鼻と靴底と手袋と(1)

◇◆◇◆◇


【はじめに】
この話は「また会おう」「あの日の冒険の続きを」の続編です。
いうなれば、薄暗い部屋を出て、新たな友情を見つけたマコやんの次のステップとでも。
傾向としては、友情とラブコメとドシリアス、そしてダークが交錯する混沌話。

後半、公式では「親類に酷い目にあわされた」とのみ語られる、人間不信と潔癖性になったマックニコルの過去において、これまでの2話とは傾向の違う、ネオロマらしからぬエグい展開があるかもしれません。大丈夫と思う方のみ、読んでください。
ただし、年齢制限がつくタイプの展開ではありませんし、11年前から、私の書く物語の基本方針は変わっておりません。【1】【2】ではまだ核心にせまりませんので、前半だけ読んで雰囲気で判断するのもアリかと。
なお、カップリングは「また会おう」で暗示されている如く(笑)

以下、本編となります。



◇◆◇◆◇

【1】上げ底靴の理由


例えば、女性に対して夜のお誘いをかけたり、あるいはもっと長期的なものとしてプロポーズしたりする場合。その際に使われる言葉の上位に
「君の作った朝食が食べたい」
などというものが、存在するらしい。
実際のところ、女性諸君はこの言葉を嬉しいと思ったりするのだろうか?
もちろん、言われた相手に依るのはわかっているのだが、社会に出ている一人前の女性に対する場合、女性に対してのみ早起きを強いて自分への奉仕を当然のように求めるというのは、少々前時代的ではなかろうかと思うのだ。
私が目にしたランキング資料において「僕の作った朝食を食べて貰いたい」などというものはなかったが、これだと女性はしらけるものなのだろうか?

まあ、いずれにしろ。
私には、縁も関係も無い話では、ある。


…… 唐突だが、少年時代の思い出話をしようと思う。
それはあまりにありふれた話であり、聞けば人は微笑ましいと言うかもしれない。だが私にとって、後悔と酸味を帯びた、なんとも切ない記憶だ。
その頃、私には良く一緒に遊んだ幼馴染みがいた。
彼の名前はチャールズというのだが、実は今回の思い出話に、彼の出番はさほど多くない。
むしろ多くを占めるのは、彼の妹であるマーガレット・ウォンだ。愛称はマギーだが、ご多分に漏れず、私は彼女を愛称で呼んだことはない。
(作者註:公式設定でチャーリーには姉、妹、弟、の3人の兄弟がいる)
私がチャールズと遊ぶ時、しばしば彼女も共に行動することがあった。
遊ぶなら男同士がいい、女なんか邪魔だ、などと。当時の私は言ったかも知れないが、実のところ私は彼女と遊べる機会をたいへん楽しみにしていた。
チャールズとは年子で私と同い年のマーガレット・ウォンは、少し気が強いが良く喋りよく笑う少女だった。当時の私は彼女の事をとてもキュートでチャーミングだと内心思っていたし、 彼女は少し低めの自分の鼻を気にしていたけれど、そのことさえ、自分には魅力だったのだ。
だが彼女の兄であるチャールズは、彼女の鼻を、ことあるごとにからかった。
一緒に遊んでいたある日のことだ。チャールズが手のひらで妹の鼻を軽く叩いた。
妹であっても子供であっても。女性の顔を、軽くであろうと叩くという行為が、そもそも自分にはありえないことだったのだが、曰く彼らの一族ではごく当たり前に行われる「ボケとツッコミ」の「ツッコミ」に相当する行動らしかった。
なお、この「ボケとツッコミ」に関して、その理念を私は未だ良く理解できていない。
ともかくもだ。鼻を叩かれて彼女が少しおどけて言う。
―― 痛い、兄いちゃん。これ以上鼻低うなって、嫁の貰い手のうなったら、どうしてくれるん。
と、この時チャールズが恐ろしい事を言った。
―― マコやんに、貰ろうてもらい。
実は彼ら兄妹の間で、このやりとりはお約束のようになされているものだったらしい。けれども、私の前で交わされたのは、はじめてだった。
思わず、鼓動を早くした私をよそに、彼女が応じる。
―― そんなん、嫌やー。
ああ、誰でもいいから、教えて欲しい。この後、その場にいた自分はどんな反応をすれば、全てが丸く収まったというのだろうか?
未だに私は答えを知らないが、好意を寄せている少女の前で、多くの少年がするであろう過ちを私もご多分に漏れずやらかした。

―― ぼ、僕だってごめんだ!こんな鼻ペチャ!

条件反射で言ってから、気が付いた。チャールズの言葉には冗談っぽく頬を膨らませていたマーガレットが、私の言葉を耳にした瞬間、その瞳に本気の怒りの色を滲ませたのを。
―― マコやんなんか、大嫌いや。もう一緒に、遊ばへん!
彼女はそういって、走って行ってしまった。
呆然と立ちつくす私に向かい、チャールズは気まずそうに頭をかいて、言った。

―― あー、もしかして、俺、やらかしてしもた?
―― 別にいいよ。一緒に遊ぶに、女は邪魔だ。
―― ほんまに?マギーになんぞ、フォローしといた方がええんちゃう?
―― だから、別にいいってば。
―― マコやんがそういうなら…… 気にせんとくけど。

意地をはった都合上、友人に文句を言うことは出来なかった。が、正直からかった友人がひどく恨めしかった。
それ以降、彼女と共に遊ぶことはなくなった。次に彼女と言葉を交わす機会を得たのは、祖父の葬式の時だ。だが常とは違う慌ただしさの中で、結局は挨拶を交わす程度に留まった。
次の機会は同じ年の五月、チャールズの十三歳の誕生日パーティの時にやってきた。
十二歳という年は、多くの場合、少年よりも少女の方が大人びている。カールした肩までの髪を綺麗にアップして、真新しいドレスに身を包んだ彼女は、とても美しくまぶしかった。
会場には、音楽が流れていて、陽気なウォン家の大人達が半分酔っぱらって楽しそうにダンスを踊っている。
以前の子供っぽい喧嘩からは随分時間が経っていた事実を、なけなしの勇気に変えて、私は彼女に近づき、話しかけた。
―― マーガレット、よければ、その。僕と、踊って貰えないか?
彼女が嬉しそうに「どうあってもマギーとは呼んでくれないのね?マコやん」などと言いながら微笑んでくれたとき、どれほど嬉しかったろうか。友人でありたい人の名は省略せずきちんと呼びなさい、という両親の教えを馬鹿正直に守ってきたが。彼女に関しては何故か、ひどく愛称で呼びたいと、この時に思ったものだ。
だがその後すぐに彼女は、ちょっとだけ申し訳なさそうな表情になり、先約があるのだと言った。
―― 先に彼と踊る約束をしてるのよ。でも、マコやん、その後で良ければ、ええと、その、ラストダンスを一緒に踊って貰えない?
彼女が指し示した先には、のっぽの少年がいた。学年は違うが、プレップスクールで見たことのある顔ではあった。
ラストダンスを踊れる栄誉を彼女から与えられていながら、この時の自分はずいぶんと焦るような気持ちでいた。 久しぶりに会話した彼女が、聞き慣れた商業惑星の発音ではなく、ひどく大人びて聞こえたことも、一因だったろう。
そして、私は、またやらかしたのだ。先約ののっぽの少年を見て
―― あんな、成り金の家の奴なんか。
そう言った。正確には、言いかけた。全てを言い切る前に、自分の頬が鳴っていたのだ。マーガレットの平手打ちによって。
彼女のもともと少し釣り上がりぎみの目は、怒りによってさらに上がっていた。
―― あんたが、そないこと言う人だとは思わんかった。第一、成り金なら、ウォンかて同じや。
頭の中で、様々な言い訳が渦巻いていた。
そうではない、本心でそう言ったのではなく、あんまり綺麗になった君を奪われそうで怖くって、言ってしまったんだ。自分は自分に自信がない、なにか勝てるものと言ったら、家柄くらいしか ―― などと。しかし、そんな言葉は、口から出るわけもなかった。
その間、マーガレットは凄まじい勢いでまくし立てていた。怒りで興奮しているためか、彼女の口調はいつもの商業惑星弁だった。
―― それに気ぃ変わった。マコやん、知っとる?男女の理想的な身長差は15cm以上なんやて。
    女が踵のある靴はいて、男と踊るやん?だから15cm以上あるとバランスええんやて。
その頃、私と彼女の身長差は、ほとんど無かった。大人っぽく少し踵のある靴を履いた彼女は、隣に並ぶと私の僅かに上を行く。
―― だからもし、今度私を誘うんやったら、もっと身長伸ばしてから()いや。
彼女はそう言って身をひるがえし、のっぽの少年のところへと行ってしまった。
失意の中で過ごしたその日の午後は、いったいどうしたか自分ではよく覚えていない。ただ、チャールズが私の肩を叩き。
―― まあ、人生色々や。な、マコやん。
―― …… マックニコルだ!
そんなやりとりを、したような、気がしないでもない。


その年の夏を境に、私の方の事情が重なり、ウォン家の人々とは疎遠となった。彼らとの交流が絶たれる直前に一度だけ、チャールズ宛の電話を取り次いでくれたマーガレットに謝罪する機会があった。反省してるんならもう気にしてへんよ、そう言ってくれたのが救いではあったが"君にも最後にひと目でもいいから会いたい"という気持ちを伝えることは、結局出来なかった。
数年後、ビジネスがらみで再び交流をもつようになったチャールズに、年に一度ぐらいの頻度で、君の家族や姉弟達は元気かと訊ねる機会が持てるようになった。
何事においても一度は茶化しを入れねば気が済まぬ性質(たち)の友人だったが、この件に関しては何も言わずに教えてくれた。何故か、わざわざマーガレットの身長の情報込みで。
だが結局。
二十歳を数年過ぎても、私の身長が彼女の15cm上をいくことはついになかった。

◇◆◇◆◇

前置きが長くなってしまったが、話の時間軸を現在に戻そう。
私はひょんなことから、幼い白亜の王太子と知り合いになり、何故か野宿込みの山登りをし、現在その帰途にある。
最初は普通に下山していたのだが、途中から少年の足取りがひどく重くなった。
どうやら、昨夜は色々と思うこと在りすぎて、よく眠れなかったらしい。危険なので手を引いて歩いていたが、彼が歩きながら船を漕ぐに至り。
仕方なく、私は彼を背負って下山した。
少年を負ぶる際少し手が滑るような気がしたので、はめていた手袋を外すべきか一瞬迷った。前日あっさりと部屋を出ることが出来た自分だ。案外、この手袋も人前で外せるのではと期待したのだ。
だが、試しにはずそうと手をかけたとき、意図せずして指先が震えた。
無理だ。
結局多少の不便さには、目をつむることになった。

山を下り、林を抜け、空き地へ着いたところで、さっさと屋敷に連絡を入れて迎えを寄越してもらうべきだったと思い当たる。迂闊だった。
携帯端末で王太子の身柄無事保護した件と、迎えを寄越すよう連絡し、さて一休みするにも眠りこけている少年を起こさず背中から降ろすにはどうすべきかと頭をひねっている時、私は街へつながる道から駆けてくる人影を見つけた。
最初は、この辺りを捜索していた白亜かセティンバーの関係者かと考えた。
だが、近づいてくる人影は女性で、その容貌に、どこか心当たりがある。
いや、どこか、どころではない。わからないはずがなかった。
少し上がりぎみのヘイゼルの瞳、チャーミングポイントの低めの鼻、兄と同じ強い癖毛は女らしさを失わない程度のショートにまとめられていて、強気で快活な印象もあの頃のまま。だが長年心に思い描いたそれ以上に、美しい女性に成長しているその人のことを。
「マーガレット・ウォン……」
最後に彼女の兄から仕入れた情報によれば、マーガレットはまだ実家住まいの、博士課程の学生であるはずだ。すなわち、我々は十数年前のあの頃と変わらず、近所に住んでいたということになるから、今ここにいること自体は不思議ではないのかもしれない。だが。
驚きを隠せずに名を呼んだ私に向かい、彼女は安堵の笑みを向けた。
「よかった、十年も部屋を出たことのないあなたが行方不明だってセティンバーの屋敷から連絡を受けて、心配で心当たりを探していたの」
ここで、私の背で眠る少年に気がついたようだった。やはり捜索依頼はウォンカンパニーへも出されていたのだろう。
「―― そのコ、もしかして白亜の」
彼女が自分を心配してくれていたことが嬉しかった。
十数年前の幼い過ちを全て水に流して、もういちど、何らかの関わり合いを築けるチャンスだと、私はむろんわかっていた。
にもかかわらず、次の瞬間私の口から出ていた言葉はこれだった。

「白亜の王子は保護したよ。ウォンは出遅れたな。ご愁傷様と言っておこうか」

彼女の頬が、怒りを帯びて染まった。カツカツと、かかとを鳴らして私の目の前に歩み寄る。
ハイヒールを履いた彼女と、上げ底でないスニーカーを履いた私とでは、身長差がほとんどなかった。
彼女のヘイゼルの瞳が私の目の前に来たその瞬間、私の頬が、鳴った。

「マックニコル・セティンバー、あなたの、そういうところが昔から大嫌い!」

去って行く彼女の後姿を見送りながら、私は再び過ちを犯したことを知った。
少年の頃とは事情が違う。心配してくれてありがとう、少年も私も無事だ ―― ただそれだけの事を、素直に彼女に伝えればよかったのに。
「あらら、怒らせちゃったね?」
突然、耳元で声がした。眠っていたと思っていた少年が、目を覚ましたのである。
今のやり取りも聞かれていただろうか。
女に殴られた場面を幼い子供に目撃された気まずさは、まだいい。だが、私がビジネス上の損得勘定で彼を探したり助けたりしたように思われるのは、さすがに辛かった。
なによりも、私を信用して心を開いてくれた少年が傷つきやしないだろうか。
「や、いまのは――」
慌てて言い訳をしようとする私を、彼があっけらかんとした声でさえぎった。
「大丈夫、僕に対しての言い訳はいらないよ。僕、マコやんのこと信じてるもの。損得勘定でしたことなら、マコやんの行動って無駄多すぎるしね。 でも、あの女の人は誤解したよね、きっと」
私の背からずるりと降りて、少年は隣に立つ。憐憫を含んだ表情で、私を見上げて言った。
「元気出しなよ。女の人の"嫌い"はアテにならないっていってた」
何故私は二十ほども年下の少年に慰められているのだろう。
「言ったのは君の、兄さんか」
「ううん、にいさまはモテモテだから、きっと嫌いなんていわれたことないよ」
ああ、そうかい。それはなにより。
「言ったのは、イシュトとサーリア」
誰だ、それは。
「でも、思うに。本当に嫌いなときもあるだろうから、気をつけて」
「…… ご忠告、ありがたく受け取っておこう」
傍らを吹き抜けてゆく暖かいはずの春の風が、少しばかり頬にしみるような気がした。



◇◆◇◆◇

◇ 「【2】手袋の中の暗闇(1)」へ ◇
◇ 「鼻と靴底と手袋と」もくじ へ ◇
◇ 「彩雲の本棚」へ ◇



2009/03/15 佳月