2000.2.22 |
「黄昏の点景」の1コンテンツだった「私設えほん館応援ページ」を、2月の始めに独立させました。最初は、お店の 発行する機関紙に載っている店長さんの雑感がいつも楽しいので、それを紹介する為に始めたコーナーだったのですが、 イベントや出版の情報、新しいお店の紹介等を載せていくうちにどんどん大きくなって、気が付けばセカンドメニューが できている始末。えほん館の各コンテンツの階層が、深くなっていってしまったのです。 もうひとつは、えほん館のページのお客さんと、「黄昏の点景」のお客さんが違う事。えほん館のページは、目的性が 高い為、えほん館ページ専用の掲示板を設置する事になりました。案の定、えほん館ページ固定のお客さんの書き込みが 増え、これは正解だった事がわかったのです。こうなってくると人間欲が出ます。特にえほん館はお店ですから、横の繋 がりが大事です。ページを見て、興味を持ってくださる方が増えてくれるのが、応援の一番の目的ですから。 で、次のステップが、webリングへの登録だったのです。webリングとは、同じような目的のコンテンツを持った ページのリンクグループの様なもので、目的の一致するリングに登録し、指定のナビゲーションバーをページの中に組み 込むと、そのリングに登録されたサイトをナビゲーションバーを使って順番に巡回して行けるシステムです。 yahoo!の検索等でも、いろいろなキーワードで検索すれば、ある程度絞りこんだサイトを探す事ができます。が、同種の コンテンツのサイトを一括して探すのはなかなか難しいものです。でも、このリングなら、それが簡単にできます。 そして何より、ナビゲーションバーをクリックすれば良いだけ、という方式は初心者にもわかりやすい方式なのですね。 と言うわけで、“児童文学・絵本・童話ウェブリング”というのに登録しようと考えたわけですが、ここで問題が発生。 「黄昏の点景」の1コンテンツでは、登録しにくいんですよね。コンセプトがはっきりしていた方が来てくださる方にも わかりやすいですし。そんなこんなで、「私設えほん館応援ページ」は「黄昏の点景」から独立する事になりました。 さて、独立させてまだ20日あまりですが、リングを辿って結構沢山の方が来てくださった様です。本を紹介して下さ る方もおられました。そして、一番嬉しかった事。それは、以前、まだえほん館が今の処に移転する前に、京都の伏見に あって、その時に来店されていたお客さんが、移転後ふと所用で立ち寄ってみて、別のお店になってしまっている事に 大変ショックを受けられたのだそうです。がなんと、その後ずっと諦めていたその方が、リングを辿って「えほん館応援 ページ」を見つけて下さったのですね。あぁ、えほん館はまだちゃんとあった! その喜びの書き込みを掲示板に発見し た時、私はえほん館のページを作った事、サイトとして独立させリングに登録した事、それらを本当に良かったと思った のです。webは、人と人との繋がり、出会いの場なのですね。たった一人の方でも、このページを見て良かったと思っ てくださるなら、頑張って続けていきたいと思った出来事でした。 実は最近、「私設えほん館応援ページ」ではお侘びや注釈を付けています。この4月に新店舗が開店し、それに伴って 現店舗が休業になる件で、“移転”という表現を使ってしまった事。また、説明不足であったためか、応援ページがお店 直営の公式サイトだと思われている節がある事。アクセスが多方面に渡るに従って、お遊びでは済まない、そんな部分が 多くなってきました。問い合わせやご挨拶のメールも、少しずつ来ています。やる以上は責任も発生するのだなぁ、とい う事を実感する、今日この頃です。 |
2000.1.3 |
新しい年が始まりました。どうなる事かと思われていたY2K問題も、大きなトラブル無く、今のところ新しい年は順 調に滑り出したようですね。まぁミレニアム、ミレニアムとは言っても、元はキリストさんの誕生日の話で、日本人にと っては仏教にも神道にも関係無いはずなのですが、我々の居るネットワークを始めとして、ほとんどの事柄が西暦で管理 されている以上、どうしても関りになってしまうものなのですけれど。 昨年は、個人的に本当にいろいろな事があった年でした。このページを開いたのも昨年の8月でした。ページを開く前 には、自分には載せられる情報など何も無いし、ページなど開く事など無いだろうと言い続けていたものです。それが沖 縄旅行記と、花さんから頂いたプレゼント画を公開したいために開いてみると、思っていた以上に書きたい物はあったよ うで、ページはどんどん膨らんでしまいました。そして、もっと意外だったのが、絵を描き始めた事ですね。 昔から、絵やデザインは結構好きでした。でも、デッサン力があまり無い上に色を付けるのが苦手で、お絵描きツール で絵を描くなど考えても見なかったのです。が、紙に描くのとお絵描きツールで描くのって、まるでやり方が違うんです よ。フリーの線画をお絵描きツールで描くのは結構難儀ですが、色を付けるのは格段に楽です。パレットで次々色を作っ て、適当に乗せ変えていくだけで、なんとなくイメージ通りの色合いが出せたりします。これは、紙に描く絵ではなかな かできない芸当で、デジタルならではの楽さです。その代わり、微妙な“にじみ”や“ぼかし”が作りにくいので、全体 にアニメ画やデザイン画に近いものになります。でも、その中で描きたい物が描けるようになったのは、嬉しいものでし た。 文にも“人”が出ますが、絵にも“人”は顕著に出るようです。まして私は、描きたいから描くというタイプの絵しか 描けないので、ますます感情や内面が出てしまうようです。ページの素材として描いた絵も、他の方に寄贈した絵も、み んな“私”が出ています。それを探していただくのも面白いかもしれません。 徒然に雑文を書いたり、気の向くままに絵を描いたりしていますが、それを楽しんでくださる方が居るのが嬉しいです。 そして、いささか散漫なコンテンツで、まとまりが無いところも多いのですが、少しずつ力が入るところも決まってきた ようです。読んでくださっている方、感想を下さる方、プレゼントを下さった方、本当にありがとうございます。 今年もこのページをどうぞ御贔屓に、よろしくお願いいたします。 |
1999.12.4 |
日本テレビ系のバラエティ番組に、『ザ!鉄腕!DASH!!』という番組が有ります。これは、ジャニーズ系アイドル グループ「TOKIO」のメンバーが、身近のいろいろな疑問を解き明すべく、実験や体験をする実験チャレンジ番組なので す。実験の内容はと言うと、電車と徒競走をしたり、一番暖まる鍋がどれかを食べ比べたり、一日で駅弁が何種類買える か試したり、果ては、リーダー自らクレーン操縦の免許を取りに行ったりと、本当に君達はアイドルかい?と思わず突っ 込みたくなるような程、地道で体を張った実験ばかりなのです。でも、彼らは至って真面目で、常に額に汗して走り叫び して取り組んでいる姿は、非常に好感が持てて、私はこの番組が結構好きなのです。そして時になかなか社会派な企画が あって唸らされる事もあるのです。 ついこの間あったのが、地方在住の車椅子の若者と東京へ行こう、という企画。普段気軽に旅行などできない車椅子の 人に、メンバーが一人付いて介助者となり、飛行機に乗り、新幹線に乗り、東京の観光スポットへ行くのが目的。実はこ の車椅子企画、過去にも何回かやっていて、その都度いろいろな乗り物に乗り、あちこち歩いて回っているのです。そし てその中で車椅子で動くという事がどんな事か、ドキュメントとして見せてくれます。この間の放送では、プロレスファ ンの青年が、グッズショップを回り、武道館へプロレス観戦に行っていました。 さて、車椅子を使っていると数々の障壁が立ちふさがります。駅の階段では、その辺を歩いている人を呼び止めて手伝 ってもらいます。駅によっては、階段に自動の車椅子用リフトが付いているところもあります。電車にも、2階建車両の 上の階に上手く上がるためのリフトがあるものもあるんです。反対に、歩道の傾斜で苦しむ時もあります。歩道にバイク とかが入ってこないように設置された車止めが、車椅子の行方を阻みます。ビルの上にあるお店に行くためのエレベータ ーは狭くて、介助の人間は一緒に入れません。仕方が無いから付いてたTOKIOのメンバーは、一人階段で駆け上がります。 でも、行き先の階の階段ドアは、無情にも閉まっているのです。VTRはそれらを何のコメントも無く、淡々と追いかけ ていきます。そんなこんなを繰り返しながら、でも、若者たちは大都会の観光を満喫するのでした。 私がこの番組を凄いなと思うのは、このVTRが終わった後のスタジオの感想です。プロレスファンの青年に同行した TOKIOのメンバーの感想は一言 「いやー、プロレスって面白いですねぇ。僕もハマりそうですよ」(ちょっと言い方は違ってますけど(謝)) これで番組は終わりです。そこには、どこで苦労したとか、何が困るとか、そういうコメントは一切ないのです。その蘊 蓄だの批評だのの無い、「一緒に楽しんできました〜!」という態度が、見ていて嬉しいですね。車椅子の苦労や、便利 だった設備をどう考えるか、それは本編を見た人たちがそれぞれに考える事なんでしょう。 最近、ちょっとこういう話題ばかりですが、重なる時には重なるし、話題にしていた時なので思い出した、というのも あります。独り善がりなところも有りましょうけど、ご容赦を。 あ、別に番組の宣伝でも、局の回し者でもありませんので、念のため。 日本テレビ系 『ザ!鉄腕!DASH!!』オフィシャルページ
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1999.11.24 |
聴言センターの第二段、Y先生による講演のお話です。 聴言センターの職員でもあるY先生は、幼い頃に片耳の、高校の頃に事故で残る片耳も失聴された、中途聴障の方です。 思春期過ぎまで片耳は聞こえていましたので、話す事にはほとんど支障はありませんが、聞き取りは全く出来ません。 補聴器も付けておられませんでした。 さて、お話は先生の経験談が中心で、聴障の方のご苦労や、希望を話されました。外的障害の中でも、聴障の最大の特徴 は、外見では障害がある事が判らない事です。それで、いろいろと勘違いされたり寂しい思いをされる事が多々あるようで すね。 例えば、道を歩いていて、自転車のベルや、自動車のクラクションが聞えないのです。運転手も、杖をついているだの、 車椅子だのという、はっきり障害が判る人が相手なら、それなりに気を使います。でも、聴障は外からではわからないので す。運転手はその人が何故警告音に従わないのかと、非常に不愉快になります。そのせいでしょうか、Y先生は一度ならず 車のサイドミラーに引っ掛けられた事があるそうです。先生はおっしゃいます。もしもベルやクラクションを鳴らしても無 視していると感じても、一度、「もしかしてこの人は耳の聞えない人なのでは?」と思ってください、と。 また、こんな事もあるそうです。バス停でバスを待っている時、時間や道を訊ねられる事があります。Y先生は聞えませ んから、なんとか“聞えない”と言うことを伝えて、メモを取り出そうとされます。それを見ると、訊ねて来た方は、大概 嫌な顔をするか、そうでなくてもすまなそうに首を振って、他へ行ってしまわれるのだそうです。でも、聴障の方は聞えな いだけで、答える事はできるんです。だから先生は、それがとても悲しいとおっしゃいます。以前ここに書きました私の ネット知り合いの聴障の人もそうですが、聴障の方の多くは、健聴者(聞える人)との会話のためにメモ帳を持ち歩いてい ます。別に手話が出来なくても、筆談なら何でも通じますから。実はこんな簡単な事を、私もそのネットの友達とオフ会で 会うまで、気が付かなかったんです。だから、逃げていかないで欲しいと、聴障の方は皆さん思っているのです。 Y先生は、あちこちの学校などで講演を行なっておられますが、常に「共に生きる」と言うことを訴えておられます。 「共に生きる」とは、“助けてください”ではなく、どうやったら障害者の“できない”を“できる”に変えて行けるかを 共に模索する事で、同じ土俵で生きていくと言うことなのです。 今はどこのバスにもある、次の停留所の表示。あれは実は聴障の方々の辛抱強い希望で付いたものだと言います。最初は ホンの何台しか無かった、珍しい設備だったのが、今では表示されるのが当たり前になっています。そして、別に聴障の方 で無くても、アナウンスが聞き取りにくい時、聴き逃してしまった時に、非常に有り難いモノになっています。聴障者用の 設備だけでなく、低床ステップバスなんかも、足腰の弱ったお年寄り、妊婦、松葉杖の人などでも嬉しい設備で、これから それが当然になって行く事でしょう。障害のある人にとって暮らし易い社会は、全ての人にとって暮らし易い。そう先生は おっしゃいます。 そして、Y先生が一番訴えたいとおっしゃる事。それは「障害者に聞いてください」と言うことです。最初から“できな い”と決め付けて欲しくない。こうして欲しいだろう、と勝手に解釈しないで欲しいと。「手伝いが必要ですか?」「何が 要り用ですか?」と訊ねて欲しいとおっしゃいます。そしてそれを元に、“では何ができるか”を共に考えて欲しいのだと。 そして何より、子供たちにその心を伝えたいと言われました。 以前、車椅子に遭遇した親子の話があったと言います。子どもがその車椅子の方を何か手伝いたいと言ったのだと。そう したら、一緒に居た親が「余計な事をしなくて良いの」と答えたとか。でも、それでは折角の子供の感性が育たない。“余 計な事”はしなくて良いけれど、何が手伝えるか聞いて欲しかったと言うのが、先生の希望です。 柔軟な心を持った子供たちは、理解すれば本当にいろいろな発想で助けてくれようとするそうです。目覚まし時計の音が 聞えなくてなかなか起きられないと言えば、タイマーに縄を付けて上から石をぶら下げようと言う子どもが居たそうです。 時間が来れば石が降ってきて起きられると。それは余りに非現実だけれど、どうしたら良いかを一生懸命考えてくれる心が 嬉しいとY先生。そして、ある時の講演の後で、一番先生が感動したのは、ある子供のこんな一言だったと言います。 「先生、お目々が疲れませんか?」 そう、常に相手の目を見、口元を見、手振り身振りを見てコミュニケーションする聴障者は、とっても目が疲れるのだそ うです。それに気がついてくれたその子供の、でも、それを決め付けずに「疲れませんか?」と訊ねてくれた心が先生には 嬉しかったそうです。そんな子供たちが一人でも増えてくれると良いと、講演を聞いた私達から伝わっていく事を希望され ていました。そして、聴障者、健聴者に関らず、相手と正対し、相手の目を見て会話する事が対話の基本なのだと、強調さ れていました。 1時間半くらいの講演の間、Y先生は常にユーモアを交えて、非常に楽しくお話してくださいました。そして、健聴者し か居ないはずの私達を前に、終始手話を交えてお話されていたのが非常に印象的でした。そう、センター内を案内してくだ さったのは健聴の手話通訳の方だったのですが、その方もずっと手話を併用されていましたっけ。 最後に、センターのネットでの活動をお聞きしてみました。残念ながら常に対応するための職員が確保できないために、 センターとしてはwebページ等は開いていないそうです。できれば作りたいのですが、とはおっしゃっていましたが。 という訳で、参考にと「全日本ろうあ連盟ホームページ」を教えていただきました。興味のある方は、是非覗いてみて下さ いませ。千葉のセンターがページを持っています。なかなか充実してました。 全日本ろうあ連盟ホームページ
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1999.11.19 |
最近、地域の聴覚言語障害センターという所に行く機会がありました。耳の聞えない人、聞えにくい人、また、聴覚 障害の為に言葉がしゃべれない、いわゆる聾唖の方々等のための、いろいろな活動をしている施設です。難聴の方の聞 き取るための訓練、聾唖の方々のしゃべるための訓練、手話教室、その他を行なっているこのセンターは、この近郊と しては屈指の設備を備えた施設で、興味深い見学もできました。 見て回った中で、印象的だった3つの設備がありました。 ひとつは、聴覚障害(以下、聴障と略)の方がいろいろな訓練を行う部屋にあった、ボディソニックAVシステム。 聴障の方でも、字幕付きの映画なら楽しむ事ができますが、音が無い状態で映画を見ても、BGMも効果音もありませ んから、非常に臨場感に欠けるわけです。そこで、例えば大きな音がする時、振動音があった時などに、床が揺れたり 動いたりするシステムなのです。それによって迫力や恐怖心を味わう事ができるようになるのです。 次が、ビデオスタジオと、字幕作成室です。スタジオでは、手話学習や、聴障者の為の情報番組等のビデオ作成をし ています。小さいながらも立派なスタジオなのです。ここのカメラには独特の工夫がされています。ふつうTVやVT Rの収録時には、カメラマンは、インカムというヘッドフォンにマイクが付いたような物を頭から付け、そこに調整室 からいろいろな指示が出されるわけです。もっと右とか、そこでアップとか。ところがカメラマンが聴障者の場合、こ れはできません。そこでカメラに付いているのが、小型のモニタです。調整室からの指示は、手話で行われ、そのモニタ にそれが写るのです。調整室には手話で指示を出す人を映すカメラがあるわけです。 スタジオの横には、字幕作成室があります。ここでは、TVドラマ等のビデオに字幕を付ける作業をしています。 時間を計算して、ニュアンスが正しく伝わる範囲で意訳したりするのは、洋画と原理は同じです。が、聴障者用の字幕 には、もっと複雑な工夫が必要なのです。例えば洋画の場合、字幕は画面右か下に、場所固定で出ていますね。ところ がそれでは聴障者には、その字幕がどの人物の台詞だか判断し辛いのです。そこで字幕を、画面のしゃべっている人物 の近くに持っていったり役名を添付する必要があります。また、電話が鳴った、みたいな場合も、洋画では説明の必要 がありません。でも、聴障者用では、それらも字幕で表現しなければならないのです。それは大変な作業量で、30分 物ビデオ1本の作業完成まで、80〜100時間もかかると言うのです。見に行った時には、この夏あたりにやってい た民放の人気ドラマの作業をしていました。これが全部の作業やチェックや手続きを終え、聴障者の手に渡るのは、来 年の春だか夏だかなのだそうです。実に1年待たされて、やっと人気ドラマひとつ見られるのですね。 さて、最後は、聴覚言語相談医務室です。ここには聴力検査室もあり、難聴の人の補聴器相談にも乗ってくれます。 難聴と言っても、人それぞれなんですね。単に小さい音が聞き取れない人なら、音を拡大する補聴器があれば良いかも しれません。でも、耳の中の音を伝える細胞が欠落している人の場合は、いくら音を大きくしても聞えないのです。 また歳を取ると、高い音、低い音が聞き取りにくくなったりするので、音は聞こえていても、言葉としては聞き取れな いという場合もあります。ですから補聴器でも、聴覚検査をしてそれぞれの人にあったものを、それぞれに調整して使 わないといけないのです。聴覚言語相談医務室では、そんな相談も行なっているのです。 補聴器については、特に2つの大事なお話を聞きました。 1.例えばおじいちゃん、おばあちゃんが最近聞えが悪くなってきたといって、ではお誕生日に補聴器をと、近所の お店で薦められるままに買ったりはしない方が良いという事。上に書いたような理由で、それが本当にその人に 良いかどうか判らないのです。ですから、そういう時にはやはりこういうセンターの様な所で相談して欲しいと 言います。その場合々々で、医療機関や、補聴器自体を紹介もしてくれるそうです。 2.補聴器って、付けた事ありますか? センターで試しに付けさせてもらいました。箱型の補聴器のイヤホンを耳 に入れ、スイッチオン! 突然部屋中の音が耳に入ってきます。拍手の音など、ビンビン響きます。でも、前の 音も、後ろの音もみんな均等に入ってくるので、非常にうるさく感じます。そして、全体がざわざわしていて、 ひとつひとつの音はとても聞き取りにくいのです。これは、箱からイヤホンが繋がっている形のでも、耳掛け式 でも、大体同じなのだそうです。ですから、補聴器をしている人に話し掛ける時には、大きな声を出す必要はあ りません。耳が痛くなるだけです。それより、口の動きが見える位置で、はっきりと、ゆっくり、しゃべってく ださい。 センターの見学の後は、16〜7歳で両耳が聞えなくなった中途聴障の先生による、講演を聞きました。
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1999.10.25 |
最近、ミステリーを読んでいます。いろいろと紹介してもらったものを、読んでいますが、次々と新しい本が出て くるので、当分楽しめそうです。何を今更と言われそうですが、実は私はずっとミステリーが読めなかったのです。 子供にとって、ミステリーの入門書と言えば、怪人二十面相やルパンのシリーズがそうでしょうか。図書館へ行くと、 黒い背表紙にちょっと無気味な怪人の絵のハードカバーが、ズラっと並んでいる、あれです。私は、あれが、どうして も嫌でした。そもそも小さい頃から怖がりだった私は、図書館のそのコーナーの前を通っただけで、その無気味な怪人 がずっとこっちを睨んでいるようで、怖くてならなかったのです。そして、もう少し大きくなると、ミステリーと言え ば、殺人、という知識が付いて、ますます敬遠するようになりました。ミステリーというのは気味の悪いもの、怖いも の、と思い込んで、それからずっと、ミステリーとは縁の無い生活を送ってきたのです。 ところが、ネットを始めて、作家さんのファンの人達と話をするようになって気がつくと、辺りには、なんとミステ リー読みの人が多い事でしょう。ファンタジーやSFが好きな人も、ミステリーも結構読んでいるのです。日本作家の 好きな人、海外作家ばかりの人、とてもマニアックにトリックを追求する人、作中人物に感情移入する人、そして、登 場人物の生き方を自分の生活や信条に反映させていく人もいるのです。読み方も人それぞれなのですね。そんなこんな を見るにつけ、私は、実は自分がとても損をしているのではないかと、気がついたのです。そして、薦められるままに 少しずつ読み始めてみたのです。確かにミステリーは、日々殺人事件が連続し、無気味な場所や、怖い犯罪者が出てき ます。しかし、どの人物にもどの事件にも、それぞれの人間の思惑や歴史があり、複雑な人間関係を描き出しているの ですね。決して恐ろしいだけではなかったのです。 こうして私は最近、すっかりミステリーにハマっています。どうもマニアックに読める頭は持ち合わせていないため、 出てくる伏線という伏線は全部忘れてしまうし、トリックに気がつく事も滅多にありません。でも、不可解な人々の関 係、病理を抱えた犯人、格好良い探偵や、悩める刑事さんをみるだけで、充分楽しんでいます。 今頃になって、やっと開拓したこのジャンル、奥は深いし、数は多いし。これからずっと付き合っていけそうです。 |