たけ茶んのコラム

とらわれないということ

 僕には上下関係という縦社会の意識が薄い。もっとも、体育系にいたから、目上の人を立てることは身にしみてついている。ただそれがどの人も同じ様に、人として一目置こうと、常に考えているわけで、目上の人だから特別というわけでもない。という訳で役職とか意味がない。これでずいぶん失礼をしているなと思ってはいる。

 第一、どの人にも同じように時間が与えられているのだから、何かしら行ってきたか行っていくわけで、たまたま今の時間のしかも一面で相対的に勝っているかどうかなんて意味がないと思う。

 小学校以来の相対評価の成績表も、点数の順位も、その集団の自分の位置の参考になるくらいで、たいして関係ないと思う。

 小学校3年生の時のI先生は、みんないいところが必ずあるはずだからと、ミニ表彰状をくれたり、5を出来るだけ皆に分けて付けるような人だった。それに反発した人もいたし、その方法の是非は分からないが、僕はその頃なりに納得していて、今でも僕はその意気込みというか気持ちで共感する。

 そしていつしか、相対評価でつく成績表など、なんの意味があるんだろうと思うようになった。テストも点数ではなくて、自分の間違えや到達度つまり自分の位置を把握するためのものだと思っていた。もっとも受験は結果が大きなウエイトあるが。

 間違えをしたら恥ずかしいという気持ちからもフリーでいたい。要するにテストにしろ間違えにしろ、周りの目が気になるのだ。相対的にどうとか、周りがどう思おうとそれは仕方ないこと。そんなどうにもならないことに囚われるより、自分でベスト尽くすしかないよね。

























 気配りは大事。でも、周りにこう思いなさいと強制する事は出来ないし、ある行為に評価が分かれることもしばしば。
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