解放軍は途中で山賊に襲われている村を救った後、その村の司祭の助けを得てすんなりとノルデン砦の近くまで到着することができた。フィンにとっては懐かしい、何度も夢に見た風景である。しかし、どこかが違う。緑豊かではあるが、荒れているという印象はどうしても拭い去れない。この時期なら麦が黄金の穂を垂らし始め、辺り一面黄金色に染まるはずなのに。
「これがレンスター…?……もそうなのか?」
 フィンの脳裏に故郷の風景が浮かび上がった。穀倉地帯として有名なその土地でフィンは幼少時代を過ごした。王家に引き取られてからは一度も戻ったことがなかったが、それでも愛着のある場所で、将来はよき領主となるべく教育を施されていたため尚更である。今まではレンスター、否北トラキア…大陸全体のことを考えるべきと言い聞かせ、思い出さないように努力してきた。しかし、レンスターへ戻ってきたことで否応なく自分の記憶が鷲掴みにされ引きずり出される。様々な記憶がフィンを苛んでいく。フィンは苦悩を振り払うように呟いた。
「…何もかも…レンスターを取り戻してからだ…」
遠くに霞むレンスター城を見つめながら、フィンは思いを新たにした。
「…お父様」
遠慮がちに声をかけてきたナンナに顔を見られまいと、フィンは側にいた愛馬の方に身体を向けた。
「…ナンナか…どうした?」
「リーフ様がお父様にも軍議に参加して欲しいと」
「そうか。すぐ行く」
「…あ…あの、お父様」
「何だ?」
「いえ…。何にも…」
「なら、行くぞ」
(あんなに辛そうなお顔…見たことがないわ)
あっという間に馬に跨がり駆けていった父を見送りながら、ナンナは初めて父の無表情の意味を知った。

 フィンは軍議の行われている天幕の中に入った。ノルデン砦周辺にはロングアーチの防衛網が張り巡らされ、砦の前には大部隊が展開している。やみくもに進軍しても勝利はあり得ない。頭を痛めているリーフと二人の軍師に向かって女騎士が必死に訴えかけている。
「私なら彼を橋から誘い出してみせます」
「だめだ。オルエンにそんな危険な真似はさせられない」
「お願いです。私は王子のお役に立ちたいのです!」
オルエンに懐疑的なアウグストは冷徹な言葉を投げかけた。
「そのままフリージに寝返るつもりではないでしょうな?」
オルエンは一瞬顔を上気させたが、すぐに自嘲的な笑みに変わった。
「あの部隊の指揮官が違う者であれば…そうするかもしれませんね」
「そして…命を賭けて説得するおつもりだったのですね」
「フィン殿…」
レンスター攻略の前に固めていた決意を看破されてオルエンは俯いた。
「フリージの人間がこの地で何をしてきたか…どんな言い訳も無意味です。ですが、フリージの人間が全てロプトの手先ではないのです!私は…」
「戦いの場にいる以上敵か味方かの線引きは必要です。しかし、それが全てでもありません。あなたのようにフリージと戦う道を選ぶのも一つの選択肢。フリージに留まって自分のできることをするのも…それがたとえ自己満足に過ぎないとしても…それも選択肢の一つです。ですからもうご自分を責めるのはお止め下さい。自らを追い詰めるだけです。追い詰められると…できることもできなくなりますよ」
「フィン殿…」
オルエンの瞳から涙が零れた。フィンはそれを隠すかのように前に進み、リーフの方を向いて進言した。
「いずれにせよ、突破法を見つけられないのでしたら、オルエン殿にお任せするのもよいのではないかと思いますが…」
「だけどフィン、危険ではないか?」
「オルエン殿にはサンダストームもあります。ロングアーチを潰すのには欠かせません。もちろん護衛は必要でしょう。それは私が…」
「私も…私も前線に出して下さい!」
いつの間にかナンナは天幕の中に入っていた。フィンはナンナを見もせずに、
「ナンナ、お前には無理だ。下がっていろ」
「いいえ!前線に立てないトルバドールなど必要無いではありませんか!」
「ナンナ…。いずれにせよリーフ様の決定次第だ。私は一案を述べたまで」
ナンナの視線がリーフへと移った。その真剣な眼差しをリーフは受け止めた。
「…とにかくこれ以上時間を浪費できない。砦の前の部隊についてはオルエンに任せる。オルエンにはフィンとフレッド、ナンナを同行させる。その前に展開している部隊は残りで引き付けるから、その間にできるだけ先行して欲しい。ただ、誘き寄せるのは僕達がある程度追い付いてからだ。アウグスト、ドリアス。何か問題はあるか?」
「まあいたしかたありませんな」
アウグストの返答にドリアスも無言で頷いた。

 ノルデン砦への進軍を控え、俄に慌ただしくなった解放軍を後目に、フィンは一人その喧噪から離れていた。
「フィン殿…」
「ああ、オルエン殿か…」
「先程は本当にありがとうございました」
深く頭を下げる彼女を制し、フィンは微笑んだ。
「気になさるようなことではありません。もっとご自分を大切に…私が言うようなことではありませんね」
「おっしゃったこと…本当に心に染みました。あのままフリージ軍に身を投じても誰も私の言葉など耳を傾けないでしょう。私の命など惜しくはありませんが、償いもできぬままでは、救っていただいたリーフ王子達にも申し訳が立ちません」
オルエンはそこまで言ってから少し不思議そうな表情でフィンに問いかけた。
「あの…どうしてわかったのですか?」
「同じような瞳をされていたので」
「…?」
オルエンはますますわからなくなったようだが、フィンはそれには答えなかった。
「いずれ兄君にまみえることもあるでしょう。お心を強く持つことです。心の底からの言葉であれば、耳を傾けていただけると…たとえ結果はどうであれ。貴女の気持ちを伝えること…それが何より大切なことですよ」
それだけ言ってフィンは配置に着いた。

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