梨花の散る夜に

(七)―――廻る、季節


春は、春は寂々と過ぎ、そして新しい季節が訪れる。
季節は廻りまた梨花は同じように花をつけたんだろう。
けれど、それを愛でた奴はもう、帰ってはこない。


満開の桃・散る梨花・ゆれる柳   光る風・馨る風・蒼い風
走る稲妻・遠い雷鳴・濡れた土の匂い   万緑・木漏れ日・蝉時雨
高い空・ 琥珀の夕暮れ・冴える月  紅葉(もみじ)の紅・実りの穂・舞う木枯し
初雪・粉雪・粗目雪    根雪・雪融け・名残雪
そして、まためぐり来る春 ――

幾つの季節の風景をあの場所で俺は眺めただろうか。
あれからできる限り俺は燕子庵を尋ねた。
(あの石頭はそれを知ってか知らずか、何も言わなかった)
美幻の死後、燕子庵を独り守っていく幼い棠花が気がかりだってこともあったし、なによりも俺自身、あの場所は変わって欲しくないと願っていたからだと思う。
棠花は俺が驚くほど凛としてそれからの日々を暮らしてた。
時折見せる幼さや、隠し切れない悲しみがあったとしても。

あるとき、万緑の最中をいつもと同じように燕子庵をの門をくぐった俺は、この惑星に来るのはこれが最後だってことを悟った。
その陽射しが世界のすべての色を生き生きと見せているそんな季節。
容赦無く照りつける太陽。
優しい木漏れ日
むせ返る草息れ
庭の朝顔に水を撒いている棠花がいつのまにか
いつのまにか
幼い女の子から ―― 自分とあまり年の変わらない少女に変わっていることに気付いたその時に。
その横顔を見たときに微かに鼓動が早くなったような気もする。
でも、俺はそれに気付かないフリをした。
そうでもしなけりゃ ―― いや、なんでもねえや。

―― 大昃(ぜーにいさま)?来て下さったのですか?

何かを伝えたいように啼く孔明の声に気づいたのだろう。
そう言った棠花の声が聞こえる。
彼女が海棠(かいどう)の花のような笑顔で振り向いたであろうその時、すでに俺は燕子庵を後にしていた。
俺は振り向かず走って、走って、走って……

そして、俺はその惑星に別れを告げた。



変り栄えのしないような聖地の毎日。でもその中でも少しずつ、時は動いてた。
カティスとの別れ、新しい後輩。幾つかの事件、そして女王試験。
そんな中で、けして忘れないと誓ったあの惑星での日々が、いつしか淡くぼやけていることに気づく。
忘れた訳じゃあない。でもあの梨の散る夜に俺の胸を塞いだような痛みはもう消えて、ただ、楽しかったという、暖かな記憶だけが俺の中に残ってる。
そして俺も、少し大人になったかもしれない。背も、少し伸びたんだぜ。
(…… 5ミリ ……)

女王試験の最中、今となってはそれも懐かしいあの飛空都市で、俺はふと、美幻の言葉を思い出したことがある。
それは、今じゃあ押しも押されぬ女王補佐官のアンジェリークが、まだ頼りない女王候補で、良くできたオルゴールを直して欲しいと持ってきた時だ。
そのオルゴールはディアのものだった。
(「月さえも眠る夜:闇をみつめる天使・闇をいだく天使」参照)
もしも、ものに魂が宿るとしたらそれは2つの方法がある。
一つは作った人の想い。
もう一つはそれを大切に慈しんで使ってきたひとの想いだ。
その、前任の鋼の守護聖が作ったっていうオルゴールをみて、俺はふいに梨華の銀簪を見た時と同じ想いにかられた。
長いこと、時を止めてたオルゴール。それでもなお大切にされてきたそれを直してたら、彼等の想いが、ただの「モノ」であるはずのそれから、明らかに伝わってきたんだ。
以前じーさんが俺に言った「鋼の力とはそういうもの」という言葉の意味はきっとこういうことなんじゃねーかとあのとき思った。
それでいいよな。美幻。
そして、前任の鋼の守護聖さんよ。

俺、今なら解かるぜ。前の鋼の…… あんたがどれだけこの聖地を美しいと想い、大切に想い、離れ難かったか、ってことが。
深い悲しみを抑え切れなくて、その先に口走ったことがあの言葉だったってことが。
俺もディアによく怒られた。
「一度口に出した言葉は取り戻せない」って。
解かってるつもりでもいつも言葉が先走って相手を傷つけちまうときもある。
そのつもりはねーのにな。
あんたもきっと、同じだったんだな。
そう思うぜ。


しかし、じーさん。
あんたいったい何もんだったんだろーな。まったく、とんでもなく侮り難いじいさんだぜ。
今、オリヴィエの館の庭の梨は満開で、燕子庵の庭を思い出す。
あんまし綺麗で …… 昔カティスがいってたみてーに、そうだな、漢詩でも詠えたら楽しいのにな。あんたのように。
じーさん
あんたに逢えたこと、よかったって思ってる。ほんとにそう、思ってる ――






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