三日後―。ようやく目を覚ましたフィンの耳に子供の笑い声が響いてきた。その声に誘われてフィンは家の外へ出た。そこでフィンは村の子供達と遊んでいるリーフとナンナの姿を見た。今まで見たことのない本当に子供らしい笑顔だった。フィンの胸は痛んだ。これまでも行く先々で友達を作っていた子供達だったが、思いきり遊ぶということはほとんどなかったのである。夢中で遊んでいる子供達に声をかけるのを躊躇っていると、
「傷は痛みますか?」
エーヴェルが声をかけてきた。
「三日も眠り続けていらしたから、お二人とも心配されて…。単なる睡眠不足だって納得させるのに苦労しましたわ。…ちゃんと寝ることもできなかったのね」
フィンは苦笑する。
(そういえば熟睡するなど十年以上なかったな)
「とりあえず何かお腹に入れないと…」
 エーヴェルはスープを勧めた。久しぶりの食事に一瞬胃が悲鳴をあげる…が、それはすぐに喜びに変わる。食べ終えた後、フィンは旅の事情をかいつまんでエーヴェルに話した。フィアナ村から少し離れた森で山賊に襲われ負傷したこと、そして三人で旅をしている理由はいつものように適当にはぐらかした。
「ではあの山賊団を潰したのはあなたでしたのね?感謝しますわ。あの森を根城にしている山賊どもに手を焼いておりました。フィアナ村には手を出さず、離れた村ばかり襲うのでいつも後手後手に回ってしまって…。こちらから討って出る訳にもいきませんし」
「そうでしたか…」
 エーヴェルは驚愕した。自分の腕でも追い返すのがやっとなのに(殺すことが目的ではないからでもあるが)、この穏やかな表情をした男は全滅させてしまったのだ。しばらくの沈黙の後、エーヴェルはこの二、三日考えていたことを口にした。
「もしお急ぎでないのなら、しばらくこの村に留まってくださいませんか?山賊や海賊の被害が後を絶ちません。貴方の力をお借りしたいのです」
理由はそれだけではなかった。あの子供達を育てたい。その思いがエーヴェルの心でだんだん大きくなっていたのだ。なぜそう思うのか自分ではわからなかった。子供達が愛おしい、ただそれだけだった。
「えっ、それは…」
 その時ドアが開いて三人の子供達が入ってきた。リーフとナンナ、そしてエーヴェルの養女のマリータである。フィンが起きているのを見てリーフとナンナは駆け寄って抱きついた。
「お父様、よかった…」
ナンナは涙ぐんでいる。リーフは照れた表情で、
「いつまでたっても起きないから心配したんだぞ」
「ご心配かけて申し訳ありません。もう大丈夫ですからご安心ください」
フィンは微笑をたたえて子供達を見つめた。すっかり安心したリーフがエーヴェルに声をかける。
「エーヴェル、今日は剣の稽古まだだぞ」
「今日はフィン様が起きられたのですから、お休みにしましょう。これからのこともお話ししなければならないですから」
リーフは膨れっ面をしながら、
「じゃあ、マリータと練習してくる。ナンナはフィンについてる?」
「いえ、私も参ります」
「もうすぐ夕飯ですからそれまでに帰って来てくださいね」
元気よく返事をして子供達は出ていった。意外そうな表情のフィンにエーヴェルは、
「リーフ様もナンナ様もよほどショックだったのでしょう。強くなりたいとしきりにおっしゃってました。私は剣の心得がありますので、差し出がましいとは思いましたが、稽古をつけさせていただいてました。」
「貴女が剣…ですか?」
「女は剣を持つなという意味ですか?」
鋭い視線をフィンに向ける。フィンは慌てて言い繕う。
「そ、そういう意味ではありません。違う武器をお使いだと思ったものですから…」
「斧ですか?」
「い、いや…」
互いに顔を見合わせ苦笑する。フィンの表情がすっと真剣なものに変わった。
「ところで先ほどの話の続きですが、こちらに置いていただけるのならお話ししなければならないことがあります」

 フィンの話が終わり、エーヴェルは深い溜め息をつきながら言った。
「深い事情があるとは思っていましたが、まさかリーフ様がレンスターの王子でナンナ様がノディオンの姫君だったとは…こんなこと私に話してしまってよろしかったの?」
「多少は察しておられたのでしょう?」
 子供達が高貴な生まれであることはエーヴェルにもわかっていた。ナンナがリーフの名を呼んだ時点で彼等が何者なのか理解すべきだったのだ。辺境のフィアナ村にもレンスターのリーフ王子の名は届いていた。希望の象徴として。しかしエーヴェルはリーフ王子の生存の噂は圧政に喘ぐ民衆の願望にすぎないと思っていたのだ。まさか本当に生きているとは。北トラキアを支配するフリージ家(実際はロプト教団によるところが大きいのだが)の横暴とその副産物の治安の悪化はエーヴェルもよく知っている。そんな中でリーフとナンナを守り続けたフィンの苦労を思った。フィンは言葉を続けた。
「…何より貴女は信頼できるお方だと思っています。リーフ様もナンナも貴女に懐いておいでのようです」
「あの…ナンナ様と貴方とは?」
「ノディオンのラケシス王女は私の妻です」
そう言ったフィンの表情に影が差した。
「…そう…ですか」
「エーヴェル様、いつご迷惑をお掛けすることになるかわかりません。今お話ししたことはお心にしまっておいてくだされば、このまま出て…」
「でも、行く当てはないのでしょう?こんな田舎にまで帝国の追及はなかなか来ませんわ。ですからそのときまでは」
「ありがとうございます、エーヴェル様」
「『様』付けで呼ばれるような人間ではありません。呼び捨てで結構です。私も貴方のことは呼び捨てにさせていただきます。それにそんなに丁寧にお話しにならなくても構いません。お二人の教育にはよろしくないのかもしれませんが、下手に目立ってしまいますから」
 フィンとエーヴェルで話し合った結果、フィアナ村にいる間は、
・フィンは旅の傭兵で恩人の息子のリーフを預かっている。
・エーヴェルがフィンの腕を買い、フィアナ義勇軍にスカウトした。
・リーフとナンナは村の子供達と同様に扱う(人前では『様』をつけない)。
ということにした。こうしてリーフ達三人はフィアナ村の住民となった。元山賊だった村人も少なくないため、詮索されることもなくあっという間に村に溶け込んでいった。

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