梨花の散る夜に


(参)―――破天青(そらやぶるるところのあお)


―― して、クラヴィスやジュリアス達は元気か

じいさん?なんでそんな名前を知っているんだ?ああ、そうか、俺はよっぱっらって寝てるのか。
これは、きっと夢だ。あの猫と狗があんまり奴等に似てたから、こんな夢をみてるんだな俺は。
夢のなかだけどいちおう答えてやるぜ。

元気なんじゃねーか?たぶんな。キョーミねえからしらねえけどよ。

なんだよ。ンな顔すんなよ。しらねーんだからしかたねえだろ。
え?仲間だろうって?『金の蘭』?なんだそりゃ。
かけがえのない友人?
げろげろー。
冗談きついぜ、じーさん。あいつらが仲間だって?
……可笑しくて、涙がでらあ
仲間なんて、いらねー。
ああ、いらねーよ。
……ひとりで、十分すぎらあ
ルヴァ?……そりゃ、世話にはなってっけどよー。
とろくさいったらありゃしねえぜ。

俺は、仲間なんかいらねえよ……

な、なにいってんだよ。俺がクラヴィスに似てるって?
どこが?!
おれはあんなに暗くねーぞっっ!!!

子供なところが似てる?
なんだそりゃ。
(俺がガキあつかいされたことよりも、アイツが「子供」と評された事実のほうが心底恐ろしいぜ。俺は)

心を言葉にすることが苦手な所も似てるって……おい、わかったよーな口聞くんじゃねーよ。怒るぜ、マジでな。
でも、ガキっていやあ、クラヴィスよりもジュリアスの方がガキくさくねえか?
あの融通がとことんきかねえ、石頭具合なんかがよう。

な、そうだろ?
意見が合ったな、じいさん。嬉しいぜ。へへっ。

今の夢の?
ってオリヴィエのことか?
べつに普通じゃねえか?いや、変人ではあるけどよ。なんか、こう、ひょうひょうとしてっぜ。
気になるのか?ふーん。まあ、いいや。

ああ、今でもあるぜ。梨の木だろ?昼寝すんのにちょうどいいんだ。
頼み?べつにいいぜ。忘れなきゃな。
別に意地悪で言ってるわけじゃねーよ。だって、これ夢だろ?起きて覚えてるかどうかなんて、わかんねえじゃねえか。

―― 聞いてはくれぬかあの闇の者に。
そなたは闇に咲く白い花を、美しいと感じることができるようになったか、と



……頭が痛てえ。
がんがんする。
そうだよ、理由は解ってる。あのあと梨華(リーホア)のばーさんが、自分も飲むと言って奥から杏露酒(シンルーチュウ)を持って出てきやがった。
一杯貰ったが甘ったるくて俺はちょっとごめんだなっていう酒だった。
(マルセルなら気に入るかもしんねーけどな)
口直し、とかいって美幻(メイファン)が勧めた酒を空けたのが運の尽きだ。
あのじじい、なんだってああも、ひとに酒を飲ませるのが上手いんだ?
しかも、自分は底無しに酒に強いと来てやがる。カティスと張るぞ。あれは。
おかげで、昨日の夜、俺はどんな話をしたのかあんまり覚えていない。
というか、昨夜会話の何処までが現実で何処までが夢なのかわからないと言った方が正しいだろう。
「少年老い易く学成り難し」の話は覚えている。
そして「金蘭の交わり」の話も。
あれ?あれは夢だったろうか?まあ、いいや。
そんなふうに昨日の晩の記憶を辿るのは適当に切り上げ俺は二日酔いで疼く頭をかかえて寝台から起き上がった。
少し、寝過ごしただろうか。外はもうある程度日が高い。
窓から見える空は、秋特有の高く澄んだ空だった。その空の色からは想像もつかないが、明け方に細かな雨が降ったらしいことが、青い青い露草が雫で濡れていることから判る。
いや、逆にこの澄んだ空は、雨がすべてを洗い流したからこその色なのかもしれない。
ひんやりと、心地よい空気が流れ込み、同時に何処かで咲いている金木犀の甘い香りがした。

昨夜飲んだ居間らしき部屋(俺の知ってる文化圏とは全く違って、なんて呼んでいいかわかんねえけど)へいくと、そこには家族3人の団欒の姿があった。
幸せな家族の光景に、何故か心が痛むような気がしたが、きっと気のせいだ。
俺に気付いた棠花(タンホア)が元気よく挨拶してくる。
「あ、大昃(ぜーにいさま)。おはようございます。良く眠れましたか?」
それに続いて梨華(リーホア)も笑っていう。
「おやおや、その顔は二日酔いじゃの。ほほっ」
美幻(メイファン)は、あだけ飲んだくせに、酒の名残なんて微塵も感じさせない顔で座っている。
「良い夢はみれたか。少年。若いうちの二日酔いも経験のうちぞ」
そう言って、くつくつ笑った。
―― 侮りがたし、じじい。
おれは、内心そう呟いた。

◇◆◇◆◇

その後、棠花と梨華の二人は、買い物だと言って街へ出かけて行った。
出掛けに二人が準備してくれた遅めの朝飯を食いながら、俺は卓上の木箱に気付く。
それは、昨日棠花が抱えていた箱だ。中にはあのひびの入った磁器が入っているのだろう。
「なあ、じいさん。あんまし、その、棠花のこと叱んねえでやってくんねえか?」
もっとも、説教が俺の寝てる間に終わっちまってたら意味がないのだが。
俺の言葉にじいさんは嬉しそうに笑う。
「やさしいのだな、少年」
「な、なにいってやがる。俺はただ ――」
なんて言っていいのかわかんねえでいる俺に美幻(メイファン)は続ける。
「叱ることなどするまいよ。あれは正直に話して、謝ったゆえ。隠して白を切るようであれば、叱りもしたろうがな。
この青磁が割れたなら、それはそういう廻りであったのであろう。何も惜しむことはあるまい」
美幻はどこまでも穏やかだ。
「……それ、捨てちまうのか?」
自分の気持ちが矛盾していることに俺は気付いている。
棠花は叱らないで欲しいと確かにそう思った。でも、大切にしていたものだったと聞いていたその青磁を、そうもあっさりと『惜しむことはない』と言った彼がどこか薄情にも感じられたのだ。
物にだって心はあるんじゃねえかと俺は思ってる。
だから……
「使えなかくなったからといって、捨ててしまうは薄情かと思うか?」
俺の心を見透かしたように美幻が言った。その黒い瞳が優しく笑っている。
俺に答える言はなかった。
「心配することはない」
美幻(メイファン)はゆっくりと箱を開けそれを包んでいる布を解く。
現われた磁器は今日の空と同じ色をしていた。
「繕いをしようとおもうてな。いま、棠花(タンホア)達がその材料を仕入れに行っておる」
「繕い?」
聞きなれぬ言葉に俺は思わず聞き返した。
「この様にひびの入った陶器や磁器を、金を混ぜた鋼でつなぐのぞ。
その線がまた偶然の為し得る模様となって風情がある。
物を大切にする心よりいでた技術にあろうが……。人とは、面白いことを考え付くものよの」
さて、こちらも準備をしようか、といって立ち上がる美幻むかって俺は思わずこう言っていた。

「それ、俺にやらしてくんねーか」
と。


「ほう、ほう、ほう。器用じゃのう。流石、流石。美幻はえらそうにしておるが、てんで指先が不器用で。
文句があるかえ?ほんとのことではないか。ほれ、火傷には、気をつけるのじゃぞ」
梨華(リーホア)ばーさんが、美幻に教わりながら「繕い」をしている俺を後ろから覗いて楽しそうに喋る。
(はんだ鏝は持参だぜ。いつだって携帯用工具セットは持ち歩いてるからな。へへん。)
『不器用』呼ばわりされて、美幻のじーさんは少々不満そうだが、否定しない所をみると事実なのかもしれない。
大昃(ゼーにいさま)、上手なのですね」
棠花(タンホア)もはしゃいでいる。
「あんまし、近くに寄るとあぶねーぞ。タンホア」
そう言いながら、俺は考えていた。それは、以前から思っていたことだ。

鋼の力とは、何だろう?

完全に均衡のとれた世界を象徴するような聖地の風景。
光に闇に、水に炎、地に風に緑に夢。
それらがどれだけあの風景を美しく彩っているか気付かないはずがない。
でも、あの中で鋼の力の務めている役割など、あるんだろうか。
人を堕落させることこそあれ(他の力だって過ぎればそうだけどよ)この力は、本当に必要なんだろうか ――?
前任のあいつ、あいつはどう思っていたんだろう。
そんなこと、教えてももらえなかった。
唯一、俺と同じ立場の人間だったのに。
あいつは、何をそんなに恐れていたんだろう。
「オマエサエイナケレバ」
あの言葉の後にはきっとこう続くんだろう
―― この聖地を去らずにすんだのに。この力を失わずにすんだのに ――
それ程に執着する何が、あの場所に、この力に、あったというのだろうか?
俺には、理解なんてできねえ。してなんかやるもんか。
絶対に……。
だけど俺は心の奥底で気付いてる。
来たくて来わけじゃねえ。こは事実だ。でもそれを言い続けることは単なる逃げだってことを。
俺に投げられたあの言葉の奥のヤツの痛み。
それを理解して、許せた時、あの午後の日差しに金に染まる聖地の風景が、どこか悲しいながらも、美しいと思うことができるんだろうってことを。



そうこうしているうちに繕いは終り、青磁の一輪挿しのひびは金色の線で繋がれた。
美幻は庭先にでて、それを日の光にさらして嬉しそうに眺めている。
何時の間にか、時間は午後になっていた。
橙がかった日の光が辺りを金色に染めはじめ、澄んだ空は対照的にくっきりと一層青く浮かび上がる。
そう、例の光景の仕上がる時間帯だ。
美幻が言う。

「『雨去りて天破るる処の青』というてな。この青磁の青は、雨の後、雲の去った処の空の青を模しておる。
美しいものとは、自然の中のこそある、そう思っておった。
しかし自然の美しさを知り、それを尊いと思う人の手によって作られた物も、また同じように美しい。
人の手とは、心とは、不思議よの。
―― 鋼の力とは、そう言うものかも知れぬな」

じいさんの言葉に、心臓が音をたてて跳ねたような気がした。
これがはじめてのことではない。とことんこのじいさんは、心の中を見透かしたようなことを言いやがる。
でも、そのじいさんの言葉がとても、とても……
嬉しかったんだ。
そう。
――涙がでるほどに。

「そなたの直してくれたこの花瓶。いまのこの光景に似ておらぬか?
青い色に一筋の金の帯。
まるで、午後の日差しに金に染まりゆく空気にくっきりと映える秋の澄んだ空のようではないか。
少年、どう思う。この世界は、美しいと思うか ――?」

それは先日カティスに問われた問いと同じものだった。
俺は顔を上げて、その青磁に似ているという(逆かもしれないが)光景をみた。

橙色を帯びた太陽の光が山々を照らしていた。
枯れ草の間に密やかに咲く秋の花を、その薄いオレンジ色が透かすように通り過ぎる。
金の光の帯が琥珀色に世界を染めて、高く澄んだ空だけが何処までも青い。
俺は心から思った。
世界は、こんなにも美しいんだと。
その調和の中に俺や、美幻や、棠花や梨華達も含まれていて
この永遠に似た一瞬の空間を作り出している。
心を過ぎる悲しみはないわけではないけれど、それは郷愁という懐かしさに近い悲しみだった。
手にほんのりとした温もりをかんじる。
見ればそれは棠花だった。
小首をかしげて彼女は俺を見る。
瞳に滲んでいた液体を気付かれないようにさっさとぬぐって(ばれてたかもしんねーけどよ)
ちょっと照れ臭さを隠すように笑ったら、あいつもにっこりと笑って言った。
「爺さまの大切な花瓶、なおしてくれてありがとう」
と。
俺は結局、美幻の問いに言葉で返事はしなかった。
でもきっと、あのじーさんは例のごとく何もかもお見通しだったんじゃねえかって、今は思う。
梨華が、静かに琴を爪弾き、
美幻がゆっくりと、詠いはじめた。


自古逢秋悲寂寥―――古より 秋に逢えば 寂寥を悲しむも
我言秋日勝春朝―――我は言う 秋日 春朝に勝れりと
晴空一鶴排雲上―――晴空 一鶴 雲を排して上れば
便引詩情到碧霄―――すなわち詩情をいざないて 碧霄(へきしょう)に到らしむ
(劉禹錫「秋思」)  

古来より秋を迎えてはその寂しさを悲しむものだが
さてさて、秋とはそんなに寂しいものであろうか
この美しき秋の日は、春の朝に勝るとも劣らない、そう思いはしないか?
紺碧の澄んだ空に 一羽の白い鳥が舞いあがるを見れば
我が心もまた 碧空へと天翔ける



俺がそろそろ帰るというと、
「今度来たとき、妾も直して欲しいものがあるのじゃが」
梨華があっけらかんといった。
『今度来た時』その言葉が、なんだかとても複雑だった。
でも、内心、来週も遊びにこようとおもっていた。願わくは、俺の歳の取り方の不自然さがばれない程度の、時間しか経ちませんように。
そんなことを考える。

「俺は修理屋じゃねーぞっ」

そう言って、俺は燕子庵を後にした。次にここを訪れるのは、雪深い冬の季節だった。


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