14 空き

2009.10


 毎日新聞の書評欄の片隅に「好きなもの」という連載コラムがあって、毎回各界の著名人が自分の好きなものを3つずつ挙げているのだが、これがなかなか面白い。なるほどこういうものが好きなのかあと思うことが多く、切り抜いておこうと思いながらつい忘れてしまい、今ここで例を挙げて紹介できないのが残念だ。

 つい最近のものなのに誰が書いたのかも思い出せないのだが、「本棚の空いた部分」というようなことを(表現もちょっと違ったような気がする)書いている人がいて(多分女優さんだったのではないかと思うのだが)、いたく共感した。それまでそういうものが好きだと意識したことはなかったのだが、言われてみれば確かに本棚の空いている部分というのはいいものだ。

 これがいいものだと感じるための前提というものがあり、いつも本棚がいっぱいで、買ってきた本の置き場に困っているというのがそれである。こんなことを言うと、何だおまえは本をいっぱい持っているということを自慢したいだけじゃないかと言われそうだし、くだんの孫娘のキビシイ眼差しもまたぞろ思い出されるのだが、自慢ととられるならそれはそれで仕方ない。誰だったかこれも忘れたが、エッセイとは所詮自慢話だと言った作家がいて、今はその言葉を信じておきたい。

 とにかくぎっしり本のつまった本棚というものは、それはそれである種の充実感があるのだが、満腹の腹みたいなもので、ちょっとウットウシイ。それで、思い切っていらない本(というものは本当はないのだが)を売り払ってしまったり、箱に入れて物置に放り込んでしまったりして、いくらかの「空き」ができると、何だか嬉しい。

 何だか嬉しいというのは、そこが「空いている」こと自体が嬉しいのではなくて、そこに「何か置ける」という可能性が嬉しいのだというようなことをその女優さんだかが確か書いていて、なるほどその通りだと膝を打ったわけなのである。

 その空いた場所も、油断しているとすぐに本で埋まってしまう。それはまたそれで嬉しいことではあるが、同時に可能性が失われたという一種の喪失感もある。「空白」とか「余白」とかあるいは「無」とかいったものは、実に複雑な構造をもっているものだとつくづく思い知らされる。

 それにしても、大新聞の記事の依頼に対して、気負わずにこういうことを、さらりと書けてしまうというのは、すごいなあと思う。いったい書いたのは誰だったのだろう。



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