2001.2.8 |
最近、赤瀬川原平氏の『我輩は施主である』を読みました。赤瀬川原平氏は、芸術家で、イラストレーターであり、作家であり、エッセイストでもあります。『超芸術トマソン』とか『老人力』とかを書いた人です、と言えばわかる人も多いかと思います。 さて、この赤瀬川原平氏が、何年か前に家を建てました。一風変わったその家は、その風変わりさ故に、幾つかの建築雑誌・芸術雑誌にも紹介された家で、通称「ニラハウス」と言います。その家は、床から壁から屋根まですっぽり全てベイマツという木材で覆われていて、屋根の上を「ニラハウス」の名前の元となったニラの鉢植えが、埋め尽しているのです。文庫版の表紙には、その屋根の写真が載っているので、雰囲気はどことなく伝わってくるのですが、間隔を空けて並べ埋めこまれた鉢の列に、可憐な白いニラの花が、ほさほさと咲き揃って居る姿は、野性的でかつ華麗、という何とも奇妙な光景なのでした。 で、この『我輩は施主である』は、その出来上がった家の話ではありません。施主である…と言うくらいで、「ニラハウス」の王様赤瀬川氏が、土地を探し、設計を依頼し、自ら木を切りその木をはつり、家を形にしていく、その全ての過程を描いたドキュメント(?)なのです。どうして(?)が付くかと言うと、後書きに「この小説はフィクションです」と、わざわざ但し書きがしてあるからで、だから、どこまでが本当で、どこまでが物語なのか、それは定かではないのです。 けれど、建築家の藤森照信氏と共に幾つもの土地を見てまわり、時に藤森氏の実験的設計思考に振り回されつつ、奇抜な家の形を決め、形を作っていく、そんな過程をつぶさに並べられると、こちらまでワクワクドキドキしてくるのでした。それはもしかすると、人間誰でも持っている原始の本能なのかもしれません。土を掘り、木を切り、一つ一つを形にしていく行程、太陽の元、土の上で、自然の物達を相手にする事、それは自然に触れ、一から物を造っていく事を忘れてしまった我々にこそ、栄養となる物なのかもしれません。 でもそんな小難しい話は別として、木の荒っぽさと、温もりや造形の面白さを見ていると、自分でもやってみたくなるのですよね。別に全てが手作りでは無いけれど、作り出す事に参加するというのは、それが確かに自分の物である事を確信させ、でも何か不備が有っても、自分でやったからこそ納得できてしまう、そんな風に、一番自分を満足させられる事なのだろうと思います。 そして、「ニラハウス」の工程を眺めていると思い出すものが、実はあるのです。それは、以前このコーナーにも書いた、日本テレビ系の『ザ!鉄腕!DASH!!』という番組。ジャニーズ系アイドルグループのTOKIOに、いつもアイドルとは思えないほどガテンな仕事をさせるこの番組の中に、少し前から「DASH村」という企画が進行しています。 これは、地図に「DASH村」という名前を載せるべく、TOKIOの面々が土地を探し、開墾し、荒れ果てた廃屋を蘇らせ、畑を作り…というのを現在進行形で行なっていく、という企画なのです。そしてそれらを全て手作りで行なっていく過程を、これまたつぶさに追いかけているのです。彼等もまた、畑で作った野菜で漬け物を、全て手作りの炭焼き窯で、炭までも全て作ってしまうのです。 人間ずっと室内に閉じ籠っていると、どうしても身体も心も固くなります。だから、今こうして、絵を描き、自己主張を掲げ、ひとつひとつの部品を組み上げて自分のwebサイトを形作っていくのと同じ事を、大空の下で、大自然の中でやってみたい…、そんな思いを抱かせるのが、「ニラハウス」であり、「DASH村」なのでした。 1から全てをひとつひとつ作っていくのは大変な苦労で、体力も根気も忍耐も必要で、来る日も来る日も休むこと無く作業が続くものではあるけれど、体を動かし、手で、道具で、自然の材料の感触を感じながら完成を夢見て作業する…。それは憧れなのかもしれないけれど、夢は先ずは憧れを持つ事だから、そんな気持ちを大事にしたいと思ったのでした。 赤瀬川原平著『我輩は施主である』 中公文庫 ISBN4-12-203770-0 日本テレビ系『ザ!鉄腕!DASH!!』オフィシャルページ
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2001.1.18 |
新聞の出版広告に、こんなのがありました。 至芸の技 完全密着の入れ歯
歯ぐきが衰えていてもピッタリ密着!
いや、別にそのジャーナリスト氏を知っている訳でも、入れ歯に何か思い出がある訳でもないのですが、「至芸の技」「名工」という言葉に、なるほど、と感心してしまったのですよ。歯医者に行くと、歯科技巧士さんの仕事にはいつも感嘆しますけれど、総入れ歯というのは、まだあまり関係が無いだけに、考えてみた事がありませんでした。でも、わりと気が付いていないだけで、あれは義手義足と同じくらい、その人にとって重大なものなのですよね。 知り合いに、義手義足屋の関係者が居ます。直接の知り合いではないので、具体的な話を本人から聞いたことは無いのですが、義手義足の世界は、まさに職人芸の世界なのだそうですね。確かに、ひとつひとつ手作りしないと、患者さんひとりひとりに合ったものが作れないでしょうから、それはとても良く解ります。が、総入れ歯職人も同じなのだ、という事は失念していたかもしれません。いや、極論すれば、義手義足より総入れ歯の方が、命に密着しています。噛めなければ死ぬ、それは自然界の摂理だからです。 昨今の総入れ歯が、昔とどのくらい違うのかは解りませんけれど、名工の技を一度見てみたい…と思うのは、私だけでしょうか? 義手義足より遥かに、自分も使う確立は高いものねぇ。以前、聴覚障害の方の話を聞いたときにもありましたけれど、障害や病気というのは、歳を取れば誰でも同じような症状が出てくるのです。 聞こえない、見えない、喋れない、忘れる、理解できない、歩けない、立てない、そして、食べられない…。 どんなモノでも明日は我が身と思ったとき、それを支えてくれる匠の技があるって事は力強いなぁ…と思うのでした。しかし、この職人さん、跡継ぎは居るんだろうか? |
2000.11.22 |
電子レンジが壊れました。それはグリルを使っている時に突然来て、過熱の途中でピーッと鳴って電源が全て切れてしまったのです。 でもまぁ、もうかれこれ10年は使っているし、既に2回ほどマグネトロン(レンジの電磁波を出す部品)の修理もしているので、そろそろ限界が来てもおかしくは無い頃だったのですが。 さて、冷蔵庫や洗濯機ほどでは無いにしろ、電子レンジというのも毎日何かと使っていて、無いとなると不便なもので、早速にも新しいのを買うことになりました。 最近の電子レンジは賢くて、ご飯、おかず、汁物と、1人分の献立を全て一緒に並べてチンしても、それぞれに合った過熱をしてくれる、などという物まであるのですが、 機能が多い分、なかなか我が家的使い勝手のお手頃品を見つけるのは容易ではありません。グリルもオーブンもそれなりに使う我が家では、結局最新機種に近い物を買うことになりました。 が、この機種、アイスクリームの温め、なんていうのまで付いているのです。要するに冷凍庫でガチガチに凍ってしまったアイスを、適温まで温めて食べやすくする、というものなのですが、 こんな機能のために高い金額を払うのかと思うと、ちょっとうーむなのでした。 どんどん機能が増える家電も、PC同様、自分の欲しい機能をチョイスして組み立てる事もできる、オリジナルスペック制にしてくれたら良いのにと、思わず考えてしまいました。 もっとも、そういう物のほうが、普通より高額になりそうですが。 さて、機種は選んだものの、電気屋に在庫は無く、今までのレンジを引き取ってもらうのもあって、新しいレンジは後日配達となりました。 そして、配達のその日。取り敢えず今までのレンジをレンジ台から降ろすべく、電源コードを引っ張りました。が、抜けないのです。プラグを持ってぐりぐりとやりながら引っ張っても抜けません。 今度は配達の電気屋さんがやります。ペンチだのを出しつつ、最後は渾身の力を込めて引っ張ると、ゴボッといってプラグは抜けました。 なんと、コンセントの差し込み口ごと!(汗) そう、コンセントはプラグの高熱で溶けて融合していたのです。そりゃ、抜けませんて。今回は電源が壊れた程度で済みましたが、これは下手をすれば火事を出す原因になります。 本当に危ないところでした。しかし、問題はここからでした。何故コンセントが焼き付いたか。 電子レンジと言うヤツ、これが結構電力を使うのです。というのはまぁ、想像は付いていたのですが、実はレンジとして使うより、オーブンの方が圧倒的に消費電力は大きいのでした。 今度の新しいレンジが、レンジ加熱では最高1,280Wに対して、オーブン加熱だと最高1,400Wになります。その壊れたレンジも、最高では1,300W近かったようです。 が、レンジ台のコンセントは2口の上、恐らくは1,200Wくらいにしか対応していないだろうということなのでした。それで頻繁にグリルやオーブンを使う我が家では、 レンジ台のコンセントが耐えきれなかった、という訳です。で、電気屋さんからの指示で、1,500W対応の延長ケーブルを買ってくることになりました。それも1口のヤツで、蛸足配線にはしない事。 これを使って壁のコンセントから直接延長します。 そして、問題はもう一つありました。壁に付いているコンセントです。これ実は、2口でも3口でも、我が家の場合1ヶ所の“合計”が1,500Wなのです。 何しろ狭い台所、場所的には電子レンジと炊飯器と冷蔵庫を同じ場所から取っている以上、どうしてもその3つは競合します。大体電子レンジが1,400W使っていたら、残りは僅かです。 冷蔵庫はのべつ動いているし、炊飯と調理も同時の事が多いですよね。でも電気屋さんの曰く、「できれば炊飯している間はレンジの使用は避けてください」。 家電も年々大型になって、機能も増えて、その分消費電力もかかる。でも、相も変わらず狭い場所に電気製品はひしめいています。 ブレーカーの落ちる事もしょっちゅうです。これを解決するのは、大きい家に引っ越すしかないのでしょうかねぇ。 なかなかに考えさせられる、今回の電子レンジの交代劇だったのでありました。 でも、あの古いレンジ、もしかして電源コード部分だけ修理すれば、もしかしてまだ使えたのではないだろうか? そんな疑念が、どうも晴れないのですよね〜。 |
2000.10.16 |
最近、ネットの旧友と久々に語り合いました。旧友と言っても、ネット上の時間進行というのは日常より早く感じる傾向があるので、3年くらい前からの友人なのですが。 その人とは知り合ってから随分いろいろと話をしました。以前ネット上でトラブルがあったときには、影で相談にも乗ってくれたし、相当に力になってくれました。恐らくその人が居なければ、今の私は無かったと思います。 こんなに素敵な人達との出会いも、心を割った交流などもなかったでしょうし、ページも作っていなかったでしょう。それどころか、私が今でもネットを続けていたかどうかすら疑問です。 近頃何故かネットの知り合いも、それぞれ忙しかったり、体調を崩していたりで、なかなかにじっくり話もできなかったりしていました。そしてその人も結構忙しくて、普段あまりしげしげと話ができる状態では無かったのです。 それが今回、直接話ができる、ちょっとした機会に恵まれました。短い時間でしたが、始めの頃の話から、お互いの今の状況や心境について語り合い、愚痴めいたモノも聞いてもらいました。 それは、昔メールの何通も、チャットの何時間も語り合った頃と変わる事なく、その人の気遣いある言葉や態度も以前のまま、私も気負うこと無く素直な気持ちを吐き出す事ができました。 本当に随分と久し振りだったのに、それまでの時間の流れや、実生活での距離など全く感じさせないとても充実した時間というのは不思議なものでした。 時間や距離的には離れていても、そこには友人として確実に繋がっているもの、信頼、そして素直な心の交流が確かにあるのだと、改めて思ったのでした。 決して回顧ではない、感傷でもない、現在進行形の繋がり、これからも大切にしていきたいものを確認した、貴重な時間でした。 |
2000.9.25 |
昨日の夕方、近所の河原の土手を歩いていました。それは、明るかった夕焼けが闇に覆われる前のホンの僅かの時間で、まさに黄昏時でした。頭上の空から、夕陽が沈んだ山の上までの空間が、藍色がかった青から、薄い灰色、そして、濃いオレンジと、 グラデーションの様に変化して、綺麗な色の帯になっています。そのちょっとくすんだオレンジ色をバックに、山の稜線が、影絵のようにくっきりと浮かび上がっています。 そして、その黄昏色の中を、無数のコウモリが舞っていたのです。 これだけのコウモリ達が、いつもはどこに居るのでしょうか。優に100匹を越える数が、鳥のようなまっすぐな飛び方ではなく、いきなりヒラヒラと方向を変える飛び方で、川の上を乱舞しています。 薄暗い夕闇が降りる寸前の淡い光の中で、シルエットとなって舞い飛ぶコウモリに、私は思わずうっとりと見とれてしまいました。 薄闇が濃くなるに従って、コウモリ達は高度を下げていきます。川面よりもだいぶ上の土手の、目線の前を飛び交います。そしてその羽根の角度が、丁度夕焼けのオレンジと並行になった時、意外に薄い羽根に夕陽が透けて、 くっきりとその輪郭を見せてくれたのでした。黒いシルエットだったコウモリは、その時だけは灰茶になります。ふかふかした身体の感触まで見えるかの様に、近く近く見えるのです。 彼らの美しい乱舞を、30分は眺めていたでしょうか。辺りが真っ暗になり始めて、まだ飛び回っているコウモリ達に名残惜しいものを感じつつ、私は腰を上げました。 昼でも夜でも無い、時の間の黄昏時に飛ぶ、鳥とも獣ともつかないコウモリ達。別に昔からコウモリが殊更に好きだったり、特別な思い入れがあったわけではありません。 だから、このページのメインキャラクターとしてコウモリを使った時も、黄昏に飛ぶちょっと闇っぽいキャラという事で、軽く使っただけなのでした。 でもそれが、いつの間にかイメージキャラクターになって、私の心の中にも飛び回り始めた時、夕暮れに飛ぶコウモリ達も、不思議と私を癒してくれる存在になっていたようです。 まるで一枚の絵のような幻想的な光景の中で、私はホンの一時、ここではない別の世界に旅していたのかもしれません。 |
2000.9.21 |
ここで絵本の紹介をするのは、ちょっと反則かも知れませんが、まぁ、人生観が変わった、という程のものではないので、「変容」ではなく、ここへ書くことにしました。 紹介するのは3冊の絵本、「いじわる うさぎ」「プロフェッサーPの研究室」「こげぱん」です。3冊とも、他愛のない内容です。でもどれも、自分の生き方を見つめてます。 自分を大切にしてます。こんな風に感じられたら、少しは自分も自分が好きになれそうな気がします。 *** 「いじわる うさぎ ―やっと会えたね…」俣野温子/ほるぷ出版 いじわるうさぎが、いじわるうさぎと呼ばれる訳は、いつも本当の事を言うし、我が儘だし、大切なものが他人と違っていても気にしないし…だからです。
しゃまねこは、理性的で、現実派で、努力家で…。
このいじわるうさぎ、元々は、お人形だったらしいのです。それが、作者によって、絵本になったらしいのです。 カントリーなちょっと可愛い絵柄です。でも、ダヤンみたいな目つきしてます。いじわるうさぎの性格は、ちょっとだけ身につまされます。 だから、読んでてクスッと笑えました。 *** 「プロフェッサーPの研究室」岡田淳/17出版 マッドな科学者P教授と、その万年助手のドタバタ劇です。
今日は、若返りの薬を作りました。
えほん館の店長さんに、夜中一人で爆笑しながら読んだのですよ〜と手渡されて、パラパラ見て、その場で買ってしまった本です。 作者の岡田淳さんは、「こそあどの森の物語」とかを書いている児童文学作家です。そして、実は小学校の図工の先生でもあったのです。 そしてこの「プロフェッサーPの研究室」は、4コママンガです。と言っても、コマ割りなんかしてありません。結構適当に描いてます。 このP教授を見ていると、私はネットの知り合いの何人かの顔が、フッと浮かんできたりします。
*** 「こげぱん ―パンにもいろいろあるらしい…。」たかはし みき/ソニー・マガジンズ こげぱんは、文字通り、焦げたパンです。
一世を風靡した“たれパンダ”の、2匹目だか3匹目だかのドジョウと思われるキャラクターものです。でも、妙に悲哀に充ちていて、共感してしまうのですよねぇ。 焦げたから捨てられて、捨てられた後の人生(?)を、結構力強く生きている。あまり一生懸命で無いところも良い。 いろいろしんどいんだけど、仲間も居るし、なんとか生きて行こうよ。パン人生は無理でも、こげぱん人生ってのも良いもんさ。そんな感じです。
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