ルヴァ探偵の回想録

爪紅(つまくれない)の花

(第2章)鳳仙花と理想郷


「あー、それでは育成地での中毒の事件はひと段落したということですかー」

数日後、俺が地の館を尋ねて、奴の執務室には行った時、ルヴァは茶を飲みながら嬉しそうに言っていた。
先客がいたらしい。ティムカだ。
あの日以降、何だかんだいってルヴァのところに出入りしている様子だ。
楽しそうに話している二人を見やってふとおもう。
ルヴァだって、俺なんかじゃなくこーいう素直な奴の教育係だったら、もっと楽だったろうな。
ジュリアスに、教育責任問われてなにやら言われることもなかったろうに。
―― ふん。
わけもなく、面白くない気分になったのは、べ、べつにやきもちをやいているわじゃ、ねえぞ。
って、どうでもいいって、そんなこと。

「では、この本をお借りしていきます」

勝手知ったる他人の執務室。自分で椅子を用意してすわり、ティムカが抱えた二冊の本を見やる。
『双子の星』だあ?童話だな。こういうところは相変わらずガキくせーな。
(作者註:『双子の星』宮沢賢治著)
あとは、『食品添加物便覧』か。この間の硫酸カリウムアルミニウムについて調べようってか。つかー、真面目だねー。
一礼して、部屋を出かけたティムカを、ルヴァが引き止める。
「ああ、待ってください。ゼフェルが来たので、思い出しましたよー。ちょうどいい、話がありますよ」
俺が来たから、ってなんだよ。
見やった俺にルヴァが言う。

「ほら、以前聖地であった、あの流れ星の話を、ティムカに話してやってください。先日の騒ぎで入院した子供たちに聞かせる、童話を探しているそうなんですよ。ぴったりだと、おもいませんかー」

◇◆◇◆◇

流れ星の話ってのは、今の陛下の即位直後、毎週月の曜日夜七時に降る雨と、少年クリスとその入院してた妹の話だろう。
(「聖地に降る星」参照)
俺は頷いて、そのときのことをティムカに話して聞かせる。
そういや、クリス、どうしてっかな。少し懐かしく思い出す。
その後にあった新宇宙の女王試験の時に十三歳だったコイツが今十六ってことは。
クリスもだいぶ大きくなってるはずだよな。
高校生か、もしかしたら、大学生か。
夢は叶うものでなくて叶えるものだと言ったあいつ。
その夢に、少しは近づいているんだろうか。
だったら嬉しいと、そう思った。

さて、少年の願いを汲んだ女王陛下によって大量の流れ星が空を埋め尽くし、少女は無事退院。ハッピーエンド、なわけだけど。
確かに、こうやって話すと童話だな、こりゃ。
話を聞き終えて、ティムカはいたく感銘を受けたらしい。
すんげえ嬉しそうに、何度もため息ついて素晴らしいですね、を連発してる。
リュミエールに頼んで絵をつけてもらって紙芝居にしそうな勢いだ。
よほど好みのツボにはまったか。
まあ、元々童話好きの上に、実話とくりゃ感動もするか。

「しかし、女王陛下も粋なお計らいをしたものですね」
「あー、あの融通のきかねえ、ロザリア陛下らしくねえっつうか、まあ、確かに粋だよな」
「あまりお話ししたこともありませんが ―― お人柄が偲ばれます。それにその少年も」
「クリスか」
「ええ、彼の夢も、とても素敵です。今、彼はその夢に向って歩んでいるのでしょうか」

『僕、将来発明者になりたいんです。色んなもの発明して ―― 便利なものだけじゃなく、人が、幸せになれるようなそんな発明をする人に』

この言葉を。俺だってはっきり覚えてる。
だから、俺はティムカに言った。
「ああ、きっとな」
奴は嬉しそうに微笑み、そうですか、と頷いた。

「ああ、そろそろ行かなければ。午後から病院に行く予定なんです」
しかしまあ、教官としての仕事もあるだろうに、ご苦労なこって。
そう思ってから、ふと気付いた。そうか。
「そっか、おめー、国でも被災地訪問とかって、仕事のうちか」
「え、ええ」

言ってから、思った。
―― しまった、禁句だ、多分。
奴の顔から、笑顔が消えた。
俺ですら、もといた宇宙の様子が今どうなっているか、気にならないわけではない。
ましてや、無事に帰れる確証がなけりゃ尚更だ。
でも、宇宙の発展、という視点からすると実は百十五日という期間は決して長い時間じゃねえし、へたすりゃ、聖地の一日程度ですらない。
戻れるかどうかは今は陛下やコレットの力を信じるしかねえと思ってるし。
けれど、ティムカにとっての百十五日。
国王不在の百十五日はどれだけ奴や国にとって重いものなんだろう。
ましてや育成地で起こった事件のような出来事が、今まさにヤツの惑星でも起きていねえなんて、誰が言える?
ここは、流石に、素直に謝っておこう、と珍しく思った。
「すまねえ ―― 思い出させちまった、か?」

ティムカは慌てたように首を振る。
「いいえ、そんな。それに、思い出した、というのは違います ―― 忘れたことなど、ないのですから」
忘れたことなどない、それが逆に痛かった。
それは、こいつの痛みでもあるんだろう。

「いまこうしている瞬間でさえ。故国(くに)のことを考えるといたたまれなくなるのです」

うつむいてから、すみません、とそう呟いた。
「皆様方だって、向うの宇宙は心配ですよね。弱音をはいて、申し訳ありません」
謝るひつようなんか、ねえだろ。
そういおうとした先、今まで黙っていたルヴァに台詞を横取りされた。

「謝る必要など、ありませんよ」

言いながら、やつはお茶をすする。そして、にっこり微笑んだ。いつもの、笑顔だ。
「でも、ティムカ。あなたは、もう少し自分に自信を持つべきです」
「そう、でしょうか」
ルヴァの笑顔とは対照的に、奴は戸惑い気味だった。

「『補缺拾遺』という言葉を、あなたなら知っているのではありませんか」
(欠を補い遺を拾う:後漢書)
俺はしらねーぞ、オイ。
「はい、知っています。君主の至らぬところを、臣下が補う、という意味です」
へいへい、そうですか。
「そうですね、あなたのいない国を、ささえようとしている人々が、きっといるのではありませんか? 『知臣莫若君』とも言いますから、あなたはそれをわかっていなければいけないはずです」
(臣を知るは君に若くは莫し:春秋左氏伝 ―― 臣下のことを最もよく知っているのはその主君である、の意)

ティムカが真剣な顔で頷いた。
俺のわけわからんところで、会話は続いている。
「あなたの国で今頑張っているであろう人たちを信じることは、あなた自身を信じることでもあるのですよ。 『上之所為、民之所帰也』です。きっと、大丈夫。あなたはアルカディアの人々にもずいぶん慕われているようですね。故国でのあなたがどんな国王であったのかが偲ばれます」
(上の為す所は、民の帰す所なり:春秋左氏伝 ―― 上に立っているものの行いが、下の者たちの行いの標準となる、の意)

ティムカはしばらく何も言わなかった。
ルヴァの言葉を、きっと頭の中で理解しようとしているんだろう。
いや、言葉の意味は、きっとわかってるに違いねえ。ただ、それを、自分のものに、しようとしてる。
そんな気がした。

開け放たれた窓から、アルカディアの風が入って、俺たちの間を通り抜けた。
その風は、聖地のそれより、少し懐かしい夏の香りがする。
そして、ティムカの声がする。
たった一言。

「はい」

と、だけ。
俺は窓の外を眺めてて、その表情を見てなかった。
奴は、ルヴァの言葉を。
自分のものとして吸収することができたんだろうか?

「では、僕はこれで」

言って扉に向う奴に、ルヴァが声をかけた。
「お花を、ありがとう。ティムカ」
花?そういや、机の上に飾ってある。
ティムカは振り向いた。その表情はいつもと変わらない。
「僕の館に、沢山咲いていて、病院にも持って行こうと思って今朝摘んだのです。アルカディアに来た時に、種を撒きました。その花 ―― 鳳仙花は故郷でも沢山咲いているんです。きっと、今も」

◇◆◇◆◇

ティムカが去ったあと、俺はルヴァに聞いた。
「なあ、あいつ大丈夫か?」
わかりません、とルヴァは短く答える。
いつもよりもちょっとだけ苦そうにお茶をすすった。
「私は知識を持っているだけ、それを伝えただけです。彼の頭にそれを伝えることはできても、心に伝えることはできません。 なぜなら、私は王様になったことがありませんから」

『私は王様になったことがありませんから』
けっこう、冷めてぇ言い草だと、思わなくもない。けれど、これはルヴァの誠実さの表れだってことを俺は知ってる。
そう、ルヴァは王様になったことがない。
いつか俺に『鋼の力がなんであるか』をさらりと己の言葉で語ったときとは違う。
だから、こいつは過去の偉人の言葉を引用するだけにとどめたんだ。
ティムカの奴の背負うもののすべてを知らない人間に、わかったような振りをして偉そうに説教をする資格はない。少なくともこいつは、そんなことをする奴じゃあないってことだ。
かといって、放置もできず、せめてそ過去の偉人の言葉を伝えることで彼の迷いの幾許かを軽くできるのではという、それはルヴァの優しさなのだと思う。
さっきの会話から何かを得ることができるかどうかはすべて。
あとは、あいつ次第ってことか。

見やった窓から。
再び風が入って、机の上のホウセンカが不安げにゆれた。


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