その後のフリージ軍との戦いは壮絶だった。しかし、レンスター軍の必死の抵抗が功を奏し、徐々に巻き返し始めた。城に帰還しても体力が回復した者から戦場に復帰したこともあるが、何といってもリーフの獅子奮迅の戦いぶりは兵士達を勢いづけ、その士気の高さは敵を圧倒した。
 やがて、敵も疎らになり、散発的な攻撃は全く意味を為さなくなってきた。それどころか暗闇の中でかえって居場所を知らせることとなる。もちろん、闇に乗じて逃走する兵も多数いたようである。
 敵の攻撃が止んだのを確認し、リーフ達は奇襲に気を配りながら城へと戻る。
「やっと戻って来たね…」
「はい…」
「ナンナ…本当にご苦労様。それからありがとう…」
「リーフ様…」
最後に城門をくぐり抜けたリーフとナンナは城門が閉ざされるのをしっかりと見届けると、皆の待つ広間へと歩を進める。
「リーフ様…。私、レンスターのこと全然覚えていないので、正直言ってリーフ様やお父様ほど帰って来たという思いが湧きませんでした。でも、先ほどリーフ様にお会いして、『よく戻って来てくれた』とお声をかけていただいた時、その時初めて心から戻って来たのだと感じることができました…」
「ナンナ…」
 ナンナの意外な告白に驚きつつも、自分に話してくれたことが何よりリーフには嬉しかった。ナンナはリーフに微笑みかけると目の前にそびえる城を見上げて呟いた。
「ここが私の帰るところ…」
「そうだよ。ここが僕達の帰るところだ…」

「今…何と…おっしゃった?」
 その言葉があまりにも意外だったからか、それまでずっと伏せていた顔を思わず上げ、発言の主を呆然と見つめるばかりだった。周囲の者も同じような反応をしている。やっとのことで掠れた問いを発したコノモールの目を見据えてリーフは平然と言い放った。
「だから…ミランダを助けに行くつもりはないかと聞いている」
「リーフ様!何をおっしゃっているかおわかりなのですか!」
「伯爵は…この男は…我々を見捨てたのです!それなのに…なぜ…」
 コノモールを取り囲んでいたレンスター兵や救出されたアルスター市民の代表達が口々に抗議の声を上げた。
「わかっている」
 リーフの抑揚のない一言でざわついた広間は一瞬のうちに静まり返った。厳しい視線で周囲を見渡してからリーフは言葉を続けた。
「伯爵がフリージの命令に従い続けたのはミランダの無事が確認できているということだろ?彼女の生死がわからない状態で市民達が苦しんでいるのを放っておける訳がない。…少なくとも僕の知っている伯爵はそういう方だ」
「………」
「だったらミランダの居場所だってわかってるんじゃないのか?」
「詳しい場所はわかりませんが…迷いの森にロプトの僧院があり、そちらにいらっしゃると…」
「捕虜になったことでかえって身軽になったとは思わないか?」
「………。あなたの首を持って帰った方が確実にミランダ様を取り戻せますが…」
 コノモールの言葉に再び騒然となる広間。飛びかかりそうになるレンスター兵を制したリーフの顔には笑みが浮かんでいた。
「やっぱりそう言うか…。だけど、僕を殺してからだと『ご苦労』ですましかねないと思うんだけど?それとも…もうそういう取り引きが成立しているのか?」
「それは…」
「どれだけフリージのために働いても…働きが良ければ良いだけミランダは帰ってこない。それは伯爵が一番ご存知ではないのか?」
「くっ…」
 コノモールの脳裏にこれまでの屈辱の日々が浮かび上がる。ミランダを救おうと足掻けば足掻くほどミランダの姿は蜃気楼のように遠く霞む…。
「解放しても、そのままアルスターに戻るということもあるだろうね…」
「リーフ王子…」
「アルスターがこのままでいいのか、少しでも何とかしたいと思うのか…。それは伯爵の判断次第だけど、今のアルスターの状態でいつまでもミランダの安全が確保されるとは思えない。僕はアルスターには借りがある。そしてミランダは友達だった…。助ける手段があるのならそうしたい。…伯爵、何も手助けすることはできないが、ミランダを救出しては貰えないだろうか?」
「リーフ王子…。そこまでおっしゃって下さるのなら私も腹を括りましょう。一度死んだ身、何を恐れることがありましょうか」
 目にうっすらと涙を浮かべ、コノモールはリーフに跪いた。すかさず側にいたフィンが彼にかけられていた縄を切る。
「…甘過ぎるのではないですかな」
 それまで黙っていたアウグストが口を挟んできた。
「我が軍はアルスター軍によって多大なる損害を受けたのですぞ。その指揮官を解放するとはもってのほかではありませんか!アルスターの事情はアルスターで解決すべきこと。我々がそこまで関与する必要はないでしょう。王子のお気持ちはわからぬ訳ではありませんが、何もかもが綺麗ごとではすまないのですぞ」
「そんなことはわかっている!」
 今度は感情的にリーフは叫ぶと立ち上がった。
「全てが綺麗ごとですまないからって…努力を怠ってもいいって理由はないし、口実にしちゃいけないんだ!」
一気にまくしたてた後軽く息を吐き出すと、少し落ち着いたのか玉座に腰かけた。
「…もちろん、ミランダのことを全てコノモール伯爵に押し付けようとしているだけだということもわかっているつもりだ。でも…それでも、僕はミランダを助けたい」
 そう言うと真直ぐにアウグストを見据えた。アウグストは苦笑を浮かべ、
「…まあ、そこまで言われるのならこれ以上何も申しますまい。成功する可能性は無きに等しいですがな」

 コノモールの強い希望でその夜のうちに解放されることになった。城の裏門へ彼を案内しながらフィンは話しかけた。
「せめて夜が明けてからになさった方が…」
「いえ、闇に紛れた方が行動がしやすいですから。それにコノモールは死んだのです」
「伯爵…」
 コノモールは不敵な笑みを浮かべたが、それはすぐに柔らかなものに変わる。
「それにしてもリーフ王子は立派にご成長されましたな。フィン殿のご苦労の賜物でしょう」
「私は何もしておりません。リーフ様のお考えの深さには私も感服させられています。それに…私はリーフ様さえ生きておられればレンスターの再興は叶うとずっと信じておりました。キュアン様を…レンスターを守ることができなかった私は…それだけを心の支えにして生きてきました。しかし、それだけではレンスターの再興にはならないとわかったのは最近のことです」
「それは私も同じこと。そのために民の言葉には一切耳を貸さずにきてしまった結果がこれです…。アルスターという名は残ってもいや…名を残したところで、もうアルスターという国はどこにもなくなってしまっていた…」
 苦しげに紡がれるフィンの言葉はコノモールには痛い程理解できた。多少の違いはあれ、二人の立場はほとんど同じなのである。状況が二人の道を分けたに過ぎない。しかし、コノモールは互いに入れ違っても目の前の男なら自分とは別の道を選んだのではないかという気がしてならなかった。リーフを見ているとつくづくそう感じる。
「私は気付くのが遅かった…いや、気付かぬように目や耳を塞いでいたのかも知れません。本当にお恥ずかしい限りです。私が知るリーフ王子はいたいけな幼子に過ぎなかったのに、レンスターの民を思い、アルスターのことにも心を砕いて下さる…。やはりフィン殿のお力によるところが大きいのでしょう」
「伯爵…」
 コノモールは一瞬遠くを見るような目をすると苦笑を浮かべた。
「それに…フィン殿も本当にお強くなられた。まさか貴殿に捕らえられるとは。さすが大陸一の槍騎士と言われた方のご子息だ」
「大袈裟ですよ。あの時はただただ夢中で…」
返ってきたフィンの苦笑の中にもやはりずっとコノモールが尊敬してきたフィンの父親の面影がある。そして、リーフの中にも…。
「…ではここで」
 コノモールの言葉でフィンは頷き、兵士に合図した。馬が一頭連れて来られた後、裏門がわずかに開き、フィンは持っていたマスターランスを持ち主に手渡した。
「ご武運をお祈りしています」

(続く)

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