすぎるだろうから。このエセーは、その中間の地帯にやっと生きて行けるであろう。(1-54)

 しかし、こんな言葉を引用したからといって、ぼくの授業中のバカ噺やら、このエッセイやらを、モンテーニュのそれの側におこうというものではない。ただ、最近、何を言っても、何を書いても、自分でも「くだらねえなあ。」と思ったり、「二番煎じだよなあ。」と思ったりすることが多いもので、まあ、かのモンテーニュでさえ、「わかるヤツにしか分かんないでいいや。バカにされてもいいや。」って開き直ってますよということを言っておきたいと思ったまでである。

 で、ヤッコか湯豆腐かってことだが、やはりどちらも捨てがたい。これを夏か冬かっていう問題にすると、今度はどっちもイヤだということになってしまいそうだ。

 夏は、暑くてイヤだけど、ヤッコもある、ビールもある。冬は寒くてイヤだけど、湯豆腐もある、冷やした純米酒もある、って思うと、結局、「決められない」というところに落ち着く。

 人生の醍醐味(それほど大げさなものでもないが)といったものも、どうやらこうした「決められない」という「中間の地帯」に潜んでいるらしい。

 

 

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