4 最低の国

2011.5.21


 日本という国は、ほんとうにロクでもない国であると、若いころいつも思っていた。よりによってどうしてこんな国に生まれてしまったのだろうと世をハカナンダこともある。ところが年をとるに従って、気が弱くなったのか、あんまりまともにものを考えることがめんどくさくなってしまったのか、日本という国が格別いい国だとは相変わらず思わないものの、まあそんなに悪くもないかぐらいのところで落ち着いてしまって、ヌクヌクと、ベンベンと生きてきた。

 震災の直後から、テレビCMの自粛によってかよらずか、やたらACの広告ばかりとなり、来る日も来る日も、仁科亜季子親子の子宮頸がん予防キャンペーンと、金子みすゞの詩ばかりとなり、あんまりしつこいので、どこかのオトウサンが「オレも、子宮頸がんの検診に行くかなあ。」と言ったとか、「こだまでしょうか。」のフレーズをおりこんだ様々なパロディーがはやったりとか、いろいろな現象を生んだりもしたようだ。しかしようやく世の中が何となく落ち着いてきたのか、さすがに仁科親子は姿を消したけれども、金子みすゞの「こだまでしょうか」は依然として流れ、これだけ聞かされたら世の人はさぞウンザリして、金子みすゞが大嫌いになるんじゃないかと余計な心配をしていたら、とんでもない、彼女の詩集が売れに売れているというのだから、世の中、分からないものである。

 金子みすゞは相変わらずにしても、それでも流れる回数はぐんと減り、そのかわりに登場してきたのが、「がんばれニッポン」とか「ひとつになろうニッポン」といった標語である。「がんばれニッポン」の方は、いったいそこで励まされている「ニッポン」とは何のことかという疑問は残るにしても、まあ、そういうことだろうと一応の納得はできる。しかし「ひとつになろうニッポン」は、やっぱり気持ちが悪い。

 ぼくなどは、若い世代から蛇蝎のごとく嫌われ、寝る子も起きるという団塊の世代、全共闘世代だから、どうしても素直にこうした標語を受け入れることができない。ぼく自身は、全共闘世代とはいっても、全共闘に加わって闘った人間ではなく、むしろそこから逃げ回っていた軟弱なオクビョウモノだが、それでも、いやだからこそ、徒党を組むことや集団的な熱狂には人一倍警戒心が強い。まして「ひとつになろう」なんて、とてもじゃないが、鳥肌立てずに聞くことはできない。(念のため断っておくが、「鳥肌が立つ」というのは、「感動」のことではなく、「嫌悪」のことです。)「ひとつになろう」なんて、戦前のファシズムじゃないか、冗談じゃないぜ、ってまず思ってしまう。ところが、そういった批判はどこからも聞こえてこないし、テレビでは延々とこの標語が流れ続けている。これなら、仁科親子の方がまだ、病気の早期発見という恩恵があるだけずっとましだ。

 「この未曾有の震災の復興のために、みんなで協力しあおう。」ということはよく分かる。しかしだからといって「ひとつになろうニッポン」とはどういうことか。どう「ひとつになる」のか。つい最近まで「オンリーワン」を目指していたニッポン人が、どうやったら「ひとつに」なれるのか。そもそも「ひとつになる」必要があるのか。「ひとつになる」ことはいいことなのか。そうした反省を一切抜きにして、こうした標語を垂れ流すのは、危険極まりないことではないか。

 ニッポン政府がここぞとばかりファシズムに国民を導こうとして意図的にこうした標語を流させているのなら、それなりの「悪意」があるわけだから、まだ対処のしようもあるだろうが、そういう意図さえなく、ただ「善意」からこういう標語を作り出し、「よかれ」と思って流しているのなら、ソラオソロシイことである。

 それにしても今回の震災でつくづく思い知らされたのは、やっぱりニッポンはロクでもない国だなあということだ。国に誇りを持て、伝統文化を大切にしろ、君が代を歌え、歌わない教師はクビだなどと言ってきた国が、結局は日本の美しい自然を放射能まみれにしたのだ。その罪は万死に値するし、その国の原子力政策に断固反対することもなく、ぬくぬくと電気を消費して生きてきたぼく自身も少なくとも百死ぐらいには値する。ロクでもない国に生まれた、ロクでもない人間である。つくづくそう思う。

 そんなことをウツウツと思っていたが、先日、今は亡き俳優、殿山泰司の『三文役者の無責任放言録』という本を久しぶりに読み返してみたら、これが実に痛快だった。

 オレはニッポンもニッポンの税務署も愛していない。オレたち働いて生きてる人間に対して、ニッポンは冷たい国である。愛してなんぞいられない。よく考えると死にたくなる程イヤな国である。だからこの頃はよく考えない事にした。来世再び人間に生まれてくるような機会があれば、ニッポンなんかに生まれてやるもんかい。バカヤロウ! オレの声は富士山にコダマして、またオレの所へ帰ってきてオレのアタマをドヅキよった。ホンマにイヤな国やな。水上勉先生のオコラはるのも当たり前やで。(1963年6月)

 まあ、こんな調子だが、この文章が書かれてから、もうかれこれ半世紀も経っているのに、ちっともこの感慨は古びていない。もちろん、殿山が抱えている「ニッポンへの憎悪」は、戦中戦後の彼の生活と深い関わりを持っているはずで、それは戦後生まれのぼくなどがとうてい共有できるものではないが、それでもこうした言葉は、ジカにぼくの胸にノウズイに突き刺さる。そうだ、バカヤロウ! 何が「ひとつになろう」だ! と叫びたくなる。

 今、世界の人びとは、日本人に尊敬のまなざしを注いでいるなどというニュースも流れるが、原発の最前線で働かされている人たちが、狭いタコ部屋みたいな所に雑魚寝させられ、貧しい食事しか与えられず、震災から2ヶ月も経とうという最近になって、「原発の現場で働く人たちのもとに、はじめて新鮮な生野菜のパックが届けられました。」などというニュースをさも嬉しそうに流すテレビを見ていると、ああやっぱり我がニッポンは殿山が言うように「最低の国」だと思ってしまうのだ。


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