淡い光とともにスルーフの姿が消えるのを見届けるとナンナは父の顔を見つめた。
「お父様…うまくいくでしょうか?」
「スルーフ殿にお任せするしかない。ナンナ…いつ何が起きるかわからない。気を緩めるな」
「…はい!」
親子は遥か前方の動きを見落とすまいと目を凝らした。
 やがて土煙が湧き上がり、それは瞬く間に広がった。フィン達の間に緊張が走る。土煙の中から蹄の音が近付いているのが聞こえたフィンは戦闘体勢を取り、部隊より一歩前に出た。
「フィン殿!」
土煙の中から飛び出した馬に乗っている人物を見てフィンはほっとした表情を浮かべた。
「スルーフ殿!」
「アルスター軍が攻撃して来ました!直ちに城へ撤退を!」

 市民を保護し、最後尾でレンスター城に戻るフィンの耳に今度は多数の蹄の音が聞こえてきた。やはり土煙のため何者か判別できない。
「もしかして…」
 スルーフを乗せて合流したアマルダの瞳が輝く。しかし、たちまち暗く沈んだ。わずかに覗いたのはアルスター軍の旗。
「どうして…」
唇を噛んできっとアルスター軍を睨んだ。その瞳には怒りと悲しみ。
「アマルダ殿はこのまま市民を護衛して先行願えませんか?」
 アマルダの心中を慮ったフィンは、残された戦力に不安を残しながらそう告げた。
「…お気遣いは無用です。今はアルスター軍を相手に少しでも戦力が必要なはず。市民の安全のためにも少しでも彼らを引き付けなければ…」
アマルダはフィンに微笑を向けた後スルーフを馬から降ろし、剣を握った。

 リーフにとってこれほど長く感じた日はなかったかも知れない。救援隊を送って数時間。高台にあるレンスター城の物見の塔からも状況を掴むことはできない。
「………」
 玉座の間と塔を何回往復しただろう。その度に大きくなる不安を振り払うように何度も頭を振ると、リーフは見張りの兵を労い玉座の間に戻ろうとした。
「王子!何かが来ます!あれは…」
 兵士の言葉を聞くや否やリーフは塔から身を乗り出し、目を凝らした。市民らしき一団を連れた兵士達。レンスターの旗印を掲げている。そのほとんどが歩兵だが、わずかに騎兵も見える。
「…セルフィナ!」
リーフは駆け出すと一目散に城門へ向かった。
 しばらくして、レンスター城の城門が開かれた。兵士も市民も憔悴し切った顔で城門をくぐる。リーフは彼らを労いながら最後尾に付けているセルフィナの到着を待った。セルフィナは夫のグレイドとともに疲れた様子も見せず、負傷兵を運んでいた。
「セルフィナ!」
「リーフ様!ただいま戻りました」
「セルフィナ…。僕は…」
「リーフ様、父のことでしたらお気遣い要りませんわ」
 リーフの言葉を遮るようにセルフィナは毅然と言い放つ。しかし、その表情は晴れやかで、笑みさえ浮かべていた。
「セルフィナ…」
「市民を救出できたのは幸いでした。これだけでも…無意味な戦いではありません」
「ありがとう…。とにかく今は休んでほしい」
「リーフ様…。ではお言葉に甘えさせていただきます」
 また戦いに出ようと思っていたセルフィナは一瞬戸惑ったが、頭を下げると建物の中へと入って行った。それを見送ったグレイドは、
「王子、何かありましたらすぐにお呼び下さい」
「ああ。決して無理はしないよ。安心して…と言うのも変だけど、少しでも身体を休めておいてくれ。それから…セルフィナのことよろしく頼む」
「はい。王子のお心はセルフィナには十分伝わっておりますから…。本当にありがとうございます」
 グレイドも深々と頭を下げると妻の後に続いた。

 その後も続々とレンスター城への帰還が続く。しかし、殿のフィンの部隊はいつになっても帰って来ない。その前に戻った兵士からアルスター軍との交戦が始まったことを知らされ、リーフは居ても立ってもいられなくなった。
『僕も出撃する』
と何度口に出しそうになったことか。しかし、戦力が疲弊している今は動くわけにはいかない。待ち続けることの辛さが身に染みる。リーフは唇を噛み締め、遥か前方を見つめるだけだった。
 夕闇が押し迫って来た頃、ようやく十騎ほどの一団が戻って来た。ほっと胸をなで下ろし、駆け寄ろうとするリーフ。すると、物見の塔から火急の知らせが届いた。
「フリージ軍の来襲です!」
「何だって!」
 リーフは顔色を失った。
(持ちこたえられるか…)
「リーフ王子、直ちに籠城のご決断を」
知らせを聞きつけ、アウグストがリーフの許にやって来た。
「いや…今、万一城門が破られればもう僕達には守り切る力はない。皆疲れているのはわかっているが、城の近くで迎撃する」
「…わかりました。フリージ軍の本隊ではないようですし、いずれにせよ態勢を立て直す時間を稼がねば…」
 リーフが城の防衛に回していた者を率いて迎撃準備を整えた頃、フィン達と合流した。
「フィン!ナンナ!」
「リーフ様!」
「よく戻って来てくれた…」
心底ほっとするリーフ。フィンとナンナも疲れ果ててはいたが、その表情には明るさが戻っていた。
「フィン…この人は?」
 フィンの馬にはもう一頭馬がつながれており、その上には壮健な騎士が拘束されていた。リーフにはどこか見覚えがある人物だった。
「コノモール伯爵です」
「あ…ああ…そうだ。コノモール伯爵だ!」
懐かしさを感じる間もなく馬上からの鋭い視線に戸惑うリーフ。しかし、状況からいって当然のことである。リーフは意識を切り替え、現状を乗り切ることに集中しようとした。
「フィン達はこのまま城へ!」
「リーフ様は?」
「ここでフリージ軍を迎撃する。…大丈夫だよ、ナンナ」
 リーフは不安げに問いかけてきたナンナを安心させるように微笑むと、フィンに再び城への帰還を命じた。
「フィン、急げ!直に戦闘が始まる」
「リーフ様…。我々もここで戦いに加わることをお許し下さい」
「だけどフィン達が一番疲れているはずじゃないか!」
「しかし、少しでも戦力が必要です。負傷している者は城に戻しますから」
「私も大丈夫です!リーフ様!お願いです…」
 絶対的な戦力不足とナンナの懇願に折れた形でリーフはフィン達の参戦を認めた。捕虜のコノモールは城に帰還する兵に託した。
「くれぐれも丁重に扱うように」

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