リーフ達がフィアナ村に来て一年が過ぎた。フィンは村の子供達に読み書きを教えたり、フィアナ義勇軍として周囲の村々を警備したり、借りた家の庭で野菜や花を育てたりして暮らしていた。フィンは、土に触れているのが好きだった。どこまでも続く大地。触れているだけで孤独を感じずにすんだ。自分を『空』と例えた人を自分もいつしか『大地』と重ねている。その日も土いじりをしながらエーヴェルと剣の稽古をしている子供達を眺めていた。
「ターラでさえもこんな落ちついた気分にはなれなかった。リーフ様もナンナものびのびしている。本当にあの方のおかげだ」
 フィンは心からエーヴェルに感謝していた。リーフとナンナはすっかり村の子供になっていた。といってもフィンとエーヴェルはそれなりに教育をしていたが。レンスターの再興を忘れた訳ではないからだ。フィンはリーフに王子としての教養を、エーヴェルはナンナとマリータに女性としてのたしなみを仕込んでいた。
 マリータには三人の素性を打ち明けてある。フィアナ村に来た当初、リーフとナンナに自分の居場所を取られるような不安で心を閉ざしかけたことがあったからだ。事情を知ってからは三人に心から打ち解けるようになったが、家の中では母に倣ってリーフとナンナを『様』付けで呼んだ。それでもマリータはナンナにとってかけがえのない親友となり、それがフィンには何より喜ばしいことだった。ナンナは人を引き付ける魅力を持って生まれてきていたが、自分からはあまり心を開くことはなかったのだ。
 フィンが剣の稽古をしばらく眺めていると、それに気付いたリーフは声をかけた。
「フィン!相手してくれないか」
久しぶりに剣を持つ。リーフは格段に腕を上げていた。一瞬本気を出しかけたが、百戦錬磨のフィンにはリーフはまだ敵ではなかった。息を切らせながらリーフは本当に悔しそうな顔をする。
「今日は勝てそうな気がしたのに」
「でも本当にお強くなられました」
パッと表情が輝く。
「本当か?じゃあ、僕にも槍をそろそろ教えてくれないか」
フィンはどきりとした。今まで敢えてリーフに槍を持たせてなかったからだ。平静を装いながら、自分にも言い聞かせるように、
「それにはまだ早いと思います。せめてマリータや私から一本とれるようになってからです。剣はランスナイトにとっても基本ですよ」
「だけど、フィンだって僕くらいの頃には槍騎士の訓練したんだろ?僕は父上のような槍騎士になるんだ」
「…お気持ちはよくわかります。しかし、この村の役に立ちたいと思っていらっしゃるのでしょう?それならばまずは剣で一人前になることです。山賊の持つ斧とは相性がよいことですし。それに早くマリータから一本取らないともう追い越せなくなりますよ」
リーフは少しムッとしたようだが、納得したようだった。
「わかったよ。とりあえず剣で一人前になる。マリータ、相手してくれる?」
 子供達が稽古を再開したのを見てフィンは家に戻ろうとした。
「もうよろしいのでは?リーフ様も望んでいらっしゃるのに」
「エーヴェル…。ランスナイトでも馬を降りれば剣を使う。それに剣はどのような局面にも対応しやすいこともある。何より光の剣はエスリン様が残されたものだから…」
「それだけ?」
「…今リーフ様に槍をお教えすれば、きっと傷付かれる。お心がしっかりなさるまでは」
 地槍ゲイボルグが使えない―そのことがリーフの心に影を落としていることをフィンは気付いていた。リーフの姉アルテナがゲイボルグの継承者として生まれてきた以上仕方のないことである。ただゲイボルグの継承者であるキュアンもアルテナもイード砂漠で消息を絶ち、ゲイボルグの所在も不明である。継承者がいなくなった場合どうなるのかレンスターでは知るものはいなかった。アルテナが死亡していた場合リーフが継承者になれるものなのかも分からなかったが、無知がリーフに無言の圧力をかけていた。
 しかしフィンは神器が使えるかどうかがリーフの価値を左右するものではないと思っている。だからリーフがそのことを口にしない限り自分から触れることはないだろう。しかし父の記憶がないだけリーフのキュアンに対する感情は偶像崇拝に近いものがある。そのため今の時点で槍をリーフに持たせればゲイボルグに妄執するのではないかという不安があった。それはリーフ自身が乗り越えねばならない壁である以上フィンは時期を待つということしかできなかった。
「ゲイボルグのことね」
(少し、話し過ぎたか)
と後悔しながらフィンはエーヴェルを見た。
(それにしてもいつの間に剣の腕を磨かれたのだろう。しかしぎこちないような気がするのはあの姿を知っているからだろうな)
 フィンの記憶にある彼女の勇姿は神々しいほど美しく、また鬼神のように強かった。今のエーヴェルには往時の光はないが、それでも紛れもなく彼女であると確信していた。村に住み始めてしばらくした頃、フィンはエーヴェルがフィアナ村の領主になった訳と彼女が記憶喪失であることを知った。そのためエーヴェルの過去について触れることはなかった。最初はエーヴェルの口調に戸惑いを感じていたが、それにも慣れた頃、これが彼女の本質なのだろうと思うようになっていた。
「フィン、どうしたの?」
「いや、ちょっと考え事をしていた。」
フィンの視線が子供達に移る。所在なさげなナンナが目に入る。
「もう少し、リーフ様を見ていてもらえるか?」
「ええ」
エーヴェルが頷くと、フィンはナンナを呼んだ。
「ナンナ、乗馬の練習をするか?」
 ナンナは目を輝かせて頷いた。リーフとマリータは少し羨ましそうだったが、ナンナが喜んでいるのを見て、今日はフィンをナンナに返そうと剣の稽古に打ち込んだ。エーヴェルはその中に入っていったが、頭の中では先の話で自分が口にした『ゲイボルグ』という言葉やそれに関連する言葉が渦巻いていた。

 フィンはしばらくナンナに乗馬を教えていたが、ナンナの浮かない表情に気がついた。
「どうした?ナンナ」
「私には剣の才能がないのでしょうか?」
父に誘われた喜びで素直について来たが、もしかしたら稽古の足手まといだったのかという思いが膨らんできたためだ。
「そんなことはない。お前はヘズルの血を引いているのだから。私はナンナにはトルバドールとしてまずは杖と乗馬の腕を磨いてほしいと思っている。杖はお前にしか使えないから期待しているのだが、嫌か?」
「本当ですか?」
「ああ」
「嬉しいです」
そう言ってにっこり微笑むナンナ。そんな娘の姿にフィンは、
「リーフ様には内緒だぞ」
ナンナの後ろに乗り、馬を走らせた。

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