穏やかな日々はあっという間に過ぎ、リーフは十五歳になっていた。フィアナ村での三年間はリーフとナンナに子供であることを許し、それが心身共に健やかな成長をもたらした。それまで帝国の追っ手から逃れ、生き延びることが精一杯だったフィンにとっても、ようやくレンスター再興を現実的に考えることができるようになっていた。
(そろそろ動かねばならない)
とはいっても余りに大きな目的に対し何から手をつけるべきなのかフィンにもわかりかねた。三人ではあまりにも心もとない。
(グレイド達の消息…がつかめるといいのだが、ここは情報が無さ過ぎる。そろそろこの村から出るべきなのかもしれない)
「お父様!」
ナンナが息を切らせて家に飛び込んできた。
「大変です。ロンさんが昨日から帰って来ないんですって。これから皆で探しに行くのでお父様にも来てほしいと」
「わかった。すぐ行こう」
(何か嫌な予感がする…。無事に見つかるといいが)
思い掛けない出来事がフィアナ村での平穏な日々に幕を下ろすことになった。

 捜索は数日に渡って続けられたが、ロンは見つからなかった。そして一週間後―。
しばらく鳴りをひそめていた海賊が隣の村を襲っているという知らせがエーヴェルの元に届いた。エーヴェルは直ちにフィアナ義勇軍を召集し、救援に向かうことにした。その中にリーフがいることに気付き、驚いた。
「リーフ様、危険です。お戻りください」
「エーヴェル、僕も行くよ。…それとも僕の腕ではまだ無理なのか?」
そんなことはなかった。マリータには及ばないものの、リーフの剣の才能は目を見張るものがあった。それにここ数ヶ月の伸びは急激だった。しかし、実戦で使えるかどうかは別物である。天才だと思っているマリータでさえ、実戦には連れていっていないのだ。
「とにかくフィンに相談するべきよ」
「フィンが許してくれたんだ」
リーフのエーヴェルを見つめる瞳に嘘はない。
「…わかりました。では私の側から離れないでください。くれぐれも無茶をしないで」
 すでにリーフを一人で帰す距離ではなかった。フィンの真意を確かめたかったが、すでに馬で先行していた。エーヴェルは焦げ臭いにおいを感じた。隣村の上空に煙が見える。すでに先行隊が戦闘に入っているようだ。
「皆、急いで!もう始まってるわ」
 戦闘自体は呆気無いものだった。どっとなだれ込んだエーヴェル達に海賊達はなすすべがなかった。恐慌をきたし、逃げ惑う。逃げ場を失った海賊達は小柄な(周りが屈強なだけだが)リーフを見て「穴」だと思い、リーフに襲いかかる。リーフの動きはぎこちなかったが、確実に海賊達を斬っていく。エーヴェルは内心舌を巻いた。
(実戦向きね)
 海賊の脅威が去った後、他の者は消火や後始末をしていたが、リーフは興奮覚めやらぬ表情で立ちすくんでいた。それを見たフィンが慌てて駆け寄る。
「リーフ様、大丈夫ですか?」
「…」
(殺してしまったんだ…僕が)
「リーフ様!」
フィンはリーフの肩を揺さぶった。ようやくリーフは我を取り戻した。
「フィン…僕は」
リーフが思っていることはフィンには容易に想像できた。フィンが初めて戦場に立った時同じことを考えていたのだから。
「リーフ様、村を守るためには…いえ、レンスター再興を志す以上このようなことは避けては通れません。そしてお辛いでしょうが慣れてはいけないことです。ですが、受け入れねばなりません。戦う理由があり、それに立ち向かうのであれば、恐れてはいけないのです。それが覚悟というものです」
「覚悟か…。僕は甘かったのだな。でも、僕はレンスターを取り戻す。そして平和な国にする。その夢から逃げたりはしない。…恐いのは事実だけど。」
「それでよろしいのです。そして相手も人間だということを決してお忘れなきように。また、そのことで怯んでもいけません」
「…難しいな。でもそれが僕の戦いなんだ」
 少し大人びた表情を見せるリーフにフィンは今まで心に秘めていた思いと決別した。リーフに対する「父親」としての思いと―。

 フィアナ村に戻ってきたリーフ達は村の様子がおかしいことに気がついた。静かすぎるのである。様子を見に行ったハルヴァンが帝国兵がうろついていることを告げた。いきり立つオーシンをなだめるエーヴェルの顔面は青ざめていた。
「リーフ様、ここでお別れです」
リーフは信じられないといった表情で、
「村にはナンナがいる。僕達だけで逃げる訳にはいかない」
「ナンナ様は私が取り戻します。リーフ様は心配なさらないで」
「僕はもう逃げない、そう決めたんだ」
「フィン、貴方はどうなの?王子を危険な目に合わせていいの?」
「王子は十五歳になられた。もうご自身で運命は決められるお年だ。私は一人の臣下として王子のご意志に従う」
「…わかりました。フィンがそういうのなら私に異存はありません」
それがリーフの長い戦いの幕開けとなった。

 リーフ達はフィアナ村に入り、帝国兵との戦闘が始まった。エーヴェルのいう通り無理矢理徴兵された者が多い上に紫竜山からダグダ達が駆け付けたため、有利に戦いを進めていた。リーフの背後を守りながら、フィンは激しい後悔と戦っていた。
(ナンナ…)
今までもリーフやナンナを置いて村をあけることは多々あった。留守の間にこういう事態が起きる可能性も認識していた。しかしナンナまで海賊討伐に連れていけないのは確かだった。それでも何も対策を取らなかった自分を許せなかった。
(リーフ様が逃げることを選ばれたら、どうしたんだろう…)
リーフが間違いなく残って戦うことを選択するのは確信していた。しかし考えずにはいられなかった。
『決してナンナを犠牲にしない』
それは過酷ともいえる哀しい決意だった。そのためにナンナの父親を放棄することを自らに課したのだから。
 帝国兵を片付け、エーヴェルの家に飛び込んだリーフ。しかし、どこにもナンナとマリータの姿はなかった。呆然とするリーフに村人から事情を聞いたエーヴェルが沈痛な面持ちで事実を告げる。
「二人はレイドリック男爵に連れ去られたようです」
「何だって!…二人を助けよう!」
「ですが、リーフ様は…」
「もうこれ以上誰かを犠牲にして生きるのは嫌なんだ!」
リーフの脳裏に自分を助けるために自らの命を投げ出した人々の姿が浮かび上がる。リーフの知らないところでも多くの人々が犠牲になったことだろう。そして今、家族同然の存在が、何より大切な人が自分の身替わりとなってしまった。それを見捨てることなどできはしない。
 リーフの決意にエーヴェルも頷かざるをえなかった。しかし、エーヴェルは我が子が連れ去られたというのに何も発言しないフィンに不満が募った。
(いくらリーフ様に従うといってもあんまりだわ。でも…何を言わせたいの?)
フィンの無言の陰に深い苦悩を見たエーヴェルは、何があってもリーフを守ると心に決めた。

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