52 風が通る

2010.7


 デザイナーの原研哉によれば、部屋は置いてあるものが少ないほど美しいのだそうだ。最近の日本人ほどごちゃごちゃとした家財道具に囲まれて暮らしている国民も少ない。昔の日本では、むしろ部屋には極力ものを置かず、必要に応じて出してくるというのが伝統だったのに、いったいこれはどうしたことかと嘆いている。

 ぼくはどちらかというとごちゃごちゃものを置きたがるほうだが、家内はまった逆で、置きたがらない。面白い置き物なんかがあると、ぼくはつい買いたくなるのだが、家内に即座に却下される。だから我が家のリビングはわりあいすっきりしている。わりあいというのは、ぼくが置いたものが完全には排除されていないからだ。家内もそこまで頑なではない。

 でもねえ、あの張り子の虎もいらないんだけどなあ、それに変な果物みたいな置き物もと、つぶやくこともある。いつか捨ててしまいたいと、虎視眈々とチャンスをうかがっているらしい。

 ぼくの書斎も、最近古い本を次々とPDFファイル化しているので、今までぎっしり本が詰まっていた本棚に少しずつすきまができてきた。以前にもちょっと書いたが、すきまというのはいいものだ。見ているだけでなんだか心に風が通るような気がする。その上、なくてもいい本が次々と発見されるようになった。すきまはすきまを生むものらしい。

 そういえば、昨日テレビでイタリアのベネチアの街中を歩き回る番組をやっていたが、ある住民が屋上のベランダのような所で、ベネチアには空き地がないから、ときどき息苦しくなるの、だからここにくるのよ、なんて言っていた。そう言われてみると、どこからどこまでが個人の家だか分からないほど家が長屋のようにくっつき合ったベネチアの街並みは、一見美しいが、確かに息苦しくもなるだろうなあと納得された。

 日本人の部屋は、ごちゃごちゃとしているかもしれないが、日本の家屋は、一戸建ての場合には、どんなに狭い家でもちょっとした庭がある。そこにごちゃごちゃと植物を植えたとしても、それでもそこにはすきまがあり、風が通る。

 一日の中にも、やはりこんなすきまがあったほうがいい。あいた時間を無理にうめなくても、ただ何となくボンヤリしていることも大事だ。

 大事だけれども、これが実は難しい。すきまに物を置きたくなるように、ぼくらはすぐに何か「有益」なことをしたくなる。それをグッとこらえて、ボンヤリするには高等技術を要するようだ。


 

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