梨花の散る夜に

(弐)――少年行


カティスと梨の下で酒を飲んだその日の夜、俺はどうにも寝付けなかった。さっきの昼寝で、寝過ぎたせいかもしれない。
酒の酔いも手伝って、夢も見ずによく眠ったような気がする。
いや、夢は見たかもしれない。もし見たのだったとしたら、それは故郷の惑星でダチ達と遊んだ夢に違いない。
目覚めた時、ほんのりと幸せな気分にさせるような、あれはそんな眠りだった。
クラヴィスの館の庭で眠る時、どこまでも穏やかに眠れるように、あそこも伊達に夢の守護聖の庭先ではない、ということなんだろうか。

俺が起きた時、カティスはまだ横で酒を飲んでいた、というか盃をもって世界をみつめていた。
すでに日は傾きかけていた。
橙色を帯びた太陽の光が美しい風景を照らし出す、まだ夕暮れと呼ぶにはには早い時間帯。
淡い緑の春の萌葱を、その薄いオレンジ色が透かすように通り過ぎる。
黄金とも、琥珀ともつかないその色が辺りの空気をカティスの髪と同じ色に染めていた。
俺はその午後の光景をいつも「寂しい」とおもわずにいられない。
カティスが唐突に言った。

「ゼフェル、この世界は美しいと思うか?」

少しだけ、応えに詰まった俺は、もう一度、目の前の光景を見つめる。
その光景は、やはり、どこか寂しかった。
「……しらねーよ」
小さく呟いた俺の返事に、そうか、とカティスは残念そうに一瞬だけ、顔を曇らせた。
その表情は、ルヴァが、そして、ディアが、時折俺に向ける表情によく似ているように思えて俺はその場に立ち上がる。
「―― じゃあな。」
それだけ言うと、俺はその場を去った。
そう、解かっていたんだ。何故俺にその光景が素直に美しいと思えないのかということを。
ルヴァが、カティスが、ディアが、あの表情で俺を見る理由を。
―― オマエサエイナケレバ
呪いの言葉が甦る。石に張り付いたまま乾いてしまった紙切れみたいにかさかさと、乾燥してぺったりとくっついていつまでも居心地悪く心にまとわりつく感覚。

ちきしょう!どうしろっていうんだ? 俺に。

この苛立ちも、哀しみも、「時がたてば変わる」と、そう言うのだろうか。
教えてくれ。
誰か。
誰でもいいから ――

◇◆◇◆◇

結局眠れないままその夜俺は聖地を抜け出した。
明日は日の曜日、特にやることは無い。いつもなら主星の下町でもふらついてテキトーに遊んで帰るのだがその日はなんとなく、いままで行ったことの無い場所へ行ってみたくなった。
こんなよくわかんねぇ、情けねぇ気分の時に、怪しげな店でオスカーとばったり、なんてのもごめんだったからでもある。
館を出て、王立研究所に忍び込む。
コンピュータをいじくって、どっか適当に遊べそうな惑星は無いか探して回廊を繋いだ。
ほんとうなら、へーかの許可がなくっちゃいけないんだろうが、俺の手にかかればこのへんのがきくさいパスワードなんざあっという間に解けてしまう。
だから俺は、時折こうして聖地の外へ出ていた。
そのまま、逃げることだって可能なのかもしれない。だけどなぜ、俺はこの檻の中に帰ってくるんだろうな。
ふいに、そんなことを思った。思ったが、答えは解らなかった。

◇◆◇◆◇

辿り着いた惑星の第一印象は、俺に言わせりゃとんでもない「田舎」だった。
もっともそう思ったのははじめだけで、見たことも無い服装をした黒髪、黒い瞳の惑星の住民達が、 街の往来を忙しそうに行き来している姿や建ち並ぶ店、活気に満ちた人々に、文明は主星とはとことん違ってっけど、それなりに繁栄してるらしいな。俺はそう認識した。
路地で井戸端会議している赤ん坊を背負ったオバサンや、傍らを走り抜けてゆく泥んこのガキ達。
赤いリンゴの小さいような実を砂糖漬けにした御菓子を売るあるくオッサン。
(あとで、「さんざし」の実を砂糖漬けにした糖葫盧(タンフール)っていうお菓子だって聞いた。)
文化や言葉はちがっても、彼等の姿とその生活の臭いが、遠い故郷の惑星を思い出させて情けねーけどちょっとだけ泣きたくなった。


おそらく、その惑星を「田舎」と印象づけた一番の理由は街の周囲に広がる山々と森林だろう。
しかも、「山」と言ってもとんでもなく尖がってて、ごつごつしている山だ。
例のオリヴィエの館の裏庭の、石組みを思わせるような山。
その石組みが、逆にその山々を模したものだなんて、その頃の俺が知っているわけもなかった。
俺は暫らくぶらぶらと街中を歩いていたつもりだったが、気付くとどうやら町外れに来てしまったらしかった。
人家もまばらな周囲。空地にすすきが揺れている。
少し向こうには山へと続いているだろう道が木々の間に消えていた。
この惑星の今の季節は、どうやら秋みたいだった。
さっきまでいた聖地と正反対の季節。これから冬を迎える惑星のその前に人々に与えられる実りの季節。
ふと下を向くと道端に、どんぐりが転がっていた。無意識にそれを拾おうと俺は屈み込む。 そして ――
そして俺は西日で金に染められたすすき野原ん中で、木箱を抱えて泣きべそかいてやがるがきを見つけた。

そのがきは、その惑星の住民の殆どがそうであるように、艶やかな真っ黒な髪と、黒曜石の瞳をしていた。
年の頃は10才前後。女の子だったが、迷子になってべそかく歳にも思えなかった。
意外だったのは、俺の顔を ―― 銀色の髪と紅い目を見ても、さしてびっくりした様子がなかったことだ。
惑星外からの旅人が居ないわけでもあるまいが、さすがに俺の髪と目の色は、町中でも人目を引いてしまっていたからだ。
こんな、がきんちょになら、驚かれて泣かれかねねえ。正直、そう思わないでもなかったのだ。
もっとも、泣かれたら泣かれたで、「うるせえ」の一言しかでなかったろうが。
「……なにべそかいてやがる」
俺はそいつにそう言った。言ったはいいが、主星語じゃあ、つうじねえかな。そう思っていた。
がきは暫らく、言葉の意味を頭んなかで確かめるような表情をしたあと
「西日の橙色が……哀しくて ―― 急に心細くなったのです」
みょうに大人びた口調でそう言った。言葉は主星語だった。
その大人びた口調とべそをかいている状況とが著しくアンバランスで、でも、「西日の橙色が哀しい」と言ったそいつの気持ちが、ミョーに理解できて、俺は知らん振りしてその場を去るのが忍びなくなっていた。

がき…少女の名前は棠花(タンホア)と言った。

俺はゼフェルと名乗ったのに、どうもその発音が苦手なようで奴から俺はその後ずっと
大昃(ターゼィ)(da-ze)」(ゼーにいちゃん、ゼーにいさま、そんな感じの意味らしい。)
そう呼ばれるはめになる。
奴の話を聞くに連れ、さっき持った「大人びた」という印象がまるっきりの誤りだということを、俺は認識せざるをえなかった。
彼女が大事そうに抱えていた木箱の中には、無残にひびの入った綺麗な水色の磁器が入っている。
なんでも、祖父さんが大事にしていた花瓶で、書斎の本をとろうとした際、誤って落し、(ひび)を入れてしまったらしい。
慌てた彼女は、自分の住む山のふもとの街で、骨董屋を営む伯父に何かいい手はないか、と相談しに来た帰りだったのだ。
話によれば、伯父さんは苦笑して、元には戻らない、正直にお祖父さんに謝ってごらん、と諭されたらしい。
謝ってきたら、なにか代わりになるようなものを探してあげるから、と。
もっともな話だよな、そりゃあ。俺は苦笑せざるをえない。
(でもマルセルと二人、ふざけてルヴァのお気に入りの湯飲み割っちまった時は、こっそり隠して誤魔化したっけな。まあ、過ぎたことは忘れよう。なんだよ。もんくあっかよ。うるせえな)
暗い気持ちで帰ろうとして、うっかり石にけつまずいて足をくじいた上にいつのまにか日は傾いて行く。
心細くなって泣きに入っていた所を、俺に見つかったということだそうだ。
「しょうがねーなあ。家まで送っててやるよ」
何気に言った一言のせいで
結局、棠花をおぶって(けっこう急な)山道を登る羽目になった俺は、道々、そんな話を聞かされた。
この世の終りかと思われるような絶望的な溜息を吐いて、棠花が背中で言う。
「爺さまに怒られます……きっと。というか、爺さまの大切なものを壊したと、婆さまから怒られるかもしれません……」
深い意味も無く俺が聞いた
「おやっさんと、おふくろさんは?」
という問いに彼女は意外と淡々と
「わたしがもっと小さい内に逝っておしまいになりました」
そう応えた。
余計なこと聞いてわるかったな、というのも何か変なので、そっか、と呟いて俺は言った。
「じゃあ、なおさら、帰らねえ方が心配かけて、怒られるんじゃねえか?花瓶のことは観念して……さっさと家に戻ってやれよ」
少女は小さく背中で
「はい。大昃(ゼーにいさま)
そう言って頷いた。

◇◆◇◆◇

あたりはとっぷりと日が暮れて、暗くなっていた。
西の空はまだ、微かに赤紫で、太陽の名残を残していたが、木々に覆われたこの山道ではもう夜と言っていい。
しかし、不思議なもので、先程の西日のオレンジよりもこの夜の闇の方が、よっぽど何処か安心できるのは何故だろう。
さっき少女が言っていた言葉を思い出す。

―― 西日の橙色が哀しくて ――

ついさっきまでいた聖地で、自分も同じことを思っていたではないか。
大気が金色に染まる午後の時間。その午後の光景をいつも「寂しい」とおもわずにいられない、と。

「おめーさ、さっき、西日が哀しいって、いってたよな。あれ、なんでだ?」
がきに何きいてやがる。自分でもちゃんちゃら可笑しいのは解っているがつい聞いてしまう。
「だって、本当なら、おうちに帰って、爺さまと婆さまと、みなで楽しく話している時間帯でございましょう。
それなのに、あのとき私はひとりでしたから。でも、途中で大昃(ゼーにいさま)がいらしたので、平気です」
―― ひとりだったから、哀しかったのです。
その棠花の言葉に、俺は返すべき言葉を持っていなかった。

その時、暗い道の向こうに、ほんのり温かく光る明かりがみえた。
この惑星から見ればよそモンである俺でさえほっとするような、それはそれほどまでに暖かな光だった。
「あれがわたしの家にございます」
俺の背中で棠花が言った。
やけに立派な門の前で奴を降ろし、じゃあな、と言って俺が立ち去ろうとしたのと、
「大昃、待ってください」と奴が呼び止める声
「これ、棠花(タンホア)、このような時間まで何処へいっておったのじゃ」という老婆の声
「まあ、梨華(リーホア)、そう怒らずとも。無事に戻ってなによりぞ。そこの少年、礼を言わねばなるまい」
という老人の声が同時に重なった。

行きがかり上、そうなっただけで、あらためて礼を言われるもの照れくせーなあ、と思いつつ振り向いた俺を見て
棠花の祖父と祖母と(おぼ)しきふたりは一瞬、おや、というような表情をした。
それは、はじめ、見慣れぬ髪や目の色に驚いたのかとおもったが、如何やらそうではないようであった。
―― その理由を、俺はずっと後で知ることになる。
おそらく、孫にはとことん甘いじじいなのであろう老人が穏やかな笑みを向けて言った。
「少年、今日はもう山を降りて帰るには遅かろう。孫を送ってくれた礼も兼ねて今宵は泊っていかぬか」
本来なら、親御さんが、とか、家はどこか、と聞くのが普通だろう。
なのにそのじじいは、一晩二晩泊ってったって全然問題の無い ―― 一ヶ月くらいここにいたって、聖地じゃ休日のまんまだ ―― 俺の事情をまるで知っているかのごとくそう言った。
隣にいるばあさんも、同じように、そうじゃのう、それがよいのう、などと、のんきに相づちを打っている。
まあ、深く突っ込まれるよりは俺にとっても都合がいい。
これからあの山道を降りることに、少々うんざりしてたことも手伝って、俺はその家「燕子庵」にその日、やっかいになることになった。

◇◆◇◆◇

夕飯をごちそうになりながら、自分は主星の学生で長い休みにビンボー旅行しているのだと、テキトーな説明をつけた。
足元に紫の目をした黒い仔猫がうだうだと眠そうに転がっている。
その猫をふんずけて、邪魔だ、といわんばかりに金の毛並みの仔狗が吠え付ける。
喧嘩をはじめた二匹を見て
―― どっかで見たような。
と、思ったのは事実だが、俺のコメントは控えさせてもらう。
じいさんが奥から酒を持ってでてくる。
「少年、いっこんやらぬか。老酒(ラオチュウ)といってな。うまいぞ」
その言葉に、ばあさんが呆れたように、美幻(メイファン)、と名を呼んでたしなめたが彼は気にしないようだった。
―― チュウ?
そのねずみのよーな響きに、昼間カティスと飲んだあの酒を思い出す。
「わりい、今日はいいや」
そうか、とじいさんは残念そうな顔をしたが、ふいに笑って
「『今日は』ということは、酒はいける口かの。少年」
そう言うと、ひとり手酌で飲みはじめた。
棠花(タンホア)が横から、爺さま、わたしにも一口、といってばーさんが止めるのも聞かず酒をなめたがすぐになんとも言えぬ顔をして
「爺さまは、これが美味しいと御思いになるのですか?大昃(ゼーにいさま)も?お酒がお好きですか」
と心底不思議そうに呟いた。
「おう、酒はすきだせ。今日はちょっと昼間っから飲んじまったもんでさ……」
じいさん ―― 美幻(メイファン)は笑って言う
「それは良い。酒は人生を楽しゅう、美しゅうするぞ。『少年老い易く学成り難し』と言ってな」
その言葉に、俺はおや?と思う。
「なんだ、じいさん、ルヴァみてーなこと言いやがって」
ぼそりと言った俺に、美幻は悪戯を思いついた子供のような顔をして尋ねてきた。
「その『ルヴァ』殿は、この言葉の意味をなんと申した?」
「何って。じじいになる前に、さっさと勉強しておけ、っていう意味だろうがよ。違うのか?」
そのくらいは俺だって知っているつもりだったし、ルヴァもそのつもりで使っているのだろう。
美幻は、扇を口元に当ててニヤリと笑った(それ以外の表現を俺はしらない)その後に、くそ真面目な顔をして言った。
「『少年老い易く学成り難し』というのは、少年である時は短かいゆえに、人生は酒を飲み、友と親しみ、楽しく生きよ、という意味ぞ。今度、ルヴァとやらに教えてやるがよい」
(作者註:本当にそういう解釈もあるそうです。が)

へーそうなんだ、と素直に頷いてしまった俺の後で、ばーさん ―― 梨華が声も無く笑い転げていることに俺は気がつかなかった。




少年易老学難成 ―― 少年老い易く学成り難し
一寸光陰不可軽 ―― 一寸の光陰軽んずべからず
未覚池塘春草夢 ―― 未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前梧葉已秋聲 ―― 階前の梧葉(ごよう)已に秋声
(朱熹「偶成詩」)  

少年の時は短く 学問は思うようにまま成らないであろうが
その青春の時のきらめきをけして軽んじてはならぬぞ
池の堤に萌えいずる春の草のような 美しき夢の覚めきらぬそのうちに
家の前の青桐の葉は秋風にゆれている。
そんな風に、人生は短く、老いるのは早い。
―― 何処に住んでいようと、どんな運命を背負っていようとな。
それゆえに、風の名を持つ少年よ、遊ぶべし、学ぶべし、恋するべし
友と語り、酒を飲むべし。
その身の苛立ちも、哀しみも、若さゆえの宝ぞ。
すべてを抱いて、ありのままに生きるべし ――


そして、燕子庵の秋の夜は穏やかに更けていった、のだとおもう。たぶん。


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