美しきヒマラヤ・ネパール感動の旅7日間〔2014年1月27日~2月2日〕

HA社のツアー〔添乗員T氏を除き64歳から82歳の男性5名、女性5名総勢10名(関空より3名、福岡より7名香港で合流)〕のツアーに参加した。ほぼ快晴に恵まれ、感動のエベレスト遊覧飛行〔オプション〕や1979年世界文化遺産に登録されたカトマンドゥ盆地『カトマンドゥのダルバール広場(クマリの館、旧王宮、スヤワンブナート寺院、他)、パタン(ゴールデン・テンプル、旧王宮、クンベシュワール寺院)、バクタブル(ニッタポラ寺院、旧王宮、ダッタトラヤ寺院、他)』の見応えのある世界遺産*巡りが出来ました\(^o^)/。残念ながら釈迦が生まれた『ルンビニ(ポカラから約160kmインド寄り)』は訪問しませんでした。今回は首都カトマンドゥ着〔標高約1330m、人口約500万人〕→世界遺産バクタブル観光〔カトマンズより東へ12km〕→ナガルコット〔標高2100m〕→ポカラ〔カトマンドゥより西へ約200km空路移動〕→世界遺産パタン市内観光〔カトマンドゥの南〕→世界遺産カトマンドゥ市内観光をしました。尚、誤記、記載事項や不都合事項などございましたら修正、削除しますので、ご連絡の程、宜しくお願いします。

   *ネパールには世界遺産が4ヵ所〔自然遺産がサガルマータ国立公園、ロイヤル・チトワン国立公園の2ヶ所と文化遺産がカトマンドゥ盆地と仏陀の生誕地ルンビニの2ヶ所〕ある。

ネパール連邦民主共和国について
 2008年制憲議会選挙が実施され王制廃止連邦民主共和国になった。国土面積は14.7万㎢〔北海道の約1.8倍〕、人口は約2,649万人(’11)である。ルンビニ村でお釈迦様が生まれたこともあり仏教徒が約10.8%、ヒンズー教徒が約80.9%、イスラム教徒が約4.3%…仏教徒がインドより比率的には多い
。気候は雨期が6月~9月前半、乾期が9月後半~5月、緯度は日本の奄美大島とほぼ同じだが、標高差があり亜熱帯のジャングルから雪のヒマラヤ迄、変化に富んでいる。世界の野鳥〔8600種類?〕の1割が住んでいるそうです。日本番組の『忍者はっとりくん』が英語でTV放送されていて、ハイキング中に幼子から英語で話しかけられびっくりです。子供の人口も多く、私の幼児時代と〔米兵からガムやチョコレートを貰った…〕同じだと感じ、これからの発展が楽しみな国だと思った。チベット難民の方々を受け入れていて、30以上の民族が仲良く暮らし、凄いと思いました。チベット民族の正月〔2月1日、ネパールの新年は大陰太陽暦で今年は4月14日〕に遭遇し賑やかでした。
今回Visa〔有効期限が6ヶ月、費用3300円〕は自分で申請〔大阪上本町ネパール名誉総領事館〕しました。何時になるか判りませんが仲間を集め、ルンビニにも行きたいと思っています。2015年9月20日、8年越しの懸案だった新憲法が公布され、7州の連邦共和制となりました。

お見舞い申し上げます。
AFP=時事】ネパールの警察当局は2月17日、同国の観光名所ポカラ(Pokhara)を出発した後で消息を絶っていたネパール航空(Nepal Airlines)機の残骸を、西部の山岳地帯で発見した。同機には乗客乗員18人が乗っていたが、生存者はいないという。(AFP=時事)→びっくりです。悪天候だったようです。事故が起きたから申し上げるわけではありませんが、確かに日本の航空会社に比べ安全対策は十分でないと思いました。私の勝手な判断で機内で使用しましたが、デジタルカメラ使用は事前確認のうえ、ご使用下さい。
お見舞い申し上げます。**
2015年4月25日〔現地時間の25日正午前、日本時間の午後3時すぎ〕ネパールの首都カトマンズの近く〔北西80キロ付近〕でマグニチュード7.8の地震が発生、これまでに1,800人以上〔26日朝確認〕が死亡し、軍などがショベルカーを使って、夜を徹して、倒壊した建物に閉じ込められた人たちの救出活動を続けているようですが衷心よりお見舞い申し上げます。
5月3日現在7,056名の方が亡くなられ、32万棟余りの建物に被害が出ていて、人口の1割に当たるおよそ280万人が屋外での避難生活を強いられているようです。周辺国も含めると7,100名を超える方が亡くなられ、これは、あの20年前の阪神大震災〔6432名死亡〕以上の大震災です。ネパール政府によると地震による死者は5月10日午後の時点で8,019人周辺国と合わせると8,100人を超えたそうです。また、12日発生したM7.5の余震で110人の方が亡くなったようです。被害を受けた建物は50万棟以上で6月の雨季に向け大変な状況です。観光させて頂いた、ご縁でお見舞金を贈りました。

 
表:震災の写真 裏:パタンの王宮広場
 左は読売新聞4月27日夕刊の写真です。間違っているかも知れませんがパタンにある、あのゴールデン・テンプル近くの王宮〔タルバール〕広場だと思われます。
ネパール文化を継承する美の都『パタン』の世界遺産もダメージを受けたようで心が痛みます。一日も早い復興を願っております。

表:ユーチューブ画像 裏:NHK画像


表:関空出発前
裏:機内食(魚


表:香港出発前
裏:機内食〔パスタ〕

   表:操縦席からエベレストを撮影 裏:イエティ航空遊覧飛行パンフレットより


表:移動ルート図(ネパール)
 裏:トリブヴァン国際空港〔カトマンドゥ〕 

表:ラムコットの丘からの展望  裏:ポカラグランデホテル屋上からの展望

  表:ネパール紙幣〔表〕 裏:ネパール紙幣〔裏〕
この他に硬貨で1Rsと2Rsがある。

表:サランコットの丘からの展望  裏:購入パンフレットの転写 

   各画像にマウスを当てるともう一枚画像が見れます。

日程

平成26年1月27日(月)晴、関西空港→香港→バングラデッシュ〔ダッカ〕→カトマンドゥ〔エベレストホテル泊〕 終日機内〔日本を出て約16時間、飛行時間約10時間25分〕。

 関西空港よりキャセイパシフィク航空CX503便、予定より10分早く9時50出発。香港〔約5時間余〕で乗換、香港ドラゴン航空KA192便にてバングラディシュのダッカ経由でカトマンドゥのトリブヴァン国際空港に翌朝の1時40分到着。〔時差は3時間15分なので現地時間は22時25分〕に到着した。ネパールは現在は乾期、寒さは、それほど感じなかった。現地人ガイドさんの出迎えを受け『エベレスト ホテル 』に直行するが時差の影響もあり余り寝れなかった。内装は立派なホテルだが水事情が悪く〔浴室や便器の水も茶色く濁っていたので歯磨きはペットボトルの水で行う〕こだわりのホテルとは思われないホテルだった。両替(5000円分→4600Rs、1RSは約1円)は現地ガイドさんにして頂く。〔参考:トイレ使用料は10ルピーは約10円╱1回。枕銭は50Rsだが、1ドル置いた〕

平成26年1月28日(火)晴→感動のエベレスト遊覧飛行〔約1時間〕→世界遺産バクタブル観光〔カトマンドゥより東に12km〕→ナガルコットへ『クラブヒマラヤナガルコットリゾート』泊〔標高2165m〕。

 朝5時30分モーニングコール、6時5分にホテル出発し、朝日を浴びて、7時フライトの『感動のエベレスト遊覧飛行=マウンテンフライト』を1時間15分楽しんだ。何と飛行中デジカメ禁止の表示が無くて〔機内説明文参照〕お陰様で思う存分カメラを撮ることが出来た。また、順番に操縦席に呼ばれ、カメラ撮影をさせて頂くことが出来た。カトマンドゥ空港の国内線ターミナル入口は女性用と男性用に別れている。ホテルに帰り食事をして、11時ホテルを出発。先住民ネワール族が築いた、中世の町『バクタブル=人口約100万』を目指す。詳しくは下記『バクタブル市内観光』を見て下さい。『クラブヒマラヤナガルコットリゾー』はロビーでは無料でWiFiが使えるし、色々気配り〔久しぶりに湯たんぽの暖かさを感じた〕が、されているリゾートホテルでした。売店でネパールのCD2枚、コットンのTシャツ等を購入。展望デッキで、ヒマラヤの夕景や日の出を楽しみました。ただ、ネパールは現在、約12時間╱1日の停電があるそうです〔日本では考えられませんし、まだ全ての家庭には電気が無いとか…〕。ローソク〔懐中電灯も〕が用意されていて、ロマンチックな夜を一人過ごしました。朝方、停電となりベランダに出て、満天の星も楽しみました。


エベレストホテル 

表:入口 裏:機内説明文抜粋

表:搭乗機  裏:操縦席からの撮影

   表:機内からの景色 裏:エベレスト

クラブヒマラヤナガルコットリゾート 

表:月が… 裏:部屋のローソク 

表:お土産 裏:ロビー

ベット〔湯たんぽ〕

展望デッキ〔ヒマラヤの夕景〕 


>  世界文化遺産バクタブル観光〔ナガルコットへ〕左の文字をクリックして下さい

平成26年1月29日(水)晴→ナガルコットよりカトマンドゥに帰り、空路で『ポカラ=人口約20万?〕へポカラ観光しサランコットの丘展望台へ登る。

  6時モーニングコールだったが早寝したので4時起き。WiFiをロビーで楽しみホテル廻りを散策した。9時10分ホテル発、カトマンドゥのトリブヴァン空港よりポカラ空港に向かう。右側の窓席でヒマラヤ連邦を良く見ることが出来た。飛行機はプロペラ機で座席は全て自由席。進行方向に向かって左からA 通路 BC。〔何と、帰りは気配りか時間調整か判らないが途中2回旋回して頂き再度ヒマラヤ連邦を見ることが出来た。感謝、感謝でした〕。私は利用していないが、鳥になってヒマラヤを空中散歩する『ウルトラライトプレーン=BIRD〔ポカラ空港発着〕』やサランコットの丘から飛ぶ『パラグライダー』を見ることが出来た。ぺワ湖近くを歩いていると素朴な音色が聞こえてきた。素敵な音色だったので小型の『サーランギ=木彫の弓奏楽器』と音楽CD〔今回の旅行で4枚購入したが全て再生出来た〕を買った。音楽はネパール人にとって人生の伴奏曲(民衆芸術〕だそうです。昼食は日本料理『古都』でてんぷら料理をいただく。その後、オールド・バザールや結婚式中のヒンズー教のヒンズーパシニ寺院を見学しサランコットの丘展望台に向かった。生憎の曇り空でヒマラヤ連邦は見れなかった。


表:トリブヴァン空港入口 裏:ポカラ空港

     表:29日YT677便〔ポカラ行〕撮影 裏:31日YT-672便〔カトマンドゥ行〕撮影

表:パラグライダー 裏:ウルトラライトプレーン(BIRD)

 表:BIRD 裏:サーランギ

昼食:日本料理 古都
 
ポカラグランデホテル
 
ホテル内の絵

 
 平成26年1月30日(木)晴→ジャンザゲートからラムコットの丘〔標高:1315m?〕トレッキング〔山歩き〕し午後はポカラ散策。『ポカラグランデ2泊』。


 朝、6時モーニングコール、朝日に映えるヒマラヤを観賞した。朝食時は水牛のミルク〔ヤギの乳で育った私には美味しく飲めた〕をおかわりする。ホテル発8時15分。シャンザゲートまで約45分バスで移動。8時50分スタート。このコースは入山料不要、最近注目されているようで『地球の歩き方』には記載されていない。が、往復6km、11時50分まで清清しい経験をし、トレッキングに魅せられた。頂上にはヒンズー教の寺院があり、右廻りでお参りし、お賽銭を納めた。近くの村にはホテルが建設中〔現在乾期で水が無い為中断中=庭に大きな穴が掘ってあり納得〕であり景色も良くこれから人気が出ると思った。私は道中、二つの珍しい経験をした。一つは何と、山道で携帯を拾ひガイドさんへ渡す。途中、珍しい鳥の鳴き声にもびっくりしたが、この携帯の着信音で持ち主からかかってきていて…鳴き声でなくてがっかり!〔夕方にはこの泣き声が聞こえなくなっていたので持ち主に返却され一安心〕。また、道中、日本からゴルフのお誘い電話〔スマホのモバイルネットワーク、モバイルデーターのチェックを外していても電話の受信は可能=受信者は無料、かけた方が負担〕があったが取らなかった。もう一つは、途中の村から、小学6年生の女の子達が英語で話しかけてきてびっくりです。同行の皆さんで日本のお菓子を渡した所、頂上近くの『サミの木』の下の休憩所=ソウタリまで付いてきた。この子達の10年後、20年後が楽しみだと思う。
昼食は和食レストラン『たべものや』で、ヒマラヤそば、有機野菜のてんぷら、ネパールの地酒〔ロクシィー〕を飲む。午後はデビットフォール〔ガンジス川の上流〕を見学した。出たところで、お土産にネパール製のマフラーとスカーフを購入。2時半にはホテルに帰り自由行動。近くのスーパーに行き、ネパールのお酒や胡椒、つまみを買って同行のU氏〔福岡出身〕、H氏〔加古川出身〕と雑談を楽しんだ。また、ホテル内のポストにハガキを投函〔切手は35Rs〕、2週間後〔2月13日〕我家に届いた。ホテル内に掲示してある絵もネパールの風土を表していて目にとまった。


表:シャンザゲート 裏:登山口

表:乗合バス 裏:休憩場所
 
        表:頂上付近の村 裏:牧場

   表:頂上からの展望 裏:建設中のホテル〔手前は穴〕

表:だんだん畑 裏:子供達

 表:頂上の寺院 裏:内部

表:手土産店 裏:ヒマラヤそば

 表:スーパー 裏:酒とつまみ
 
表:ホテルのポスト 裏:ハガキ

  ホテル庭の仏舎利


  ポカラ観光左の文字をクリックして下さい
       観光場所:ぺワ湖、バラヒ寺院、オールドバザール、ヒンドゥパシニ寺院、チベット難民居住村、サランコットの丘、デビットフォール

平成26年1月31日(金)晴 カトマンズ〔エベレストホテル泊〕。
 朝、6時半モーニングコール、朝食後8時ホテル発、ポカラ空港よりカトマンドゥに飛ぶ。日本から約40名〔3組のツアー〕がネパールを訪れていて周りは日本人ばかりであった。カトマンドゥが霧の為、1時間余り遅れた。昼食〔中華料理=チャイナタウン?=スーパービッグマート3階=停電中で歩いて上がった〕後、別名サンスクリット語でラリトブル〔=美の都〕と呼ばれ、ネワール文化を継承するパタンの世界遺産観光を楽しんだ。住民の8割が仏教徒だそうです。

平成26年2月1日(土)晴 
 
午前中は自由時間。まず、ホテル横の雑貨店で水牛の骨で作った釋迦像やコットンのTシャツを購入。その後、カトマンドゥ市内を徒歩で散策。途中、川があったが、臭いも凄く、これがガンジス川の上流か?とびっくっり!同行のH.Sさんから聴いた話だが川で葬儀〔死んだ人を燃やしていた〕をしているのを見た…と〔写真参照*〕。曼荼羅が描かれている交差点、王宮〔兵士が銃を持って警護していた〕、政府庁舎〔ネパールは土曜日が休みで日曜日から出勤〕、カトマンドゥで最も高い建物と言われるビムセンター、などを見て歩いた。昼食はチベット料理店で正月料理〔ヤッコ=鍋料理や餃子=もも…〕を頂きました。その後、あの三浦さんお勧めの?民芸品店〔日本語が上手な店主〕まで、歩いて行きパスポート入れや革製品を購入した。それから、世界遺産カトマンドゥの市内観光〔詳細は下記参照〕をして、夜はネパリ・チューロ?〔王族の宮殿がレストラン〕でネパールの伝統料理〔タルバート〕を民族舞踊を見ながら頂きました。勿論、ネパールの地酒、ロクシー〔30度?、きつかった〕を飲みました。無事、全ての観光を終えて、カトマンドゥ空港〔トリブヴァン国際空港〕に向かった。香港ドラゴン航空がワンワールドアライアンスメンバー〔JALと同じグループ〕と言うことで空港内のラウンジに立ち寄り、ワインを一杯飲んだ。


表:中華料理 裏:掲示の絵

釋迦像を購入

表:テンプー裏:曼荼羅交差点

表:王宮 裏:政府施設?

表:博物館裏:ビムセンタワー

表:ATM 裏:日本企業

表:チベット料理店裏:ヤッコ

民芸品店〔ルートネパール〕

ネパリ・チューロ

表:ネパール料理 裏:舞踊 

カトマンドゥ空港のラウンジ

火葬場の状況 

表:身分の高い人の遺体 裏:黄色の布が遺体
*左はH.Sさん提供の写真
幼なじみの友人がネパールに嫁いでおられ自由時間を利用して火葬場を案内して頂いたそうです。家族・親族以外は対岸から1000Rsの入場料で見学出来たそうです。
オレンジ色の布に覆われて横たわれているのがご遺体でコンクリート台の上で薪やガソリンをかけてそのまま火葬されガンジス川の上流である側の川に流されるそうです。
〔身分の高い方ほど川の上流火葬台を使用〕国王も庶民も同じ方法だそうですが薪や燃料の量に貧富の差が明らかになるそうです。いずれにしても輪廻転生。体は仮の宿、死んだら生まれ変わる為にも、自然界に返すのは理に適っていると思う…。

  世界遺産パタン市内観光→カトマンズ市内観光左の文字をクリックして下さい
      観光場所:31日〔パタン ゴールデンテンプル、クンベシュワール寺院、他〕 1日〔スワヤンブナート寺院、クマリ館、旧王宮、他民芸品店〕

  23時30分〔日本時間2日3時40分〕カトマンドゥ発→経由なし:2935km→機中泊。

平成26年2月2日(日)機中泊→帰国晴。
 

  香港空港5時50分着。香港ドラゴン航空のラウンジでくつろぎ、中華そばをおつまみにしてビール、ウイスキーを飲みました。WiFiも無料で自由に使えましたので道中記をフェイスブックにアップしました。私は4000年の歴史があり、経済大国2位の中国とは仲良くしたい〔すべき〕と思っています。ですが東亜日報の正月の新聞をラウンジで見て詳細は判りませんが、驚きました。香港空港には色々展示物もあり〔意見箱にびっくり〕中国は変わりつつある?と感じました。早く日中の国交正常化が計られることを望んでいます。

 
ラウンジ内
 
東亜日報新聞
 
香港空港展示物〔表:意見箱に注目、裏:空港PRビデオ〕

  香港空港10時35分発→2時間54分→関西空港2時50分着。


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