2001.6.3 |
今、aikoがマイブームである。只今新曲が5位くらいの所にいる、あの女性シンガーソングライターのaikoである。 きっかけは「テトラポット」という歌詞だった。もう何年か前に何ゾの番組で聞いて以来、「あぁ〜、テトラポット登〜って て〜っぺん先ぃ睨〜んで〜♪」というフレーズが、どうにも耳に付いて離れなかったのである。が、誰の歌だかも認識していなかったし、ただ耳に付いた、というだけで、別に探して見ようとも思っていなかったのである。 が、野球がオフシーズンの時期に毎週ベストテン番組を見るようになって、あれはもしや、矢井田 瞳ではなかったか…?と、ふと思ってしまったのだ。で、ある日某所で聞いてみた。すると返ってきた答は「あれは、矢井田 瞳じゃなくてaikoだよ〜」というもの。なる程、aikoかぁ。そう言えばaikoもベストテン番組で見掛けるぞ…。でも、タイトルも解らんしなぁ…。あ、確かサイトのプロフィールに「好きな歌手:aiko」と書いていた人が何人か居たぞ。という訳で、早速その一人にメール。タイトルと一緒に、今まで出ているアルバムの情報など頂いて、大変感謝なのである。 という事で近所のレンタル屋で早速借りてくる。いそいそとCDをセットすると… うん、これだよ、これ! あの懐かしの「テトラポット♪」は『ボーイフレンド』という曲だった。別にそれでハマった、という訳でもなく、以来時々聴くようになっただけなのだが、要するにマイブームという事なのであろうと思う。aikoの歌はアップダウンが激しくて、歌うのはなかなかに大変だが、それは彼女が上手いのだと言うことだろう。ちょっとハスキーさも無きにしもの声も良いし、TVで見る彼女も可愛いしで、すっかりファン状態なのである。 唐突だが、私の女の子の好みというのは、基本的に「可愛い」が主な要素だったりする。格好良いとか、綺麗とかより、取り敢えず「可愛い」が優先する。人間としては内面重視なので、お付き合いするに当っては、当然そっちが最優先で、外見は気にしないのだが、タレントとかキャラクタという事になると、俄然「可愛い」が一番である。かのaikoも、この間のTVのライブで新曲お広めして、歌い終わった後にパッと両手がカメラに向かってピース v^^v していたのだ。思わず「う…かわゆいぞ〜 (*^^*)」とのけぞってしまったものである。つい先のシングルに続いて、今月中にはアルバムも出るaiko、楽しみな事この上ないのである。ちなみにこの「可愛い」の基準は、あくまでも私の勝手な思い込みである。私が「可愛い」と思うタイプが「可愛い」のだ! そんなこんなで、今回はすっかり“おっさん”が入ってしまったのだが、呆れられたかな? でも、いや、ホント、可愛い子ぉには、弱いのだ(苦笑) |
2001.5.5 |
あるネットの友人と、1年振りに再会しました。と言っても、その1年前が初対面。それもたった1回、正味で10時間も一緒に居たか居ないか、というものだったのですが。でも、ネット上ではいささかのやり取りも有り、この1年の間に、まぁ「友人」と言っても良いかなぁ?という仲(?)にはなっていたのでした。 いきなり脱線しますが、私はここ半年程の間にいささかに痩せました。別にストレスで食べられなくて痩せた、とかではなく、きちんとダイエットをした結果なので、ちょっと久々に会う人会う人、みんな「お?」という反応をしてくれるのが嬉しくて、内心ちょっと「やったね (^^v」という想いが結構あったりしたのでした。 で、今回の再会です。こちらはどうも物覚えが悪い故、相手の見分けが果たして付くものやら…と、危惧して行くと、遠目からもわかる、手を振る御仁。おぉ、あなたは懐かしの〜!ってな具合で、向こうからしっかり見分けて頂いたのでした。が、その友人曰く…「そんなに変わった印象なかった… (^^;」。その後「私視力良くないしぃ」と、しきりとフォローしてくれる友人。しかし、私は解っているのです。あなたは見ている処が違うのだ。あなたは私の外側を見ていない。あなたが見ているのは、私の内なる本質なのだ。そう、居るのです、そういう人が。 何年か前の事です。私はストレスで食べられなくなって、急激に痩せた事がありました。実に半年で15キロの激痩せ。その時には暫く振りに会った人達からは本当に心配されました。頬はこけ、目の下は真っ黒…という状態で、やつれまくっていたのです。その時、その痩せ始めた頃に会って、その後丁度半年くらい経った頃再会した友人が居ました。その人ともネット上での付き合いしか無かったのです。が、その再会の時、やはり私は言われたのです。「印象、変わらない」って。 見て解らない変化では無いはずでした。やっぱり初対面だった半年前に会った時も、ちゃんと第一印象を聞いていましたし。そう、その友人も、外側を見ていない人だったのです。行動に現れる内面的な印象は、的確な事を突っ込まれましたから、何も見ていないのでは無いのです。でも見ているのは、私の内なる本質なのです。 それは私の勝手な解釈かもしれません。私自身が、外側よりも内側に重きを置く性格故に、そう思ってしまうのかもしれません。でも、全く面識も共通点も無い2人の友人が、同じシチュエィションで同じ反応をした、という事実は、私にとって非常に興味深い出来事だったのでした。確かにネットの世界では、顔が見えないままに心が繋がっていく傾向は強いけれど、例え顔を合わせてすら、直接内面に向き合ってくる…そんな人達が居るのだなぁ…と、改めて思い至った出来事でした。 そう、そして私は、そういう人達が大好きなのです。 |
2001.4.11 |
『骨董市で家を買う -ハットリ邸古民家新築プロジェクト-』服部真澄(中公文庫)を読んだ。この処読書もスランプ気味で、軽いモノしか読めないので、こういうモノにしか手が出なくなっているのだけれども、これは面白かった。 服部真澄というのは、ミステリ作家らしいのである。何故「らしい」のかと言うと、私がこの人も、この人が書いた本も知らないからだ。が、この本の語り口は、確かに如何にも作家らしい滑らかな口当たりなのだ。一見完全な実録建築顛末記の様に見えて、でも、あくまでも小説なのである。しかし、自分の性格にまつわる諸般の事情で、決して家を建てる事は無いだろうと思う私でも、これを読むと、思わず家を建てたくなる。 で、ふと、読書メモを覗いて愕然とした。以前ここにも書いた、赤瀬川源平の“ニラハウス”顛末記『我が輩は施主である』、これが同じ中公文庫から出ているのである。もしかしてこれは、中公文庫の陰謀ではないのだろうか? 私を「家を建てたい症候群」に陥らせるための…罠ではないか? そして、これまたここで度々書いているバラエティ番組「ザ!鉄腕!DASH!!」“DASH村”の次の企画が、なんと「古民家移築プロジェクト」なのである。やっぱり何か、大いなる陰謀が働いているに違いない… そう思ってしまう昨今なのだ。 自分の好きな様に家建てるのって、きっとワクワクするよね。でも、それもまた、ひとつの幻想なのかもしれない。現実には物凄い労力と気力が居るのだって事を、“ハットリ邸”でも“ニラハウス”でも言ってる訳なのだもの。だから、その労力と大変さを全部楽しめる者だけが、“ハットリ邸”や“ニラハウス”を建てることを許されるのだろう。そして私がやりたいのは、単なるでっかいプラモデルなのかもしれない。でも、服部真澄は言うのだ。言葉には言霊がある、って。叶えたい事は、何度も言っていると本当になるんだよって。だからあまり言い続けていると、本当に建てるハメになってしまうかも(汗) |
2001.4.9 |
思うところが有って、ハンドルを変えました。と言っても、MLその他で使っている“SONIA”を変えた訳ではありません。もう一つのハンドル“希(のぞみ)”というハンドルの「苗字」を変えたのです。 ちょっと唐突ですが、闇や魔に対して憧れを持っている人というのは結構いると思います。それは、異質なるモノ、普通では及ばぬ力に対する憧れであったり、またある種の、単調な日常からの逃避行動であったりします。そして私もまた、そういうモノに憧れを持つ者の一人だったのです。その為もあって、元々“希”というハンドルには、そういう憧れを形にした苗字が付いてしました。そして、ともすれば、その名前に引きずられて居たのかもしれません。 しかし最近(と言っても年単位の事ですが)、ネット上でいろいろな人と接し、話をする中で、私のその憧れというものが幻想であって、自分が決して本物の闇や魔に憧れている訳では無い事、また、そういう憧れが決して逃避になどならない事に、気付かされたのでした。自分が常に光を向いていた事、光の中にいた事を自覚した時、闇や魔への憧れを形にした名前を使い続ける、という事に大きな抵抗感が生れたのでした。と言う訳で、 新しいハンドルは“阿芸那 希(あぎな のぞみ)”と言います。この“阿芸那”という姓は、孝元天皇(8代?)の孫で、伝説では280歳までも生きて最古の天皇の側近をしたという、シャーマン(神の依代-よりしろ-の様な役割の人)武内宿禰(すくね)の後裔の姓氏で、非常に古く由緒正しいものの様です。また、それぞれの字義(文字の意味するもの)にも、なかなかに良い意味があります。 「阿」は阿国(*1)の阿で、婦女子への愛称を意味します。
これに名前の「希」を加えると、全体の意味合いとしては、「美しい芸をする希(まれ)なる女性」になるのです。
でも、名前というものは、その持ち主を牽引する力があると言います。自分の芸(絵や文章等)を生み出す力が、この新しいハンドルによって、より一層飛躍できたら…、それを夢見て、新たな気持ちで次の構想を練る私なのでした。 (*1)阿国(おくに):慶長の頃の出雲大社の巫女。以前、木の実ナナ主演の「阿国(Okuni)」というミュージカルがあったのを、憶えている人も居るのではないでしょうか? |
2001.4.3 |
最近気になる事があります。それは凝った作りの、企業やお店の公式サイトです。見に行くと、とても綺麗な画像が入れ代わり立ち代わり現れて、それは美しくまた、可愛らしいサイトなのです。が、そのサイトを見るには、flash や Shockwave のプラグインが必要だったり、呼び出した途端にJavaアプレットに機動がかかって、暫くの間ブラウザが全部固まってしまったりするのです。 私は自分のサイト作りの基本的なコンセプトとして、誰からも、どういうブラウザからも見る事ができる、というのを原則にしています。特に、姉妹サイトの「私設えほん館応援ページ」は、それを強く意識しています。それは、「私設えほん館応援ページ(以下「えほん館ページ」と略)」が、お店の宣伝と、不特定多数への情報発信を目的としているからです。 前述の企業やお店の公式サイトも、私の「えほん館ページ」も、その企業やお店について興味を持った人達が、それについての情報を得ようとしてアクセスするわけです。何かを探している人も居るでしょう。注文をしようとしている人も居るでしょう。連絡先や、そこへの交通機関を確認しようとしている人も居るでしょう。しかしその時に、今は無いプラグインが必要だったり、ブラウザが固まって何時まで経ってもページが開けなかったらどうなるでしょう? その人は、たまたま時間が空いたから、ちょっと思い出したから、今すぐに行きたい・電話したいから、時には携帯からモバイルで、アクセスしているのに、トップページすら開けないのです。 プラグインがあれば、Javaアプレットの機動を待てれば、確かに美しいデザインで、企業イメージもお店のコンセプトも、思いのままに表現したページを見ることができるでしょう。その素晴らしさでそのお店がすっかり気に入ってしまう人も、或は居るかもしれません。でも、そこにアクセスする大多数の人が本当に欲しいのは、綺麗なページを作る技術ではないのです。そのお店自体の具体的な情報なのです。その情報の為に、余計な課金や、ダウンロードやインストールなどしたくないのが現実の姿ではないでしょうか? 「えほん館ページ」は、JavaScript ですら使わないようにしています。低スペックブラウザでは、JavaScript も対応していないのですから。外出先から、ちょっと思い出して電話番号を調べてもらうのでも、手持ちの簡単なブラウザで見ることができれば可能です。「えほん館ページ」にとって必要なお客様というのは、技術力の有るパワーユーザでは無いのです。 この間ひょんな事で、我が家の近くの小学校のサイトのアドレスを見つけました。簡単な学校概要や校歌の紹介と一緒に、各学年のページ、というのがありました。何気なくそこを見に行こうとして私は嫌になりました。いきなりブラウザが固まったのです。そう、Javaアプレットの機動です。そしてブラウザが復活した時に見たものは、流れる「○○年のページにようこそ」という文字列と、張り付けてある写真が濃くなったり薄くなったりする画像…というものでした。子供達が部活動で作ったページなら、評価もしましょう。もっと見るからに必要な処理なら、納得もしましょう。でも、違うのです。文字列を流すためにそういう技術を使って、こちらの時間と課金を使ってくださるのなら、もっと別の情報をしっかり載せれば良いのに…。私は悲しくなりました。 そう、その企業のサイトにアクセスするのが、パワーユーザである事を求めているのなら、その条件を満たす人のみがアクセスできれば良いでしょう。デザイン関係のお店なら、そのセンスや技術力を大いにアピールする必要もあるでしょう。でも、ごく普通のお店や企業のサイトのトップページすら、プラグイン等が必要なのは、不必要以前に困るのです。もっと別の情報の為に時間を使って/使わせて欲しいのです。 |
2001.3.20 |
昨日の夕暮れ時、空をふっと見上げると、
去年の晩秋、夕焼けを背に飛んでいたコウモリの群、
そして、日中は初夏とも思える程の陽気だった昨日、
ツバメが飛ぶ事、木の芽がふくらむ事、桜が咲く事、
夕陽をオレンジに反射して光る雲を背景に、
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