数々の戦闘を経てようやくターラに辿り着いたリーフ軍であったが、フリージ軍がターラに対し総攻撃を仕掛けようとしていた。到着した者から一息つく間もなく戦闘に加わることになった。その中でもフィンは先陣を切っていた。親友のグレイドのことが心配だったのだ。ロングアーチの攻撃をものともせず進んでいく。その後を必死についていくナンナ。ナンナがついてくるのに気付き馬のスピードを緩めた。
「ナンナ、お前にはまだ無理だ。リーフ様と一緒に行動しろ!」
「いいえ!グレイドさん達には回復役が必要でしょ。後ろにはサフィ達がいます」
「…わかった。私から絶対離れるな!スピードを上げるぞ」
「はい!」
 フィンはふと既視感に襲われた。エルトシャンを説得するため戦いの最前線に飛び出したラケシス。一瞬自分がアグストリアにいるかのような錯覚を起こした。ナンナには彼女ほどの悲愴感はなかったが、それでも妻を思い出すのには十分すぎた。
(いつの間にか守っていたつもりが共に戦うようになっていた。…あの時も何故か取り残されたような気がしたな)
意識がラケシスに飛んだ途端、フィンはロングアーチの直撃を受けてしまった。
「お父様!」
すかさずナンナがライブをかける。
(やはり貴女のことを想うと調子狂いますね)
苦笑しながらロングアーチの射程外へ馬を走らせる。すると城門の近くまで来ていたため、グレイド達ランスリッターを攻撃していたフリージ軍がこちらに向かってくる。
「却って好都合か…。ナンナ、ここで迎撃する。援護頼む!」
 敵の兵力は分散できたが、敵将までこちらへやって来てしまった。
(そこまで都合よくはいかないか。まあグレイドが無事な証拠だな。敵将を倒せばずっと楽になる。突っ込むか?だがナンナと離れる訳にはいかんな。流石に二人では駒不足だな…)
頭ではいろいろ考えながらも、次々とくり出される攻撃を躱し、敵兵を倒していく。
「援護に来たわよ!リーフ様ももうすぐ追いつくわ」
と頭上から声がすると同時に手槍がナンナを攻撃しようとした兵士を直撃する。カリンである。
「カリン、ありがとう」
軽く負傷していたカリンにライブをかけながらナンナは礼を言った。カリンは数人の敵兵を倒した後、
「あ〜!あんなところにリブロー使いのビショップがいるじゃない。使い切らないうちに捕まえてくる。皆も来たみたいだし」
と飛んでいってしまった。その頃には敵将への行く手を遮る者はいなくなっていた。フィンは一気に間合いを詰め、勇者の槍で一瞬のうちに仕留めてしまった。敵将が倒れたことで士気があっという間に下がり、逃げ出す者も現れた。そこへようやくリーフ達が追いつき残存兵を片付けていく。
「フィン、遅くなってすまない!こっちはいいから先へ!」
「はい、リーフ様!」
 城門前の敵はすでにグレイド達ランスリッターによって片付けられていた。しかし、フリージの大軍が迫って来ていたため、予断は許さなかった。フィンは若い騎士達の間に懐かしい顔を見つけた。
「グレイド、無事だったか!」
「フィンか、久しぶりだな」
十年という年月を互いの姿で実感し、苦笑してしまった。
「リーフ様が来られたぞ。ご挨拶するといい」
「ああ。…フィン。セルフィナが変なこと言っただろう。すまんな」
「気にしてないさ」
「あまり気にしないのも、女に興味がないと言われる所以だぞ」
そう言い残してグレイドはリーフの方へ馬を走らせた。
「そこまで言われてないって」
苦笑しながら、城門を見上げる。フィンの脳裏にリーフの泣き顔が浮かび上がってきた。五年の長きに渡って身を寄せていたここターラ。色々なことがあったが、フィンにとってはそれが最も印象的な出来事であった。自分のとった行動の報いを初めて自覚した苦い思い出…。

 ターラに来て三年ほど経った頃だろうか、リノアン達と遊んでいたはずのリーフがフィンの許にやって来た。頬が紅潮し、目に涙を溜めている。リーフの泣き顔を見るのは、アルスター陥落以来初めてのことだった。どんな辛いことがあっても―両親の最期を聞いた時でさえ―涙の一粒も零さなかったリーフである。フィンは何事が起きたのかと慌てて駆け寄った。
「リーフ様、どうなされたのです?お怪我でも…」
リーフはかぶりを振るだけである。フィンは体調が悪いのかとリーフの額に手を当てる。
「…病気は僕じゃないんだ…」
とりあえずほっとしながらも、要領を得ない。
「どなたがご病気なんです?」
「…ナンナ…」
というなりフィンの胸に飛び込み、泣きじゃくった。フィンはナンナの許に飛んでいきたかったが、リーフをこのままにはしておけない。
「リーフ様。どうかお泣きやみ下さい。ナンナがどうしたのですか?」
その時扉が開いてナンナが入って来た。見たところいつもと変わりはないようだが、少し表情が暗い。
「ナンナ、どこか具合でも悪いのか?」
ナンナはきっとした表情で、
「別にどこも悪くはありませんわ。当たり前のことなのにリーフ様が驚かれて、『ナンナが変だ。病気だ』って…」
(リーフ様!?)
 ナンナはリーフのことを人前では「兄様」と呼んでいた。アルスターから落ち延びて以来、各地を転々としている間リーフとナンナは兄妹で通していたからだ。しかし、普段は呼び捨てにしていたし、敬語も使うことはなかった。ターラに来てからは公爵の館で素性を知る者としか接触していないため、普段通りに振る舞っていた。フィンもリーフとナンナをできるだけ平等に扱っていた。あくまでノディオン王女の娘として。ともすればナンナをないがしろにしがちな自分への戒めでもあった。
「ほら。やっぱり変だろ?どこかで頭ぶつけたのかもしれない」
「どこにも頭をぶつけたりしていません。家臣の娘として当然のことでしょ。いいえ、今までが無礼だったのです。リーフ様、本当にご…申し訳ありません」
「ナンナ…」
リーフはもう涙は流していなかったが、寂し気な表情を浮かべている。
「ナンナ、何かあったのか?」
「お父様まで何をおっしゃるのです。お父様が『リーフ様』とお呼びしているのに娘の私が呼び捨てにしているなんてその方がおかしいでしょう。ターラでは兄妹の振りをすることもないのに。私、間違っていますか?」
真剣な表情でフィンを見つめるナンナ。フィンは娘の行動の裏にあるものがなんであるかはっきりと悟った。しかし、言うべき言葉が思い付かない。無言のフィンにリーフが焦れったそうに話しかける。
「フィン、黙ってないで何とか言ってくれ。ナンナは僕に気を遣うことはないって」
「それは私がラケシス母様の娘だからですか?」
「そうじゃないよ。ナンナは僕にとって…」
子供達は本当に悲しそうな表情で議論している。フィンは娘がこの件で身を引くことはないとわかっていた。身を引く時は残酷な宣告を受ける時だろう。曖昧な状態を望んでいたが、嘘はつきたくない。リーフを納得させるしかなかった。
「リーフ様。ナンナも成長したのです。リーフ様のお心は本当にありがたいと思っています。ですが…」
「もういいよ。わかったから。でも僕は今まで通りにする」
フィンの瞳に深い悲しみを見たリーフは自分でこの議論の幕を引いた。リーフはナンナの口調の変化になかなか慣れない様子だったが、ナンナが何かに傷付いているらしいことに気付き、それどころではなくなったようだ。何かにつけナンナの気を紛らわせようとしているうちに馴染んでしまったらしい。フィンは心の中でリーフに感謝しながら安堵していた。ナンナが時折見せる思いつめた表情…その回数が確実に減ってきていた。ただし、この時を境にナンナは他人に対して壁を作るようになった。誰にも気付かれない壁。リーフとフィンはもちろんわかっていた。しかし、それぞれの利己的な思いからそれを口にすることはなかった。

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