その晩はキュアンとエスリンの婚約祝いということでエルトシャンはささやかな宴を開いた。フィンも迷惑をかけた詫びということで参加することをキュアンから許された―いや、エスリンが来ていることを黙っていた罰で強制的に参加させられた。フィンの年齢では夜のパーティーは早いし、生来華やかな場所が苦手なため居心地が悪くて仕方がない。フィンは食べるものだけ食べると早々にテラスの方に逃げ出した。
「ふう〜」
テラスから中の様子を眺める。エスリンは薄桃色のドレスに身を包んでキュアンと踊っている。二人だけが別世界にいるようだ。シグルドはニコニコしながら嫌がるエルトシャンと盃を重ねている。そしてその隣には…いるはずの人がいない。
「どこにいらっしゃったんだろう?」

 ラケシスは真剣に悩んでいた。
「どのドレスにしようかしら」
内輪のパーティーだから別に今着ている服でも構わないし、男性陣はそうだった。しかし、エスリンのドレスを見た瞬間、自室に駆け込んでいた。クローゼットからありったけのドレスを取り出し、鏡とにらめっこを繰り返す。そしてようやく一着のドレスに落ち着いた。宝石箱にも手は伸びたが、主役はエスリンなのだから、ドレスとセットのチョーカーだけにしておいた。鏡の前で1回転し、にっこり微笑む。
「これでいいわ」
軽やかなステップで再びパーティーの開かれている広間へ戻った。
 そっと自分の席に着く。シグルドはにこやかに声をかけてきた。
「ラケシスも着替えたのかい。とってもよく似合っているよ」
「ありがとうございます。シグルド様」
兄は酩酊寸前のようだ。しかし妹を褒めるのは忘れなかった。
「いつもと違う色だな…でもそれもよく似合う…」
兄の褒め言葉にいつもは飛び上がって喜ぶところだが、今のラケシスはそれどころではなかった。
「いない…」
慌てて周囲を見回す。そしてある一点に視線が止まった。再び席を立ったが、兄もそれどころではないようだ。気付かれることなく近くの扉からテラスに出た。

 フィンは物音に気付き、そちらに顔を向けた。そしてはっと息を飲む。水色のドレスに身を包んだラケシスがこちらに向かって歩いてくる。
「フィン、どうしたの?」
フィンは赤面した顔を見られないように視線をそらして問いに答えた。
「あ、あのような場所には慣れておりませんので…」
「華やかなのはキュアン様とエスリン様だけじゃない」
「それはそうですが…」
顔を向けようとしないフィンにラケシスは、
(やっぱりこれ似合わないかしら…)
悲しくなってきた。普段は赤とか暖色系のものを身につけている。本当に好きな色は青なのだが、自分には似合わないと思っていた。でも今日は勇気を出して着てみたのだ。ドレスを選んでいる最中、鏡には映らないはずのものを見ていたのだから。ラケシスは手摺に手をつき溜め息を吐いた。
 ラケシスの様子に気付いたフィンは狼狽した。本当に悲しそうな表情をしている。
「ラケシス様、どうされました?」
「…何でもないわ。少し退屈しただけ」
視線が合うとまた顔が火照ってくるのを感じたが、フィンはもう目をそらすことはしなかった。ラケシスの気を紛らわせることを必死に考えるが、思い付かない。でも口にしたくても出せない言葉があった。勇気を振り絞って声にした。
「ラケシス様、そのドレス本当にお似合いです」
「お世辞はいらなくてよ」
「本当です!とても…お…美しくていらっしゃる…」
真っ赤になって力説するフィンに思わず吹き出してしまった。
「あなたには赤もお似合いだわ」
ますます赤くなるフィン。ラケシスはふと考え込む。
(赤いドレスでも大丈夫みたい…でも何でこんなこと考えるのかしら?)
 黙ったラケシスにフィンはまた不興を買ったのかと恐る恐る覗き込んだ。その時ラケシスの目が開き、至近距離で目が合ってしまった。二人とも慌てて顔をそむけた。今度はラケシスの顔も火照っていた。
「…なあに?フィン」
「え、…ああ、ラケシス様にお詫びせねばならないことがあります」
「何かしら?」
「恐らく明日こちらをおいとますることになりますので…」
「え!」
まだ顔は赤かったが構わずフィンを見つめた。フィンも真っ直ぐにラケシスを見つめている。
「エスリン様をシアルフィにお送りしてそのままレンスターに戻ると思います。シアルフィからレンスターに連絡していただいたようなので。…ですからお約束していましたが、乗馬の練習にはお付き合いできなくなりました…」
「…そう…」
 心の底からがっかりした。でもフィンにもどうすることはできないのはよくわかっている。無理に笑顔を作って、
「じゃあ、今度会う時までには白雪を乗りこなせるようになってるわ」
「ラケシス様ならすぐにおできになりますよ」
返って来た笑顔も固いものだった。その後はしばらく無言が続く。ラケシスにはそれがもどかしくてたまらなかった。普段なら滑らかに動く口が自分のものではないようだ。
(もう話すこともないかもしれない)
そう思うと何故か胸の辺りが苦しい。それでもかろうじて言葉を発した。共通の話題があったことにラケシスは神に感謝した。
「ね…ねえ、兄様がおっしゃっていたけど、レンスターの人ってみんな乗馬が上手なの?」
フィンは突然話しかけられたのでびっくりしたが、少しほっとした表情で質問に答えた。
「レンスターは軍馬の生産が盛んで牧場もたくさんあります。だから馬に慣れ親しんでいる者が多いというだけのことです。私も幼い頃から馬に乗せられていましたので…」
「だからあんなに上手なのね」
それからが続かない。また無言が支配する。ラケシスは慌てて次の話題を考える。でも宴の幕はあっけなく降りた。建物の方を向いていたフィンが愕然とした表情で声を上げた。
「ラケシス様、エルトシャン様が…」

* 素敵な絵をいただきました。是非どうぞ♪ *

 翌朝―
ノディオン城の城門の前にはいつになく清々しい表情のキュアンとそれを恨めし気に睨んでいるエルトシャンの姿があった。
「よお、エルトシャン、お前朝っぱらから何疲れてるんだ?」
「………」
(誰のせいだと思ってるんだ)
エルトシャンの視線がますます鋭くなったのにも気付かず、キュアンは近付いてきた婚約者の許へ駆け寄った。起きてから何回交わしたかもしれぬ抱擁を繰り返す。
「エスリン、もう準備はできたのかい?」
「ええ。お兄様はまだ頭が痛いって言ってるけど…」
「あいつも飲み過ぎか…ったくしょうのないやつらだ」
この言葉にはエスリンも苦笑を浮かべてエルトシャンに頭を下げた。エルトシャンも引きつった笑みを返す。
(まあ、キュアンらしいか)
 半ば呆れながらキュアンとエスリンを眺めていたエルトシャンは、妹がこちらに歩いてきているのに気付き、ゆっくりと近付いた。
「お兄様」
天使のような笑顔に思わず笑みが零れる。
「まだ見送りには早いようだ」
その言葉が聞こえているのかいないのか、妹は辺りを見回し、がっかりした表情を浮かべた。
「ラケシス、どうした?」
少し声を大きくすると、ラケシスははっとしたようにエルトシャンの方に顔を向け、笑顔を見せた。
「何でもありませんわ…。馬のお礼を言いたいのですが、お邪魔かしら?」
と前方の恋人達に視線を向けた。エルトシャンは苦笑を浮かべた。
「遠慮していたら永遠に無理だぞ」
「そのようですわね。お兄様もついてて下さる?」
「もちろんだ」
 エルトシャンが差し出した腕をラケシスは笑顔で取った。そしてキュアンとエスリンの方へと歩いていった。
「キュアン様」
「ラケシスか…」
「まあ…相変わらず仲がよろしいんですのね」
(どっちが…)
という思いが兄妹同時に浮かんだが、それは口には出さなかった。ラケシスは笑顔で、
「キュアン様が持ってきて下さった白馬、私がいただくことになりました。お礼を申し上げていなかったので…」
「そうか。まだ若いし、ラケシスには丁度いいかもな。あれは将来有望だぞ」
「とても気に入ってます。本当にありがとうございました」
「礼ならフィンに言ってやってくれ」
「?」
(どうしてここでフィンの名前が出てくるの?)
意味がわからず、呆然とするラケシス。その様子に気付いたキュアンが説明した。
「馬を誉められるとあいつも喜ぶよ。フィンの実家はレンスターでも最高の軍馬を生産する牧場を持っててな、王家の馬はほとんどそこで産まれてる。前にエルトにやった馬もそうだし、バーハラへも献上してるんだぞ。だから規模は小さいが大陸一の牧場といってもいいだろう」
「そうだったのか…。あの馬は本当にいい馬だ。俺も一番気に入っている。性格も戦場向きだしな」
「だろ。レンスターの馬は竜に怯えていては話にならんからな」
 馬談義に花を咲かせ始めた兄達に取り残されたラケシスは一旦その場を離れることにした。兄に一声かけてすたすたと歩き出す。そして彼等の目の届かない場所までやって来ると大きな溜め息を吐いた。
「まだ支度してるのかしら…。それにしても…痛すぎる…」
とぎこちなく、傍の階段に腰を下ろした。そこから厩の方を何気なく見たラケシスの胸は何故か喜びで満たされた。

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