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つれづれなるままに(9)


ここでは 近況報告にしては話題が限定されると思われる話しをのせている。


筆者への意見は こちらまで。
  1. 1999/1/7

    これはゴミではない

    (ゼンジー北京の言う「わらし中国は広島生まれ」 の中国ではなくて、大陸の方の) 中国産の「ミニカメラ」なる代物をTさんが 地元のくじ引きで当ててきて披露した。 その形はチャチクテ実にうさん臭い形である。 それゆえにカメラとしてそれを使えるような気がしない上に 他の昨日としての小もの入れや、飾りとしてもぱっとしないので ほとんどゴミとしての認識もあったようだったので それを自慢するというのもはばかられて あまり人のいない時に明らかにしたのである。

    その形をもうすこし良く見れば、 真中にカメラのレンズとシャッターのボタンのようなもの とフィルムを巻きとるねじがあり それが昔に、はやったポケットカメラ用のフィルムケースの形を したものをはさんでいる。 いかにもそのフィルムに映像をとる、という価値はしているのだが あまりに簡単な作りに見えるため、とても使えるような気がしなかった。 せめてレンズの部分が先の見える構造になっているのかと思うと そうでもなく、銀色のしきりでレンズが覗けなくなっていた。 ほとんど、子どもの玩具と認識してしまっていたので ここは自然に向うが見えなければならないと思ったのである。 フィルムを巻きとるためとおもわれる螺はキリキリとおとをたてて 回って逆戻りしないようにはなっていて 歯車に連動しているところまでは確認できたのであるがやはりその 簡単な作りから本もののカメラと思うまでには至らなかった。

    しかし、そうはいうもののそこまでつくっていて子どもだましの玩具であった というのはいかにもかなし過ぎる、という心も残っていたのも事実である。 子どもだましであれば、例えば「腕時計」といって分針と時針がすでに10時10分の 角度に固定されておりしかし、その角度を保ったまま360度回転はするという 「まさに子どもだまし」ということが間の当たりにできるものであるが これにはそういうあからさまの「子どもだまし」がなかったのである。 というわけでまだ未練がましくいじり回っていたのであるが ちょっとした偶然ですごいことを発見した。 カメラの内部にフックのようなものがあったのだがそれを偶然に触ると 横に引けることをがわかった。そしてひいて手を離してみると そのフックが戻る時に、パチリとシャッターが降りるではないか。 子どもだましのカメラではない、と思いはじめたのはこれからである。 あまりにも精密(というほど出もないが子どもだましとしては、である。) にできているではないか。

    それならば ボタンのようなものはシャッターを切るための ものだと思っておしてみるがフックがわずかに奥にひっこむだけであった。 フックが横に引かれる方向とは直角の方向に引っ込むのである。 最初はこれはいったい何がしたいのかが良くわからなかったが、 フックの動く方向と、カメラのフィルムの関係をちょっと考えると Tさんの「これは!」という声とともに重要なことが発覚した。 フックは螺によって巻きとられるフィルムによってひっぱられ限界が来れば それ以上フィルムが巻きとれなくなる。その上でボタンをとると フィルムにひっかかっていたフックが奥に引っ込むことによってフィルムの 束縛から外れ戻ろうとしてその際にシャッターが降りる仕掛けになっているのだ!。 これは、実は本当に写真のとれるカメラだったのである。 たしかに、フィルムが入っていない時のフィルムケース状のものは 小銭入れにはなるしかしすでにその二のつめは甘くなっており その用を足さないと思われる。)なぜかカメラ本体ではなくて フィルムケース状の小銭入れについている(小銭入れの方がメインなのか?)。 ということなのでこれで写真をとらなければ何をしろというのだ ということになり、それ用のフィルムを購入しにいくことにした。 研究室近くの光楽堂なる写真屋さんへにいったが、 「最近はあまり需要がないのでおいていない」 ということであった。 そのままあきらめるのも何なので取り寄せてもらうことにした。 「1000円はしませんよ」ということで一応安心はしたが 良く考えたらもっと重要な問題もあった。 「現像はしてもらえるのか?」ということである。 おそらく可能なのであろうが、町の現像専門店では 1時間あとに写真を手に入れるのは不可能であろう。 また現像代がいかほどするのか。。心配ではあるが、 そんなことよりこのカメラで写真がとれるということが実に楽しみだ。


  2. 1998/12/5

    UFOには愛がある!

    ふと帰り道に日伊会館前を通ったとき, 妙な感覚に襲われた. 「いったいなんなんだろうか・・」 とおもってあたりを見回して見たがわからなかった. もしかしたら、それを感じるきっかけはも少し前にあったから 少し戻ってみたらわかるかもしれない_思い,今来た道をゆっくりと 後戻りしてみたら, あった. 電柱にその原因があったのである.

    「UFOには愛がある」

    なんじゃそれ・・。 詳細は省くが,「ラエル」,「エロヒム」などの文字が散在している ことが確認されたのであった. 取り急ぎかたがたまで.


  3. 1998/12/5

    広島がえりの同級生イトウ君

    下宿の方ではそうでもないのだが, 親元すなわち実家の方にはよく奇妙な電話がかかってくる. この愛だ実家に帰ったときにたまたま電話に出たら かわいらしい女の子の声で

    というような会話が繰り広げられたのである. もちろんそのあとの会話は,そのまま女の子の調子に乗せられてホイホイ と出かけた・・わけもなく、 気のない返事をこちらがしていると勝手に相手はおこって切ってしまった. 失礼な話である. だいたいこの手の電話は相手が御なのこの場合は 妙になれなれしい言葉で話し掛けてくることが多い. なれなれしいというか,保育園の保母さんか幼稚園の先生が子供に 話しかけるような調子でである. 今回は今までのなかでもっともその傾向が顕著に現れたものだったので 実に印象深かった. 恐らくは自分より年下と思われる電話のむこうがそのような態度に出てくるというのは 想像するだけでもおかしいことなのに実際に行われたのである. なんとも変な世の中だ.

    事後に聞いた話であるが, その何周間かあとに別の電話が実家にかかってきた. 今度は男の声である. そのときは家のものが出たので「本人モード」ではなく「本人を引き出すモード」 ではなしてきたようだ. 彼は「イトウ」君らしい. いとうといってももどの字をかくかはわからないがともかく「いとう」なのである。 しかも彼は丁度今日(正確にはその電話を受けた日)に広島から帰ってきたところ らしい。 最近の勧誘の電話の技術は随分向上しているようだ. 対応のし方がうまかったので助かっているが 名前が知っている名前ならばやばかったところである. ただ、「同級生」というフレーズはその内容を事細かに 聞き出していくとぼろを出してしまうはずである. ただこう言う技術は常に向上しているので 迎え撃つ方も常に技術を向上せねばならないだろう. いたちごっこである.


  4. 1998/11/27

    「伯方の塩」の雄叫びが

    つい二日前に聞いた「伯方の塩」のCMの最後の雄叫び はたしか、串田アキラなのはずであったが (うちはテレビ画面が 壊れて久しいのでテレビ放送は基本的に音だけできく.) たった今聞いた(土曜日の午後)CMではなにやら別の若いお兄さんの さわやかごえによる「はーかーたーのしおぉ」であった。 (けっして「は・か・た・の・しおっ」ではなかったことにも注意.) この2日間でなにがあったのか?気になるところであるが、 もしかしたらこの2種類のCMが 並行して放映されるかもしれないので断定は出来ないが もししらぬまに交代しているとすれば少々寂しいものである. その昔「のむまえにのっむぅ!」「たべるまえにのむっ」で 名をはせた胃腸薬のCMの田中邦衛も 中村雅俊にその役を譲ったように(まあ、このせりふまでは受け継がなかったが) 串田アキラも次にその役を譲ったとしても不思議ではないだろう. 思い起こしてみれば、串田の「はかたのしお」は結構長い間やっているのだ (どれぐらいだろうか。正確には知らないが五年は少なくともやっていると 思われる). ともかくは、これが固定するかを眺めておこう.


  5. 1998/11/17

    しし座流星群ちゅうのもあった

    前、百たけ彗星を観測したところでO君に誘われて 観測にいった. 彗星の軌道上に残るチリを地球が横切る ために発生するものゆえに、軌道にいちばん近いときが 極大になるという予想であって,それが11/18午前4時15分ごろであるという. しかしそれは極大であってそれ以前にもとんでいる可能性があるので 暗くなる前にいこうとしたが結局現地に到着したのは 9時30分過ぎであった.しかし すでにたまに流星が観察できていたのである. 時間がたつほどに,底冷えがひどくなっていく. これは天気予報のいっていた通り急激な天候の冬型への移行が 確実におこっていたのである. 流星とは流れているあいだに願い事を3回唱えると その願い事がかなうということで知られているが となえる言葉はなくはないが いずれにせよ唱えるまもなく消えてゆくものである. しばらく車内で待機してかたらう時間を持った. 夜通しおることになるから結局のところは これも一つの主要な目的であった(というかこれが 真の目的であったりもするが・・それについては また別の機会で述べよう.)。 外での観測は2時30分ごろから行った. 観測地の近くのもっとも高いところまで上がってみる。 するとすでに学校の教室ぐらいの混雑さでこみあっていたのだ. あとでわかったことであるが高校かどこかの学校の 団体さんが来ていたようである. ただ天体観測のマナーが少々損なわれていた. 懐中電灯の使い方である. それはともかく流星はなかなかすばらしいものがあった. ただ前評判ほどの量は見られなかった. しかし、流星群,としての醍醐味はずいぶんあったのである. 大きい流星があるときにどよめく声、 それは人一倍大きいとその声も人一倍大きい. それをときに感じるのはそれを見逃した時である. しかし、それを補完するのに十分なほどの でかい成果は2,3あった. 一瞬ではあったがつきどころではないぐらいにかがやいて消える流星もあった のだ。もちろんそのような大物は流星痕とよばれる煙の筋が 残っていたりする. 極大の時刻に至るまでにそう言う大物はすでに現れていたのである. 極大時間にしてはその量はコンスタントを保っており あまり増えはしなかったのである. さすがに寒すぎてそのまま見つづけておれなかった(5時) であるが それほどその痕は飛んでいなかったようである。 後のニュースで知ったことであるが実際の極大は 日本時間17日の昼にあったということである. ヨーロッパ方面のほうがよっぽどみられたとか・・。 次のこれが訪れるのはまた33年後である. 元気に見られたらよいのであるが・・.


  6. 1998/11/6

    JR情報:Jスルーと近郊区間

    某掲示板からの情報で JR西日本のニュースを見にいってみると 2つに新たな情報がかかれてあった。

    ということである。 あんまり日常生活には影響は少ないが 私はこう言う事実は何かいまでもどきどきするものである。


  7. 1998/11/4

    馬鹿大将!!

    昨今の不景気な世の中は 普段の生活における気の持ちようにも 大きな影を落としていると思われるが それを吹き飛ばすがごとくの 事実が明らかになった。 3日は祝日だったこともあり 実家方面に帰還していたのであるが そこでの会話ですばらしいものがあったのだ。 新聞屋の映画のチケットでうちのおやが 映画を見に行ったとのことであった。 最初にはいろうと思っていた映画は「踊る大捜査線」 というものだったらしいがどうもそこに並ぶ人の列を見て断念したらしい。 その代わりに見た映画といえばなんだったかといえば 「学校三」であった。 山田ようじ監督の映画であるが 「職業訓練学校」を舞台にしたドラマだったのだ。 うちの親はそのないようを感動したした、ということを 伝えてくれるのだがそこは素人である。 浜村淳のような聞かせるような解説をするわけでもない。 しかし、楽しんできたことはよくわかったのでそれで十分だ。 話の中心はそれであったのだが 僕が気になったのはそこではなかった。 その関連の話においてである。 感動したことをいった後 出演していた俳優の話になった。

    ここまではよくある話しのながれであるがこのあとがすばらしいのである。 後から思えばこの時ちょっとした間があるように思える。 しかし実際は間髪いれずに発言したはずなのであるが・・。 そのとき機転を聞かせて、ああ!**のことや〜ん、といって 話しを次にすすめようとしたがそうするにも「**」にあたる部分が 結びつかない。 「ばか大将」から「はだかの大将」を連想して それをあたり役にしている「芦屋雁ノ介」がでてきたのか? とでも思ったのだがどうもそう言う感じでもなさそうである。 そのようなわからないという正直な気持ちをこめながら もうしばらく時間の猶予があったのでもう少し考えてみることにした。 今度はもう少し単純に考えて見た。 「ばか」の部分の発音からはいってみたのである。 「ばか」「baka」「haka」「waka」「わか」 という具合になんとなくあたってそうなところまで変形ができたのである。 しかし意外な答えがかえってきた。 加山の相方といえばやはりアオダイショウのことではなかろうか。 「な、なるほぉどぉ」とその真似で答えようとしたが 最近三ヶ月ぐらいは物まねをしていなかったために とっさにその物まね回路がつながらなかったために 普通に答えざるをえなかった。 正解だったようだ? ・・・酒井くにおとおるやないんやから・・と突っ込みをいれたが 酒井くにおとおるを知らなかったので受けはよくなかった。 そこから話は続いたがしばらくは邦衛の物まねを何とかできないかと 試そうとしていたが結局できずじまいに終わってしまった。 今こうやって書いているときには出来るのがだがほぉ。 笑いというものはいつどこに潜んでいるのかわからないものである。 それだがらこそ面白いのであろうが・・。


  8. 1998/11/3

    応用地学研究所の秘密

    という題名で連絡があった。 それによると 地質調査・解析、環境調査・解析、環境対策機器開発を生業とする民間企業 で, 吹田にあるのは本社あるとのこと。 こう言うかたちでなぞがあかされるのもインターネットのすばらしさで ある。ありがとうございます。 もと記事.


  9. 1998/11/1

    日帰りで親友の結婚式に出席

    結婚式に招待されたのは今回がはじめててあった。 といいつつも今年だけでも身の回りで結婚した人間が結構多いという事実もあったり する。おそらくは今年中に更に結婚が身近にあるということはないだろう。 だから今年のとりと言うことにもなる。 あんまり関係ないかもしれないがまあめでたさも増幅されるということで よいことではなかろうか。 東京方面の挙式ということなので上京することになったのであるが やはりそれはいつもの上京手段である。 京都から東京に「上京する」というのは変ではあるが日本語の 語法の標準でいくと間違いはない。逆に京都にいくことを 「上京」というのはおかしいということになる。「京」は都「みやこ」つまり、 非常階段の・・ではなくて首都あるいは文化的・文明的な中心地をさすのである。 といういうことでその上京を果たすための手段として ドリームか、ニュードリーム号なる夜行バスを利用するのである。 どちらも京都駅から出ているのであるがたいていニュードリーム号を利用する。 この名前の違いは東京のどこに到着するかというのことで区別されているのだ。 つまりドリーム号は東京駅、ニュードリームが新宿駅に到着するのである。 最終目的地が東京駅、新宿駅であるということはあまりないのであるが いかに目的地へアクセスできるか、あるいはどちらが確実に到着できそうか ということによると新宿いきのニュードリームの方が有利に思うのである。 特に今日は新宿でよかった・・と思うことも多かった。 夜行バスは前日の夜に出発して到着は翌朝の早朝である。 そう、早朝というのがポイントなのである。予定では 朝の6時に到着するということになっている。 しかしバスは渋滞に巻き込まれなければ予定より早めに走るのだ。 だから10分から30分ほどは訳到着するのである。 早く到着するのは余裕が出来てよい・・という話しもあるが たいていはあまり意味がない。早朝は街といえどもなかなかすごす手段がないのだ。 24時間あいている食い物やか喫茶店かですごすことになるのである。 実際最初にいったのは吉野家であった。もっとすぐにに見つかると思ったのだが へんなところをうろうろしてしまったせいか朝の烏にふんをかけられないかと おびえながら(朝から礼服をきていたのであった) 歩き回った末にやっと見つけたところである。 ギュウシャケ定食を食った。 こう言う店は24時間やっているからいつでも入れる安心感があってよいのであるが、 長居するには場所が悪い。いすがあるといっても食っている間だけこしかけてくれ といわんばかりの構造である。 特に一人でいると居心地が悪くなるのである。 実際30分程度でそこを後にした。 そこから次の居場所を探してみたが格好が格好だけに 気軽に座りこめるところが見つからないのである。 そこで適当に歩きまわって ファーストフードの2階席のあるところが 開店したところを見つけて そこで1時間単位で居座ることにしたのである。 その構想は前回東京方面にいったときのことを思い出してのことであった。 あの時も眠たかったし、今回もそうであった。しかし今回は前回と違って 一人であるというのが違った。 実際そう言う店に入って二階席で座りこんでゆっくりしてみようとは思ったが 意外にそれがしがたかった。 一人でそう言う公のところで眠り込んでしまうことの恐怖があるのである。 結局バスのなかでの物思いにふけることと煮たような時間を過ごしてしまった。 ただバスの暗い風景よりは 数は少ないとはいえ人の出入りもあり人の話しも聞こえてくる。 だからバスの中以上に頭への刺激は活発であったのである。 しかし、ねむけはバスのなかのそれよりも酷かったので 結局たいしたことは出来なかったと思う。 開始時間は12時過ぎであったからここでは相当な時間を すごす必要があるのであったから相当の間じっとしていたのである。

    その後、もより駅に移動したのはよいが まだ2時間はゆうにあった。だから通嬢はバスで移動するその道のりを (実は確信的に)徒歩で移動したのである。 聞く所によると専用バスでは移動時間は5分ほどであるということだったが 歩いてみれば30分は裕にかかった。 実は道に迷うといけないので、という理由で2時間ぐらい早めにきたのであるが 全く迷うことなく到着してしまったのである。

    それから更に時間を過ごすところを求めることになる。 会場を通過して坂を登りきったところのとおりにあった喫茶店でスポーツ新聞 を読みながら時間をすごしたのであった。 そこにきていた常連と思しきおばちゃんの話しによれば その店は今日は気まぐれで 開いているらしかった。 さらにこの近くにある2つの大学で学園祭が行われており その中の一つの大学には某中国系の歌手を招待しているという 渋い選択をしているという事実も発覚したのだ。 その会場に赴いてもよかったのであるが格好が格好だけに その辺で遊びまわるというのもやりにくいということがあったのである。 結局大方の時間をその喫茶店ですごし、水を随分のませていただいた。

    しかしこれがあとで困ったことを生じさせるのである。 つまり便所に駆け込みいたくなる衝動である。 店を後にしてしばらくたってからこの衝動が生じ始めた。 もどるにしてもだいぶ歩いたため戻るわけにもいかない。 しかしこういう時に限ってなかなか便所がみつからないのだ。 学園祭がある大学によってもよかったのだがその人だかりにもまれるのは なかなかつらいことであったので そこは避けて結局いきついたところは会場であった。 時間は裕に50分はあったので、便所だけを借りてその辺を再び歩きまわり始めたので ある。考えてみれば格好が格好だけに目立ちまくりであったのかもしれないが ともかくじっとしているのはつらかったのである。 途中、小さくはあったが本屋を見つけそこで幾ばくかの時間をすごさせていただいた。 その後会場で時間を待つわけであるが 微妙に時間が早い。会場の中の式の会場を見に行くと 別の組が式をしていた。

    直前に改めて式の会場に行ってみればいよいよ人々が集まりつつあった。 ただ顔の確認できる人はなんと2人しかないので不安ではあったのだ。 結局2人だけである。逆に考えたらこれほどまでに人が集まるのだなあ という感心もあった。

    式は滞りなく終わりいよいよ披露宴なのであるが 料理は普段食べられないものだけに実においしいものであった。 といいつつも自分のスピーチの順番待ちで気が気でなかった。 なかなかよいおちやエピソードが見つからなかったのである。 しかし、適当ではあったがある一つのおちをつけた話をしてその場をおさめることは 出来た。果たして満足できるものだったか、それはわからないが あとで聞いたところによると「堅苦しくなかった」ということは 満足したようだ。うれしい。 それが終わってやっとその会を祝福する余裕が出てきた。 ただ披露宴というものは忙しいもので落ち着いて話しをできる 余裕がなかったのでじっくりと話しをする機会は別の機会にゆずろうを思う。 まあ新郎新婦が相手をする人間の数が多いということもあった。

    宴が終わった後はなにかあると思ったが2次会はなかった。 予想外の展開であったのでバスの出発時間までの時間のすごしかたを考えなければ ならない。

    突然電話をかけて会おうと言う話しをしたが唐突過ぎて 都合があったほうが不思議である。残念ながら遭遇は出来なかった。 そこでいかにしてのこりの時間を有意義に過ごすかということであるが やはり「歩き」を基本にすごすことにした。 山手線の一駅間を歩いてみた。 本当は新宿まで歩こうと思ったのであるがさすがにその距離は遠く 一駅間で断念することになった。 途中でボーリング場を発見したのであるがさすがに一人ややるのは寂しかった ので入るのをやめた。 もう少し言い訳させてもらえれば礼服ゆえにやりにくいと思ったのである。

    そこから電車で移動したのであるが電車でも10分はかかった。 実際歩くとなるとその何倍かかったであろうか。 さすが眠たさと疲れでそれを貫徹することは出来なかったであろう。

    新宿に到着したのがだいたい7:30分ごろであっただろうか。 某百貨店でお土産を数点買ったあと 時間を過ごしたのは数軒の本屋と一軒のラーメン屋、そしてビルの谷間である。 どこの町でも空を見上げればその星の数は違うとはいえ それを見られる場所で落ちついて見上げれば 心休まりいろいろと頭をめぐらすことが出来るのである。 ただ、もう季節的にも冬が近く随分肌寒かったからそこに長時間いると さすがに足の方から冷えてきてしまった。 しかしこれほど長い間物思いにふけったというのも久々である ところがある。だから大いに満足であった。 さすがにバスの発車直前まで いることはしなかったがたまにはきてみたいところである。

    そのあとで食べたラーメンは「西海ラーメン」なる台湾風のラーメン屋であった。 印象はそこで食ったスタミナラーメンのからさと 店長が店員にまくし立てる中国語の勢いであろうか。 ともかく行くたびに新しいものを発見するところのように思っているので 今後もこのあたりを訪れる時はここを基軸に動くことが多いだろうと思う。 単にテレビやドラマでその人の多さのみが強調されてそれを感じてきたところであるが 今度は肌身で感じる番である。 よく知らずに語ることはまあ簡単であるが その発言の影響には気がつかないし実際本人はなにも感じていない。 しかし肌身で感じるそれは表面上は同じであるが 単なる情報とは違い見えない数多くの側面で感じることができるのである。 それがその場所を愛すること好きになることの第一歩ではないか と思った次第である。

  10. 1998/11/1

    いきかえりのバス

    (いき) バスの種類が今までと違うもの。volvoブランドであった。 新しい車体であるが便所の位置すわりごこち、車内の構造など 会社が全く違うためか随分異なる印象を受ける。 残念なのはヘッド本で聞くことのできる音楽が カラオケになってしまったことである。 しかも曲案内というよなカードすら装備されておらず ただ流れてくる曲を聴いていくしかなかった。 選曲も三つしかなく、然も三つ目のラジオは最後までちゃんと受信できない 状況であったのだ。 バスに乗る前に結構眠たかったので「今回こそは寝れるぞ!」 と思って夢の中のバスをそれこそ夢見てのりこんだのであるが 結果は1時間ぐらいの断続的な睡眠程度に終わった。 その大方は新宿に到着する2時間前つまり双葉サービスエリアから終着に到着する までの間だったのである。結局同じだ。 最近の夜更かしぎみがたたっているのもその主要な原因ではあるが、 その寝床としてのシートやそのまわりの環境の違いが興奮を呼び起こしてしまうの だろう。乗り物で長時間移動することが日常生活とは違うと感じているせいであろう。 そもそも移動する過程が楽しいと思うことにもよる。 そのとき 下宿で徹夜するのとは違って高速道路のまわりのくらい景色とはいえ その変化は心地よいほどの刺激になるのだ。 それは歩いているときの刺激にもにたところがある。 いっしょに別の人と歩いているときにはその刺激で話しも弾むことになる。 一人であるいているときにはそれを吐き出したり相手の言葉を受け入れたりする ことがない分心の中でぐるぐる回るという点が異なるけれども 日々思っていることを改めに考え直す機会になるのである。 問題提起、その客観的状況把握、その望ましい展開案、その評価、今後の運用。 そういうながれを思いつく事柄に関して繰り返してゆくのである。 それに少々つかれたら椅子に備え付けの音楽を聴いてリラックスするのである。 まあ、こんなに興奮しているから到着した後の午前中が むちゃくちゃ眠たくて困ってしまうのである。 体にとっては深夜にするかわりに朝に活動すればよいことには違いないのであろうが なかなかそのよさを感じることが出来ないのである。 単に時間的なずれだけというよりは光環境や音環境の差が そうさせないようである。 朝に新宿は不思議なほどに人が少ないわけであるが それがかえって不思議な軽い感動を覚えてしまう。 荷物を棚から下ろすときそれをかみしめるのだ。

    (かえり) かえりは随分つかれてしまったのか、のりこむ時にだいぶ眠たかった。 その眠気を確固たる物にしようと借りた本を一読してみたのだが それはかえって逆効果であった。少々目がさえてしまったのである。 しかしそれは心配に及ぶことでもなかった。 意識がしらぬまになくなり目覚めるとサービスエリアであったということが 三回続いたのである。バスが途中でとまるサービスエリアは 3つであるので大方眠れたことになる。やはり睡眠には適度のつかれが あれば周りの状況がいつもと異なっていてもちゃんと眠れるのである。 いきしに眠れないのはいくまでにつかれていないということも あるのであろう、とその時改めてわかった。


  11. 1998/10/30

    大阪府?

    日刊工業「新聞」で M電機の工場の所在地の説明で 「大阪府尼崎市」というものを発見。 いまだにその所属府県が知られていないということを改めて教えられる 事件であった。


  12. 1998/10/30

    生協でカレーを食う。

    土曜日に大阪で某チュートリアルに出席したあとその夜に東京方面に 出発することになっていたのでついでに(大阪方面の)実家にかえっていたのである。 その帰還前にいえに変えるとは事前に伝えられなかったため 京都で飯を食うことにした。 そこで食ったのがカレーである。 カレーは随分食べていなかったから久しぶりに食べられることを 楽しみにしていたのである。その複雑に楽しめる 味にしてはその値段は安い。カレーというものの魅力はその内容の濃さに あるのではなかろうかと思うところである。


  13. 1998/10/30

    闇奉行

    本当に今ふっと思い出したものであるが この題名の「闇奉行」というものがある。 「闇奉行に証拠なんざいらねえ」といいながら 奉行がかぶるかぶととともに現れるその姿は 魅力があるというのを全くとおりすぎて格好が悪いと評判なもの なのである。しかし、思えばその時代劇はちゃんとみたことがない。 きけばその内容のすばらしさからその人気のなさぶり を感じずにはおれないのであるがそれだけに 再びその映像を見ることは出来ないのであろうか。 期待を寄せるとすれば独立系ローカル局のKBSとかサンテレビなど であるがどうだろう。 最近の流行で行くならばケーブルテレビや、衛星放送というのも それの期待を受け止めてくれるはずのところである。 しかし、そう言うものを導入する余裕がないいま前者のような地上波に 期待を寄せるしかなさそうであるがそれならばそれで いつやるかわからないものでありましょうなあ。 やはり夢で、颯爽と馬で現れる奉行かぶと姿の 闇奉行に会うしかないのである。


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