梨花の散る夜に

エピローグ―――和やかな愛


遠い昔のことを思い出すうちに、いつのまにか顔を出した、満月に近い月の光を受けて白い花は一層幻想的に闇に浮んでいた。

ふいに少年は舞い散る梨花のと闇のあいまに人影を見つけた。
黒い髪を結わずに春の風に流されるまま、彼はそこに居た。
一瞬、少年は自分の同僚かと思い、声をかけようと立ち上がったが気付く。
―― 違うアイツじゃねえ。

むせ返るように舞う花弁
振り向いたその青年のやさしい、黒い瞳。
昔、見覚えのある辺境の惑星の民族衣装。
風にゆれる黒髪の中、一房だけ白い前髪。

青年は舞い散る梨の花弁を扇で受け留めるかの如く典雅に舞いはじめた。

庭樹知不人去盡 ―― 庭樹は知らず 人の去り尽くすを
春來還發舊時花 ―― 春来(しゅんらい)(また)(ひら)く 旧時の花

庭の木々よ、咲く花よ
かつてここで遊び
また恋を語らった人々の去りゆくを知っているのか
めぐり来る春の日
集い来る人々は変われど 咲く花は昔のままに


何処からか、琴瑟の音が聞こえてくる。
舞いと、琴の音と、散る花と。
それらは調和して幻のように、夢のように…
そして、視線の隅に入った琴を奏でる女性
少々気の強そうな口元と弧を描く眉
艶やかな黒髪を飾るのは銀の ―― 銀の簪。
青年が此方を向いて笑ったような気がした。
―― 皆で酒盛りとは羨ましい。我らも仲間に入れてくれぬか、少年 ――

美幻!
そう声を出して叫んだと思ったその時、ゼフェルは梨の木の下で目を覚ます。
起き上がってなお、あれが夢だったという実感が湧かずにしばらく呆けながら花を見ていて
「…… そろそろ時間だそうだ」
かけられた声にゼフェルは振り向く。
闇に紛れるように立つその人は、今度こそ間違いなく闇の守護聖であった。
そして、珍しく、というより奇跡に近いように連れだっているのは光の守護聖だ。
「…… いつからそこにいたんだよ」
ゼフェルはきまりの悪さを隠すように、紅の瞳で軽く2人を睨み付けながらそう言う。
それには答えずにクラヴィスはくつくつと笑うと白い花をみやる。
「……おまえも逢ったのだな?永久の夢の住人と、彼が守る梨の花の精に」
ゼフェルは目を見張る。
「知ってるのか?知ってるんだな?なんで……」
驚きを隠せないでいる少年にジュリアスは言う。
それこそ少年には信じられないような穏やかな笑みを浮かべつつ、そして彼自身、何かを思い出すように。
「先代の夢の方には良く世話になったものだ。クラヴィスも、な」
「!じゃあ、梨華の方は……」

先先代の陛下にあらせられる ――

ジュリアスの言葉を、少年は信じられない心持ちで聞いていた。

◇◆◇◆◇

向こうの方で、マルセルやランディが、準備ができたと呼んでいる声が聞こえる。
リュミエールが奏でているのだろう。
風に乗って美しい竪琴の音が流れた。

ジュリアスは皆の集まる四阿へ足を向ける。
ゼフェルもそちらへ行こうとして、梨花を見たままのクラヴィスに気づき、声をかけた。
「アンジェリークは?」
「…… 後から、ロザリアと来るらしい」
「そっか」
そして、少年は思い出す。かつで夢うつつでした老人との約束を。
「なあ、おっさん、この花、綺麗だと思うか?」

―― 聞いてはくれぬかあの闇の者に。そなたは闇に咲く白い花を、美しいと感じることができるようになったか、と

クラヴィスは花から目をそらさず答えた。
「 美しいと、今はそう思う」
口の端に微かな笑みさえ浮べて。

だってよ、じーさん。聴いたか?安心しろ。
ゼフェルは心でそう語り掛けた。

「クラヴィス様。あ、ゼフェル様も。こちらにいらしたんですか?早く早く。ほら、もう皆あつまって…」
アンジェリークがふたりを呼びに来る。
「だそうだ。行くか」
「ああ。」
そう言って歩き出す彼等を見守るように梨花の老木はそこにある。

このあと幾つの季節が流れても、愛でる人々が変わっても、きっと、そこにある。
この地で生きる人々の物語をその年輪の記憶にして、ずっと、ずっと。



漢語で「別れ」を意味する梨の花の花言葉は ―― 和やかな愛

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