ラケシスの朝は激痛で始まった。侍女に早く起こすよう念を押していたため、寝過ごすことはなかったが、起き上がった瞬間、痛みが全身を駆け巡る。思わずうずくまったラケシスに侍女が慌てて駆け寄るが、まさか筋肉痛だと言えるはずもない。にっこり微笑んでその場を誤魔化した。しかしその後は地獄だった。着替えを手伝う侍女は何も知らない。いつものように服を差し出す。心の中で悶絶しながら顔には一切出さず着替えていく。ただしいつもの倍の時間がかかった。そして顔だけは何事もないかのように廊下を歩いていたが、途中で誰かとすれ違う度、不審そうな視線を投げかけられる。その視線をいつもの笑顔で躱しながらようやく城門前の広場に辿り着いた時にはラケシスは心身共に疲れ果てていた。
 広場では兄とキュアン、エスリンが談笑していた。他には…と見回そうとしたら兄に気付かれ、近寄ってきた。慌てて笑顔を浮かべる。
(よかった…お兄様は気付いてらっしゃらない)
筋肉痛だとばれると兄は安静を言い渡すだろう。すっかり安堵して、再び周囲を見渡す。
(…いない…)
「ラケシス、どうした?」
その声で自分の表情が曇っていたことに気付き、すかさず取り繕った。キュアンに白雪の礼を言っていないことを思い出し、兄と共にキュアンの側に向かった。そのころにはどこを動かすと楽かわかるようになったことと、兄の腕の助けもあり、先程とは見違えるようにスムーズに歩くことができた。
 腕を組んで歩いてきたラケシス達を見たエスリンはにこやかに声をかけてきた。
「まあ…相変わらず仲がよろしいんですのね」
以前なら喜ぶところだが、あまり嬉しくない。確かにエスリン達の睦まじさに当てられたこともあるが。あっさりと流してラケシスは用件を口にした。
 すると―思いがけなく彼の名が出てきた。彼の馬への接し方を見れば、ラケシスでもその技量と愛情を容易にわかった。実家が王家御用達の軍馬の牧場を持っているということで納得した。
(だからあんなに上手なのね。それから…?)
 思わず身を乗り出して聞き耳を立てていたのに、話題は馬そのものに変わってしまった。ラケシスは落胆したと同時に身体の疲れがどっと出た。
「お兄様…。少し戻っていてもいいかしら?」
「ああ、時間になれば呼んでやるから」
 その言葉を聞くや否やラケシスは一目散に建物の影目指して歩き出した。鋭い痛みが全身を苛むが構っていられなかった。
(止まるともう歩けなくなってしまうわ…。筋肉痛だと知られるのは絶対嫌!)
その思いがラケシスを動かしていた。やっとのことで座れる場所を見つけ、腰を下ろした。そしてふと目を遣った先にずっと探していた人物を見つけた。

* * * * *

 フィンは出立の準備のためいつもより早く起きた。しかし普段から整理していたため、すぐに終わってしまった。シアルフィの従者と予定の確認をした後は時間を持て余していたが、ふと思い立って厩へ向かった。白雪の背を撫でながら、
「ちゃんとラケシス様のいうこと聞くんだぞ」
白雪は気持ちよさそうに顔を寄せてきた。フィンは顔も撫でてやる。
「それから何かあったらお守りするんだ」
聞いているのかいないのか白雪は小さく嘶いた。そしてたてがみの目立たぬところにレンスターのお守りを付けた。
「ノヴァのご加護を…。まだもう少し時間あるけど、キュアン様は待っていらっしゃるだろうな…」
 フィンはお守りに再度手を触れると、厩を後にした。そしてキュアンの許へ向かう途中で、階段にうずくまっている少女を見つけ、無意識のうちに駆け寄っていた。間もなく少女は頭を上げ、顔をこちらへ向けようとしていた。フィンは走ってきたことを気取られないよう足の速度を緩め、声をかけた。
「ラケシス様、おはようございます」
「もう準備はすんだの?」
 瞳を輝かせながら立ち上がりかけたが、激痛がまたもやラケシスを襲う。バランスを崩したラケシスの身体をすかさずフィンが抱きとめた。
「あ…申し訳ありません」
フィンは真っ赤になってラケシスを下ろした。
「あの…お身体大丈夫ですか?」
 ラケシスは顔を赤らめながら、微笑みを浮かべて答えた。
「あなたには隠したってしょうがないわよね。もう全身がたがたよ…」
「あまり無理なさらないで下さいね。ここまでいらっしゃるのも大変でしたでしょう?」
「ええ。こんなに辛いとは思いもしなかったわ」
とここまでは会話も進んだが、前夜同様話題に詰まる。とっさに浮かんだのはキュアンの豹変振り。
「キュアン様のご様子が変だったのは、求婚のお返事待ちだったからなのね」
「ラケシス様にもご心配していただいて…本当に申し訳ありませんでした」
「でもいつも自信に満ち溢れているキュアン様とは思えないわ」
その言葉に深々と頭を下げていたフィンは苦笑いを浮かべた。
「本当ですよ…それにエスリン様やバイロン卿がお断りになる訳などないというのに。何を悩んでおられたのか…。あっ、今の言葉はお忘れ下さい」
 フィンが思わず漏らした本音にラケシスは何故か喜びを感じた。彼は他の誰にもこんなことは言わないだろう。でも自分には言ってくれた。同じ子供同士だという気の緩みもあったかもしれない。少しだけ近付いた―それだけでラケシスの心は浮き立った。
「もちろん誰にも言わないわよ。特にキュアン様にはね」
笑顔と共に返した言葉にフィンは真っ赤になって答えた。
「…そうしていただけると助かります…」
 その後しばらく沈黙していたが、ラケシスには先程入手した情報がある。
「フィン、白雪ってあなたのお家の牧場の馬だったんですって?」
「キュアン様からお聞きになられたのですか…。今は私の家ではありませんが…キュアン様のお心には感謝しなければなりませんね…」
「えっ…?」
それまでにこやかだったフィンの顔が少し曇った。ラケシスは触れない方がいいととっさに判断したが、話題を完全に替えることまでは思い付かなかった。
「あっ…で…でも、白雪は本当にいい馬ね。私、大事にするわ」
ラケシスの気持ちに、フィンはそれまで見せたことのない笑顔で応えた。
「ありがとうございます。ラケシス様にお気に召していただけるなんて光栄です。白雪のことよろしくお願いします」
ラケシスはただ呆然とフィンを見つめていた。

* * * * *

 その後はラケシスはずっと夢見心地だった。彼等をどう見送ったのか全く覚えていない。否…一つだけ覚えていることがある。城門を出る時、馬上の彼はラケシスに向かって頭を下げた。はにかんだ笑みと共に。その笑顔はラケシスの頭から離れることはなかった。そしてラケシスが見た色々な姿が次々と脳裏に浮かぶ。
「ラケシス、どうかしたのか?」
兄の心配げな表情が目に入った。無意識のうちに頬が緩んでいたようだ。
「いいえ。少し考え事をしていただけですわ」
と兄には言ったが、我に返ると何かがおかしい。兄や他の人がいる前では普段通りを装ったが、一人になると溜め息を繰り返す。理由はわからないのに涙が頬を伝う。

 不安…似ているけど少し違うわ…。
 何かが足りない…何をなくしたの?何が欠けているの?
 持っていたのか、最初からなかったのか…そんなこともわからない。
 でも…それが「ある」ことだけはわかる。
 だからいつか見つかるわ…。

 心身共に少し落ち着いたラケシスは、何となく厩へ行ってみた。白雪の前に立つと、馬は自分からラケシスの方へ寄って来る。嬉しくなって、白雪を撫で回す。たてがみを梳いていると何かに引っかかった。注意深く引っ張り出すと、ノヴァの紋章が施された美しい小石が姿を見せた。ラケシスは思わずそれを握り締めた。それを付けたであろう人物を思い浮かべながら。

 どんな宝石よりも嬉しい宝物。
 これは欠片…。
 …何の?
 今はいい。
 見つかるってわかったから。

後書き
本当に無駄に長くなってしまいました。でも手直しがどうしてもできなくて(^^;)今後の作品のためにちょっと伏線張ったり(活かせるだろうか…?)、フィンとラケシスの性格を出したりしたらこんなことに(号泣)。
ここで出てきた乗馬シーン、もちろんフィクションです。いいかげんです。でもまあレンスター式(爆)だと思って下さいませ。
…それに馬の名前、もっといい名前にするつもりだったのに、某地の白虎様のせいです(おいおい)。私のネーミングセンスの悪さはすでに皆さんご存知ですよね(^^;)しかし、この作品のタイトルも外れてはいないけど…。
Youri様から素敵な絵をいただきました。フィンラケのラブラブですよ〜♪こちらです。

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