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つれづれなるままに(3)


このページのポリシーは常に「つれづれ」である。 気の赴くままに、また、気がついたことをそのまま、 書くというものである。


つれづれindex page


このページに関して、筆者への叱咤激励は こちらまで。
  1. 1997/9/24

    例の謎の水の容器。撤去さる。

    以前にここでのべたように、数研の近くのコンクリート柱に のせてあった2つの ペットボトルであるが、今日確認したところ 撤去されていた。その現場が見られなかったのが実に悔しい。

  2. 1997/9/24

    型計(ガタケイ)のゴミ箱に見る悲哀

    京大の本部構内の北東のはし、そこにあるのがいわゆる ガタケイ、大型計算機センターである。 通学の途中いつもその正面玄関の前を通過してゆくのであるが そういう僕と同じような立場の人もそれほど気づかれていない ある事実があるのだ。
    それは、ゴミ箱の存在である。このゴミ箱はよくある不特定多数の人が 自由に使えるタイプ(たいていは金属製で直方体をしている) ではなく、身内から出るゴミを入れて、だれかに引き取ってもらうタイプの 水色の円筒形をしたプラスチックせいのゴミ箱である。 余談だが、この円筒形の代物にはここで書くのとはまた別の 印象を持つ代物である。そうそれは、小学生のころの話であるが、 所属していた子供会の行事が夏に行われると大量の麦茶がつくられて 子供らその他に振る舞われたのであるが、そのときの容器が この形のポリバケツであった。だから、使用中のこのポリバケツ をみると何となく気分が悪くなってしまう気がするのは わからないでもないことだろう。 そういうのをみるよりは次のシーンの方が気持良い。 昔どこかの刑事ドラマでみたシーンで、 乞食がゴミ箱を物色するというものがあったがその中身が実に 理路整然と食べ物が並んでいるのである。 まあいうなれば冬の飲み会でなべをやったときにみられる、具の盛り付け という感じだろうか。あれの方がよっぽど気持いいのである。 まあ、それはおいておくとして、ここのゴミ箱であるが、 関心があったのは、中身の方でなく、外面の部分である。 もっと言えば、そこに書かれた文字である。

    京都大学大型計算

    機センターーーーー

    この文字である。これが如何なることをあらわすか。 まさに自分が関心を持ったのその部分である。 非常に冷淡に考えればこれは単なる所有者の主張を意味する。 これは、うちのバケツですよ、ということである。 しかし、それ以上に読み取ることができることがいくつかある。
    1. なぜ「機」で改行しているのか。
    2. なぜ「ー」がそんなに長いのか。
    というところである。これは良く考えてみれば分かるが、意外に陥ってしまいがちな つぼに入り込んでしまったことが分かる。 つまりこうである。「京都大学大型計算機センター」という言葉、 着れるところはまあ2つある。「大学」の直後と「センター」の直後である。 「大型」の直後という手もあるが、やはり後ろの言葉とのつながりが強いと思われる ので候補からハズレる。もちろん、 きらずに1行で書いてしまうことも考えられるが、それには、縦に圧縮した 字を書く技術を要求されるのでおそらくうまく行かないだろうと言う読みがあったに 違いない。 区切りの問題も多少気になったがそれを解決するすばらしい解答がないため えいや、とかきはじめた。しかし、やはり、切ろうとする段になって、 気にしてなかったはずのこのことが気になりはじめる。どこで切ろうか どこで切ろうか。そう思いながらも切れないでいたとき、書く領域いっぱいまで 着てしまったのが、「計算」のところである。 マジックで書いたので今更消せるわけもなく仕方ないので改行して 続きをかく。全部書き終えそうなとき、また別のアンバランスさを感じてしまう。 ただでさえ、ひどいアンバランスさを誇ってしまっているのに このまま終わらすわけに行かない、という最後の気力がそこに見えたのである。 しかし、その結果は「ーーーーー」であった・・・・。
    気になりはじめたらなかなかおさまらない。そういう言葉を心で言いつつ 「ガタケイ」の前を今日も歩く。


  3. 1997/9/22

    謎の英文

    実にふかしぎな、日本語交じりの英文がここにある。 やはり、元の文がふかしぎ故の結果なのだろうか。 これ。


  4. 1997/9/19

    ここにゴミを置き場ではない

    研究室の非常に近いところ、もう足下と言ってもいいところに (ある道路標識の棒にまきつけられている紙) 気になる記述が発見された。 そうそれが題名にもなっている言葉である。 いわんとしていることは良く分かるが、正直にいって正しい日本語ではない。 しかし、制作者がそれをつくるときに思い描いていた言葉というのは、 なんとなくわかる。

    ここにごみをおくな。

    ここは、ごみをおく場所でない。

    この2つの文が同時に頭の中に現れそれが製作する間にも 互いに強調され消えるという繰り返して、しまいには どちらも盛り込まなければならないという判断が無意識のうちになされ ついにその合成のような言葉が生まれたの (はず)である。
    常識的に考えてこの記述がいつまでも残っているとは考えにくいから、 みるのであればできるだけ早くにみられたい。 しかし、本当にそれが早急に訂正されるかは、 実は良く分からなかったりするのではあるが、念のため。


  5. 1997/9/16

    かたせ梨乃の秘密は何か?

    最近妙にアクセス数がおおいのが気にかかる 我かたせりののページ であるが、 その秘密がわかったような気がする。 例えば次のページを見て欲しい。 これ。 これでわかるように何故か検索エンジンのトップ2にこのページがランクイン しているのである。 それでおおいのかと思ったが、よくかんがえたらかたせりののほうが 話題にのぼっているということを表しているのかも知れない。 しかし、最近話題になったという話も聞かないし、 とりたてて探してみたくなるものでもないような気がするから やはり、根本的にそのなぞが解明された気がするわけでもないが、 喉に引っかかっていたこぼねが飯をのみこんだ時に一緒にとれて、 胃のなかに入っていったという感覚である。 胃のなかに骨があるというのは少々気にかかることではあるが、 謎のおおきな部分は回避されたということでよしとすることにしよう。
    ちなみに当該ページで書いてある 「女教師と熱血イレブン」の正式な題名は、 「青春オフサイド!女教師と熱血イレブン」という題名であった。 ただし、この番組は平日(火曜やったかな)の8時という素晴らしい 時間帯に放送されたがゆえに4回でうちきりという日の目を見ない番組であった。


  6. 1997/9/16

    新カラオケ道場(サンテレビ)の司会がはやくも代わる

    尼崎発の情報によれば、サンテレビの長寿番組「新カラオケ道場」 の司会が 西川まさと、メグマリコなる2人に代わったという。 確か4月かそれぐらいの時期に長らく司会を勤めていた河内家菊水丸が 多忙のために(と推測される)司会降板してそのかわりに なりものいりで司会に抜擢されたオヨネーズであったが、 まだ半年もたっていないうちに降りることになってしまった。 何回かその番組の状況を実際にテレビで視聴したのであるが どうものりが悪い。その上、妙な間をもって喋っているような感じを受けるので 日曜日の夜11時という時間にしては妙な眠たさのただよう番組になっていた という記憶がある。いかに、裏番組の「大阪ほんわかテレビ」に変えないか ということに苦労を感じたように思い出される。 その派手派手な姿がかえって虚しさをただよわせてしまうのが悲しいところであった。 もちろんそののりでやってしまうというのが一概に成功しないという ことはない。たとえば、小野ヤスシのカラオケ番組(テレビ大阪の平日の昼の番組、 題名や放送時間など詳しいデータは忘れた。)などはその好例であろう。 昼の2時か3時という時間帯にもかかわらず、深夜を感じてしまう眠たさ を催すのであるが、何かはなさないものを感じるのである。決して裏番組の ワイドショーにチャンネルを合わせるという衝動を感じることなくすぎゆく 30分は、そのリアルタイムに感じる眠たさに似合わない充実感を証明している のに違いない。小野ヤスシ自身は鳥取出身ということで関西ののりはかすかに もっているという条件の差はあれど、やはりのりが違うという意味では そんなにかわることはない。要は器と中身があっているかどうかということかも 知れない。そういう意味では、オヨネーズはこの「カラオケ道場」という器には あわない、あるいは、実力が発揮できる方向とは直交してしまっている番組 であったということだったのであろう。 オヨネーズにはまだ別のところでもっと中身と器が うまくあうものを探されることを期待しよう。


  7. 1997/9/12

    ふかしぎな似顔絵が出現これは一体なんだろう

    こういう画像が手にはいった。 これは一体なんだろうか?

    あとで改めてみてもさっぱりわからない代物である。 これは新しいぷりくらの類として世にだしたであろうが、これがなかなかにていない。 もしかしたらこの顔用にチューンナップされた顔ならば 良くにた状態になるのかも知れないが、これが自分の顔だという事実を いやというほどわかっている状況下だと、なんとも褒めるところを知らない。 「これは良く特徴をとらえているではないか」という意見がある人 があれば何らかの形で軌跡を残して欲しい。


  8. 1997/9/10

    数研の深夜、最近うろうろするヨカラヌ連中よりよっぽど恐ろしい 警備員群を見た。(9月5日頃か?)

    今思い出しても恐ろしい。というか、むしろ今思い出した方が当時よりも 恐ろしいといえる光景がそこにはあった。 最近京大の北部構内全体で深夜にあやしい少年たちが出没し、 ついに学生らをなぐって金品を奪うという事件があってから、 深夜にも警備員がいる日が多くなった。と話には聞いていたのであるが、 聞いた時の想像ではもちろん、いつも北部構内への車のチェックをする警備員の おじさん風の日とがおると思っていたのである。 そしてその予想はとくに否定されることもなく日々過ごしていたのであるが、 ある日、例のの猫好きのK君とそうでもないN君とつれだって深夜のラーメン屋に いこうということになって、その近道ということで数研の前を通らんとすべく 農学部入口の門(ここが車ので入口になっているところである。)を通るような ルートで、深夜1時すぎにいったのであった。 ちょうど構内にはいるところには門構えだけがあり、そこにつけられている 電灯がその入口付近をてらし出しているのがちょっと先からでも見える。 それはいつも見る風景だったのでそれほど驚かないことであったが、 しかし、夜には誰もいない(というか一日じゅう人のいない)はずの 門より手前(つまり外側に)ある小さな警備員の控え室から、光が洩れていること を発見すると、おや、と思うところがあった。
    「いつもは人がいないのに。。」
    しかしそれだけの感想であった。というのは、先にも述べたように 「ヨカラヌ連中が構内をうろうろして回っている」という事実から その警備体制を強めた結果、そこにいつもは見られない警備員が待機していても おかしくはない、と読めたのである。
    しかし、その景色を前進させるにしたがって、何か妙な雰囲気を感じ始めた。 何か違うのである。そこにいると予想される人物像とは明らかに ことなる様相を醸し出しているのだ。 ほとんどそれが明らかになった瞬間、僕は思わずなめるように彼らを見てしまった。 むしろかれらには「めんちきる」ことになってしまったかも知れないが。。 こわ過ぎるのである。警備員にはいろいろいることは知っている。 それはちょっとは警備員のバイトをしたせいもあるが、町でさまざまな種類の 警備員というものを見てきたのである。しかし、やはり警備員は警備員。 そのように認識できる姿をしていた。しかし、彼らは一体何者だったのだろう。 確かに警備員の制服は着ている。そして、その控え室付近に存在している。 しかし、その姿はまさに見つけ出さなければならない対象と思わず叫んで しまいたくなるような態度であった。凝視しながらもちょっと恐がっていた 自らがそれを感じとっていたのをいまさらながら思い出す。
    しかし、それ以来彼らにであったことはない。 もうそこの警備会社とは取り引きがなくなったのだろうか。 それどころか、すでにその時間に警備員が常駐しているところすら見かけ られない。一体彼らはどこにいったのか?という疑問よりは、 あまりにもこわ過ぎる警備員やった!という恐怖の方が実に印象的である。
  9. 1997/9/9

    なぞの記述のあるペットボトル出現

    K君の熱意ある報告によると、数研の車用のでくち(農学部の入口ともいう) の道と垣根を跨いである道との行き来ができる唯一のところが ちょうど門を構えてるようにコンクリートの支柱がたっているのであるが、 その上に、なぞの物体があるというのである。 その存在が確認されたのは、3週間ほど前だったという。 それを聞いて、数研の近くによる機会を得た時にそれを観察すること にした。 その機会というのは、K君と生協の昼飯を食いにいくことであったのだが、 少し遠周りをしてその門を通ることにしたのである。 その門に至るまでの道といえば、前に 「下鴨中強い」「天下」という落書が存在する電柱 を横目にいくのであるが、 今回はそれに気を止めないでおこう。
    その電柱を2つやり過ごすと、自動販売機が迫ってきて、 そのすぐ横にその「門」がある。 その門自体は何のへんてつもない門なのであるが、 問題は、最初にいった通りその上に鎮座する物体である。 その門の2つの支柱に鎮座する2つの物体は双方とも同じ大きさ だが形の違う ペットボトルである。これは昔ながらの1リットル入るペットボトル ではなくて、500mlのペットボトルである。 もちろん商品名を記載したラベルは当然はがされている。 その中には、昔にはやった猫退治用のペットボトルよろしく、 透明な水道水が入れられている。 しかし、何か違うのである。表面にマジックで文字か書かれていた。 以下にその記述をあげるが、実際は縦書きである。 HTMLの機能制限により横書きで表記させていただく。

    1. 北側の支柱にあるペットボトル(蓋が白。上部以外は大体正四角柱をしている) こちらの文字は、行を意識して書かれてある。
      • 元気の出る水
      • 太陽エネルギー100%増
      • 毒電波半減
      • お水様。地底パワー
    2. 北側の支柱にあるペットボトル(蓋が赤。まるでコーラの瓶かのような形) こちらは、行にこだわらず書かれている。
      • ,
      • 神のつくった聖水
      • 神からの念波増水
      • 太陽からのパワー
      • 地底太陽からの毒
      • 念波を減水
      • 殺人電波を半減
      • 毒電波を浄化します
      • お水様
    これは一体なんだろうか。 近所の人がこういうものを書いて設置したということであれば恐いし、 別の関係ないところの人間が深夜に誰も気づかれぬように設置したとすると それはそれでまた恐い。 いずれにせよ、この物体は、 気になる存在である。。またその気になる様をよりはっきりと伝えるためにも まずはその物体の全体像を知る必要があるとおもわれる。
    F氏 から参考文献の提示があった。それっぽいキーワードで ここなどで探してみられたい。


  10. 1997/8/27

    納品書にもいきづいているケムンパス

    世の中はひろいものである。 納品書一つとっても世の中のことさまざなことが見えかくれしている。 まさにこの図はそれを如実に表しているものに違いない。

    納品書という切口から見た世の中の断片(ヤンス言葉の使用)
    (ライ)センスというところをわざわざヤンスに見えるように字を書いたというのが 信じたい事実である。こうも世の中のある側面がクローズアップされている 証拠というのはなかなかないと思われる。


  11. 1997/8/27

    脳の中での同値関係はひとそれぞれにあるもんだ

    今日ゼミが終った後、目の前のバス停にいるある人にむかって 3階の窓から手をふってみるという状況が生じた。 その際に3階側にいた人は僕とHさんとTさん(またしてもである)である。 バス停側にいるのは、別のTさんであった。 こちら側からはバス停のTさんを確認するのは容易であったが、 へやの中の方が暗いことと、窓が小さいためにバス停側からこちらを確認 することが困難そうであったことから、隣のへやの大きな窓からこちらの 存在のアピールをすることに決定した。 しかし、大きな窓とはいわず、すべての窓に、外の太陽光をさえぎる 薄い板状のものが多数並べられたものが設置されていたので それをあげなければ外との可視光線によるアクセスがしにくいのである。 したがってそれをあげる必要があったのだが、 そういうときに機転をきかせるTさんの登場である。 その窓に吊されているものを指さしながら、 「あ、そのカーデガン、

    カーデガン

    それを。。。。??」 実に単純な間違えではあるが、それは 他人には理解し難いものである。 しかし本人にとってはそれらは同じ言葉として理解されているのである。 今日はそれの存在を久しぶりに認識させられた日であった。 しかし、実をいうと、こういうことはほぼ日常茶飯事的に 経験していることなのであるが、なかなか違った方向からのその経験の 導入ということで更に印象的であったのだ。
    正解はわかるだろうが。正解は、「ブラインド」である。


  12. 1997/8/21

    今年の夏は蝉が異常発生だ。

    今年は、台風がすでにいくつも上陸した影響からか ずいぶん蝉が多く見られそれだけに昼間のその越えはかなりうるさい状態に なっている。 その数の影響は昼間の騒がしさが大きくなっただけでなく、夜にもその影響を 及ぼしつつあることが最近感じられてきた。 それはどういった現象かといえば、 夜の町に飛び回る蝉である。 それも、無視できいほどの数である。 とくに無視が好む光目がけて飛んでくるのである。 光といえば、外の電光広告というのもあるが、 室内から洩れる光である。 大抵それが洩れる時は、窓のガラスを通してか、ドアがあけられる時である。 窓のガラスの場合はとくに開けようとして開ける場合のみを心配すれば良いが、 ドアの場合は少し事情が違う。回数もさることながら、その意識が違うのである。 無意識に開けてしまうことが多いのである。だから、ドアを開ける時に ついつい蝉をとびこませてしまうことが多い。 実際KABAの夜の出入りの際に蝉が入ってくる。 今年の夏は何匹目だろうか。10匹はいかないものの片手以上の数は入っている はずである。 まあ、入ってきたからといって大したことが起こるわけではないが、 やはり、気持ちが落ち着かないから、それを追い出すことに神経を集中させて しまわざるを得ない。要するにうっとうしい存在なわけである。 おそらく夏が過ぎると忘れてしまうような事実であるが、 気になることとして記録しておこう。
    へやに入り込んできた蝉の一匹


  13. 1997/8/19

    かわいいあんちゃんも世の中にはいるものである。

    ここにみる一枚の絵は、 人の顔を模したものであるが、もともと人の顔を描こうとして書いたものでは ないことは明らかである。 それは不自然なその2つの眼が物語っている。 線形論理を略したかのようなその瞳は、真夜中の読者を とんでもないところで魅了するやもしれない。

    実にフカシギナ笑いを醸し出すあんちゃんの顔の絵
    この作品は、Tさん作である。


  14. 1997/8/18

    魔がさすということもある。

    研究室の3階にWindowsマシンが一台おいてある。 そのマシーンを人に触らせない手段としていくつかあるが、 誰もがわかるものとしては、やはりその機械に目立つように張り紙することだと おもわれる。 その張り紙をするにしても、ちゃんと印刷して生成した文字で 威厳を示すこともあるが、特にまめでない限り、 そのへんのレポート用紙を一枚破って手書きのボールペン時で済ますことが多い だろう。大抵はそれで何も問題なくおわるのであるが、 まあ、あったとしても字が小さかったり線がほそ過ぎて目立たなかったことで、 その張り紙の効果が薄かったりしてしまうことぐらいだろう。
    しかし、予想だにできないことが実際に起こってしまうことも現実にはあるのである。 明らかにそれはしないことであって、さらにするにしても、 あまりにさりげな過ぎてその存在すら確認できない程度のものである 場合はどうだろうか。 おそらく本人はそれを製作した段では、「ばかうけ必至」ということを確定的に おもい、それを設置する直前に心の中で大笑いしてしまったために 肩が震えて、それにともなって腕が震え、 なかなか設置(紙を張り付けること)ができない状態であっただろうに、 その笑いを誰一人として共有することはなかったのである。 笑いというのは実に残酷である。 特にそれを伝える側には残酷である。 笑いが伝わった時の状況とのさはその残酷さのあらわれのサイコッチョウである。 次の写真を如何にすべきか。実に扱いが難しい。 Tさんのこれからの身の振り方が楽しみである。

    魔がさしたために設置された張り紙(イメージ)
    2行目最後から2文字めを注目


  15. 1997/8/16

    暑い暑い夏の日

    今日はあついひであった。いろんな意味であつい日である。 特に暑くなるような出来事があったからそう感じたのであるが、 それについてまとめる、というよりは、だらだら書いてみた。


    今日は大文字セミナーの最後の日であると同時に、 土曜日である。土曜日であるという事は、関係者以外 研究所に入れない。 だから、朝一番に鍵を開けに行かなければならないのである。 下宿に帰っても寝坊してしまいそうだったので、研究室にとまる事にした。 もちろん、そこでとまったとしても、寝坊してしまっては 同じ事なのであるが、寝る前の安心感が違う。 つまりすぐに駆けつけられる、というので、ぎりぎりまで寝ていられるという ことから余裕を持ってねられ、ゆえに結果として余裕を持っておきられる という結果を生むのである。実際甘辛問答(??)なる朝の番組を 見る余裕があるほど早起きしてしまった。 (高校野球があるので、番組開始時間が繰り上がったものと思われる。) その用を済ました後、下宿に戻り次に入っているようである 某馴れ合いチャットの顔見せ、あくまでも顔見せである会合に出かける 準備をする。準備をするといいつつ月曜日の事などを 頭の中で考えながらゴロゴロしていただけなのであるが、 その割には時間の過ぎ方が早い。会場の到着が時間内に間に合うか どうかが危ぶまれる時間に知らぬ間になってしまっていた。 実にバスの接続、電車の接続はうまく行った。実にうまく行ったのである。 しかし、なぜ15分遅れたのだろうか。自分でも分からない、わかりたくな い。と思うのは本人の勝手であるが、今回はその規模が違う。 迷惑かける人数も結構いるので、これは電話連絡しなければいけない、 といつになく思ったが、そのあまりにうまく行った電車接続が 裏目に出るとは、同じ事がうれしく感じるときとつらいときがある 事を痛感する出来事である。 あるいは、これは「携帯電話」の利便性を身にしみて感じたという事 であろうか。 その辺の人に「携帯電話かしてみて」といってかけたいという衝動を おさえながら電車でどきどきしながら会場に向かったのである。 案の定すでにメンバーは大方集まっていた。 前回までと違ってこの人数は圧倒されるものがある。 しかし、大阪の都市の暑さのせいで前によっぽど見せ付けられていやに感じた 雰囲気である「だらだら」が端々に感じられていた のはなんとなくいやな前兆を感じざるを得なかった。 しかし、この人数である。少なくともいつかのようにさきすぼみになることは 「なかろう」とみずからに勇気づけながらそのなかに、溶け込んだ。 そう溶け込んだのである。なんとなくのうちに話をしていってたのである。 奇妙な初顔合わせである。人間の集団の雰囲気というのは、 地理的物理的障害を簡単に越えてしまうのだろうか。 まだ酒は入ってないのにである。 しかし、われわれはその時どこに向かっていたのだろう。 よくわからないうちに駅前の27階レストランの待ち合わせ室に鎮座 してたのである。それもよっぽど 客より偉そうなほどにそこの半分以上を占有していたのである。 おそらくはこの集団を見ている立場になったとすれば、 「まったくいやな集団」に映ったであろう。本当にいやな集団である。 しかし、ぼく本人はというと、実に控えめな態度を取っていたと思う。 店に入っているとは言え、まだ待合室なのである。 長旅でねむたそうな人に突っ込みを入れる程度で あったのだ。 しかし、正式の客としておくの机(奥の机が今考えれば いろいろな憶測を呼ぶような気がするのだが)に案内されて、 そこに座ってしまうと、堅くなっていた気持ちが妙に解けてしまうという 事象が自分に見られた。当然それと同じ状況がすべてに繰り広げられていると 信じていたのだが、写真で見るより若いなあ、といわれていたので すでに気持ちが高揚していたという特殊な状況にぼくがいたから 一人だけ違う状況だったのかもしれない。 どうも他の人も喋ってはいるのであるが、「耳につく音」発していない ようであった。特に従業員が待機しているところまで その音が聞こえるというぐらいに瞬間的に感じる激音を発するのは ぼくと穏やかなエミを浮かべながら笑い声は一際目立つ 東京発香川行きの彼ぐらいだったのかもしれない。 その現実は従業員の常識的な範囲での怒り爆発という形で明らかにされた。 「あのぉ、お客様、もう少しおしずかになさってください。。」 実に婉曲な表現であったが、その真意はいやがおうにもうかがいしれて しまった。 そんな中で、ステーキレストランを居酒屋と勘違いするような 人間も多数いたところは見逃せない。 心の中で「いったい何本のんどんねん」という突っ込みを繰り返していたが 良く考えたらそれはいつもの風景である事に気がついた。ただ、 ちょっと割高感があるだけでその量は対した事がない気がする。 従業員が持ってくるか、自分で冷蔵庫から持ってくるかの違い だけなのであった。 考えてみればそこで飯を食った時間というのは全体の1/3にもみたかなった。 後はビールか(と言いつつぼくは水ばっかりだったが)ばか話ばっかり だったのである。 実に効率の悪い客だと思われただろう。 同じ金が手に入るのなら、ストレスをおいていかないで、さっさとその席を 譲る客のほうがうれしい。「うちを、居酒屋と勘違いされては困る。」 といいたが、昼間なので居酒屋に追い立てるわけにも行かず、なんとも 歯がゆい おもいをしていたに違いない。 そうこうするうちに、再び待ち合わせ場所にぞろぞろ戻っていた。 もちろんその間に食い物の会計などの過程があったのであるが、 頭に残っているのは、だらだらと最初の待ち合わせ場所に 歩んでいったという事である。 これがはやりこの会合、このチャットの神髄か!とも思ったのであるが、 まあ、それが確定するほどの経験があるわけでもないから ここはぐっとこらえて、違うんだ、そうじゃないだ、これから先は・・・ と明日に期待を寄せる思いでいる事にした。 ただし、「明日」は本当の明日ではなくて直後である、というのが 多少の不安を増幅させる事になったが・・。 再び待ち合わせ場所に来たのは実は理由があって遅れてくる人 との遭遇のためであった。相変わらずその一張羅から見えるその顔が いつもと変わらない彼と、シャベリから容易に想像できる彼が そこで参加する事になった。そのあとの東通にたたずむ 明石焼きの店(永遠の幹事と同じ年齢でありながら学年に開きがある 入ってまだ3日の新参者の紹介によった)で食べるおいしい 明石焼き(卵焼きとたこ焼の中間ぐらいの生地である。)をたのしみながら イメージとその実態を比較検討するモードになっている 自分にはっとさせられる瞬間があった。 イメージ通りかるめの彼、夜中ぶっ通しで飛ばしてきてテンションが低い彼、 喋らないときと笑いの状態の差が激しい彼、 一張羅を大事にき尽くす覚悟ができているに違いない彼、 古い店っぽいながら、「私は脱サラしてこの店やってます」といわんばかりの 風貌を持った「いいお父さん」を絵に描いたような店長を周りに 見ながら食べていると、その味もひとしおである。 しかし、その他のメンバーは店の外でだべらせてしまっていた。 そして3度目の待ち合わせ場所への帰還である。 相変わらず、ヤドカリのように後ろに下がるのみの態度を見せる その格好でパソコンに向かっているとは思えない彼女と、 その風貌はすべての人の予想を裏切る彼と遭遇する事になる。 彼をふくめて軽いかんじながら、「ああ、ひとみしりするわあ」といいつつ 目の奥が可愛い彼女と結構迎合したシャベリを繰り広げていた事は 茶々を横から入れていた簿窪みのがしてはいない。 移動距離は対した事がないのだが、随分経ったように思うのはその 馴れ合いようであろうか。 年齢が比較的上の人らの突っ込みも激しいながら、 ぼくの行き過ぎた突っ込みを牽制してくれる優しさも垣間見せてくれる。 そうこうするうちに3度目の待ち合わせ場所での時間は過ぎていったが、 暑い、という声がぼくを含めて数人から実際に声となってあらわれはじめた ので地下街にある広めの喫茶店に向かう事にした。 しかし、そこで14人にも及ぶ大人数を収容できるわけもなく、 貫禄も十分な人からの提案で、歩いて10分のカラオケに向かう事になる。 そこで、そこまでのだらだら雰囲気にのまれたのかひきずられたのか、 予定より長くいた歯の治療も痛々しい彼が化粧品を振りまきながら 去っていったのはなんとも幸せな彼である。 黒くなって表情がわからんぐらいに、といっていた気もするのだが、 黒いというようは、まだ「赤い」という感じだったので、 まだまだ甘いな、と全然焼いていないぼくが言う資格もないと思った。 それからカラオケ屋までの道中はむっとする暑さである。 こんな日にでかいリュック(たとえ中身が少なくても)をきっちりしょって いるというのはあほである。背中に水、それも体温とほとんど変わらない 水をこぼした状態になるのは明らかなのである。 近くで見れば背があるので普通に見えるが離れてしまうと遠近感が くずれてそのきゃささが目立ってしまう彼と写真の取る心構えを はなしながら進んだ道は背中にとってはつらいときであったに違いない。 はじめに入ろうとした店は予約した店の隣のカラオケ屋だった ことはさておき、今度こそはとは行ったカラオケ屋の空調は非常に 快適に効いていたのは至福の喜びを与えるに十分すぎるほどの 状況であった。おもわず、目を閉じて眠りたかったのである。 永遠の幹事が自分の歌によっているうちに。 もちろん、そのような自分勝手な行動を デジカメを積極的に展開しているビール好きが見逃すはずもない。 「なにねとんねん」といわんばかりに突っ込んできた。 しかし、このままでは本当にテンションが下がってしまうという危惧が あったので、これはいっちょう、涙が出るぐらいに歌ってやろうと思って 歌った歌が「東京」であった。それも涙が出そうになる「東京」である。 と、前振りをしていたら実際に涙が出た。歌の途中に 目を開き閉じるうちに本当に涙が出たのである。 ああ、彼は感情を込めすぎたのだろうか。しかし、実に気持ちが良い。 途中で帰ってしまわなければならなかったので、 この場に溶け込んでしまうと、 出て行くときに自分がつらいと思っていたので、 テンションは低めに低めにと企ていたのだが一気にそれが崩れ無駄になった。 そのあとのぼくのぎこちない声援はその気持ちの葛藤を表している。 実につらい立場である。 サッカースタイルの彼とそのカラーはのり付けすぎとったら首のところに 炎症できてしまうぞといわんばかりの彼、にやけが男の一歩てまえの彼、 一張羅は前のファーストフードと同じという彼がうたったが、 お名残惜しい瞬間には、「水原弘」よりは「オリエンタルカレー」のほうが 気に入っていたという事を後に力説する事になる波乱の人生の 人がしめてくれていたが、その雰囲気を壊さないように、 「ばたん」とドアを閉めて去った。 いったん京都に戻った後、 意外にやる事がなかったことから、 会場に連絡を取ってみてその状況をうかがいしると どうもいきたくなる。その行きたくなる衝動は、 うまくフェードアウトできなかった自分の行動に理由があるのであるが、 しかし、行きたくなった。 1時間ちょい後に会場に舞い戻っていたのはそのこころがあってこそである。 そこの飯はほとんどなかったがそれをさらえるという実にみすばらしいが 実は結構楽しい(どういう性格だ) 行動に個人的に悦に入りながら、その雰囲気に飲まれる気持ち良さに 酔う事になる。 そんな酔いに入っている中、永遠の幹事は酔っ払いすぎて寝込んでいた。 その寝顔が盗みどられていたということは本人は気づいていただろうか。 気づいていないだろう。寝ている間に帰ったり、別行動に出たり する人間が幾人かいたのに、まったく気づかない様子だったのである。 すでにもう良い時間になりつつある。 週末夜の大阪は、若者の熱気で眠らない様子である。 でも目に付いたけんかなどがないところがその雰囲気を快感に 思わせてくれるほどに感じた。 そういう中で散会する前に「ビリヤード」でもしようという声が ちらほらときかれたので、店を探してみようという瞬間に、 目の前に発見したピリヤード場は、おばちゃんが支配人だった。 それもわれわれの心の中を見透かすようなぐらいに喋るおばちゃん2人で ある。そこでは、1台しかあいてなかったので、他のところに行くと いえば、「ああ、そうやね、そうしぃ。ほかのところにしい。」 思えば変である。確保できなくてすまない事を述べるぐらいのところまでは 分かるのだが、「はよでていき」といわんばかりにも聞こえるその言葉は 商売人としての範囲を超えているとしか思えない言葉であった。 やはり、彼女らは、商売人とおばちゃんが同居した態度で 支配人をこなしているという、なんとも再び遭遇したくなる性格 をもちあわせた、ここならではの人たちであった。 そう考えれば、ぼくのような人にとっては「好印象」を与えるので 「商売人」としての本意がつたわっているので 良いという事なのかもしれない。 そのような結果であったので、幹事とためながら学年がうえの パチンコ好きの彼のしっていうビリヤード場に来た。 そこは昔につぶれたディスコ場を分けて、ビリヤード場とカラオケボックスに したようなところである。 変なところにカウンターがあって、人がビリヤードしている のを眺める事ができるのだ。しかし、そこでも1台しか借りれなかったので 大部分の人は見学者になる。 この時間を利用してプリクラ撮影を敢行したのである。 したがってこの会の最後まで生き残った人々の顔がそこにはおさめられて いるのである。結局ぼくはビリヤードをしなかったが なかなか遠くからビリヤードをやっているの見るのも楽しい。 近くで見ているとわからない事が意外に見えてきたりする。 ほんまにきゃしゃやなあ、とか、遠くに行ってもいっしょやなあ、とか、 いろいろ考えさせられるところがあり、カウンターでのトークに花を添える。 ぼくの技を披露できなかったので、多少みれんがあったが 最終電車の時刻をかんがみてそこを去る事にする。 後から分かったのだが、そのビリヤード終了時刻は実に微妙な時間だった。 あれで間に合う電車に乗り遅れていたらぼくは路頭に迷うことになったはず のである。最終電車にちょうど間に合うぐらいの時間であったのだ。 気持ちが良いというか、かえってそれが気持ち悪いぐらいであった。 最後に、ビールをのみまくったのに顔が変わらない人& やはりでかいの一言に尽きる人と乗換駅でわかれたあと、 途中まで永遠の幹事&胃腸の調子を整えたほうが良い彼女と途中まで 乗り合わせながら、今日の会を省みていた。 なんなんだろうか、この雰囲気は。 この奇妙な迎合が初日から形作られるというのは実に不思議な気持ちである。 「濃い」が集まるとこの状況が作られるのだろうか、とおもうのであるが、 そう簡単に納得できるものではない。 不思議である。まあ、この不思議差を解消するには、再びこのような会を もってそれをとおして行うというのが一番というのがもっとも簡単な解決法 かつもっとも十分な解答を得られるものだと確信しながら夜の京阪沿線の 街の明かりを眺めているのであった。 京都に着いたときあれだけ占めていた人々の数はまったくと言って良いほど 消えており、もちろん山の上の火で形成される文字は見えるはずもない。 鴨川でたまに打ち上げられる、個人のグループの上げる花火が、 なんとなくそのもの悲しさをものがたっているように思えた。


  16. 1997/8/13

    黄金バットの数え歌があったとは。。

    黄金バットは、見れば見る程、 その 主題歌 ならびに本編の展開の斜めから見た時の面白さは、 現在にも通用するほどの出来栄え(ちと意味が違うかも知れないが) であることを再認識せざるを得ないが、 このただでさえ素晴らしいアニメ(紙芝居のものは知らないが) に関して衝撃的な事実があきらかになった。

    数え歌の存在

    である。 そこでは、主要な登場人物に対してコメントがなされている。。 数え歌は、1から9と付録が一つついているのだが、 それぞれの歌の最後に、まるで337拍子でも唱えるかのような 歌詞が続いている。(337の33の部分だけしかない。) (infoseekで検索)


  17. 1997/8/13

    ケムマキの弟子猫の名前は?

    今は懐かしい忍者ハットリくん(作者は健在) であるが、いつも思い出せそうで思い出せないのが、 これである。忍者ハットリくんの宿命のライバルである ケムマキの弟子猫の名前である。 なんであっただろう。これはさっそくgoo で探してみたら、 案の定見つかった。 答えは影千代(かげちよ)という。 その事実よりは、このリンク先の文章が面白いといえるかも知れない。


  18. 1997/8/5

    KBS京都オリジナル夜番組はまたその良さがひとしおだ

    「ぶちゃまん」

    一体何のことかわかるだろうか。 これはKBS京都が誇る自社制作番組の特徴を見事に表した 番組の略称である。 正確には、「たかしのぶっちゃけ万歩」という。 名前のとおり横山たかしがアシスタントの女の子(サンテレビのように サンテレビガールズのような存在はいないだろうから、 何かのコネで採用されているのだろう。あるいはどこかの事務所に所属か。) といっしょに京都市内のいろいろな店などを訪ねあるいてその 土地に住む人々から情報を聞き出したりとか、宣伝をしてもらう番組である。 題名の「ぶっちゃけ」というのはたかし自らの持ち芸からとったのは明らかである。 万歩はもちろん京都市内をうろうろすることを意味する。 ちなみに今プレゼントで「デズニー」のキャラクターのはいったTシャツが当たる ようだ。 申し込む時に注意することは、宛先で 「たかしのぶっちゃけ万歩」という正式名称でなくて、 「たかしのぶちゃまん」と書かなければならないというところである。


  19. 1997/8/4

    おばちゃんヘヤーは故郷なのか

    近所を歩いているとき、 道端で話していたおばちゃんとばあちゃんを 発見した。その時、風っと、ぼくを追い越すようにとんぼが頭をかすめたと思うと 何を思ったか、おばちゃんの、おばちゃんパーマにとまろうとしたのである。 何か故郷を思い出させるような形状だったのだろうか? と思ったが、とんぼはその躊躇に否定的な結論を出して、さっと飛び去ってしまったの である。 おばちゃんヘヤーは、 やはり、ただものではないと思っていたが、とんぼも本能的に感じる何かを 持っていたということで、ますますその気持ちを確固たるものにするのであった。


  20. 1997/8/3

    二人は大人

    突然見知らぬ人からメールをもらったのだが、 その内容を読んではっとした。 といっても、

    いうたぐいのものではない。 いたってまじめな内容であった。
    それは、 以前、このHP群が消失してしまう事故以前にページを作っていた 「二人は大人テープの衝撃」の内容についてのメールであった。 知らない、あるいは忘れてしまった人も多いと思うので、 少しこれについて説明をしておかなければならないだろう。

    二人は大人。それは、わたくしが若かりし20歳のときに地元の尼崎市で 催された成人式での出来事であった。 正門でなく裏口に近いその入り口で誰かが、演歌が拭き込まれているがごとき テープを配っているのを発見した。そういう物を見るとどうしても手に入れて 聞いてみたいと思った私は、わざわざ遠回りながらそこの入り口にまわりこみ 自然にそれを受け取ることを企て、見事に成功したのであった。 そう、その演歌のようなテープこそ、「二人は大人」のテープであった。 (B面は「愛しいゼフィランゼス」:かのサンテレビの長寿番組、カラオケ 勝ち抜き選手権( 宇野ポテト司会) のなかで予選を勝ち抜いたと思われる 神戸のおばちゃんが歌っていたのを見て感動した。おそらく 娘か息子から同じテープを手に入れたのかもしれない。) その歌い手はおよびバンドの名前は、 「松本英彦とファミリービジネス」という名前であることが、 中に入っていた歌詞カードにより確認された。 最初の振り付けまで図解でかかれていたのは更にその感動を何倍にも膨らせるに は十分な魅力を放っていたのである。

    この歌を歌っていたあるいは作詞作曲をしたはずの「松本英彦&ファミリービジネス」 についてのことであった。 「松本英彦」は、あのジャズで有名なあの人本人であり、 「ファミリービジネス」は彼が主催しているバンドの名前だというのである。 これには正直言って驚いた。ジャズの大御所が、いっては悪いが あのへんな感じのする「二人は大人」(歌詞を聞くとその思いが確信と変わるはず である。)を歌ってあるいはそれをバックアップしているとは到底信じられないので ある。 確かにそのテープを初めて聞いたときにうちの兄と次のような会話をした。 といいつつこの歌には結構はまってしまったのではあるが、これは余談であった。 いずれにしても、到底同一人物とは思えないぐらいそのギャップをぼくは感じた。 「まあ、南野陽子というAVギャルもいたではないか。」という事実 も考え合わせると、そういうことも素直に受け入れたのである。 それで今まで生きてきた。もちろんそれは、周りにそれを否定する人がいなかった というかそういうひとと付き合いがなかったというべきだろうけども その間違いを止めるものがいなかったのである。 それで、このメール。やはりネットの力は偉大である、と思ったとともに、 わざわざメールしてくださった人への感謝の気持ちも感じてなんともいえない 感慨にふけるひとときを送ったのである。

    「松本英彦とファミリービジネスは、かのジャズで有名な松本英彦と同一人物 のバンドです。」この事実は一生忘れることはないだろう。


  21. 1997/7/28:

    JR沿いに「ドーモ君」を発見。しかし、感動には至らない

    謎の看板をJRの車内から発見する。東淀川駅より京都よりのところであった。 その看板は、金属性の壁に、 「 勝ちゃんもう一本」 と字が書いている横に、でかいマージャンの千点棒をもった、 どこかの4コマ漫画の主人公 (・・?どーも君か?) のようなものが描かれているのである。 やはり、マージャン荘なのだろうか?


  22. 1997/7/28:

    同種でやるのは、やはり変である。

    JR神戸線の神戸方面。 塚本を過ぎたところろで、北側の窓から見える釣り具の看板がある。 カジキマグロ(オス)がメスのカジキマグロを釣り上げようとしている 絵がえがかれている看板を発見する。 これがなんとなく異様に感じるのは、やはり同じマグロ同士が つりつられる関係になっていることだろう。 絵がかわいいだけに、想像はことさら恐怖である。


  23. 1997/7/22:

    これはいったいなんだ??

    某研究室の電話機である。

    一見何のへんてつもない電話機なのであるが、 ところがどっこいというところである。 これ をみれば、一目瞭然だ。 まさに、「これはいったいなんなんだろうか」といわざるをえないだろう。 一体なんなんですか?***さん。


  24. 1997/7/14:

    天城ごえとは何か?

    京大工学部の事務室が入っている建物、下には生協の食堂が入っている 建物であるが、その北東にある看板。以前にも紹介したかも知れないが、

    講義の妨害になるため、バイク、単車は乗り入れ禁止

    (という旨の記述、正確でない) なる看板があるのだが、その看板の裏側に、ピンク色のペンキか何かで 書かれている文字「天城ごえ」というのが前から気にかかっている。 普通こういう意味ありげな文句というものは、 例えば、電話機についている短縮ボタンのところに「ワンタッチ」と書かれてた時 電話の手もちぶさたに任せて、「カレー」とポールペンか何かで書いてしまった (情報提供Tさん) というように、なんらかの伏線があるというのが常識的なのであるが、 いまだにその伏線が見えない。なにがゆえにそのピンクの「天城ごえ」があるのか、 さっぱりわからない状態になっているのである。 気になってしょうがないので、ここで公開捜査という手段に出ることにした。 ただ、ここで、公開することによって、どれだけ「公開」の効果がでるか、という 疑問はまあ、この際忘れてしまおう。(んな、かってな。)


  25. 1997/7/13:

    100-1=九十九?

    久しぶりに、晴れたこの日、京都から大阪方面に乗り込んだ新快速で その西側の景色を楽しんでいたところ、ふとした時に壁に書かれた文字が 目にとびこんできた。

    100-1=九十九グループ

    突然だったので詳細まで目が届かなかったのが残念なのであるが、 何やら縦長い線路沿いに建てられた白い壁の建物の線路側の壁面に ペンキで書かれたと思われる宣伝文句であったようだ。 その文字はかなりはげていて、それは空気中の酸素により酸化および風雨により その塗料がとれてしまったことによるものだと思われる。 気になるのは、白い壁と、「九十九」が漢数字であることである。 わざわざ99を漢字にしたのは、「白」という「漢字」と99がかけてあるんだ よ、という向うの意図のあらわれなのであろうと、信じる。 「100-1」というわざわざ算用数字を用いた表現は、 ここに漢数字を用いると、あまりにもストレートに正解が導かれてしまい、 そのイメージが残らないと思われると製作者がふんだのではないか。 まあいえば。トンチクイズで、答がわかられないようにわざとわかりにくい 表現を用いているのと同じ理由であろう。 しかし、それ以上の詳細はわからない。 ただ、梅田の白壁美容外科のビルの壁の色がなぜか「黄色」であることより 深く詮索するような事実は出てきそうにないということは、直感として感じたのは 多分正解だろうということだけはいえる。


  26. 1997/7/13

    前から気になっていた表現”「 せいぜい」御利用下さい”を発見

    市バス205番の車中、祇園まつりにより交通規制で、市バスの経路が変更される 旨の書かれた「交通局ニュース」が窓にセロテープ(ニチバンの登録商標) で張り付けられていた。 その紙の下3分の2ぐらいには、ひにちと、市バスの系統およびその変更 経路の表が書かれているのであるが、問題はその上に書かれていた表題である。 またもや出現したか、と思わず声が洩れそうになる内容であった。

    最寄りのバス停を「せいぜい」ご利用下さい。

    (「」は」筆者がつけた。) である。まさにその投げやりな態度をほうふつとさせる表現なのであるが、 古来のこの言葉の用法からすれば、これは正しい用法なのだろうと思うが、 すでに日常会話からはこの用法は消え失せているのではないかと思う。 どうみても、「まあ、せいぜいがんばれや」の語感からながれてくる なげやりな、日とをすでに見放した感じがどうも感じられていただけない。 何とか別の表現に書き換えてもらえないだろうか。 と、考えたが、一体この言葉に素直に書き換えられる表現というのは なんだろう?と考えたのだが、ぴた!と来るものがどうも見つけられない。 本当に何なんだろうか。


  27. 1997/7/13:

    京都市民は自転車が嫌い?

    河原町通り、某宗教法人の会舘の目の前にある市バスのバス停「荒神口」 そこに、どこにでもあるような注意を促した看板がある。

    「自転車」や「バイク」をバス停付近におかないで下さい

    ああ、最近公が出す看板ではストレートな命令形が使われてないなあ、 という感想は別として、それ以上に視覚的に気になる状況がそこに しばらくいるだけで感じとれる。 先ほどの看板の文句は、すべての字が同じ扱いで書かれているのではなく、 とくに注目して欲しいと思われる「自転車」、「バイク」という語句が 目立つように太文字で、地のいろも薄青にして、目立つように書かれているの であるが、その目立たせ方では平等なはずの「自転車」と「バイク」の 見た漢字が違うのである。「自転車」の方が影が薄い。 普通考えれば、自転車の方が画数が多い分、バイクよりも「字」の占める面積が 大きいためドシッとして目にうつるはずであろう。 しかし、そこの看板は違った。どう見てもバイクの方がめだってうつるのである。 そこで、良く両者を観察してみると、なるほどその原因がわかってくる。 「バイク」の文字はとくに気になるところがないのであるが、 「自転車」の方は違った。なにやら文字が見えてくるのである。 どうも、先が尖ったようなもので「字」の黒を削って落書しているようであった。 その文字は互いに重なっているように見えてうまく読みとることができないが、 良くある、名字名前の落書のようだ。なるほど、それで、「自転車」の 文字のインパクトが薄らいでしまっていたのか。。と、おもわず 市バスのおっちゃんに無視されて通り過ぎられることが起こりそうなぐらいに凝視 してしまったが、見ているうちにそのさらに深い真相を考えるようになった。
    同じ太い文字で描かれている「自転車」と「バイク」。 一方が落書されっぱなしで、他方がさらのまま。これは一体どうしたことか。
    ということである。 そこには、何か京都市民とくにこういう落書をしそうな若い年齢層に 「自転車」に対するうらみかそれに似た感情が相対的に「パイク」より 強いのではないか?という説が思いついた。 あるいは、「自転車」があまりにもひきんな存在ゆえに 相対的に「バイク」の価値がより高級に映って、どうも落書をしにくくなった という説などが、頭をかけめぐったが、205番に乗り込んでから 結局落ち着いた考えは、

    より落書しがいのある面積を誇っている字が 「バイク」の方より「自転車」であった、ということであった説。 最初に落書がされたがその理由で「自転車」の方で 2番手移行の方が気軽に行動を起こしやすいという心理も加わった。

    というものであった。うむ。


  28. 1997/7/7

    地元で4時間にわたり、歩行

    尼崎北西部およびその周辺の伊丹の領域を右回りに囲うような歩行を経験した。 もともとそういうことをするつもりは毛頭なかったのであるが、 もともとの目的であった、あるパソコン用の製品を買うことを達成しようと、 僕とある友達がその日訪れた友達の家より歩いて20分ほどのミドリ電化へ いこうとした。その時に運動もかねてその暑さにもかかわらず 歩いていこうということになったのだが、 歩いたこととは関係なく見事にその目的を達しないままに 終ってしまったのである。 ただ、終ってしまったといっても元々想定していた店で達成されなかった というだけであった。さらにその店から幾らか歩いたところに 同様な店があるからということで、その友達の家に引き返さずに 次の店にいくべく歩み出したのではあるが、それが間違いつまり長時間の 歩行を強いられることの元であった(結果としてみてみれば、一概に間違いであった とも限らないであるが、その目にあってしまっていた時には「間違い」であった)。 10分ぐらいの予定が20分近くかかってしまったが、想定していた営業時間より は、30分長い営業をしていたおかげで店に入られないことはなかったが、 やはり所詮は、家電中心(いや、実は園芸大工用品、水槽まであったが) の店である。最初の店にないものは他の店でもやはりなかった。 嬉しさの伴わない疲労は苦痛以外の何でもない。 しかも、途中でよった、某北海道系の味を表ぼうするラーメンチェーンの ラーメンとマーボー豆腐の味が薄かったということも、その疲労、ひいては 苦痛にはくしゃをかけた。。
    しかし、完全に楽しくないことがなかったわけではない。 今回の歩行は結構な部分を国道171号線に占められていたのであるが、 やはり、そこは車とは比べものにならないほどの遅い速さで、すすむという いつもなら体験できないことをやっただけはある。 道沿いの景色がじっくりと「楽しめた」のである。 いくつか箇条書にしておこう。


  29. 1997/7/7

    責任者雲とはなにものなのだろう

    志賀越え道沿い、いまは休業状態の薫風の向かい側ぐらいの駐車場に、 謎の白い車がとまっている。ドアのした後ろ側に 縦書きあおい字で、「責任者 雲」の字がある。 見たままの情報ではあるが、 やはり奇妙である。大体「雲」って何やろう。不動産会社に普通にある名前でも ないし、かといって、人名であると考えるというのもなかなか難しい。 考えれば考えるほど謎は深まるばかりである。



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