2002 「文月不可思議地獄変(前編)」
「あ。マリ見てのサークルが、あった」――yu2
さて。ワールドカップ一色で塗り尽くされた先月の日記ですが、30日の日曜日は実は豪華イベントがありまして。
”漢”youngが東京に来てイベントに参加して本を売っていたのですね。で、暇そうなyu2をとっつかまえて遊びに行ってきました。恵比寿まで。
勿論道に迷ったりしましたが。都会なんてワカランね。
迷っていた我々は導きのフェアリーこと「いかにもな服装をしたオタ共の群れ」を発見。アレをつけていけば水場に着く! とばかりに尾行して無事会場入り。
「young先生!」「young先生はいますか!」と嫌がらせチックな挨拶の後、「差し入れデス!」とそこのコンビニで買ってきたカップラーメンを手渡す。
普通に鞄に仕舞いやがった。動じネエ……。
イベントは普通に楽しそうだったのだけれど、午後も遅くに着いたらほとんどのサークルさんはもう終い際でしたね。まあ、在庫をたんとかかえて帰るよりは、少し少な目に持ち込むくらいの方がいいのだろうか。
youngはジャンケン大会で勝って景品を入手という大活躍。大活躍はいいが、その全長一メートルくらいある琴音ちゃんPOPをどうする気なのか。興味は津々。
イベント後、駅までそのPOPを抱えて歩くときに、「ヤバイ。ヤバイ」といいながらも決して背筋を曲げないところが漢。総じて、漢っぽかった。
恵比寿で解散後、一人になったので渋谷まで歩いてみた。特に面白いこともなくそのまま帰宅。なんで歩いてみる気になったんだろう。
なんかやらんとなー、という気分にむやみになっていたためと推察。イベントとか行くと、やる気出るな。
ま。そんな昨日から一夜明けて。今日はゼミで先輩の発表を聞きながら特に良い質問も出来ず凹んで帰宅。
趣味は趣味として実生活もちゃんとせんとなあ。
「W杯ゴールデンボール賞はカーン」――おめでとう。
新しく原稿打ちのバイトが始まったのだけれど、これがなかなか。
セキュリティの関係か知らないけれど、その先生の研究室から原稿を持ち出せないので、現場まで出向いてやるしかない。その研究室にあるPCは当然ATOK入ってないし、辞書の癖も勿論俺が普段使ってるのと違うし。
決して性能の悪い機械ではないのだけれど、ハイスピードでタッチタイプやってて思ったような変換が出ないときなど、微妙にイライラする。
せめてネット環境だったら、どこでも自分なりに調整したATOKが使えるようにならんもんかなあ。
普通の人だったらこんなこと気にすることもないのかもしれないけれど。自動変換というのは呼吸をするようにスムースに進んでくれないとリズムが崩れて厳しい。これも病気の一種なのだろうか。
他の人はどうなんだろう。
「お。デイフェンダー多いな」――俺
ワールドカップ中に、日本中のマスコミがその報道をしていたので頭の中にかなりテーマソングなどが入ってしまった。元来音楽には無縁な自分の頭の中で「MUGEN」とかが延々リフレインしているのは変な気分だ。
で、サッカーといえばゲームなわけで。俺にとっては。何故って前に河邑とかの家でさんざん遊んでるの見てるから。あの一連のサッカーゲームの中に、実況をプロのアナウンサーの声のつぎはぎでやってるのがある。
事前に
「さあ」
「はじまりました」
「キックオフは」
「横浜マリノス」
等々の台詞を、おそらくはブツ切れで録音しておいて、ゲームの中ではそれを繋げて流すことでまるでアナウンサーがホントに喋ってるように聞こえるあのシリーズ。実際にはちょっと繋がり方とかが変なところもあるけど、試合の実況として聞く分にはそんなに気にならない。
これの遊びが、先月中頃くらいから俺の中で始まってしまって、なかなか終わらないので困っている。
具体的には例えば、横断歩道を待っていて、青になって渡り始めたときなど。頭の中に勝手にアナウンスが響く。
『さあ』
『始まりました』
『道路横断』
『今日はどんなプレイを見せてくれるのか』
『前から一人』
『かわして』
『今度は二人』
『間を抜けた』
『後ろから』
『自転車!』
『これもかわす!』
『ゴールは目前!』
『横断歩道の』
『右隅!』
『ゴール!!!!!』
毎日、バカなこと考えて生きてますよ。ハイ。
「諸君。
エマの単行本第1巻が8月30日に発売されるので買うように。
必ずだ。」――yu2
駐禁で罰金を喰らった。痛恨。
くそー。駐車禁止じゃないところでも、無余地駐車とかあったなあ。そういえば。忘れてたよ……。
これで次回の更新も講習かあ。くう……。
しかも今日は学校から人を送っていったというのに。窓の横に駐禁タグの着いてる車で送迎とは。情けない限り。
凹み曜日、と。
あまりに凹んだので夜、鷹村家に押しかけてお酒を飲んでリセットかけました。毎度お世話になります!
「いやー。飲んだねー……」――鷹村裕樹
飲み過ぎた模様。
しかし、それはそれとして学校へ。研究棟の建て直しが近いので先生方が引っ越しの準備をしているのだけれど、その荷造りの中で任されてしまった部分があるので必死です。
何故って複数人数でやるとあとで荷開けしたときにわけがわかんなくなって死ねるから。
自分で把握しておけるように、表作ってリストアップしながらの荷造り作業。本が云百冊という規模であるので頭が痛い。思いしねえ。本。
とりあえず二日酔いに引っ越し作業は厳しいと思い知った日。
yu2から6万HIT記念作品到着! 磯野は「こちゼダ」が来てるし、あとは?
俺。
柴三郎。
鷹村さん。
めろんちゃん。
ヲベロン。
ヤス。
番長。
だからめろんちゃんって!
「苦手なんだって。脂っこいの」――柴三郎
延々荷造り。
夜、お誘いがあったのでひとみ悟空達とドライブゴー。今日は明らかに冒険であるところの「はじめてのラーメン屋に入ってみる」を敢行。
こってりラーメンを食べた俺はあまりの脂っこさに一晩撃沈。無難に塩ラーメンを頼んだ柴三郎が勝利。
ところで、マサキ君がいよいよサイト開設です。
「連吹時間」。メイドサイト? 神宮寺三郎サイト? 乞うご期待!
「顔、難しいな」――本来オタクでもなんでもなく当然絵を描いたこともほとんどないヤス
織り姫と彦星が云々かんぬん。ケッ。
そんなわけで一応義理でね。ヤツらも毎年ご苦労だから。笹を切ってきて短冊を吊す祭り。
何人か声かけたらヤスだけ引っかかったので、夕方頃から我が家で二人でダラダラ。ヤスは資料を基にずーっとあずまきよひこの絵の模写。彼が『あずまんが大王』にハマったことは前に書いたけれど、今度のメイド本、ああいう感じで4コマで攻めるつもりらしい。成る程。
酒を飲んだり漫画を読んだりダラダラしていたら、Cozyや柴三郎も来た。ので引き続き原稿をやったりやらなかったり。で、時間が来たのでみんな適当に帰った。
織り姫も彦星もさぞかし満足したことであろう。完。
「ヒッヒッヒ。どんどん減らせ」――JTが工場を減らすと聞いて。俺
週明け。
相変わらず荷造り。
引っ越しに際して本を処分せざるを得ず、捨てるよりはと引き取り手を探していた書籍が無事、余所の大学に引き取って貰えることになったのだけれど。
その荷造りをするに際して、一覧表があった方が親切だろうなあと思ってしまったのが運の尽き。
ここんとこずーっとその作業。本出して、データ取って、入力して、箱詰め。言うより手間がかかる。ちっとばかし辛くなってきた。
冊数がバカにならないからなあ。しかし、これをちゃんとやれば先方で死蔵されずに使って貰えるのじゃないかと思うと、黙って「えいやっ!」と箱詰めして送りつける気にもならず。
しかし、バイト料が出るとはいえ、延々続くとたまに叫び出したくなるね。これは。
「――技術を工夫して磨くことが大事であって、試合に闘争心は関係ないと?
【太田】無関係というわけじゃないですけどね。勝とうとする気概がなければ話になりませんから。
でも、勝ちたいとか、倒したいと思うあまり、技術や戦術を忘れたんでは、話にならないでしょう。
――試合で必死になって、無我夢中になって、技術や戦術を忘れてしまっても、無意識のうちに身体が動くくらいの技術を、練習で身体にたたき込む。そのうえで、試合に無我夢中で、死にものぐるいで臨めば、負けない……というのが、「精神論者」の言い分のように思えますが……。
【太田】試合で無我夢中というか、無意識になってしまったりすれば、レスリングのおもしろさを、楽しめないじゃないですか(笑)。」――太田章インタヴュー
森博嗣の日記に、確かこんな一文があったと記憶している。曰く。「自分はまだまだインプットする年齢であるのに、アウトプットさせられているのは遺憾だ」みたいな。口調は勿論違うけれど、彼の御仁の独特な喋りはちょっと真似できませんので勘弁。
つまり、あれほど書ける人、あれほど表現力のある人でも。いやむしろだからこそ、か? とにかく、アウトプットよりもインプットしていたい。自分の中で練っていたいと。そう言っている。
なにかを表現する、表出するということは、基礎となるものがあればあるほど良い。そういう気持ちが良く表れている発言だと思うし、さらに言うならば森博嗣ですらさらにさらにベースを広げていきたいと考えているのに、では我々はどうなのだろう。
彼に匹敵する知識、経験があれば彼に匹敵するモノが作り上げられるわけではない。そこは才能が関わってくるから。
一つ言えることは、基礎を持たずにモノを産み出そうというのは非常なる困難であろうと、そういうことである。
独り善がりで薄っぺらいモノなら、口八丁でいくらでも紡ぎ出せる。問題は内容が伴うかどうかだ。
一層の研鑽が必要とされる。誰にも。彼にも。
「私……こんなにとぼけた顔をしている印象があるのでしょうか」――たまよ
凄い台風が来てたのだが。
バイト。
フフ……。ハハハ。社会人てのはこういう日も問答無用で働きに行くのだなあ。頭が下がります。
俺はバイトなので今日は早めに上がらせていただきました。てゆーか研究室俺しかいなかったし。みんな動き早い……。
そして上諏訪駅の露天風呂が無くなったことに大ショック。
ハンバーガー59円よりこっちの方が大ニュースだろう……。
「やんばらややん やんやんや やんやん えーえー……」――俺
台風は、とりあえず我が家にはそれほど被害無し。雨戸外れたけど。
台風一過の澄み渡った空気の下、心なしか綺麗になったと思える道を歩きながら。
「俺脳内ワールドカップ」の実況がパワーアップしていることに気付いた。今までは自分の動きに合わせてナレーターが勝手なことを言ってるだけだったのだけれど。
最近は架空の試合を組み上げたりするのである。しかも別のスポーツも入ったりする。
『さあロスタイム』
『ベッカム』
『ゆっくりとしたドリブルから』
『振りかぶって』
『ためらいがちに』
『第一球』
『スルーパス』
『通った』
『ワンダーボーイが』
『出る! 出る!』
『厳しいか?』
『門限』
『抜けた!』
『ここで来た。ここで来た』
『大外からナリタブライアン!』
『上手を取った!』
『古田!』
『ロングシュート!』
『ナリタブライアンか?』
『ゴール!!!』
『日本新記録!』
『もの凄い横綱です!』
もはやなにがなんだか。
「つまり、私はこれを描いた人を刺せばいいの?」――柊柯
お。珍しくせっちんの日記が更新されている。
車を買うのか。へー。
と。余所の日記を見ていてちょっとリンクしたいときに。上みたいな時に。
日記のページには行くけれど日付までは指定できないのだよね。当然だけど。
で、もしうっかり余所の人がうちの日記の指定日付にリンク張りたいときのために、日付ごとにアンカー打っておきました。
というわけでもし必要な方はどうぞー。
「子供が見学に来る場合もあり、残酷な写真は展示できない」――国連側
そんなわけで国連原爆展、延期。
残酷な現実を見ないで育った子供達は、立派な独善家となるでしょう。
アメリカ万歳。ケッ。
「そりゃだって、年取ってるもの」――或る社会人学生
げ。また台風カヨ。
今日は日曜だったけれど、新宿校舎の中間発表でした。
向こうは社会人学生がメインなので、こういう時間をとってやらなきゃならない事は、勢い土日にやることが多くなる。休みを潰すことが前提の学習活動。社会人は本当に偉い。
発表の内容は、やはりどうしても準備不足というか、誤字脱字や脚注の抜け、参考文献のデータ不足など、細かいところでの時間のなさが伺えるものが多かった。
それでもやはり流石だと思ったのは、「他者の視点を想定した」文書をキチッと作ってくるということ。
意見を言うときに垂れ流しでなく、きちんと相手を説得しようと思うなら。特に会議でプレゼンを遠そうとするのなら。ペーパー一枚出してくるのは必須。自分で自分の言いたいことをきちんと把握して、その中の一番のウリをわかりやすくまとめて、メリットデメリットをある程度検証した上で、しかし自分の意志でこういう意見を述べているという。そのことをきちんと主張する。
根拠のある主張。
その積み上げが説得力を持つ。
「ちょっといいこと言ってみたい」レベルの学生とは格が違う。
打ち上げの席でそういう話がチョロッと出た。誰もが例外なく「経験から学んだ」ということを言っていた。最初から出来た人はいない。最初から出来たと主張する人もいない。皆、失敗して経験して学んできている。
学んできたことを知っている。その上で「個人の経験、独学だけでは足りない」ことを社会の中で痛感して、そうして学びの場に来ている。
違うはずだよ。なにもかもが違うはずだよ。
これが社会人学生だ。
「In the beginning was the Word」――Bible
いつだったか忘れたのだけれど、朝のラジオで杉本清アナウンサーがゲストで出ていて。
架空の競馬実況中継をやっていた。
彼が大好きだというハイセイコーと、別のゲストの人が好きだという別の馬のドリームマッチ。
ハッキリ言って競馬に興味もなければ知識もない人間にとっては、そのレースの内容自体は全く価値を見いだせなかった。「この人、喋り上手いなあ。さすがに」程度で。
架空のレースを、話術でもってそれっぽく語って、それなりに仕上げてみせる。結果はハイセイコーの勝ちで、自分の贔屓の方の馬を勝たせてるけど、これだけ上手いんだからあんまり気にならないか。
その程度だった。
続きを聞くまでは。
『ハイセイコーやはり強いハイセイコーが勝ちました。
強い、強いハイセイコー。
観客席のお父さんが肩車をして。
ハイセイコーを見るんだよ。ハイセイコーを見るんだよ。
今は天国にいるけれどあれがハイセイコーの走りだよ』
反則だろうそれは。
車で学校に行く途中だったのだけれど、涙が出て大変だった。
語れるだけの知識があり、語ることの出来る技術がある。
だがそれだけではない。そんなものではない。
架空の競馬実況に、そのレース直後の観客席の実況をつける。
父が子を連れてくる。競馬に入れ込んでるのだからあまり良いお父さんではない。模範的なお父さんではない。子供に競馬を見せるなんて。だがしかし、彼は細かいことを抜きにして見せたかった。
ハイセイコーの走りを。
そして言う。覚えておけと。死ねば形は残らない。全ては塵に。全ては消え行く。
だが記憶は残る。
俺はお前より先に死ぬから。俺よりあとまで生きるお前に、この姿を見せたかった。そして覚えておいてくれ。
これが凄い馬、ハイセイコーの走りだ。俺が凄いと思ったハイセイコーの走りだ。
その思いを受け継いで欲しい。
だから伝える。
記憶は語り継がれる。彼方へ。未来へ。
そうして人は積み重ねていく。歴史とか伝統とか言われるべきものを。
競馬場の片隅の一つの偉大なエピソード。それを想起することの出来る想像力。
ハイセイコーは天国にいる。疑いもなくそう言い切る確信。
自分が関わっている競馬というものに対する、深い、大きな愛情。
架空実況だけで良かったのだから。本来語る必要のないエピソード。
それを普通に挿入する。何故か。理由は一つ。
そうすることが自然だから。知識でも技術でもなく。
語らずにはおられない魂を持っているから。
これがつまり、表現ということだ。
私たちには言葉がある。
コミュニケートの可能性を見たことは、まことに幸いであった。