Home(DTI), Home(Kaba), 徒然Index, 徒然9, 徒然10

つれづれなるままに(10)


日々の徒然をつづるページである。 いよいよ2桁突入であるが、変わったところが何もないのです・・。


筆者への意見は こちらまで。
  1. 2000/7/6

    グロイザーXの人気

    この間、韓国からグロイザーXについてのメールを受け取った。 内容は、 (1)その人が26歳の韓国人であること (2)1980年に韓国で放送されたグロイザーXをみてほれてしまったこと (3)ビデオを持ってたらほしいということ であった。 残念ながらビデオは保持していないので送ることもなかったのだが、 それ以上に驚くべきは、「グロイザーX」が国内だけにとどまっていなかった ということである。(日本人の)誰の記憶からも消え去りかけている このアニメをしっている、しかも、お気に入りという人が海外にいた というのがなかなか驚くべきことだろう・・。 気になるのは、どのへんが魅了する要素であったかというところである。 ちなみに筆者がこのアニメに出会ったのは今を去ること7年前になろうか。 魅了したのはその手抜きさ加減のほれぼれするぐらいの すばらしさ・・であったのだが。

  2. 2000/5/6

    国道308の恐怖

    奈良から大阪までの移動手段といえば何があるだろう。 普通に考えれば、電車か自動車ということになろう。 そのほか、 徒歩とか、飛行機とかいうのはよっぽどのことである。 電車に関しては、もろもろの手段があろう。 しかし、JRと近鉄を使う手段に絞られる。 一方、自動車の方はどうだろうか。 奈良と大阪の間には道路が走っているが、 最短に近いものをあげれば2つぐらいに絞られるに違いない。 一つは阪奈道路、そしてもう一つは第2阪奈道路であろう。 それぞれ、一般道、有料道路の違いはあれども立派な道である。 ただし、阪奈道路の方は峠をほぼまともに越えているので、 ヘアピンカーブ連続の道ではある。しかし、対抗車線のある 立派な道であることには違いない。 これに対して第二阪奈道路は山をずばっとトンネルで越えた道路である。 そのトンネルを建設する費用を捻出する手段としての有料道路化なのであろう。 しかし、その分到達時間は短い。 鉄道などはもともとそのような山越えをしているから 第2阪奈道路は自動車に鉄道の快適さを与えたものというべきだろう。

    自動車のならから大阪へ抜ける道は2つあるといったが、実は他にもある。 もちろん、遠回りして生駒山地をうまく避けていく、という手を考えれば いくらでもありうるのであるが、そうではなく、生駒山地に「まともに挑んでいく」 道である。その道路がまさに国道308号線なのである。 道路地図を見れば、国道は県道や府道に比べても特別な扱いになっている。 最近はやりのカーナビに使われている地図データでもそうに違いない。

    5月5日は子供の日であったが、それにともなって休みであった。 しかも連休のさなかの休みであったので、久々に友人とドライブを興じている のであった。 もともと、なにげなく、友人のZがどう小説の舞台が新しい京都駅なのだが、 その全貌をいまだみたことがないので見てみたい、という話がでたので、 京都に向かったのだが、それほど中身には興味がなかったようで そのまま外面を見ただけで京都を後にした。その後、まあ大きく言えば 戻るだけであったのだが、あまりにも目的の場所での時間が短かったので、 その物足りなさを取り除くべく少し遠回りして帰ることにしたのだ。 そこで選択した帰り道は、奈良経由大阪をとおっての帰還であった。

    いっていなかったが、京都からの運転は筆者である。 どこかで飯やら本屋によるやらした場合に車から下車した時に 運転を交代することになっていた。 京都から奈良は26か23か忘れてしまったが、2桁の数字のついた国道 を走って進んでいった。 京都からはその道をとおるつもりもなかったのだが、奈良に行くように 標識を進んでいくと知らぬ間にその道を走っていたのである。 ほぼ奈良に到着した、というところで便所のみが備え付けられている 休憩所で一休みをした。もう少し行けば奈良市に突入するところである。 ここまできて、京都・奈良間は意外に早いな、と感じたのであった。 こりゃ、たいしたことないわ、とかんじたのも事実である。単に どこにもよらず車を走らせつづけただけだっただからだろうか。 そこで20分歩を休憩をしたあと、本を選び購入することも目的であった ことを今ごろになってから思い出したので、本屋を探しながら大阪を目指すことに なった。 ここで友人のほうに運転の番が変わるはずであったが、 本屋の提案をした関係もあって、本屋が見つかったらそこで交代しようということになり、 そのまま運転は筆者のままであった。 運転し始めてから20分ぐらいだっただろうか。奈良市内を走っているうちに、 あっさりと本屋が見つかった。もちろん車がとめられるような十分なスペースが ある本屋である。早速そこにはいって本を見てみることになった。 約束どおりここで運転手も交代である。

    本屋はたいしたことがなかった。つたやのような品揃えで どうも個性に欠けたのである。というより、ほしいこだわりの本が見当たらない 品揃えであった。さすがに郊外型で広めの敷地であるとはいえ そういう品揃えを求めるのはやはり苦であろうか。 10分ほどの閲覧程度で店を後にすることになった。 さすがにここで購入を駆り立てられる本があるわけでもなかったので、 しかたがないことである。 あとは、本当の意味で大阪に向かって車を走らせるのみである。 本屋があるような道というのはある程度車の交通量もあって 道幅もそれなりにあることが条件であろうと考えていたので、 カリの道はそれなりに有名な道でなくてはいけない、という思いが 少しあったのかもしれない。運転者のZにあとできけばやはりそれは考えていた、 ようである。 助手席で見るその走りはほぼその意図を反映していた。 道の真中に中央分離帯はあるし車もそれなりに走っている。 地図代わりにつけていたカーナビでも赤い線上を走っていることを表していて これは主要道路の国道を走っているのだなぁ、ということを感じさせてくれている。 そんなときに、ふと道なりからはぐれた時があった。 いや正確に言えば道なりではあったけれども、バイパスにのり損ねた、といった方が 正しいはずである。 地図を見てみれば赤い線が分離しており、旧道のほうを走っているということが うかがえる。 その道は見るからに相当前からあった道である。 車がとおるには狭いが、人がとおるには十分な道である。しかも道の両側に 民家や店がみっちり並んでいる。 まっすぐなルートではあるがとても拡幅工事ができない構造である。 バイパスが大きく右にそれていたのはそのせいだろう。 このあたりは尼ヶ辻という町らしく、近鉄の駅もあった。 駅の近くだけあって、人の往来も多いのでこの狭い道を進んでいくのは至難の技で あった。車同士のすれ違いも一苦労である。 この道が国道308号線であることに気づくのは、その狭い道をとおっていた時に その標識が現れたことからだ。角の取れた逆三角形の青い看板に たしかにその数字が書かれていた。地図を見ても間違いない。 その道なりをいくことは、まさに大阪に向かっていることに間違いなかった。 地図を見るとバイパスの方は平行に走っており、途中で有料道路に化けてしまっている。 道はまっすぐ抜けているようであった。 こちらはといえば道は間っすく続いていた。 ただし、道が異様に狭い。両側からせまりくる建ての古い民家群は 威圧感を感じるほどに重い。 ただそれでも何か吸い込まれていく不可思議さはあった。 これはたしかに狭くて先がなさそうだが、それでも続いていくに違いないという 思いがあったのだ。もちろん、それは思いなどという心もとないものだけではなく、 カーナビゲーションという文明の利器によっても証明されていた。 われわれが進んでいる道は確かに国道308であると。 この道は本当に国道だろうか。そういう思いのはしに、いやいやこれは国道だから この住宅地の中に終点があってはいけない、という考えが付加されている 状態であったのだが、なぜか確信に近いほど後者の説を採っているのであった。 運転者のZはどう思っていたのだろうか。かなり不安に思っていたことにはちがい あるまい。しかし、 気がつけば他の道が袋小路になってしまっている現実を 一番よく知ってか、不安とも取れそうん箱と場を発しながらも前進すべし、 という勢いを感じさせる運転である。 民家の所を越えてしまうと、竹林に覆われた道が続いていく。 その風景はどこかで見たことがあると思えば、まるで筆者の田舎の方の 道なのであった。あの道は山奥の集落に通じるのみの道なのであるが、 行き違い場所がないところは、きっちり車一台しかとおれないような幅員なのである。 前から車がきたらどうしよう。そういう恐怖にさいなまれながらの運転である。 道がうねるために見通しがむちゃくちゃ悪い中そういう恐怖は当然常にある わけでその精神力と、緊張からくる体力の消耗はなかなかなものである。 そのような山道は狭いだけではなくて、まるで昔六甲山へ遠足に行ったときに 経験したような坂道を車を使って上り下りすることもわれわれに容赦なく 要求してくる。もちろん、その程度の道で車がひっくり返ることはないのだが、 それでも精神衛生上よくない。ただ、助手席の方か相和せてもらえれば どきどきかんのみの残って実は心地よかったということはそこでは 口が裂けてもいえないことであった。

    道が林を抜けた時、下に大きな道路が現れた。しかし、その道路には入れるような 形にはなっていない。なぜかといえばその道が第2阪奈道路であったからだ。 そちらは有料道路である。しかし、奈良のほうの道路のつながり方を見れば この国道308号線のバイパスとしての性格があるのでは・・と も思ったが、そうは思えないほどの差がここには歴然としてある。 この狭さはなんだ・・。まずそれがあって、その後に、 この傾斜はなんだ、 この急カーブはなんだ・・と続いていく。 まるでジェットコースターを車で味わっているかのような錯覚は 本当に国道で味わってよいものか、どうか。 気になるところではある。 しかし、カーナビゲーションは一途である。この曲がりくねった道をしっかり おってきてくれるから感心する。そのことに驚きながらも逆に 地図の道のくねりを見てよくこんなところを走っているもんだとも感心する。 そんなこんなことを考えながら、気がつけば峠は越えていて 下り坂ばかりの道であった。降りていくのはなかなか爽快。 もちろん行き違いの車があれば恐ろしいが、それがないとなると、 半分は過ぎたという安心感が気持ちの大部分を占めるからである。 そのような快適な時間というのは時間の流れが速い。気がつくと近鉄の 踏み切りがあるほどのふもとに下りてきていた。 しかし、なぜか道なりの道は谷とは直角方向にしっかり続いていた。 しかもふもとに下りても民家が軒を並べることが加わっただけで道の幅が 広がることはなかった。その谷部分では谷方向に走っている国道162?が あったが、その道は立派であった。対抗車線がちゃんとある道である。 思わずそちらににげようかと思ったがさすがにそれをしてしまうと ここまで進んできたことが水のあわになるに違いない、ということで それに惑わされずまっすぐに進んでいくのであった。 まっていたのは、もちろん狭い道の上り坂である。

    先ほどに続く急な上り坂と、まわりから迫りくる民家の連続である。 たまに後ろに車がつくことがあったが、なぜが途中でUターンしていってしまうの である。まるでわれわれの不安をあおるかのような演出である。 こちらの道は峠を越えるまでは比較的人家の多い道であった。 しかし、峠を越えるころになると急に人の家がなくなる。 ここが県境なのだろうか。下り道は相変わらずの細さではあったが、 ちゃんと舗装されているところが怖い。しかも「通学路につき通行をご遠慮ください」 の建て看板まである。しかし、横に逃げる道がないのにどうやって遠慮そればよい のかという突込みを与える余地も少ないほどに苦労のある道であった。 疲れた顔の運転者のZが「よ〜しっ」とふと元気を取り戻しながら発した言葉の後に 車の停車できるほどのスペースに車を入れて「ふ〜っ」を一息ついた。 とまったからには運転を交代してもらわにゃ、とでもいいたげである。 しかし、さすがにあの疲労度を考えれば交代せざるをえないだろう。

    しばらく休憩の後、自然に肥料を与えた。その後、運転手が筆者に代わり残りの 山道(308)をいくことになる。 友人のZもさぞ気が休まるであろう。しかも同じような疲れを味あわせることが できるのである。 しかし、あっさりとその山道は10分後になくなってしまい、 普通の狭い道になって、しかももう街は目の前になっていた。 拍子抜けしたのは筆者以上にZの方であるに違いない。 最後の部分は一部一方通行になっていて、はたして大阪方面から 308を通って奈良方面に出られるのか、ということに対して 否定的な答えを与える状況であった。そして、 308号はほどなくして普通の府道になってしまった。 しかし、308号の大部分の道の幅よりはるかに広い幅を誇っていた のはなんとも皮肉であった。


  3. 1999/11/20

    のっぺりびゅうりっぷ

    JR東日本にお世話になることが多いのであるが、 そのお世話になっている間、つり広告やその他のところにある広告で その時間をつぶしていることが多い。 その中で「役に立っている」と思うのは週刊誌の広告である。 これはほかの場所での話題にもなるし、駅を降りてからのコンビニでの すごし方のアイデアも提供してくれる。なかなかよいものである。 しかし、これほど実用的でなくても、その時間が過ぎるのを忘れ去れるほどの ものがあったりする。 それが「びゅうりっぷ」と「J子ちゃん」である。 それぞれJRの旅行センター・JRのマナー担当のイメージキャラクターである。 だからそれなりのところに出てきて、それぞれの相応の広告効果を あげている。J子ちゃんに付いてはまた別の機会に触れるとして、 今回は「びゅうりっぷ」に焦点を当てよう。

    「びゅうりっぷ」はJR東の旅行センターが「びゅう」という名前である ことから駄洒落をつかって命名されたと思われるキャラクターである。 形状は顔が黄色いチューリップ、体はまるでシートに針金がついているかの ような形である。からだにはひらがなでびゅうとかいてある。 色は葉っぱをイメージして緑である。それだけではなくて、 なにか奥ゆかしさを感じさせる為か、わざと粗いドットが見えるように かかれている。顔面は目が大きい漫画系の顔をしている。 じっと見ているとどうもはまってしまいそうな顔をしているのだ。 最近でいうと、扉のところに張っていた「私はびゅうりっぷ」という コピーとともにびゅうリップの顔面が乗っていた広告が 妙に心に印象を残した。そういう状況で次のような広告を見たのである。
    いつものように尻手駅を降りたところに旅行のプランを客に訴える 模造紙にかかれた広告が目に入った。 おそらく駅員が書いたものであろう。字もマジックで書いた手書きの文字 である。その内容はともかく、まずはじめに目に入ったのは そこにそえられていた絵である。
    顔は黄色く、体は緑で、顔はまるでお花を横から見たかのような輪郭である。 中には漫画のように目が大きい顔がかいてあって・・・。 すぐにあるものが頭をよぎった。しかし、それとそこに書いてある絵を 照合しようとして失敗した。 何かが足りないのである。みかたによっては90%は照合できるのだが、 のこり10%は確実に違うものと・・おもえたのである。 何が違うかといえば、のっぺりとぎざぎざ である。そこにかかれている絵は、明らかに「びゅうリップ」であったが いかんせん、マジックでかかれたものであったからもともとの 「びゅうりっぷ」にあったぎざぎざが表現されてなかったのである。 見ているとものすごく間抜けに見えてしまうのは悲しい。しかし、 そこに逃れられない笑いが生じたのは事実である。 それを見ている時よりは、後ほど、思い出し笑いとしてそのことが 思い起こされるのである。疲れた時、ほっと一息ついたときに 心のすきにし・の・び・こ・む〜。のはまさにこういったことか。 これは最近少々心が疲れていたのでそのオアシスであった。 これからもこういうこそばいところをつく事実があればよいですな。


  4. 1999/11/20

    ツということを表すローマ字は難しい。

    元住吉駅から自宅に帰る途中でみる果物屋があるのだが、 その店の名前が何であるか・・ということは 最近になるまで気に求めなかったがあるときふとそれに気をとめる ことがあったのだ。 それは偶然だったのであるが、店の上の壁に目をやった時である。 最初はつたの模様かと思ったのであるが、それを立ち止まって じっくり見てみるとそれは意味のある記号であることがわかったのである。

    YAOKATUS(仮名)

    ローマ字で屋号がこっそり書かれていたのである。 しかも細い字で後ろのレンガの模様に埋没してしまっていたので よく見ないわからなかった。 気が付いて改めてその文字を見ると、ここは元八百屋だったのか・・ と気が付くのであるがよく見てみるとそれでこの話は終わらない。 注目すべきはその後半である。 「KA」この文字ははっきり読める。漢字変換を使っても自動的に 「か」という文字になるからこれは確実に「か」と読める字である。 問題はその次の3文字である。 「TUS」タス?そう読んでしまいかねないそのつづりはいったい何を意味 するのか・・・。はたと考えた。 しかし、これは日ごろの文章入力に置いての出来事を思い出せば 実にわかりやすい現象である。 たとえば、ここのページのファイル名は"tsurezure10.html"というもの であるがそれにアクセスしようとして、おもわず"tusre.."と書いてしまう ことがある。tsuというのがtusとなって実際には入力してしまうという    ミスである。これは一塊でその入力を頭でとらえているときに     よく経験することである。その現象が、この果物屋の頭上にも起こっている、 と考えることもできる。しかし・・、ここまで放置されている (それほど新しいような光沢が見られない)ことを考えると そんな単純なことではないかもしれない。その店の店主およびその人に 知恵をつけた人がtsuというつづりを正確に把握していなかったかもしれない それでそのまま放置されてしまった。さらにあまり目に止まらない位置で、 目立たない字体なのでそのままになっているのであろう。 その文字の間違いを指摘するのもよいかもしれないが、 ここはいつ気が付くか、ということを楽しみにしておくことにしよう。


  5. 1999/10/25

    時代劇に風が・・

    ひさしぶりにY氏のメールをいただいて 最近感じていなかった「時代劇」への欲望がひさしぶりに よみがえった気がした。 氏のねたは「右門捕物帖」杉良出演だったのであるが このあたりになると正直言って昔からの濃いファンではない 僕にとっては少々記憶が混同している状態である。 ゆえに、その記憶を強化する意味でもいろいろ音や映像を見て 記憶を強化したいのである。 こういう記憶の強化こそはなかなかに気持ちのよい作業で、 今までかすみのかかっていたものが取れていく感覚とともに それを見たことへの感動、うれしさ楽しさ、 前から見たいみたいと思っていたことの充足感でいっぱいになるのである。 そしてそれは次への期待にもつながる。。 しかしこちらでは見られない、というのかなりつらいところである。 しょうがないので、「右門捕物帖」でネットで調べたところ( 例によってgooなのであるが) 渡辺岳夫のファンのホームページの下にある音楽のページが引っかかった。 なかなか興味深いので見てみることをお勧めするところである。 といったところでちょっと落ちがないのままに次回の記事に続く・・。


  6. 1999/8/18

    天一川崎店のスープが!

    最近暑い日が続き、いつも以上に疲れがたまって夜を迎えることが 多くなる季節である。こういうときには夜にせいの出るものを食べて 翌日の活動に備えると言うものであるが、 まさにそれにうってつけと思われるのが、天下一品ラーメンである。 数ヶ月前に京都に住んでいたときに KBS京都でテニスサークルどろどろラーメンと言う似つかわしくないもの を強引に引き合わせたと言うすばらしいCMがあったが、それを 知るものは少ない、が、天下一品を知らないものはなく、 不思議にむちゃくちゃ食いたくなる衝動に駆られる不思議なラーメンが まさにこのラーメンであった。 本店は京都の北白川、京大に程近いところに構えている店であるが、 実は僕自身は行ったことがない。 しかし天下一品を食べていなかったというわけではなくて、 いつも最も近い、天下一品銀閣寺店で食っていただけのことである。 そしていよいよ関東進出を果たした現在ではその味を堪能することもなく・・ となるはずであったが、ところがどっこいである。 川崎の仲見世通りにしっかりその支店が新しくも店を構えていたのであった。 早速ことあるごとにその店に通うことになったのだが・・

    そういう毎日、と行ったら大げさであるが、日々をすごしてきて おとといが訪れる。 そのときは同様のY君と食いに行ったのであるが、 Yが思いがけない言葉を口にしたのだ。

    「川勝さん、何気にここの天一のスープ、薄くありません?」

    青天の霹靂というのであろうか。これまで無意識に気になっていたが 明らかにはなっていなかった事実がまさに目の前に現れた感じがした。 そういえば、以前に比べて、浅い時間に客がいっぱい入っているでは ないか・・。何かこれまでの天一とは違うことが起こっていることを それら瞬間的に感じることで直感した。 そのすべての原点は「天一川崎店のスープが薄くなっている」と言う事実 につながる。

    これが事実だとすれば次のようなことにも考えがめぐる。 薄くなったスープと客の入りの多さ。一見関係なさそうであるが、 これは重要な関係と考える。簡単に言えば、関東に住む人たちには オリジナルの天一のスープが濃すぎて、毎日通うほどにはいたらない、 ということである。そこで、スープを少し「あっさり」に近寄らせたらどうか という考えにいたったに違いない。 もしかしたらそれは単純に経費節減の策であったかもしれないが、 口には出さないが「どうも濃すぎる」と感じていた川崎生活人が、 非言語コミュニケーションたる味わいでそれを感じ、薄くなったスープを 歓迎したに違いない。 また、 もともと京都に住む人たちが、天一のスープに はまると一週間は抜けられないと言うように、 このすこし薄いスープに京都人と同じ現象が川崎人にも おこったのである・・。ということがいえる。 しかしオリジナルの濃い味に三与久を感じていた人々われわれのような 人々にとっては実に物足らない話である。それなら、いっそ、「こってり」 のうえに「まったり」スープなるメニューを用意せよ、と言いたいほどだ。

    ただ、この説は、ここの天一のスープが薄くなっている、ということが 確かめられないと断言できないのがつらいところである。 今日は、中国帰りのSさんとYくんとともに確かめに行ったのだが、 やはり「薄い」と言う結論であった。

    究極的にはこのラーメンを食って即京都に向かい本店の味をたしかめる、 ことが必要であるが、さすがにそれは実現が難しい。 ますはこの事実が本当かどうか、より多くの人の 舌に訴えるしかない


  7. 1999/7/10

    ドラえもんの終わりの主題歌をしっているか?

    以前ネットサーフィンをしていたときに、たまたま見つけたドラえもんページ (URLは失念)にかかれていた、昭和47年放送のNTV系列 アニメドラえもんの情報によれば、その主題歌、 openning,endingともに収録されたものがあるということであった。 いてもたってもいられなくなった僕はさっそく京都の しんしんどうのレコード店でそれをゲットしたのがもう4ヶ月は 前のことであった。 実は、オープイニング曲のほうはもう10年も前にうちの兄が持っていた テープ(これはどこかのラジオのエアーチェックだったようだ) で実に耳になじんだ曲であった。そして、以前ここにも 記述したはずである。 しかし、それとセットで毎週(それほど多くない)茶の間にお届けされていた エンディングのほうはまったくといっていいほど聞いたことがなかった のである。それが実現されたのは上で述べたCDを購入してからなのだが、 そのラインナップを見ればなかなか、濃いものがある。

    日本コロンピア:テレビアニメスーパーヒストリーボリューム8.

    目的のものは、「ドラえもんルンバ」であったが、 「ジャングル黒べえ」「ワンサくん」 「ミラクル少女リミットちゃん」など思わぬ収穫も得られたのであった。

    さてドラえもんのエンディングではあるが、オープニングも なかなかきている歌であったが、エンディングのほうが もっと、宮沢りえ的にいえばぶっとび〜、である。 まず、ルンバという曲の選択というのが実によい。 今のドラえもんのお友達路線とは一線を画しているところが 実に魅力的ではないか。 次に、歌詞であるが、 1番2番と聞いていると、ドラえもんはコンピュータと友達だったのか! とか、光線銃が物を言うような戦いをしていたのか!と驚愕の事実 が明らかになる。 1番で宿題なんか平気だ、と述べているところがコンピュータの使い方に 疑問が感じられなくはない。 2番では、やっつけろ、どんなやつでも恐くはない、といっている上に 光線銃の使用をほのめかしているという実に物騒な存在であることを 示唆している。 しかし、3番では2番までのことは完璧ではない、 ずっこけ(!)な存在だよ、ドラえもん。ということを歌っている。 最後には、二人でいっしょにがんばろう、という何かふに落ちない 落ちで締めくくっているのだ。 何回聞いてもその落ち着きどころを知らないという意味で 味わいのありすぎる歌である。 今度は、本編を見てみたいという願望がますます強まるのであるが さすがにこればかりは手に入らないと思われる・・。


  8. 1999/7/10

    リポルタミンDの行方

    にたような名前の商品というのは世の中にあふれているが たいていはその力関係は明らかで、 一方が完全に無視されているか、気になれていないことが多い。 これもその例に漏れず無視されてきた商品であった。 どこかで聞いたことがあるが、いざ口に出してみるとその 奇妙な言い回しに驚愕してしまうというものなのである。 まさにそれを経験したのであった。 「リポルタミンDください」 文字で書けばそれほど苦もなくかけるものであるが、 いざ慣れていない口でそれを発音してみると なかなか素直に口から出てくれないのである。 「リポ」そこまでは素直に出てくるのであるが、 その先が問題である。 今までの常識では次の文字は「ビ」なのであるが、 それを裏切るように「ル」なのである。 何度も聞いてみれば意外に語呂がよいのだが 慣れるまでが大変なのである。 それならば思い切って「リポD」といってもよかったのだが、 やはりここは、本家とは違うということを強調する意味で しっかり「リポルタミンD」といっておきたかったのである。 しかし、口に出してみた結果は、 「リボ〜〜ラミンD」となってしまったのである。 気を取り直して言い直したら、 「リポルタリンD」 になってしまった。 泥沼、である。 店員はそれをちゃんと聞いていないなかったように、 すっと、「リポルタミンD」を手渡してくれたのであるが、 こっぱずかしさがなくなってしまうことはない。 顔を赤らめながらさっていったのである。

    あれから、何週間かたったのだが、かつてリポDがはいっていたガラスのケースには すでにリポルタミンDはななかった。いざなくなってみるとその空虚感は 筆舌にかたり尽くせないものがあったがまた復活することをいのって いるところである。 仕方がないので、コンビニで大正製薬のほうを飲むことにしよう。


  9. 1999/5/13

    向河原には何かある?

    てんいち川崎店で2階連続ラーメンを食った夕方。帰りは 南武線の向河原で降りて そこから徒歩で帰宅することにした。駅を出るとちょうどNECとは 反対側のスーパーの入り口のところに出てくる。それを潜り抜けて 道に出て回り込むように南に向かって歩く。その道で見つけた些細な3つのことを お知らせしておこう。題して 向河原での出来事:

    1. くすりのマルイケ という店があるのだが、その看板が笑いを呼んだ。 「マルイケ」のロゴが、マツモトキヨシにそっくりなのである。 マツモトキヨシの 独特の直線的な線の集まりでできた文字がそのままマルイケに応用されているのだ。
    2. その先少し南下したところにくいものや「竹とんぼ」という店があった。 その入り口にはカレンダーのうらがみのような大きな紙にマジックで 従業員募集の記事が書かれているものが張り出された。 それ自体は何の変哲もないのであるが、よくよくみればなんかおかしい。 通り過ぎかけて再びよくみてみた。 男女従業員募集中

      若いスタッフで***(略)***

      1. 月給 180000〜280000万
      2. 使用期間 3ヶ月
    3. さらに南下したところにあるアパートの屋根に 妙におどけたシルエットをみた。よくみてみればBSアンテナである。 アパートの上のおどけたかたちで静止しているのはBSアンテナだったのである。 台風か何かで傾いた様だがそれがそのままになってしまっていたのだろう。
    一つ一つは何でもないことなのであるが、 こうも連続で見つけてしまうと何かあるとも思ってしまうのである。


  10. 1999/4/18

    アタック25のアシスタントが・・

    アタック! にじゅうご〜、25、25、あたっく、25〜、25、 パネルクイズ、パネルクイズ、パネルクイズ、25〜、ではじまる 長寿クイズ番組「東リパネルクイズアタック25」であるが、 皆さん見ているだろうか。 僕は大体見ている。正確には聴いている、ということになるか。 現在へやにはラジオしかないので音だけでアタック25を楽しんでいるので ある。だからパネルがどんどん書き換わっていくさまがすぐに確認できない のが少々悲しいところであるがまあ、クイズ番組は楽しい。 しかも数少ない正統派クイズ番組なのでみずからも考えることができる というクイズ番組本来の楽しみ方で楽しめる。

    このクイズ番組に4月からこっそり異変が起こっている。 アシスタント、つまり、「問題を差し上げる」女のアナウンサーが 変更になっていたのだ。 2代目のアシスタントであった相馬裕美は初代のアシスタント 豊島みゆきが長らく続けた問題をさし上げる役を引き継いでもう 2年ぐらいにはなる(不正確)。それがなぜかこの時期に新しい人に 交代することになったのだ。 新しい人の名前は「さわきみかこ」である。残念ながらまだ漢字は しらない。声の感じは相馬の声よりはもう少しかわいらしい感じが するように思われる。

    この時期に変わった理由は、やはり相馬がそろそろ他の仕事にいきたい と思ったかあるいは、それほど特徴を出せなかったかのどちらかであろう。 どちらかというと後者の可能性が強い。 前の豊島みゆきはもうすでに大阪ではよくしられたひとになっている。 他にもいろいろ活動しておるから、別にこのアシスタントにこだわらなくても よかったがかえって制作者側のサイドから言えばぜひにおいておきたい存在 に思えたのである。 それに比べて相馬はそこまで個性が出せなかったのかもしれない。 2番手というの事実に難しい立場であるがそれを乗り越えられなかったのかも しれない。という邪推をするのだが、実際はどうだろうか。


  11. 1999/4/18

    大島

    先週の後半、僕は伊豆大島ですごしていた。 その中で学んだこと、起こったことなどをつづってみよう。 中身は日を追って記述している。つまり上から若い順に並んでいることに 注意されたい。

    1. 1999年4月14日水曜日

      本土を離れる日が訪れる。しかし行き先は東京都であった。 渡る船は中型の大きさであったが強い西風のおかげで 波がなかなか高く船のゆれ方も楽しくなるぐらいのゆれである。 船内にいては気分が悪いだけなので甲板に出て 景色を見ていたら、すごい量の波しぶきをかぶってしまった。 ついてみるとさすがに東京都である。品川ナンバーの車でいっぱいなので あった。憧れの品川ナンバーを得るために大島にすむ。 そういうやつが続々と出てくる・・はずもない。

      夕方の夕食後にゲームが行われた。 チームに別れてチームワークを評価するという催しであった。 人には一所懸命モードはいるためのスイッチが 自然に入る人、決して入らない人、入るのが遅いだけの人 がいるが、一番最後の入るのが遅いだけの人が明らかになったのが印象的 である。あることをやると、最終的には ものすごい勢いでやるのだが時間制限のちょっと前にピークがきてしまうので 結果が出ない。2回目に期待したいところであるが、 ないのが悲しいところである。

    2. 15日木曜日

      この島の自然を歩いてみる競技が昼間にあった。そこにおいて 俊敏を目的に設定したわれわれは 趣旨を最大限に尊重しつつ、それを試みた。 趣旨の一部を省略せざるを得なかったため総合得点上では よくなかったがその充足感。PLAN-DO-SEEについては より実践的であったと自負する。 その結果のフィードバックとして昼寝の時間の確保と 他に見られぬ、室内での昼食という特典がえられたのである。

      その後続々とチームが戻ってきたのであるが、シャワーの時間は われわれがもっとも後になっていたのでそれまぐででぐですることが できた。しかも、最後であったために10分という制限時間を 厳格に守る必要もなく5分は長くシャワーを満喫することが できたのである。そのシャワーであるが、これにおいてもある「協調」を 体験することになった。どういうことかといえば 同時にシャワーを浴びた10人ほどが同時にその温度を感じそれによって その事実に突っ込む言葉をシンクロさせることができたということである。 というのは、そのシャワーの温水の供給が実に不安定なのである。 温水の供給といってもその寮が不安定なのではない。 温度が不安定なのである。つまり、最初に供給される温水で 温度調整をしてシャワーを浴びていると突然冷たくなって、 「なんやねーん、つめたいがな〜」なる意味の言葉が ほぼ同時に起こり、その後しばらくたって、熱すぎる温水が供給されて 「熱いがな!」という意味の言葉が飛ぶ。 そこに、バラバラであるはずのものが「協調」されているという事実を 確認して妙な充実感に包まれるのであった。

      その後夕食を挟んで、夜にチームごとの出し物競争があった。 これも「笑い」というものがいかにして得られるかという視点から 作成したコント仕立てのちょっとした劇で出場した。 出し物的にはトップのものが「きんちゃんの仮装大賞」的にも 合格点が躊躇なくだされるほどの出来栄えであったので 文句なく一位であったと思われるのであるが、 それ以外の出し物は「笑いの追求」という意味ではいまいちであった。 ただそれなりに「品性」という意味ではつらいものがあったのだが 「品性」を前面に押し出しているような傾向が強かったように おもわれる。それゆえに見せる「楽しさ」も、さらに本人たちの 感じる「楽しさ」も弱いのではないか、と思われたのであるが PTAのおばちゃん的採点でいくと実に分かりやすい結果となってしまった。 この結果には不満が大いに残るが自分たちの中の心に残る思い出としては じつに満足げな心地でいっぱいにできるものであった。 協調して、いつもはみられない一人一人の大きな能力を 披露することができたからである。

    3. 16日金曜日

      ついに本土に戻る日である。 そのまえに三原山観光の時間があった。 バスでこれる最も高いところまできて、それから徒歩で頂上まで歩き である。30分前後で到着することができたが これほど息が上がったということも随分久しぶりなことである。 よっぽど運動していないということを証明してしまった。 その後バスで下山していったのだがなんと途中でバスを降ろされ 10分ぐらい歩くことになったのだ。 そこは元の登山道で、10年前の噴火で寸断された部分だったのである。 もちろん新しい道は別につながっているのであるが 観光コースとして眺めのよいそこを歩かせることにしているのであろう。

      乗船時間はくるときよりも長かった。 それはくるときは熱海からであったのが、帰りは東京港までの 航路だったからである。 しかし、ほとんど船に乗った気がしないほどに穏やかな航海であった。 ほとんどゆれなかった。 その船内では新しい事実も発見される。 髪の毛好きの人間がいたことである。 また、東京港につく直前に見た夜景は実にきれいなものであった。 言葉の要らぬこの情景は思いいれる人とぜひに見てみたいものである。

      到着後、浜松町で反省会と称する飲み会を行う。 そののりはつかれた連中のものとは思えぬほどのすごい勢いである。 2時間30分にわたるものであった。 周りもなかなか騒がしい店であったがわれわれも負けてはいまい。 その中で存在だけで楽しさを生む人物がその真実をさらけ出したのだった。


  12. 1999/3/22

    旭人(きょくじん)

    久久に実家に帰って兄と雑談しているとき ふと思い出したのが「ぞーっとするテレビ」という 昔の番組である。 その番組はもう10年ぐらい前になるが サンテレビの日曜日午後11時から30分間 やっていた番組で いうなればマジックショー番組であった。 ただ番組中ではマジックとはいわずに「超魔術」と 呼んでいたのだが・・。 番組の提供は海鮮料理の中納言であった。 中納言では毎週その番組の収録が行われており そのメインが平田旭人のマジックショーならぬ 超能力ショーであった。 ほかの出演は、司会として宮尾すすむ、 あとは小学館からでていた超能力雑誌ワンダーライフの編集長 志波氏(下の名前は忘れた)と、アシスタントの 大西さん、さらに神戸の占い師M・フランドルである。 この番組は半年ぐらいで終わってしまったのであるが その最終回に「半年の充電期間ののち復活する」と 旭人の口からきいたのであるが・・。 結局復活せずここはカラオケ番組の指定席となった。

    まあ、今思い出しても怪しい雰囲気のぷんぷんするものであったが、 それを思い出して気になったのは 旭人とM・フランドルの行方である。 ためしにgooでさがしてみると、1999・3・22時点で9件見つかった。 その中でその消息が分かる記述のページがあったので 彼はまだ健在なようだ。大阪にいるらしい。 ブラウン管に復帰することは今は難しいかもしれないが がんばっているようではある。 またそのときより磨いた手業を見せてほしいものである。
    Mフランドルのほうはネットでは調べてはいないが 何年か前に関西のテレビ番組でうらないをしておるのを 目撃したのが最新の記憶である。 だから少なくとも比較的最近までは占い師としてがんばっている ようだということは知っておるがそれ以上はわからない。 この番組の最後に当時のセリーグのペナントレースの覇者を占っていたが 「阪神」といっていたのが非常に印象的であった・・。


  13. 1999/2/4

    「ここは***ショップ****の前です」看板の意味

    以前から話題を振り撒いている***ショップであるが 実は又新たな動きがみられていた。 今まで隠してきたわけではない。 単に言い忘れていただけのことである。 しかし、だからその事実の重大性が削がれているというわけでは ない。十分にインパクトのあることである。 たとえていうならば 「ここはごみの置き場でない」 であろう。と、いうよりはむしろ、この事実の続きといった方が早い。 これはいったいどういったことかを解説しよう。

    ***ショップの人はその ***ショップの前に自動車を駐車されるのが 我慢ならない思いがしていた。 それは過敏とも思えるぐらいに、ともかく自分とは関係ない 自動車が店の前の道路に駐車されるといてもたってもいられない 状態になるのである。 その思いがそこに駐車しようとする人、 いや、それだけではなくて、そこを通りがかる人にもわかってもらえないか? と思うようになった。以前店の横に約束を守らないごみが おかれているときにも同じようなことを感じて 「ここはごみの置き場ではない」という表示をしたように (その人が思う)効果的なその思いのアピール方法はないかと 思案した。 それで思い付いたのは、 前の表現を教訓にして考えた表示を ドライバーに見せ付けることである。 これを以前のように当該場所、すなわち店の前の歩道際に 表示するのであるが前のように、 広告のうらがみにマジックインキで手書きしただけでは インパクトは薄い。 というのは以前の「ここはごみの。。」の表記は 時が経つにつれてその紙の一部がかけていきさらに インキの色が落ちていったのでなんともそのアピールの持続力に かけるものであった。 しかも、今回の場合はもっと遠くから確認できる必要がある。 相手がドライバーであるからだ。 大きな文字ではっきりと書かれることが必要だったのである。 ここまでことが大事になってくるとやはり***ショップの人 自身で作り上げてしまうには大仕事である。 そこで外注することにした。 その際に手書き文字ではなくてレタリングをした看板をつくってもらうことに したわけである。

    できた結果が 「ここは***ショップ$$$$の前です」という縦書きの 白地に緑文字の看板であった。 少々文が長くなったせいで字が思惑より小さくなってしまったが これで賢明なドライバーはわかってくれるだろうという読みであった。


    たしかに、長年の付き合いである我々にはよくわかる。 それはね是ならば、その表現者の表現の仕方の特徴を よく知っているからである。だからこそ、その文の裏に隠れているはずの 意味を補完してその文章の意味を考えることができるのだ。
    しかし、一般の人にはどうだろう。 看板の目の前にはその店そのものがあるし、この文章が 意味のある情報を我々に与えているのだろうか。ということを考えると ほとんどそのように思われない。 一般の人が持っているその文を認識するための環境、つまり、知識は その***ショップの人の独特の表現方法まで 知るよしもない。 仮に、その看板に意味のようなものを感じるとすれば、 そのあまりにも自明な表現に何か裏があると思うときであろう。 あまりにも自明な表現を堂々と掲げているときに感じる違和感は その看板の意味のなさであるが、そのときに同時に看板には何か 意味がなくてはならない、という常識である。 それにつじつまをあらわすために「自明」さの裏にあるはずの 裏の事実の存在を「みる」のである。 それでまるで小咄をつくるように裏の事実をつくるのであろう。 しかし、それはほとんど、本当にその人の思いを当てたいというよりは 小咄をいってそれの考察の楽しみに重点をおかれているに違いない。 だから結局はよっぽどの偶然が起こらない限りは ショップの人の真意を図りかねるのである。


  14. 1999/2/4

    無法街の素浪人!

    昨日京都にも大雪が降ったからというわけでもないだろうが 最近思い出さずにはいられない時代劇があった。 その名も「人魚亭異聞/無法街の素浪人」である。 それをなぜ知っているかといえば もう10年はたつであろう昔に 神戸のサンテレビで月曜夜9時にあった時代劇アワーで やっていたものを メジャーな放送局の番組ではもの足らない心でチャンネルをかえていたところ 偶然に発見して「おっ、これは!」と心の琴線に触れる番組であったのである。

    時代劇といいながら明治初期の横浜という設定で まるで西部劇にでてくるかのような街が舞台である。 そこの人魚亭という飲み屋があって 居候の「ミスターの旦那」三船敏郎、 マダムにホの字の早打ちガンマンの若林豪、 「ちんぴらじょうじ」夏夕介、店の「マダム」小川真由美が 人魚亭の中のショーの司会である大村昆 いる。 人魚亭の名前の由来はそこの水中バレーショー を人魚 ショーという名目で行っていることから来ている。 これは、実はかの有名な近藤怜子水中バレエ団」がそのまま演技していた ものであった。 こういう劇だからかどうかはしらぬが 何となくそれぞれの俳優のいつもの雰囲気とは異なる雰囲気を醸し出して いるのであった。 幾つか覚えているシーンを描いてみよう。



    だいぶ以前にこの時代劇の調査をしようとして検索エンジンで 探してみたのだがまともなものがほとんどなかった。 しかし今回改めて検索エンジンgooで探してみると (結果) 意外に10件以上ヒットした。 しかも資料的価値のあるページもあるようなので、密かにファンな人たちも 思うほど少なくはないということをしった。 さすがにでている俳優が有名人ばっかりなので どんな変な劇でもだれの頭からも忘れ去られるということはないものなのかも しれないが。。
    (「宇宙への遍路」はいまだにほかに情報がない。 さすがにマイナーなうえに突拍子過ぎる題名がそれに拍車を書けてしまっているのであろうか。)


  15. 1999/1/31

    ぶらり滝口順平

    以前に渡辺篤史のお宅訪問のファンであるにも関わらず あまりみたことがないという話をしたが それに匹敵するほどに気になる存在が 読売系でやっている「ぶらり各駅停車」の旅の滝口順平である。 親父の声であるがそれほど低い声でもなく、何と言うかねっちっこく、 笑い声に大きな特徴があるという言葉では言い尽くせぬ 魅力の持ち主である。 この人の芸歴はずいぶん長いようである。 タイムボカンのぺラスケなる声もバリバリにこなしている ほどであるから声役としては30年選手なのではなかろうか。 そのように、声優としてほかにいろいろ活躍する かたわら、日曜日の朝にやっているような「ぶらり・・」 のナレーションもこなしているのである。 そのナレーションのやり方が実に印象深く思われるのである。

    しかし、「ぶらり・・」を調べても「滝口順平」で調べても 「ぶらり」の滝口に対する魅力を書いたサイトは見つかっていない。 前者も校舎もあくまでもデータベースとしての情報しか書かれていなかった のである。 それは実に不思議なことである。

    こんな調子でVTRの中の旅人に常に語りかけるように喋るのである。 ただでさえ特徴的な声の上にまた独特の「滝口節」がうなるとなると もう忘れられないのである。

    しかし、実際あげた例がみてわかるようにたいしたことがない。 伝えたい思いはふんだんにあるのであるが、再現しようとすると 難しいのである。 せめて特徴的なせりふを押さえとくぐらいはしたいのであるが 記憶を掘り出すだけではなかなかうまくも行かないのである。 ものまねしようにもなかなかできないはずである。 ともかくは、早朝にやっている再放送をしっかり視聴し、 気になった台詞回しをちゃんと記録することから この感動を伝え残すことの第一歩になるはずである。


  16. 1999/1/19

    色とにおい

    研究室でモロゾフゼリー(?)の入れ物で冷蔵庫にあった 3種類のジュースをかわるがわる飲んでいると、 猫狂いのK君が「そういえば、こういうのありますよぉー。」 と夜中には不似合いともいえる声を張り上げた。

    何事かと聞いてみれば この3種類のジュースを飲み分けよう、というのである。 しかし普通の飲むのでは飲み分けるのはしごく簡単である。 見た目は全然違うしにおいも全く異なるからである。 しかし、ここで提案したのはその2つの要素 色とにおいというのを遮断したらどういうことになるだろう、という実験である。 やり方は単純であった。 まず、3種類の液体を同じ形状の入れ物に入れて 目をつぶりながら更に鼻をつまみながらのむのである。 これでいったい何を飲んでいるかがわかれば勝ち、というゲームとしてこれを行った。 その成績はあまり重要ではないが 特筆すべきはどちらの人間も感じたその区別のつきにくさである。 3種類のジュースのうち1種類はいわゆる「さわぶー」という炭酸飲料であった ので明らかに区別できたが あとの残りの「なっちゃん」「カルピス」は区別が非常に難しかった。 何回も試して飲んでみるとそこに酸味の強さの違いがわかるのであるが それも比較的微妙なものである。 色とにおいを隠すだけでこれほど味が違うものなのか・・ それを痛感させられる遊びである。 これは深夜、というか明け方近くのことであったが それをやっているときにたまたま入ってきたS君にも当然のように そのゲームに参加する義務が課せられた。 結果はすべてを飲み分けできた。 さすがS君である。しかし、鼻をつまんでいる加減で ジュースを飲む際に鼻に逆流させてしまったようで すごいむせてしまったのである。この点については負けであろうか。

    それに続いて 別の飲み物で調べてみる。 まずやったのはインスタントコーヒーと謎のリプトン製の粉紅茶である。 インスタントコーヒーはいいとして 問題は後者である。 一応紅茶が気軽に飲める!という代物らしいが 依然飲んだときはと手も紅茶と思える代物ではなかった。 失敗した漢方薬という感じだろうか。 漢方薬ならばからだに良い気もするがこの飲み物にはそれが感じられないのが 状況を更に悪くしている。 これだけ印象が違うのであれば違いがわかるだろう! と思ってこの実験に挑んだのであるが 濃さの違いから結構その差がわかってしまった。 またコーヒーのほうが酸味が強い。紅茶のほうはのっぺりとした味であった。 しかし、驚いたのはその事実ではなかった。 紅茶の味である。鼻をつまんで飲んでみるとうまくはないがまあ、飲み干すことが できる飲み物になっていたのである。 においが逆にまずさを強調していたという例であろうか。。

    その次にいったのは普通の紅茶と緑茶である。 先程はコーヒーと紅茶(もどき)という味の差があったので、お茶同士ではどうか ということでこの組み合わせにしたのである。 最初に作った組み合わせでは緑茶のほうが薄すぎたのですぐわかってしまった。 しかし、次に作った組み合わせでは、その濃さが見事に調整できた。 最初に普通に飲んでみるとあきらかに紅茶と緑茶である。 味は少し渋めであった。 さてそこで実験である。 目をつぶって鼻をつまんで飲んでみる。 先程より確実に渋い。一つ前の実験では紅茶のほうが渋かったので 紅茶か?と思ったがそのあとの飲み物でも渋かったので どちらがどちらかわからなくなった。 もちろんどういう順番で渡されているか(目をつぶっているのでもう一人が 飲み物の入れ物を手渡しているのである)がわからないのではあるが そのあと2回を含めてすべて同じ飲み物を渡すことはないので どちらも飲んでいるはずである。しかし さっぱりわからなかった。あてずっぽうの当たらなかったので よっぽど区別がつかなかったことの証明である。 この二つの飲み物の差は香りと、色ということになるわけである。 ジュースの場合は想像がついたがこちらのほうは新発見!という気分であった。


  17. 1999/1/11

    Mボタン

    新明解国語辞典は知る人ぞ知る楽しい読み物である。 ただ、もともと辞書であるので知識を知らせてくれる代物である という側面ももちろんある。 今回は後者のほうである。 「Mボタン」なる言葉がこの辞書に出現した。 それはどこかといえば「社会の窓」の解説として現れたのである。 社会の窓とは、Mボタンの婉曲語ということだったのである。 しかしそれでは意味がわからない。 Mボタンということばを全くしらなかったのである。 一体どれほどの人間がしっているのだろうか?と思わず口にしてしまった ほどである。 隣にあった岩波の国語辞典ではMボタンの記述はなかった。 それならば新明解ではどうか? これはさすがにのっていた。 社会の窓という言葉自体はしらないわけではないので もちろんMボタンもそれを差すのだろうと思っていたのであるが、 それよりに何より、謎の「M」という文字がいったい何であるが ということが気になるではないか。 さて、そのMというのは何か? やはり女性というよりは男に関係があるのでMANのMか? ・・・とほぼそれしか思いつかなかったのであるが、 さすがは「婉曲語」と言うものがあるだけではある。もっと具体的な 言葉に対応していた。

    魔羅のMだったのである。


  18. 1999/1/11

    月明かり

    青春18切符で無計画な 旅にでたのだが、その途中でどうしても車中泊ができない 夜が一回あった。 鹿児島県の出水の駅である。 その駅ではやむなく暖房のきいていないところで一晩明かすことになったが ずっと駅舎にいたわけではなかった。 それでもよかったのだがそれでは本当に寒いだけで何もないと思ったのである。 本当に夜ではあったが朝になればこの街を去らねばならぬ、というところで いろいろとみてまわるべく駅の位置がわかる程度の範囲で動き回った。 その当初の目的は、諸々の買い物ができる場所、 おそらくコンビニになるのであろうが、を求めてのことであった。 その目的はほどなく達成されて、その寒さをしのぐためにいつもより長居したので あるがずっと立っているのも疲れてしまうので外に出て落ちつ行くところを探して みようということにした。 それで歩き回ってみつけたところが町を流れる一番大きな川と思われる 「白川」という川であった。 川に至るところまでの道には街灯があったが 堤防にはもちろんない。 しかし、その時堤防ははっきり目で確認できた。 その時はさほど意識をしていなかったが堤防に登ってから川のほうを 見たときも、河川敷のところもしっかり見えたのである。 河川敷よりは水がそばを流れるほうが「風流」だというので 河川敷に降りていきコンクリートの部分に腰かけた。 そこはもう川の流れから1メートルぐらいのところである。 よく考えたら「夜」というのにそれほどまわりの状況が見えずに困ることなしに そこまで何もなく来れるというのは何かしらの補助がなければ無理なのであるが、 あまりに自然にその補助がなされたのでかえって気がつかなかったのかもしれない。

    座って、100円のお菓子を開けて牛乳を吸いながら それをつまんでふうっと落ち着いてみるとようやくそれに気づくことになる。 「お月さん」である。 その言葉を発すると だいぶ前に鶴瓶がやっていたナプキンのCMをふっと思い出したが そこにみえたのは そういう人工的なお月さんでもなく その表面の模様がしっかりあって、黄色というよりは、白い光を放つ その天体であった。 その視線をそのまま座っているコンクリートに落とすと、 夜にしてはずいぶんその様子が色つきとはいえなくても 映りの悪いテレビぐらいにはその色がわかる景色があったのである。 たまに急に暗くなることがあって その時は空を眺めると 月の手前に雲がかかってきているのであった。

    月明かりの明るさを生まれて初めて知ったような気がした。

    おそらく厳密な意味では今までもそれに気がついていないとはよう言わないが これほどはっきりと、心からそう思ったことはなかった。 それは冬にもかかわらず、そんなところにおれるぐらい の寒すぎない寒さで、しかも その場所が住んでいるところの近所ではないところで 一人ぽつねんと いるという状況がそうさせたに違いない。 最近のすさんだ心が少し解放された気がした。


  19. 1999/1/8

    たぁべものをたいりょうにゆにゅうしにゃがら〜のねこCM

    一時期話題であった、表題のCMであるが 公共広告機構(AC)の ホームページから取り寄せることができる。 これは猫狂いのKくん情報だ。 その中で一つ発見があった。ラジオバージョンのCMの存在である。 テレビでは文字で語られるところを 牟田ていぞう(ケンちゃんのパパ役)のような 教育番組的なナレーションで語ってくれるのである。 このごろ寒いがなかなかホットな話題であった。 (うちの下宿は、京都の風情を気温の部分を特に抽出して堪能することが できるのである。)



kawakatu@venus.dti.ne.jp