53 日々是好日?

2010.7


 年の近い同僚に、「どう? 最近。楽しい?」なんて聞かれると、即座に「楽しくない。」と答える。英語の挨拶だと、“How are you ?”とか聞かれると、たいていは、“I’m fine,thank you. And you?”なんて答えるのが当たり前みたいだが、あれは“I'm not fine.”って答えちゃいけないんだろうか。

 英語の授業の始まりに、必ず生徒は「fine」であると定型的に答えているが、中にはちっとも「fine」じゃない生徒もいるはずで、お腹が痛かったり、英語が死ぬほど嫌いで先生の顔をみるのも嫌だったり、朝お母さんと喧嘩したことがまだ心にわだかまっていてひどく憂鬱だったりしても、「fine」であると答えなきゃいけないというのは、ずいぶんと理不尽な話ではないか。そこへいくと、わが日本語は「おはようございます。」だけで、まさか「ちっとも早かねえや。」と腹の中で理不尽を噛みしめる者がいるとも思えない。

 “I'm fine.”だって、挨拶としての慣用句なんだから、いちいち意味なんか考えないよとアメリカ人なら言うだろうが、外国語を習いたての子供にしてみれば、やはり意味を考えるだろう。いや、当のアメリカ人だって、無意識のうちに意味を考えているはずで、ひょっとしたらこういう挨拶をしていると、知らず知らずのうちに人間はいつも「fine」でなければならないのだと思い込むことになるのではないだろうか。

 もっとも、全然「fine」じゃなくても「fine」であると答えるというのは、悪いとばかりも言えない。「fine」であると答えているうちに、ほんとうに「fine」になるというのも人間の心理としてはよくあることだ。しかしお腹が痛くてどうしようもないのに「fine」であると合唱させられるというのはやはり理不尽だ。

 禅に「日々是好日」という言葉がある。これについて紀野一義はこんなことを書いている。

 毎日毎日好い日ばっかり。ほんとうにそうであろうか。建長寺においでなった菅原時保老師は「毎日毎日悪日ばっかりじゃ。」と言われたそうであるが、これでも同じことである。実はこれは、毎日毎日がいい日でも悪い日でもないということなのである。(中略)一日一日がきちんと一日一日で、よくも悪くもないというのが一番いい。

 楽しくても、楽しくなくても、どっちでもいい。一日の存在、それがありがたいということだろう。


 

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