永遠に続くかと思われた戦闘はハンニバル将軍率いるトラキア軍の出撃によって終結した。疲れ果てたリーフ達はミーズ城へと足を進めた。カリンが予め訪れていた為、すんなり城内へ迎え入れてくれる。フィンは目立たぬように最後尾についていた。レンスターの槍騎士フィンと知れれば、保護どころではなくなるからである。フィンは前方にそびえる城を見つめた。これから仇敵トラキア領へ入る。それも保護を求めるために。フィンにとって何よりの屈辱だった。その思いはリーフ以上であったはずである。キュアンと同行していれば。トラバントを倒すことは無理でも、主君夫妻の盾にはなれたはず…。あの日以来幾度となくフィンを襲った後悔の嵐。心の中は荒れ狂っているのもかかわらず、いつものように無表情で城門をくぐっていった。
 トラキアの将軍ハンニバルとの会見を終えたリーフが複雑な表情でフィンの許にやって来た。ハンニバルがフィンの顔を知っている可能性があるため、フィンは同席しなかったのである。
「ハンニバル将軍は本当にすばらしい方だと思う。でも、なぜトラバントなんかに仕えてるんだろう?」
(それが騎士というものですよ)
フィンは口にはしなかった。
「ならばせめてこれ以上迷惑がかからないよう急いで発ちましょう。皆も十分とはいかなくとも休息は取れたはずですから」
 ミーズ城を出た後、ハンニバルが案内役にとつけた青年カリオンによって、リーフだと知りつつ保護してくれたこと、さらにレンスターの遺臣まで匿っていたことを知る。リーフは純粋に感謝していたが、フィンの心は複雑だった。
「それでもトラキアとの戦いは避けられないだろう。それはすなわち…」
言葉にすれば本当にそうなりそうな気がして、口を噤んだ。
「騎士故に…」
 騎士故に曲がったことを嫌い、騎士故に主君を裏切らない…。フィンの脳裏に一人の男性が浮かび上がった。ノディオン王エルトシャン。愚かな主君に忠誠を尽くし、その高潔な精神故に命を奪われた…。あの時も自分の主君がキュアンであったことに安堵した。しかし、彼等はそんなふうには思わないだろう。相変わらず幼稚な自分に腹を立てつつ、獅子王に思いを馳せた。
「決して敵わない方…」
 エルトシャンに対してフィンは深い尊敬の念と憧れを抱いていた。一国の王であると同時に騎士でもある彼の言動は見習うべきことが多かった。キュアンには何よりも忠誠心が先に来る。それはもちろん深い尊敬の現れであるのだが。だからこそエルトシャンに純粋に憧れたのだ。そしてエルトシャンは彼にとって大切なもののほとんどをフィンに託していた。その思いに報いたいと願いながら、フィンの許にはナンナしか残らなかった―。
 ナンナは絶対に放さない。そのためならばどんな責めを受けても構わない。騎士失格だと言われても。事実失格なのだろう。主君に忠誠を尽くさぬばかりか、自分に言い訳するがために大切な人を傷つける噂を立てられても平然とし、なおかつその噂を利用する…。自分の情けなさに反吐が出る。
「ナンナの聞きたいことはわかっている。だが…」
「山賊だ!」
その一言で、フィンは救われたように感じた。

 紫竜山の山賊を退治し、ダグダとタニア親子を救出したリーフは、その時初めてトラキアという国が抱える苦悩と自分達があまりに恵まれていたことを知った。一度もひもじい思いをしたことがない…。ターラ等で庇護を受けている時だけでなく、開拓村フィアナでも、そして三人で流浪の旅を続けている時でさえ…。そのことがどういうことなのか、やっとわかったのである。リーフは唇を噛んだ。
「フィン…」
「リーフ様…」
ナンナも同じ思いらしい。瞳に涙を浮かべている。
「ナンナ、僕は本当に子供だった。僕には知らなきゃならないことがまだまだたくさんある。そしてもっと強くなりたい!」
「私もです。いつまでも守られているだけなのは嫌です。リーフ様、足手まといかもしれませんが、これからも私を戦場にお連れください。少しでもお役に立ちたいのです。…それにもう離れるのが恐いのです。」
「足手まといなんかじゃない。君が側にいてくれるだけで、僕は強くなれる気がするんだ。…でも、無理だけはしないでほしい。それだけは忘れないで」
「はい!リーフ様」
 やっと笑顔を見せたナンナにほっとしたリーフは、今まで言えなかった言葉をあえて口にした。
「ねえ、ナンナ。フィンと仲直りしてくれないか」
「…別にお父様と喧嘩した訳ではありません」
再び瞳を曇らせたことを後悔しながら、どうせ言ってしまったのだからとリーフは続けた。
「それはわかっているよ。でも最近ナンナはフィンを避けてるじゃないか。フィンも寂しがってる。わかってるだろ?」
「………」
「僕にも言えないこと?」
真剣な瞳でナンナを見つめた。ナンナはその眼差しにたじろぎながらも、
「ごめんなさい、リーフ様。言ってしまうと私、自分自身が許せなくなります」
とリーフを見つめ返した。リーフはしばらく黙っていたが、
「ナンナ…。わかった。もう聞かないよ。でも、僕にとって二人は本当に大切な存在なんだ。だから…」
「わかってる。私もそうだもん。…あら、私ったら…ごめんなさい」
心の底からの笑顔だった。
(こんなに笑うナンナは久しぶりに見た気がする。…綺麗だ…)
リーフは安堵しつつ、その笑顔はずっと自分に向いていてほしいと願った。

 トラキア軍の攻撃を受けながらも、やっとのことでハンニバルの山荘にいるレンスターの遺臣達と再会したリーフ達ではあったが、そこでもフィンは攻撃を受ける羽目になった。
「どうしてラケシス様を放っておかれたのです?」
ドリアス卿の娘セルフィナである。密かにフィンに憧れていた彼女は、彼の妻に対する態度をどうしても許せなかったのである。そのせいでラケシスが去ったのだと思い込んでいた。戦闘中ということであしらいはしたものの、セルフィナの問いは胸に突き刺さったままである。味方が山荘に入るまで敵を引き付けてはいたが、戦いに集中することはできなかった。
(…普通ならこうくるんだろうな。だが、ナンナは相当溜め込んでしまっているからどうしたものか)
 娘との心の距離がどんどん開いていく…。何とかしたいと思いつつも何もできないでいた。娘がそういう年頃であるのは事実だが、距離を置いているのは自分の方なのだ。
(あの噂のせいか、ナンナは必要以上に自分を抑えるようになってしまった。昔は彼女に似て本当に快活な子だったのに。…ナンナを傷つけるとわかっていながら、私はあの噂を利用した。その報いは私一人が受けるものだと思っていた。だがそれは甘えでしかなかったのか…)
 全員が山荘に入ることができたものの、トラキア軍の総攻撃が始まろうとしていた。迎え撃つことは全滅を意味していた。絶望的な空気が山荘内を支配する。が、トラキア軍の動きに変化が現れた。それに気付いたドリアスが様子を見に行く。フィンもいつでも出撃できる態勢を取りながら窓の隙間から成りゆきを見守っていた。トラキア軍の中でも一際立派な飛竜が現れ、何かを命令しているようだった。それと同時にトラキア軍が撤退を始めたのだ。ハンニバルが何らかの手を打ったのだと推察され、山荘中が安堵に包まれた。
 しかし、フィンの瞳はあの飛竜に釘付けになっていた。遥か上空で姿はもちろん、声も届くはずもない。ましてやゲイボルグの光もない。それでも「何か」がフィンの心に突き刺さっている無数の刺の幾つかを刺激している。フィンは心にうずきを感じながら茫然と飛竜を見送った。

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