月さえも眠る夜〜それぞれの夜明へ〜

13.再び・クラヴィス



「私の話、聞いてらっしゃいます?」
森の湖で、傍らに腰掛けるアンジェリークに問われて、私は我に返った。
聞いて、いなかった。
「何か、気になることがあるのなら仰ってください」
心配をかけてしまったようだ。
申し訳なく思い、微笑みの消えたその頬をかるくなぜた。
「アンジェリーク」
「はい?」
「陛下は ―― 」
言いかけて、私は質問を変えた。
「いや …… おまえは何故女王が婚姻していけない定めであるのか、その理由を知っているか?」
アンジェリークは怪訝な顔をした。
知らない、のだろう。
私とて、知ったのは偶然といっていいようなものだ。
代々の女王は、即位後にその事実を知るのだろうか。
それとも、知らされずにいるのだろうか。

◇◆◇◆◇

それは幼い頃に前任の夢の守護聖から聞いた、昔話だ。
彼の故郷に古くから伝わる物語なのだと、彼は言っていた。

遥か昔、宇宙にそれを統べる者はいなかった。
ただ、鳳凰の姿をした「宇宙の意志」と呼ばれる神鳥がすべてを見守っていた。
あるとき、宇宙に人という種族が生まれた。
人は増え、繁栄する。そしていつしか彼等は天を忘れた。
争いが始まり、天には嘆きの声がこだまし、地には紅の涙が河となった。
神鳥は言う

『穢されし地より人を滅し、天(うちゅう) 新たに誕生すべし』

それを知った人の中で、翼をもった種族 ―― 飛龍族の長の娘が言った。
『我らの父たる大いなる宇宙の意志よ。我ら人はあなたによって生れし生命。
穢れた故にそれを滅ぼし清めると言うのか。
ならばなにゆえ我らを生んだ?滅ぼすために生んだと言うか。
意志よ。それでも己が正しいと言うのなら
まずこの身を切り裂きて、その血をもって天を清めるがいい』
神鳥は応えた。
『我に同じ白き翼を背に持つ娘よ。ならば汝がこの天を統べてみよ。
汝に九つの力を与う。
生命の光 安寧の闇 武き炎に治癒の水
栄明の鋼に豊潤の緑 果敢の風に叡智の地
そして、儚くも美しき夢。
人の子よ。汝がこの天の「母」となりて導くがよい。
慈愛を持ってこの天を導いてみよ。
この穢れを清め、天の嘆きを、地の涙を、すべて消し去ってみよ。
―― 汝
宇宙の母故に人の子の母と為ること勿れ。
この禁破られし時 即ち 天の崩壊の時』
娘はこうして、暴虐に満ちた世界の償いのためこの宇宙を導く王となった。
そして今でも、この娘の意志を継ぐ尊いひとが独り、この天を支えていると言う。

◇◆◇◆◇

ただの創世の物語だと、そう思っていた。
しかし意外な人物の口からこれが史実であることを私は知らされる。
昔、共にこの物語を聞いていた男 ―― ジュリアス。
彼は、白飛龍族の最後の生き残りからそれが史実であるとこと、そして、現女王の三代前の女王がその禁忌を破ったという事実があること、さらにはこの物語には語られなかった続きがあることを聞かされたのだという。
禁を犯した女王の血筋にはある呪いがかけられると。
それは。
―― 愛別離苦。
母と子の間に、否応無く引き裂かれる定めが待ち受けているというものだった。
宇宙の崩壊は、先の宇宙の大移動によって阻止された。
しかし、禁を犯した女王の血筋にかけられた呪は、今も消えずに。

過ち、だったのだというのだろうか。
名も知らぬ、遠い過去の女王。
幼い日に出会った、梨の花の精の ―― 母。
だが、その『過ち』の先に、出会う命があり、生まれる命がある。
新たに生まれた命を思うなら、もうそれは既に『過ち』などと言える訳が無いのだ。
確かに、あの宇宙の危機が無ければ逝かずに済んだ命もある。
その半面で、あの宇宙の危機があって初めて育まれた愛情と、その先に生まれた生命もあるのではないのか?

私は、頭上に枝を広げる大樹を見上げた。

―― そのわかれ道を、この大樹の枝葉にたとえるなら、私の現在はどのあたりになるのでしょう

先ほどの、女王候補の言葉がよみがえった。
そういう、ことなのだろう。
己の意思の関係ないところでも、あの大樹のような枝分かれが存在している。
起きなければ起きなかったで、今とは違う別の結末が用意されているだけのことだ。
人である身で、どちらがよかったのかなど、知る術はない。
今在る形を。
よいと思うか、悪いと思うか。
それはすべて、己自身にゆだねられている。
死んでいったものたちはただ。
―― 己の司る力を信用するのなら。
ただ、安らかであるはずだ。

唐突な質問をしたまま、黙った私を静かに、けれど心配そうな表情で見守っていてくれたアンジェリークを抱き寄せる。
「 …… 案ずるな」

案ずることは何もない。
今は、まだ。
昨夜水晶球に映し出されたひとつの予兆が現実となってこの宇宙に降りかかるのは、まだ先の話だ。
たとえそれがあきらかな凶兆であったとしても。
ただ、この試験が終わる前にあの男に、ジュリアスに伝えるべきか。
この神鳥の宇宙にかけられた呪いと、それゆえに破ることのできない禁忌。
その禁忌を破った女王とその血を継ぐ者たちが、どのような運命をたどっているかを、痛いほど知っているあの男に。

この女王試験の結果が重要な鍵となる。
神鳥の理を受け継ぐ必要の無い、新宇宙と新たな女王の誕生。
そして新たな宇宙の意思。
このままいけば ―― アルフォンシア、か。

やはり、試験が終わるまで言わずにおくべきなのだろう。
あの娘に、選択の余地を与えるために。
結果新宇宙に女王が誕生しなかったとしても、その時は、その時の結末が用意されているだけだ。
この身勝手な決断が後に『過ち』といわれるのなら。
それは、それでよかろう。

そう思い、アンジェリークをいだく腕に力を込めた時。

―― うなぁ

うなぁ、だと?
「…… いまの声は、何だ」
「だから、さっきお話したじゃないですか。全然聞いていらっしゃらなかったんですね」
アンジェリークが呆れたふうに眉を寄せた。
そして、私は気づいた。
アンジェリークの胸元にぬくぬくと丸まっている、それに。
私は、それ ―― 黒い子猫をつまみ上げた。
まさか、飼う気か。

「庭園で商人さんから頂いたんです。『今ならお買い得や!いや、もう、おおまけにまけて、タダや!もってけドロボー』って」

それは、捨て猫をていよく押し付けられたと、言うのではないの、か?
「猫は、昔飼ってたって、お話しましたよね?あなたも、飼ってたのでしょう?」
「私が、飼っていた訳ではない」
―― 五白(ウーパイ)
額と四本の脚に白いぶちのある、黒い猫。
メイファン殿の飼い猫で、彼にによく似ていて。
ジュリアスとふたりあの夢の館の庭でよく遊んだ ―― 。

「そんなに、嫌そうな顔しないでください。私が、自分の家で飼うんですから、どうだっていいでしょっ」
あの男のことを思い出して思わず嫌な顔をしたのを誤解されたらしい。
しかし。
『自分の家で』だと?
ずっと、別々の家で暮らす気でいるのか。
「名を、決めねばな」
「私の猫です。自分で決めます」
まだ、拗ねているようだ。

「同じことだ。この試験が終わったら、私の館へ来い。その猫も一緒に」

アンジェリークはしばらくぽかんと私と、猫とを交互に見やっていた。
「私が、遊びに行くときに猫も連れて行くんですか?」
…… そういう意味ではない。
私は軽くため息をついたあと、彼女にくちづけをする。

「共に暮らそうと言っている。おまえが必要とする形式や儀式があるなら好きに決めればいい」

彼女の表情が驚きから笑顔にかわる。
膝の上で猫が小さく。
うなぁ。
そう鳴いた。



一言メモ:
創世の物語については「海堂の夢 ―― 昔語り:金の蘭」で既出。
そういえば、クラヴィスのプロポーズを書いたのははじめてだ。
「らしい」と思っていただけた、でしょうか。

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