6 見渡せば……

2011.5.31


 見渡せば【 ア 】も【 イ 】もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮

第1問 【   】ア・イに適当な語を入れよ。
第2問 「苫屋」の読みを答えよ。

 こんな問題を高校2年生の中間試験に出した。もちろん、この歌は授業で扱い、かなり丁寧な解説も行ったのである。生徒諸君の名誉のために言っておくと、ほとんどの、つまり8割ほどの生徒は正解だった。しかし、あとの2割は……。

 正解は、問1は、アは「花」、イは「紅葉」。問2は「とまや」である。

 この歌は藤原定家の作。「三夕(さんせき)の歌」の一首として、つとに有名であり、うらさびしい秋の海岸に立ってあたりを見渡すと、そこには春を代表する「桜の花」も、秋を代表する「紅葉」もなく、ただポツンと漁師の掘っ立て小屋がたっているばかりだ、というほどの意味だ。「花も紅葉もない」という表現によって、「何にもない」のではなく、さびしい秋の海岸の奥の方に、まるで透明なレイヤーのように「花と紅葉」が隠されているかのような不思議な印象を与える歌だね、なんてことを授業で話した。

 別に「覚えろ」と言ったわけではないが、まあ、こういう話をそれなりの興味を持って聞いていれば、高校生ぐらいの若い脳には「花」と「紅葉」という言葉ぐらいは刻み込まれているだろうという想定のもとでの出題である。しかし、若い脳は柔軟ではあるが、眠いということもある。それで、「はて、なんだっけ?」ということになる。まったく記憶にない。ええい、そんなら、というわけで、「金」「時間」と入れたヤツが何人かいた。高校生らしいボケである。これがもう少しオマセなら、「金」「女」とするところだろう。「金」はいいとしても、「時間」としたところが、大学受験を控えた男子高校生の実態を示唆していてセツナイ。

 「苫屋」の読みはムズカシイ。いきなり出されたら、まず読めないだろう。けれども、ぼくは小学生の頃から読めた。どうしてかというと、ぼくの家の斜め前に「苫屋」という名字の布団屋さんがあったからだ。もちろん読みも「トマヤ」。しかも、当時から学校で歌わされた『横浜市歌』の一節に、「昔思えば、トマヤの煙」というのがあって、長いこと、どうして昔の横浜にはトマヤさんしかいなかったのだろうと不思議に思っていたということもあったのだ。

 そんなエピソードも交えて、この「苫屋」の読みと意味とを授業で話したのだが、これが約2割の生徒が不正解。一番多かったのが「こまや」。これは、たぶんぼくの発音が悪かったのだろうと反省。次が「こけや」。なるほど「苫」と「苔」は似ている。しかし、「こけや」って何だ? って思わないのだろうか。けれども「とまや」だって彼らには意味不明だもの、仕方ないか。ただ一人、「のりや」と書いたヤツがいた。これには笑った。

 落語を聞いていると、長屋には必ず「海苔屋のばあさん」というのが住んでいる。それを思い出してしまったのだ。

 こういうのを混ぜ合わせると、「見渡せば金も女もなかりけり浦の海苔屋の秋の夕暮」というのが出来上がる。もちろん、海苔屋には「ばあさん」が住んでいるわけである。なんか、江戸時代の狂歌にありそうだなあ。


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