このページのポリシーは常に「つれづれ」である。 気の赴くままに、また、気がついたことをそのまま、 書くというものである。 ちなみに右の満面の笑みはその記述に対する意欲を体現しているという 解釈をお願いしたいが本当は違うという説もある。
僕も最近はやりのWeb日記というものを実はやっているのであるが どう言う形態にせよ日記とちうものは ずっと続いていてもあっけなく中断に終わってしまいかねない ものだということを最近悟ったような気がする。 というのはここしばらくこのページの更新をサボる、 つまりは日記の更新をサボっていたのであるが、 サボり始めると最初の2,3日はそれなりに気にはなるものの 一週間ぐらいたってみればなに、たいしたことはない 気にならなくなるものなのである。 だから高やって気まぐれで更新を思い立たない限りこのまま 「always under construction」なページに終焉がおとずれる ことになったのかもしれない。 まあ、これも人に読ませるというなどということを考えていれば そのままやめてしまうほうが吉であるということもあるだろうが、 どちらかというと後の自分のためにかいているのだ と思いそういう考えは思いなおすことにした。 それを考えるとWeb日記というのは不思議な形態ではある。 そもそも日記というのは自分のためか、あるいはごく近い子孫やら 友人・恋人・伴侶のためにのこそものであってしかも 交換日記という形態でなければ長い時間をおいてのみ見られるものである。 それをわざわざだれかれかまわずに見せてしまうというのであるから いったいどう言うわけなのだ? という疑問もあろう。 なんだろうか。かいていてそれを見られるとの気持ちいい!というだけの 路上のコート痴漢のようなものというのもちょっと違う。 日本人にこう言う形態のものが多いということを考えあわせると やんわりとした自己主張の一形態ということであろうか。 だから日記といえども見られているがゆえの「狙った」表現という ものも必然的に混じってくるのである。 うそではないが工夫はそれなりにされているという・・。 だから上にいったことは少し訂正しなければならないだろう。 人に見せるためにかいているのではない、という節である。 決して人に見せるということをあらわにしているのではないが 実はそれなりに意識はしているというかんじだろうか。 しかし、ページのメインテーマが日記だけではやはりそのサイトには そんなに魅力を持たせることは無理かとおもう。 そこで一体なにを企画したらよいか・・というところではあるが いまだに解決っできない問題ではあるし、かといってひらめいたら すぐに解決できるといった代物でもない・・といいながら日記を続けて いる自分に気づくのであった。
牛丼の吉野屋は思い出したように100円びきセールをやる。 僕が知っている範囲では年度が変わる付近 つまり4月の頭付近の一週間でそれが行なわれているようだ。 今年の春にはいきそびれたので 来年こそは (年末年始のジャンプとともに) 並2つを600円で食うぞと誓っていたのであるが (通常並は400円で100円びきで300円になるのだ。) なんと10月の頭にもそれが行なわれていることを聞き知った。 聞き知った相手(K君)の車にのって食いにいったのだが その時は東京ラーメン並の後だったので牛丼の並しか食べられなかった。 やはり並二つをちゃんと食べたいと思ったのだ。 しかしその期限は10月7日の午後8時までということであった。 いこうと思う日に限って夕飯は別のところでとっており 思いだした時にはすでに飯を食った後ということが何日か続いて。。 ついに最終日を向かえた。 その日は夕飯を食べないで それまでの時間本でも読んで過ごしていた。。つもりであったが 気がつけば9時を回っていたのである。 結局並二つの贅沢は来年の春まで持ち越すことになった。 残念である。 しかし、まあいい。 久しぶりに吉野屋に来たおかげで。。 (といっても一カ月以内に遠隔地で朝定食をたべたが。) ウッチャンナンチャンが店内放送の吹き込みに出ていることが わかったという収穫があったからだ。 (遠隔地ではわからなかった。/どうでもいいことではあるが、 得したことにしておく。)
研究室から程近いところにある焼肉や(名前を失念)
のことで前から気になっていることがある。
その小割箸の袋に書かれている文字である。
焼肉***
銀閣寺道電停前
となっている。
この辺に路面電車が走らなくなってから相当経つ。
これはどういうことだろうか?
まさか25年前に印刷したものをそのまま使っているわけではなかろうし
かといって、この表示のままの割箸をつくってもらっている
というのもゲセナイ。
やはり何かわけがあると思わざるを得ないのであろう。
たとえばお客さんがこれに対して突っ込みやすくしておいて
話しのきっかけにしようということや、
更に、その突っ込みから自らの趣味をつまびやかにする
という算段があるのではないか。。と相当な邪推をしてみている。
真相はまだわからない。機会があれば聞いてみたいものである。
銀せんなるめしやで食いものを食べながらテレビを聞いていると 某国営放送のアナウンサーがふとある言葉をいった。 それは聞いたと気には聞き流してしまう言葉であったが よくよく考えてみれば気になる言葉である。 70%全滅。 これは先日の台風7号による被害がこうだった ということを伝えるのに使われた言葉である。 もしかしたら何らかの基本単位があって その単位が全滅したものを数えたら70%であった という意味かも知れない。 しかし被害の状況を表す的確な表現としては 全滅が何単位あったかというよりは 被害の規模が全体の70%だという言い方であろう。 それでずいぶん気になったのである。 まあゆうなれば、「全開バリバリ」!という言葉の前に 「半分」をつけて、 「半分全開バリバリじゃあ」(最後のじゃあはおまけ) としたと気のおかしさを同じではないか。といったが これの方がよっぽど印象ぶかかったようで ずいぶん話しがヒッパラれたのである。
京大北部生協のライスは、SS,S,M,L,LLがあるが 特に僕はSSライスを食う。 それぞれに結構値段の幅があるので 感じる飯の量と値段の関係から 最も効率のよいものを選んでいるのである。 今日昼飯を食うためにここに訪れたのであるが、当然 SSライスを頼んだ・・。 その見ながら目をおばちゃんの手前に目をやると、 気になる表示があった。
なんとなく書きそびれていたことであるが、 書かないのもおかしいので忘れないうちに特筆すべき情報をまとめておこう。
明治時代初頭には「東京」を「トウケイ」と発音したらしい。 筆者は先週東京地方に出かけた。そこで得た知識を披露しよう。
生活笑百科情報 の解答者が もとに戻った?という情報がある情報筋からはいった のは1週間以上前のことであったがそれはどういうことかというと 最近のレギュラーであった大東めぐみ・月亭八方 から 以前ながらくレギュラーだった2人上沼恵美子・桂南光へ 戻ったということである。 しかし最近の放送ではまた、大東・八方(ゲストは円広志)になっていた ようだ・・。なぞだ。 ともかく今度の放送でどうなっているか確認を待つばかりである。
北朝鮮の話題が報道されると
最近比較的高い頻度で次の言葉を聞くことが多い。
ニャーなるなきごえには目がないK君によると
昨日
某国営放送の7時台のニュース番組で
素晴らしいレポートを聞いたといいながらいまだに笑っているという
事実を確認した。
K君の情報は 未確認の情報 であるが
なかなか興味ぶかいものなのでここに記述しておこう。
昨日の正午北朝鮮は日本海に向けて
テポドンとおもわれるミサイルをためしうちしたらしい。
それでロケットの一部は日本海に着水したが
弾頭部分は日本列島を飛び越え
三陸沖合いに落ちたと思われる。
そのようなニュースがどこの局でも夕方のニュースのトップに来ていたので
あるが国営放送のニュースもその例にもれなかった。
こういうニュースはKBS京都などの独立U局でもない限り
レポーターを関連省庁の前あたりに派遣し
そこからのレポートとして事実を報告するかたちをとる。
この事件ではレポーターが防衛庁からレポートしていたのである。
筆者は実際に見ていないから予想で書いてみよう。
スタジオの女性キャスター「今回のミサイル発射について
政府筋では
どういう意図を持っておこなったとみているのでしょうか?」
レポーター「
そのジイ的なミサイル発射という行為は
北朝鮮の何らかの
アピールであったという見方が強いですがかえって
北朝鮮にとって悪い影響があるように思えます。。」
このようなやりとりがあったと思うのである。
私はリンジョウカンを出すには
その演出能力に劣るのでたいしたものには読めないかも知れないが
実際にじっくりニュースを見ていることを考えると
その面白さはもっとわかったにちがいない。
「ジイ的なミサイル発射」。あきらかにレポーターがいいたかったこととは違う
ことばではなく、しかも、実際にいいたかった言葉
「恣意(あるいは示威)的なミサイル発射」
とかなり発音する側としては似ているものであったが、
この発言を一旦頭に入れてそれを何度となく再生してみると
そのおかしさはどんどん増大していく。
「ジイ」で「ミサイル」で「発射」である。下品な話しだ。
これが
「恣意」で「ミサイル」で「発射」であれば
その状況は全く真剣なものとなるというのに
その落差はいったい何なんだろう。
「ミサイル」で「発射」というのが
テポドンからはなれて、間カンペイや吉田ヒロの
ギャグによっぽど近いものと感じられ
それに再び「じい」が重なると
ほとんどえろ親父のヨタバナシにしかきこえなくなってしまう。
そこで出てくるギャグも
「北朝鮮は男だった」
なるいう場所によってはほとんどセクハラになってしまうようなものしか
ヒットしなくなってしまうのである。
K君はまだ「ミサイル」の報道を聞くたびに笑っている。
別に腹が立つわけではないが非常に悔しい。
私もそのレポートをreal-timeで聞きたかった、のだ。
昼の三時ごろまで寝るというぐうたらなすごし方をした反省として 10000歩以上歩く散歩に出かけることにした。 実家にいたのでその近辺(北東尼崎)ということになるが 今回は「猪名川・藻川で囲まれた中州一周」コースに決めた。 藻川というのは尼崎と伊丹と豊中の境ぐらいのところで 猪名川から分かれ何キロか南下したあと再び猪名川に 神埼川とともに合流するという比較的短い川である。 しかし歩いて見ると1時間単位の時間を要するぐらいの長さである。 今回歩くのはその道のりを含む一周のコースであるから 二時間以上はかかる計算である。 最初はそこまで計算はせず、大体二時間以内ぐらいでまわれるだろう という読みで歩き始めた。 「つかさ書店」なる本屋の前の道が藻川とクロスするところにある橋 から藻川の右岸を歩いていき猪名川と分流するところを目指した。 その堤防を歩くのは随分久しぶりであったが 小学生時代はよく歩いたものである。 「銀橋」と呼んだ水道橋、「猪名寺のもり」とよんだ林、 具体的に言うのははばかられる思い出も含めていろいろあったところである。 ほとんど風景は変わっていなかった。 当時と同じようにイヌの散歩をするひとに何人かすれ違った。 そうこうして分流地点あたりまで行くとここには昔にはなかった 目新しい つり橋をわたって猪名川の左岸の方の 土手の道へ行く。 河川敷の方を見るといくつものグループが バーベキューを行っていた。 そのにおいをカギながらそのよこを通り過ぎていくのは少々寂しい。 しかしそれにこだわっていてもし方がないと言い聞かせてひたすら 前に進んでいく。そのあとは土手を歩いたり河川敷を歩いたり変化を 持たせながら歩いていく。 すれ違う人々はバーベキューをしている家族に一員か イヌの散歩をしているひとである。 歩いていると拡声器で「いらっしゃい、いらっしゃい」 と叫ぶ声が聞こえてきた。ここは「まいど」という生鮮食品の スーパーである。随分前に買い物に来たことが会ったが最近は てんでこない。来るにしても車でこなければたいそうなところなので こうやって歩いてくるというのも不思議なことである。 ただ買い物をして荷物を持って帰るつもりもないので 関係ないことではある。 そこを過ぎると日が随分翳ってきた。 そんなときに土手のよこに見えてきた建物は 「グリーンランドとよなか・いたみ」という建物であった。 ほうほう、グリーンランドがこんなところにあったのか・・と つっこんでみたが実はよく見ると その名前は「グ」リーンランドなのであった。 暗がりで点点がよく見えなかったのである。 なぜ「クリ−ン」なのかといえば ごみ処理場か、あるいは下水処理場の敷地にそれが建っているからのようで あった。横にそれらしい建物が併設されていたのである。 「クリーンランド」自体はスポーツ施設のようで プールもあり建物から飛び出している滑り台まで見えるものであった。 そのあとは化学プラントのような施設をとおりすぎたあと 猪名川に合流する千里川を少しさかのぼったところにある橋をわたって また猪名川に戻る。 丁度そのあたりは大阪空港の滑走路の端っこが近くで カップルなり家族連れなりが暗いのにもかかわらず 結構たくさん見られた。やはりいまでもここはデートスポットなのだろう。 そこから先は猪名川の幅が広がっていくのが見られた程度で 単調な景色が続く。 でも川幅が広がると水面が歩いているところの近くまで に来るため魚が水の音を立てているのが聞こえて この川にも魚がおるんだということを思い出させられたりもした。 結局猪名川と藻川が再び合流するところについたのは 出発してから1時間45分後である。 この時点で2時間で帰るのは困難であるように思えたが ここで終わるわけにはいかない。 今度は藻川の左岸を歩いていく。 途中でバイクの練習をしていると思われる人たちや、 「サビシスト」(寂しい状態にいるひとという意味か?) とその人の後輩らしきひとによばれたひと、 花火を楽しむ家族連れ複数、 マラソンをするおばちゃんたち、イヌの散歩をする家族連れ、 首輪をつけた白い犬らにあった。 結局ゴールに到着したのは出発してから2時間20分後である。 歩数は15000歩もいっていた。すばらしい。 次回はどうするか考えるのもまたたのしい。
午後から大雨である。 といっても実は昨日の夕方にも大雨が降った。 昨日の雨も相当なものであったがいろいろばたばたとしていたので かえってその印象は薄れているようだ。 今日のはそれに比べたら随分本格的なものに感じられたである。 それほどばたばたとしていなかったからその本質を ちゃんと認識することが出来たのである。 この雨では昼飯を食いにいこうと思っても手ぶらでいくわけにはいかない。 靴もこっそりと底のゴムの部分の穴があいたものをはいていくわけにはいかない。 だから自然と僕をいまいるところに封じ込めてしまうのである。 夏の今日とゆえに気温も結構高いし雨のおかげで 湿度も高くなっているのでいまいるところつまりは下宿であるが 快適とはお世辞にも言いがたい環境である。 じっとしているだけでも背中に汗がたまってしまうという状況なのだ。 だから窓でも開けてかぜでも入れようと思うのだが 大雨ゆえに大胆の開けることも出来ない。 だから最小限の隙間だけあけてそこから空気を強制的に取り入れるべく 扇風機をがんがん回すのだ。 それも体にあたるかあたらないかの空気のながれの方向を作る。 そうすると随分快適指数はあがるのである。 意外に快適である。頻繁に下着はかえざるを得ないのは変わらないが それでもなかなか快適なのだ。 こんな生活をしているから冷房に長時間あたったりすると かえって体の調子を壊したりしやすくなっている。 実際研究室でついしばらく寝てしまったときに 起きたときの状況は最悪だったことがあった。そのように体は自然の気候の 対応になっていた。 この冷房によるからだの調子を崩したことと同じようなことを実は すでに体験していた。 というのは少し前まで気温はそこそこ高いが湿度はそれほど高くなかった ときにそれよりもっと以前の蒸し暑い気候への対処方法として 確立していた扇風機を直接体に当てるという方法を ほとんど惰性に近い方法で行ってしまっていたため 体の調子を少し崩すことになっていたのである。 その惰性というのは頭の中で「いままではこれ(扇風機作戦)で快適だったから いまでもこれで快適になれる」という無意識な思いが あったのである。しかし実際はそういうわけにいかなかった。 体をよりいっそうだるくさせてしまっただけである。 この大雨・・書いているうちにやんでしまったが・・ はその快適さを同じ方法で可能にしてくれたのである。 だからちょっとうれしかった。 部屋に閉じ込められたことよりそれがうれしく思えたので 意外にこの大雨の激しい音はうきうきする音に聞こえたのだ。 さて雨もやんだということでメシを食いにいこう。 そこにはまた別の楽しさがあるに違いない。
その昔実家のはるか遠くに憧れの公園があった。 といっても小学校時代のことであるから 「遠く」といっても小学校時代のそれであるから 生活地域を越えたところにあるという意味でしかない。 しかし感覚としては「遠い」ところでなかなかいこうと思ってもいけない というところではあったのだ。 そんなところにどんな公園があったのかというと 自転車で道路交通が学べるという 自転車を自動車とみたてて走りまわることが出来る公園なのだ。 つまり普通の車道を小さくしたような道があって ちゃんと信号や横断歩道、踏切などがあるのである。 むしろ自動車教習所を小さくしたものといえるだろう。 ただこれだけのことであるが それだけでどきどきしたものである。 鉄道に魅了されたものが鉄道がらみというだけで興味深く見る、という 感情に似ている。 しかもいこうと思ってもなかなかいけないだけにかえって そのどきどきはなおいっそう増幅されたのである。 それは夢というかたちで現れたりもした。 つまりそこに行きたいがなかなかいけないから夢の中で 当時乗っていた車輪の小さい、もともと購入したときには補助輪が ついていたがはずした自転車で走りまわったのである。 その夢を見た前後なぜかその自転車は盗まれた。 夢とは関係ないだろうが自転車だけでも他人の力を利用して出かけようとした のだろうかというのは考え過ぎである。 というのは 2ヶ月後に徒歩15分ぐらいの ところで発見されたが家から 公園とは全く反対方向だったのである。 そんな夢の国だった「交通公園」はいまもある。 最近自動車でその横をとおりすぎたが そんな記憶がふと思い起こされたのである。 今はいこうと思えばいつでもいけるが 動機が当時ほどはないからなかなかいけないのだ。
久しぶりにひとり研究室で
金曜日の7時台の朝日放送を楽しんでいる時に
後輩のN君が特大の情報を知らすべく研究室にはいってきた。
もちろんその本来の目的は
別のところにあったのだろうが
もうその目的ではいってきたということにしてしまいたくなるような
情報であったのだ。
彼は
この近くのもっとも大きい大規模ショッピングセンターといえば「いずみや」
であるがそこでの100円均一のかいものをしてきた。
もちろんそこで購入した品々は税抜きの値段が100円なわけであるが
その中に問題の品が含まれていたのであった。
「これなんですよ。」
という時にこぼれた笑みは
まさにその時すでに手に持った品物のすごさを表すのには
十分であるものだったと後から振り返っても思う。
その品がこれである。
銭湯に行ったといつも気にはなっているが いつもさけてしまっていた場所がある。 それは「電気風呂」である。 そこの横に位置するバスクリン風呂はいつも利用するのであるが どうしてもその隣の電気風呂を利用することは 勇気がなくてずっと控えてきた。 といっても完全に入ろうという意思を捨てたわけではない。 バスクリン風呂にはいったときはちょっと腕をその風呂のほうに つけてどんなものかを確認したりするのである。 そうするといつもびりびりと電気の流れる感覚が腕に走り慌てて 取り出してしまうのである。それでその風呂えの恐怖心も増大する。 しかし今日は意を決してそこにはいることにした。 それはいつもの勇気がたまたま少し大きくなったというぐらいの理由である。 普段もすごくおびえているというわけではなく、機会があれば 入りたいと思っていたのだ。 入らなくてもいつもつけている腕ではなく足で感じる感覚とはいかなるものか ということが知られたら御の字と言うぐらいの気持ちだったのである。 最初にいつもの順番で泡風呂・バスクリン・熱い風呂というように入りながら 視線はいつも浴場入り口の横に位置する電気風呂に向かっていた。 電気風呂はバスクリン風呂と同じ大きさで2人入るのはちょっと狭い ぐらいの大きさであったがバスクリン風呂は入る人も多いので 入ろうとするタイミングを計らなければならないのであるが 電気風呂はその心配が要らなかった。 誰も入ろうとしないのである。 今までこの銭湯ではいっているのを見たのは多分1回しかない。 もちろん僕が見た中で、という条件も考えると 一人しか入っていないということはないだろうが 不人気であることには違いない。しかしそこを見てしまうのはやはり幾ばくかの 恐怖心があるということだろう。 すべての風呂を入り終えて暑い風呂にもう一度首までつかり そこへ向かうタイミングをうかがっていた。 別にどんなタイミングでもよいのであるが自分に対する納得のできる タイミングである。 ついにザバア、とたちかがりそこへ向かった。 その風呂の前にたち、その風呂の泡を見据える。 そして左腕に巻いている籠入れのカギをはずし左手に持った。 風呂の中につけないようにするためである。 そしてそろり右足から風呂の中に足を入れる。 ん?意外に何もない。何も感じないのである。 バスクリン風呂から手を入れたときのぴりぴりなどは感じなかった。 そうなると恐る恐るとはいる必要はもうないと思って 普通のスピードでそこに身を沈めていった。 そうすると・・、足が勝手にぴくぴくする。 この感覚は・・低周波治療器(猪木のリズムタッチのようなもの) である。そうだったのか!と思いながら顔を上げて壁にかかっている 効能を見た。 そこを見ると何に役に立つかはあまり書いていなかった。 (心地よい電気の刺激が・・というような記述だったと思う。) が、そこまでいたるプロセスとこの充実感は 十分に満足できるものであった。 これで安心してすべての風呂につかれるのである。 これまでにも増したよる銭湯ライフが送れるに違いない。
再び河原町通りの話題であるが 河原町丸太町の次のバス停を降りて すぐとのところにある薬局に なんとも不思議な絵がかかれている。 その雰囲気は4こま漫画の主人公のサラリーマンといった感じであるが 明らかになぞな部分がある。 それはまさになぞを表す「?」はてなマークである。 これが体の部位にかかれているのである。 よく考えてみればその「?」がかかれている部分に 不具合を感じたときにこの薬局にきなされ、 ということなのだろうがまったく字での説明がない のがその辺に確信が持てない原因であり 気持ち悪さを残している。
![]() |
薬局の絵のイメージ |
京都市バスの17番とか205番とかにのって 河原町通りを進んでいくと「河原町丸太町」というバス停をとおることになる。 そこが近づくと車内放送が流れるのであるが 市バスの車内放送は停留所ごとにスポンサーと契約しているらしく 停留所ごとに決まった宣伝がいっしょに流れるのである。 この停留所ではこれである。
夕飯を食いにいく途中で あるひらがな五文字の運送屋の横を通り抜けそのまま北に歩いていっているとき 視界の端で何か奇妙な記述を見つけた。 しかしそれは単なるかき間違いだと思ってしかも気がついたのがそれを発見した 地点から随分先だったので「まあよい」と見過ごすことにした・・。 が、どうしても気になる。何か大変なことを見逃すことになる・・・。 という思いが足を進めるほどに募っていき、ついには 走ってその記述があるところまで戻っていってしまった。 改めて見てみる。 じっと見てみるとそこにあるものは走って戻ってくる価値が余りあるものが あったと思えたのである。
興信所というのは 秘密裏にある人のことを調べる団体のことである。 最近の流行で行けば「探偵」といった方が通りがよいかもしれない。 その興信所のビラが研究室の新聞とともに入っていた。 内容は裏面でその会社の仕事の内容、実績と優秀さをうったえて 表では特に売りにしたい仕事の内容が書かれている。 お花畑をバックに親子連れ三人がうつっている。 それは実にしあわせそうだ。しかしその写真の だんなと嫁さんの間に亀裂が入っていて しかもだんなの頭の上にはだんなが考えていると思われる 若い女性の顔が・・しかもその目はどこか馬鹿にしたような気配さえ 感じられる。 その結果が「しまった!!」と(嫁さんが)考えるということなのだろうが 亀裂の下に「しまった!!と思わぬ先の調査です。」 と書かれていて、その字の横に「しまった!!」と思ったあとの嫁さんの 顔が出ている。髪形がむちゃくちゃで目を見開き眉毛が微妙に ゆがんでいるかお・・なのだが、 どうもその深刻さは伝わってこない。 どう見てもドリフのコントのなかの爆発した後に出てくる顔の 顔を黒くしていないものにしか見えないのである。 さらにその嫁さんの顔が同じ人のものとは思えないのが (これは本当に探偵の必要性を訴えているのかという) 問題を深刻にしている。 探偵の仕事はプロなのだろうがどうも巷の人たちに訴える力は 少々足らないのかもしれない。 ただ僕のような人にはかえって印象深いものを残したのには違いないが その宣伝効率は悪いだろうのう・・。
某スープスパゲティーやでN君が百万遍でみた
サッポロのジュースの販売機には
はっとさせられるものがあったという。
どこのメーカーにおいてもウーロン茶やそれを混ぜたようなお茶の商品は
少なくとも1つはある。
サントリーならばのほほん茶、
アサヒなら十六茶だろうか
伊藤園はもともとお茶のメーカだから充実しているが
おーいお茶が一番メジャーであろう。
その中で、コカコーラボトラーズは
爽健美茶というものを出している。
CMではその中に含まれている「
ハト麦、玄米、月見草、どくだみ、ハブ茶、プーアール」
(最初の二つは忘れてしまった。)
とメロディーにあわせて喋っているが
そのCMの効果があってかその商品名は頭のなかに浸透している。
その名前爽健美茶はそのままでは実に覚えにくいものであるが
そのメロディーのおかげですらっと出てくるのである。
(そういえば「すらっと茶」というものもあった。)
しかしそれが浸透すればするほど後から追随するメーカーが
それとぶつかる商品を売り出すのが難しくなる。
そこでとる選択肢のはそれを越えるような斬新な新商品を
考案するか・・・あるいは似た商品でその商品のイメージに
便乗しようというところである。
それのうち後者がN君がはっとしたことの答えである。
そのサッポロの自販機にあったのは
お茶の缶の商品であった。
その名前は「爽美快茶」というものであったという。
まだ商品を確認していないがそのイメージは明らかに引きずっている
のは明らかである。しかし
似てはいるが少々名前のスマートさはかけるような気がする。
しかしそれはほんの少しの差ではあろう。
たとえば「爽健美茶」の意味を考えるとき
「爽快」「健康」「美人」「お茶」というように展開できるのだが
「爽美快茶」の方は
「爽快」「美人」「快適」「お茶」というようになって
なんとなく「爽」と「快」の意味がかぶっているような気がする。
読んだイメージでもなにか後者はバタ臭いもっと踏みこんで言えば
パチモンくさいイメージがしてしまうのである。
(実際パチモンなのであるが。)
そう言う路線で言えば
もっと徹底したメーカーがあるのをご存知だろうか?
チェリオである。
チェリオといえば ライフガード、ビッグ:スーパー***シリーズ
(メロン、グレープなど)セーフガード
などお得な量だが癖のある清涼飲料水を巷の人々に提供しているので
名をはせているがそれ以外にも
パチモンくさい商品を提供しつづけているという側面でも
その名は高い。
特に印象があったのは缶コーヒー350mlの商品で
一番上がうす茶色、真中がしろ、下が赤色のデザインのもの
(これは缶コーヒーでは最も歴史の長いものの1つである
UC*の缶のイメージそのままである。ただしオリジナルの方は
250mlであるのでもっとスリムである。)
と、
「北風景ココア」というそれが発売していたときに
よくCMでやっていた「ココア風景」にそっくりなデザインの缶を
使った商品である。
ここまで徹底するとそれは一つの文化として受け入れたくもなる。
(ちなみに僕は結構飲んだ。)
これらはオリジナルと似てはいるが全く別の「チェリオ的な」ものとして
とらえいて買うときや飲むときにはオリジナルとは違った覚悟で
臨んでいる。そうしたからこそ受け入れられるのである。
サッポロにもそのチェリオ的な覚悟をもって商品開発に臨んで
もらったらその「爽美快茶」もいきてくると思われるが
今はただの便乗に終わってしまうような気がするのだ。
そういえばノートブック型のPCでも
ソニーのVAIOに似たものが次々に各メーカーから出ているが
あれはほとんど便乗であろう。一歩出るか、あるいは、
便乗だけで終わらない何かを出して欲しいものである。
その翌日早速今年二匹目の成虫が現れた。 こんどはこっそりと電話機とCDドライブの間から顔を出したのである。 しかしこちらが捕まえようとすると急に敏感になって そそくさと走り出した。しかも逃げる場所がごちゃごちゃしたところなので うかつに手を出せないのである。散々追いかけ回した結果 彼はごみ箱がわりにしている箱の下に逃げこんだ。 最初はわからなかったのだがあの長い触角をゆらゆら揺らしているので わかったのである。「尻隠して頭隠さず」である。 さてどう捕まえようかと考えたところ、やはりゴキブリホイホイに 登場願うことにした。前回は上から粘着部分を押しつけるという 少々強引なやり方であったが今度は知的に 彼自らそこのご入場していただこうという作戦にしたのである。 つまり彼がいまおどかされたら走り出しそうなところにホイホイを設置するのである。 そうした上でごみ箱を揺らすと彼は本能のままに直進し見事にホイホイ のなかにゴールインするはずである。 置き場所は壁際にした。さきほどの追跡における彼の走りかたを観察するまでもなく ゴキブリは壁際を走ることを好む。 なにかに触覚が触れているところを移動するのが安心するのかもしれない。 その習性を考えて彼の前方30センチにそおろっとホイホイを設置した。 そしておもむろにごみ箱を揺らしたのである。 彼は慌てて自らの進行方向に走り出した。そのままホイホイに入場である。 しかし油虫はその粘着部分に足がついた瞬間にくっついてしまうことはなく その上をいくらか歩いてしまうようだ。 彼が粘着に足を取られたのは出口付近の返しで前進が妨げられたところである。 粘着でくっついてしまうには少々時間がかかるのだ。 そう言う意味で返しがあり、ホイホイが縦に長いのだ、ということを 実感できたのだった。
東京ラーメンの大盛りをくって幸せな気分を味わっていたのも つかのま、ついにことしもか!と思うことを体験した。 あぶらむしである。 油虫といっても関西でいうそれである。 体中が油に覆われていてギラギラするその体を持ち かつその大きさは指で潰せるほどのものではない、あの虫である。 たしかに1カ月前には胴体に一本の白い線が入っているような 幼虫というべきそれを何匹か発見していたのだ。 そういえばその幼虫はただ歩き回るのにはとどまらず 例えば本の上をあるいている時にそのハシッコに到達すると そのままそのままおりていけば良いのにハシッコで 「おればつよいんだぁ」といわんばかりのポーズをとるのである。 あれはなんだったのだろうか? とにかくその幼虫の1匹が 知らぬ間に育って立派な成虫となって現れたのである。 しかもその現れ方が派手であった。 とつぜん、かさかさかさ。。。という音が聞こえたと思ったら 壁にへばりついてあるこうとしているが 足がすべって歩けないが羽をばたつかせてなんとかその高さを維持しようと 懸命に活動しているそれだったのである。 いくら例年よりすごく暑いからといっても そこまで威勢良く現れなくても良いと思うが。 幼虫のポーズと何か通じるものを感じたりするのだが 気のせいだろうか? しかしそんな威勢の良い油虫にしてはあっさりと捕まえられてしまった。 それもゴキブリホイホイの粘着部分で捕まえるという ずいぶん余裕のある捕まえ方でである。 暑いからナツバテしているということはないだろう。 成虫に育ったとはいえ、やはりうちにそれほど食い物が揃っている わけではないので体力的には不十分な成長のしかた をしてしまったのだろうか。 ともかくこれを気に何匹ものそれが現れることを覚悟せねば なるまい。さてことしは何匹に遭遇できるか。 ちなみに去年はホイホイで捕まえたものを含めて 6匹であった。
バスにのっていると、「本家かまどや」という弁当やの新しい店が
完成していたのをみかけた。
そのとき今まで忘れていたことをふっと思い出したのである。
ほやほや弁当
という店をどこかでみたということである。
思えば弁当やの名前というのは2大メジャー勢力の
さきほどの「本家かまどや」「ほっかほっか亭」を筆頭に
僕の知る限りでは「ほかほか弁当」
・・・・・と上で言った「ほやほや弁当」がある。
かこうとしたがに知らない事実に少々愕然としてしまったが
本当はもっとローカルな展開をしている弁当やの名前で
きいたことがあるが、ちょっと違う
ものがあるにちがいない。
とにかく「ほやほや弁当」という屋号を思い出したわけである。
これはなにか?あきらかに「ほかほか弁当」をいしきした
名前付けであることには違いない。
ただ「ほかほか弁当」自体はそれほど大きな勢力でないのが
しょうしょう気になるところであるが、
やはりそれがさらに意識している名前「ほっかほっか亭」
の存在を考えれば意味はわからないでもない。
その意識した名前というのはわかったが問題は
なぜそのような名前にしたのか、
ということである。
ほやほや・・。その言葉は単独では実はあまり意味をなさない。
ある言葉の補助的な擬態語である。
それはなにかといえば「できたての、・・ほやほや」
という対で用いられる言葉なのである。
つまり調理したてで湯気がホクホク立っているさまを表す言葉なのである。
しかし単独で用いられるということは少ないのがこの言葉の弱いところである。
そこになにかその「ほやほや弁当」という屋号に
胡散臭いものをかんじてしまう原因の一つがあると考えられるのだ。
しかし、それをどこでみたかをはっきり思い出せないのが
おしいところである。(それだろう、という候補はあるが絞りこめないのである。)
彼はビニール袋を歩いて少し下向き加減で夜道を歩いていた。
ビニール袋はどこかのスーパーでもらった買い物を入れるポリエチレン製のもの
である。それの中には手桶とその中にはタオル石鹸シャンプーが入っていた。
風呂屋に向かっているのである。夜とはいっても随分明るい。
といっても夜の繁華街ほどきらびやかではないがその辺の風景はちゃんとわかる程度に
明るいのである。しかし昼間にかんじるその風景とは随分違っていた。
かたちは同じでも随分冷たいかんじがするのである。これはその光の弱さから
感じられるものかもしれないけれどもそれ以上にその建物の中行われる活動
が感じられないのである。その中の人々が寝ている、ということを表しているのだろうがそれは単なる静けさ以上に孤独感を伴うものである。なんというか子供のときに
夜中に起きて便所に行くときの感じを少し弱めたものというのか。
こどもの頃、夜中の便所というのは実に恐怖が伴うものであった。
彼は当時「怖くない」と信じていたという記憶があるがじつはその自己暗示は
実は「怖かった」ということの裏返しだったのである。
それは気をしっかりもっていると「怖い」という心が表面に現れないのだが
ふとしたきっかけにそれが表面に出てきてしまうことがあった。
なぜか知れないがそれは時々経験していることであった。
今日歩いているのもいつもの夜道で昨日と変わっているわけでは決してないのであるが
なにかいつもより孤独感を感じているようだった。
そこで一人うろたえることはない。
しかし心の中ではうろたえていたといってもよいであろう。
いつもと同じ歩幅ではあったが長い時間に感じられた。
角を曲がって前方にその明かりをみたときいつになくほっとした感じを受けた。
いよいよだ。そう言う言葉が彼の心を走った。
道路にはそこの客と思われる車がとめてあるが
乗り物を使ってそこにくるというぐらいにここの風呂屋を気に入っているのだろうかと
それを見るたび思い出すことをそのときも繰り返し思った。
そのすぐあとぐらいにズボンの左ポケットを彼はまさぐる。
じゃりじゃりと音を鳴らして指で勘定をする。
しかし枚数が多いので結局取り出して確認する。
ちゃんと足りるかどうかを見るのである。
前そのことを怠ってしまったときに番台で恥をかいてしまったのだ。
あると思っていたときにないときなかなか恥ずかしい思いをする。
店で買い物をしたときに持ち合わせが足りないと何品か減らせばなんとか
なるのであるがここの品は分割できない「入浴料」なのである。
その確認をした後、ふっとあることを思い出して確認する。
タオル、シャンプーその他の所持の確認である。
これも経験があったのだ。
お金を忘れたときよりはまだ面目が立つが結局家まで戻って再びこなければならない
ので結構大変である。番台まで言ってまた逆戻りしなければいけないという意味で
これら二つのことはセットになって思い出されるのである。
ちゃんとあることを確認した頃には彼はすでに風呂屋の入り口に入ろうとするところまできていた。
靴を脱ぎくつ箱に入れる。それでかぎをとり左手で握って反対側で代金をつかむ。
戸をあければすぐ番台である。
あけようと彼がその戸に手をかけたときすうっとその戸が開いた。
丁度風呂屋から出てくる人がいたのである。しかもその人たちはここが長いのか
番台のおばちゃんと話しており戸をあけながらもなかなか進み出ない。
番台のところの道はそんなに広くないので一瞬どうすればよいかわからなかった。
親しげに話している中を割ってはいるというのはなかなか大変なことである。
しばらくその様子を眺めてしまっていたが一項に道を明ける様子もないので
強行突破することにした。もちろん現実にはそれほど過激なものではない。
ただ番台とおっちゃんの間をとおるということで
その二人の邪魔をするということにはなろう。
もちろんとおれた。しかしこちらが動かない限りはおっちゃんのほうも
動こうとしなかったのは少々気が利いていないことである。
そう言えば彼は繁華街の大き目の本屋でこういうことを体験した。
その本屋は敷地面積が比較的狭いかわりに階数のある構造であった。
だから下に行くほど人がいっぱいになってしまうのである。
特に1階はすごい人の混みようになることが多い。
そんなときに本棚と本棚の間で人とすれ違うことになった。
彼が横になってすれ違おうとするがなかなかとおれない。
相手の人が通そうとしないのである。
つづく