内輪でリーフの宣誓式を済ませた後、ドリアスは出撃の準備を急いでいた。これまでの戦いを考えるとどうしても前線で戦っていた者は連れていけない。必然的にレンスターで無理矢理徴集されていた者の力に頼るしかない。しかし、念願叶ってリーフの許で戦えるという喜びで彼等の士気は高く、それがなおさらドリアスの心を重くしていた。
「ドリアス卿」
「フィン様…」
「私も出撃許可をいただきました。お供いたします」
「フィン様!あなたまで出られては…リーフ様についていていただけるものだと」
 咎めるようなドリアスの視線をフィンはしっかり受け止めて答えた。
「…私はリーフ様があのように決断されたこと、誇りに思っております」
「私もです…あの場ではお諌めするしかなかったが…。キュアン様でも、カルフ様も同じ決断をなされたでしょう…。レンスター王家は北トラキアの盟主でもある。自国のことだけを考えるわけにはまいりません。それにアルスターとの因縁を考えれば、今手を差し伸べなければ将来の禍根となりかねない…」
「その通りです。アルスターを今解放するのは不可能です。しかし、リーフ様が助けて下さるという希望さえあれば、アルスターの民も絶望することはないでしょう」
「それにしても…もう少し状況の読める者が彼等の中にいてくれれば…」
「ミランダ王女を人質に取られている以上アルスター軍も動きようがないのでしょうね」
 フィンとドリアスは大きな溜め息を吐いた。レンスターを奪われたとなればフリージ家も躍起になって取り返そうとする。アルスターに向かうことすら大きな危険を伴うのだ。共倒れになりかねない。しかし、『今』はアルスターを見捨てないという姿勢を示すことが必要なのだ。そして、『今』は無理だということも…。無力感に唇を噛むフィン。
「何にせよ損害は最小限に押さえたいと思っております」
「…だからといって無闇にご自身を犠牲になさらないで下さい」
「わかっております。悲願叶ったとはいえ、まだまだ先は長いのです。無駄死にだけはしたくありません。ですから、ここぞと定めた時には…どうか…」
 ドリアスは真剣な表情でフィンを見つめた。覚悟の程を理解したフィンは頷くしかなかった。
「ドリアス卿…わかりました。部隊の撤退はお任せ下さい」
「ありがとうございます…」
「それから…グレイドとセルフィナが出撃を志願しております。いかがなさいますか?」
思いもよらぬ娘の名にドリアスは一瞬青ざめたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「セルフィナが…そうですか…。いつまでも子供と思っておりましたが…。私の意図を理解している者が多ければそれだけ損害は減るというもの。覚悟しているのなら連れて行きましょう」
 ドリアス隊の最後尾につくフィンは城を出る直前、ナンナに呼び止められた。
「お父様」
その瞳は不安げに瞬いている。先程のリーフとドリアスのやり取りにただならぬものを感じたのだろう。
「…ナンナ。この作戦は苛酷なものになる。お前はお側でリーフ様をお助けするように」
「…は…はい」
 ナンナは口に出しかけた『連れて行ってほしい』という言葉を飲み込んだ。それほど父の瞳は真剣だった。ナンナの表情が一層固くなったのを見て、フィンはわずかに微笑み、娘の頭を撫でた。
「じゃあ…行って来る」
「お気をつけて。ご武運をお祈りしています」

 翌日、いざ出撃と意気込むリーフの許にその悲報は届けられた。
『先行したドリアス隊は壊滅。殿を務めたドリアスは戦死』
「そ…そんな…」
愕然とするリーフ。力なく崩れ落ちそうになるのをナンナが必死で支える。
「リーフ様!!」
「…そんな…そんなことって…」
「王子!しっかりなされい!」
 アウグストの厳しい叱責の声にリーフは虚ろな瞳を向ける。
「犠牲のない戦いなどこれまでありましたか!?今あなたがこうしている間にも兵の命は失われて行くのですぞ!!」
「リーフ様…」
 リーフは自分の腕を掴むナンナの手が小刻みに震えているのを感じ、我に返った。
「ナンナ…。ナンナだって心配なのにね…」
そう言うとナンナの手を力強く握った。
「もう大丈夫だから…」
 顔を上げたリーフの瞳にはもはや悔恨や迷いの色は一切なかった。
「アウグスト、すまない。あなたの言う通りだ。直ちに援護の部隊を送る。少しでも多く助けるんだ!!」
 その後のリーフの行動は速やかだった。後発隊を先発隊の救援と城の防衛部隊に分け、周囲の村にも注意を呼びかけた。新たにアルスターから多数の市民が追われているという情報が入り、一気に慌ただしくなる。
「ナンナ…じゃあ、任せたよ。」
 リーフは馬に跨がろうとするナンナに声をかけた。
「リーフ様、お気持ちはいつでも私の…皆の側にあります。飛んで行きたいとお思いでしょうが…」
「うん。でも今は城を守るよ。皆の帰る場所だから。…ナンナ、くれぐれも気をつけて。待ってるから」
「はい!」
 ナンナはとびきりの笑顔をリーフに向けて馬に跨がり、駆け出した。先行する部隊に追い付こうと馬を飛ばしながら、父の安否とリーフの気持ちを思い胸を痛めていた。
 今リーフが城を離れると民が不安になる。せっかく取り戻したレンスターが再び奪われることなどあってはならない。リーフがいればこそ守り抜けるのだ。そして、リーフは自分の判断が引き起こした結果の大きさに一人で必死に耐えている。少しでもリーフの苦しみを軽くしたい…。その一心でナンナは救援部隊に志願したのだった。

 その頃、市民を保護しつつレンスター城を目指していたフィン達は追っ手の不可解な行動に戸惑っていた。直ちに帰還したいところだが、取り残された市民を挟んでアルスター軍とフリージ軍が攻撃もせず対峙している。保護した市民を歩兵達に誘導させると騎兵はその場に残り、推移を見守ることにした。
「あれはアマルダ様…」
「スルーフ殿…?」
 リワープの杖を持つ司祭は離脱が容易いため前線に残っていた。フリージ軍の中に知人のアマルダがいるのに気付き、スルーフはフィンに彼女の説得を申し出た。
「あのフリージ軍の指揮官はずっと子供狩りに反対していました。現にいまだに市民を捕らえようとはしておりません。彼女なら…きっと力になってくれるはずです」
「そうですか…。彼らが市民に攻撃しない理由がわかりました。アルスター軍も出撃は本意ではない。しかし、市民を逃がす訳にはいかない…。これではいつまでたっても睨み合いは終わりません。包囲を解いて市民を救出するためにはスルーフ殿にお願いするしかないようです。ですが…」
 スルーフがリワープしたとしても、転移直後に攻撃を受けてしまうだろう。他にワープの杖を持つ者は城にしかいない。アマルダに近付く手段がなく、フィンとスルーフは顔を見合わせた。
「お父様!」
「ナンナ…どうしてここに?」
 驚くフィンを後目にナンナは二人の側に馬を寄せ、杖を取り出した。それを見たスルーフの表情が明るくなった。
「リーフ様が援護に向かうようにおっしゃられて…。それから撤退戦には必要だろうとワープの杖をお預け下さいました」

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