「騎士にとって主君は何にも変え難い存在です。私の家は代々イチイバルの継承者にお仕えしてきました。ですからブリギッド様は主君以外の何者でもありません。…エーディン様は主筋の方ではあっても主君そのものではないのです。だから…女性として意識してしまった…」
 思いもよらない告白に私は狼狽するばかりだった。何と言ってよいのか言葉が見つからない。
「…このようなことを申し上げるのは本当に無礼極まりないのですが…」
「そんなことない…続けてくれる?」
「ありがとうございます。…聖痕は残酷に後継者とそうでないものを選別してしまいます。たとえ双子であってもブリギッド様とエーディン様は、『格』という表現が正しいとは思いませんが…違うことは確かです」
「ミデェール…」
「無論、聖痕の有無が人としての価値まで左右するとは思っておりません。しかし、グランベルの六公爵家は王家と同様聖戦士の末裔として聖なる武器を血と共に伝える義務があります。ですから、戦時であるならいざ知らず、後継者であるブリギッド様を事故で失ったユングヴィ家は存亡の危機にありました…」
「え…?」
「家格の格下げは確実でした。最も近いはずのエーディン様でもイチイバルを引くことはできない…聖戦士の血を絶やした家を同列に扱うことはできぬと数名の公爵はアズムール陛下に迫っていたと聞いております。そこでリング様はシアルフィとの合併を陛下とシアルフィ公バイロン卿に申し出られたのです。それはすなわち、シグルド様とエーディン様との婚姻を意味しています」
「そうだったの…」
 エーディンからも全く聞かされていない話に私は引き込まれた。
「それでは…アンドレイは…?」
「幼い頃から必死に弓を極めようとなさっていましたから…」
アンドレイは生まれたばかりの姿しか知らないが、彼の絶望は容易に理解できる。父に引導を渡されたも同然なのだから。
「ヴェルダンがバトゥ王の治世になってからは平穏になったとはいえ、次の王もそうだとは断言できない状況で…アグストリアも同様でしたし…。二国との国境線に位置するユングヴィの強化はグランベルにとって重要課題でした。それにはシアルフィとの合併が最も効率的だということで陛下も許可され、後は正式に婚約を待つだけでした。…ちょうどその時、イザークが侵攻を開始しました。その当時はヴェルダンもアグストリアも問題ないとシアルフィとユングヴィは他の公爵家とは対照的に、兵力のほとんどをイザークに派遣しました。しかし、アンドレイ様はシグルド様と同様に留守を任されるはずだったのですが、強硬に同行を申し出られた。リング様もお許しになられましたが…イチイバルはエーディン様に密かに託されたのです」
「そう…」
 ほとんどのピースは欠けているのにパズルの完成図は目に見えるようだった。無意味であると知りながら、偶然であることを祈るしかない…。
「エーディンはこのこと知っていたの?」
「…少し話が逸れてしまいました。申し訳ありません。シグルド様との婚約のお話はまだ公にはなっていませんでしたので、エーディン様がご存知だったかどうかは…。私は父から絶対に口外するなと言われ、聞かされました。…父にしてみれば、早く想いを断てとの親心だったのでしょう」
 思いの外あっさりとエーディンへの想いが口に出たのに気付いたのか、ミデェールは微笑を浮かべた。
「先程はあのようなことを申しましたが、決してエーディン様への忠誠心がなかった訳ではないのです。シスターとして民に尽くしておられるお姿を尊敬しておりました。ですが…いつしかその慈愛溢れる微笑みを自分だけに向けてほしいなどと畏れ多いことを思うようになってしまいました」
「ミデェール…」
「あの頃はあんなに恋い焦がれていたはずなのに…これほど穏やかでいられるとは自分でも不思議なくらいです。ですが、ヴェルダンに侵攻された際、エーディン様をお守りできなかったことは決して許されるものではありません」
 それまでの穏やかな微笑は一瞬のうちに苦悶に変わった。ユングヴィ城を落とされ、エーディンまで奪われたことがミデェールに暗い影を落としている。それがエーディンに対する引け目となったのか…。
「…まさかこのようなことをどなたかにお話しするとは思ってもみませんでした」
 ミデェールは刹那苦笑混じりの微笑を浮かべたが、すぐに真顔に戻した。
「しかし、ブリギッド様に聞いていただけてよかったのかもしれません。自分の気持ちが整理できました。ですが…ブリギッド様にはご迷惑でしょうね」
「そんなことはないわ。話してもらえて嬉しかった…」
 意外な話だったが、心からそう思っていた。もし私が今の私でなく、ユングヴィでずっと育っていたとしても、ミデェールにとって私とエーディンは全く別の存在なのだ。それが私の心を軽くする。…と同時に、私が背負っているものは想像以上に大きいのだと思い知らされた。
* * *
「お姉様…」
 ファバルを連れて部屋に戻るとエーディンが待っていた。悲痛な表情を浮かべているところを見ると事情を知ったらしい。
「そんな顔して…どうしたの?」
ジャムカの発言など全く気にしていないことを示すためにも努めて軽くエーディンに問いかけた。
「お姉様…ごめんなさい。ジャムカが…」
「あら、別に気にしていないわ。だから顔を上げて」
「お姉様…。私の心の弱さがジャムカを不安にさせてしまったんだわ…」
「エーディン…」
「お姉様とミデェールのこと…私も考えてなかったとは言いません。でも、心のどこかでそれは嫌だと叫んでいる私がいました」
 エーディンはやっと顔を上げた。その瞳は涙で濡れていた。それで初めて私は妹の心を知った。
「あなた…ミデェールのこと…」
「ミデェールは知っていたわ。私がシスターになった本当の訳を」
「本当の…訳?」
「お姉様の無事をお祈りするためと言いながら、私はお姉様の代わりにイチイバルが使えないことから逃げていただけなのです」
「………」
「ミデェールはそんな私を内心ではずっと軽蔑していたと思います。それなのに忠義を尽くしてくれました。それでも私は嬉しかった…」
「どうしてミデェールが軽蔑するの?」
「…私がシスターになってからというもの、アンドレイにかけられた期待と重圧は見ていて痛々しいほどでした。それでも…私は…」
 再び顔を伏せた妹。私がいなくなったことがこんな事態を引き起こしたのだ。ミデェールから聞いた時はまだ実感がなかったが、今はただ心が痛む。
「私のせいなのね…」
「いいえ!お姉様は何も悪くはありません。ただ連れられて事故に遭っただけです。お父様を初め…家の者の心が弱かったのです」
「エーディン…」
 自嘲気味な微笑を浮かべ、エーディンは続けた。
「…一番心が弱いのは私です。アンドレイを苦しめ、軽蔑されているとわかっていながらミデェールの気を引こうとして…」
「ミデェールはあなたを尊敬していると言っていたわ」
「それは嘘よ…それは彼の優しさだわ」
「でも…あなたを愛していたと…」
「嘘よ!だったら…どうしてシグルド様が結婚された時に何も言ってくれなかったの!」
 止めどなく溢れる涙を拭おうともしない妹を私は思わず抱き締めた。今まで見せたことのない激しさと脆さはこれまで感じていた妹との隔たりを一気に縮めた。そして、初めて妹を愛おしい…と思った。

 私の胸で泣きじゃくる妹を子供のようにあやしながら、私がずっとユングヴィで育っていれば…と考えずにはいられなかった。妹は初恋を実らせ、弟は父の右腕となっていたのかもしれないと思うと、申し訳なさで胸が詰まりそうだ。
(じゃあ、私は…?)
 自分があるべき姿を想像することはどうしてもできなかった。イチイバルを持つことの重みだけがずっしりとのしかかってくる。そしてその力の強大さにおののいた。
 怖い…。
 単なる強力な弓ではないのだと改めて思い知った。何故イチイバルが存在するのか、何のためにその力を使うのか、私はほとんど知らない。教えてくれる人とは多分…再会することはないだろう。
「お姉様…痛い…」
 考え込んでいたせいか腕に力が入ってしまったらしく、エーディンが窮屈そうに身を捩る。私は慌てて手を離した。
「ごめんなさい。大丈夫?」
「ええ」
 妹はやっと落ち着いたようで、穏やかな笑みをたたえて私を見つめている。
「ありがとうお姉様。すっきりしました。…泣いてる間ずっと考えてたのはジャムカのことだったわ。ミデェールのことも何もかも全部包み込んでくれて…。今、心から愛しているのはジャムカだけよ」
 微笑みの中に潜む凛とした表情は妹の芯の強さを私に見せつけた。

まだ続きます…

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