1999.9.23 |
今朝、腕時計が夜の11時半で止まっていました。そういえば、この間もそんな時間で止まっていました。そして、 その少し前にも。いずれの時も、夜の11時半で止まっていたのですが、秒針は動いているんです。で、気が付いた時 に時間を合わせて置くと、また普通に時を刻み始めます。そして、またある日の夜の11時半で止まるんです。 結局今日、時計屋さんに持っていきました。別に針がその位置で引っ掛かっているわけでも無いようです。中の部品の その時刻を刻む位置が、何か破損しているとか、そういう可能性が高いとの事でした。オーバーホールをして、部品を 取り替えるとして、予想される修理代は小1万だとの事でした。 その時計はSEIKO QUARTZ TYPE II。約20年前のヒット商品です。当時、かなり沢山のデザインが出ていまし たが、基本的にはオールステンレスの実用本意の様なデザインでした。私はその中でも割に薄手で、長針と短針は根元 が銀でその先は黒という、ちょっと女性的な雰囲気の物を選びました。そして、その薄さのお影か、時計は腕にも軽く、 いつでも持って歩けたのです。そして、気が付けば20年が経ちました。 20年の間には、幾度と無く電池交換をしましたし、修理にも何度も出しました。外してポケットに入れておいたり、 机の上に置いていたりして、落してしまう事も度々でした。生活防水を良い事に、プールでも腕にしたままの時もあり ました。ですから、止まったり、遅れたり、進んだりする事はしょっ中でした。時計というのは持ち主に似て、いらち な人間が持つと進みやすい、などと言いますが、私の時計も持ち主の性格を反映してか、進む事の方が多かったようで す。そして、時が経つ程に修理代も高くなっていきました。何度も「買い替えた方が安いですよ」と言われました。 そりゃ、オーバーホールをして五千円も払っていたりするのですから、時計屋さんがそう言いたい気持ちもわかります。 別に、時計屋の売らんかな、だけでは無かった事でしょう。でも、私には別の時計を買う事はできませんでした。 そう、それは本当の愛着故でした。シンプルな中にもちょっと凝ったところのあるデザインは、全く飽きる事を知り ませんでした。実用本意の頑強な作りは、どんな扱いをしても、文字盤のガラスにも角々にも、僅かの傷しか与えませ んでした。その時計はいつしか腕の一部となっていたのです。多分、この時計は、私の持ち物の中で一番愛着があり、 一番長く使っている物なのではないかと思います。しかし、買った当初でも2万円くらいだった物にかける、修理代 1万円は・・・。 結局修理は見送る事にしました。今1万かけて直しても、20年動き続けた時計は、また別のところが壊れていくで しょう。そして、夜の11時半に止まった時計は、そこからリューズで少し進めてやれば、次に何かが引っ掛かるまで は、何の問題無く動いていくのです。このまま騙し々々使いましょう。そう、そうやってそっと使い続けて行けば、ま だ5年やそこらはきっと使えるでしょう。いや、もしかするともっと保つかもしれません。新しい腕時計を買うのは、 まだ当分先になりそうです。 |
1999.9.8 |
漫画の雑誌を定期的に買っています。少年誌を1誌、少女誌を2誌、その他青年誌を3誌程でしょうか。 で、毎回必ず買っているこの漫画雑誌なのですが、決して全部を読んでいるわけではありません。青年誌は2/3以上 読んでいますが、少年誌や少女誌は、そもそもが一つの連載が目的で買っていたりするので、他のものは最初から読ん でいなかったり、途中で飽きて読まなくなったりする物が、段々増えてきているのです。それでもその連載が終わるま では、どうも買うのを止める気になりません。で、我が家ではそれらの雑誌は、非常に奇麗な状態で古紙回収に出され る運命にあったのです。 が、ある時、ここに救いの手が現れたのです。当時小学校の高学年だった、近所の女の子Uさんが、その少年誌と 少女誌を欲しいと言ってきたのです。小学生中学生にとって、漫画雑誌を定期購読するのは、やっぱりお小遣いを圧迫 するのですねぇ。以来我が家の少年誌と少女誌3誌は、一定の量が溜まると、奇麗なままでUさんの家に行くことにな りました。少女誌2誌には付録も付いています。当然我が家では別に使おうとは思いませんから、それも未開封のまま で付いていきます。Uさんの家ではお母さまも読まれるということで、2世帯で読めば、まぁ雑誌としても勿体無くは ないなぁと思っていたのですが・・・。 今日、そのお母さまから意外な事実を聞いたのです。なんと、あの雑誌たちは、Uさんのお友達の間で何人と無く 回し読みされ、毎回楽しみにされていると言うではありませんか。今や中学生となったUさんのお友達は何度も何度も 読み返してくれるので、Uさんの家に戻ってきた時にはボロボロになっているらしいのです。そして、最後にUさんの お母さまが、これも何回か読み返して、雑誌はやっと安眠できる、とのことなのです。 我が家から出ていかなければ、奇麗な付録付きで毎回古紙回収に出されていた雑誌たち。でも彼らは、Uさんにもら われて行ったお影で、それを一番喜んでくれる人達の元で、幸せな最後を遂げるのです。何度も回し読まれてボロボロ になれるなんて、まさに雑誌名利に尽きるではありませんか。だから私はこれからも、安心して雑誌を買い続ける事が できるのです。 ん? なんか違ってます? |
1999.9.1 |
8月末、ネットの友達がひとり、日本から海を越え旅立ちました。確固たる信念の元、自らの真理を求めて出国した その人は、もう帰って来るつもりは無いのだそうです。その知識と話題は豊富で多彩、光と闇を共に語り、楽しく優しく、 しかしまた時に毒舌の混ざる人柄で、その人は周囲の人気者なのです。 私も短い時間でしたが、いろいろとお話をしました。光と闇の共存する精神は、共に共通する部分もあり、その人の、 どちらの世界からも目を背けることなく正面から対峙する生き方には感銘を受け、また自らを問い直す事にもなりました。 そして、旅立ちの日がやって来ました。もう簡単には会えないでしょう。 でも、寂しくは無いのです。何故? その時、私は改めて気づくのです。ネット世界の不思議を、人と人の交流の不思議を。 一昔前なら、他国へ渡った人とどれほどの交流ができたでしょう。物理的距離はそのまま相手との距離そのものであり、 海を渡った人との交流は手紙や国際電話くらいしかなく、結構な労力と根気を必要としました。そして、その労力故に 折角の出会いも対話も、いつしか消えていくのが有りがちな状況だったのです。 その状況を、ネット世界は変えてしまいました。毎日のように海外居住の人とメールをやり取りし、時にはチャット によってリアルタイムの話をします。それは、物理的距離に関係ありません。隣の家の人と、北海道の人と、沖縄の人と、 そして、アメリカの人と、全く条件が同じになるのです。いや、毎日の対話は、隣の人ととの会話より、時に関りと 理解を深くします。悩める時にはアメリカの友達が一番頼れる隣人になったりするのです。このネット世界の、文字と 画像だけの交流を、心が無い、暖か味が無い、と批判する向きもあります。でも、逆に短い文字列の中に込められる 想いや主張は、直接会ってしゃべるよりも遥かに大きいと思える事も多いと私は思います。たまに電話でしゃべった時、 いかに内容の無い話で時間を費やしているのかに気がついて、唖然とする事があるほどです。 そう、ネット世界は正に「肉体(物理距離)を越えた、魂(心)の交流」の場なのです。外観や身体的特徴による 印象や偏見に捕われること無く、お互いの精神世界を素直に語らえる場所でもあるのです。精神世界の対話は、また 新たな関係と結び付きを生み、そしてその交感は、いつしかネット世界すら越えて精神と精神の交感に繋がって行ける のだと、私は信じたいのです。 そう言えば、もう十何年も前にヨーロッパの国で結婚して向こうに永住している友達がいます。その人とは日本に いる時随分と語り合ったハズなのに、今ではもう、一年に一度のクリスマスカードの交換だけになっています。 あのお友達はネット世界に繋がっていないのだろうか? 今度、改めて聞いてみましょうか。もし繋がっていれば、 明日からでも毎日対話できるのですよね。 海を越え旅立った友達は、きっとまたネット世界に戻ってくるでしょう。その時からは、また今までと変わらない 交流が続くのです。そして私は今日もまた、新しい出会いを見つけました。 ♪伝えたい気持ちが繋げたい言葉が素直に あふれてく
♪世界は小さくて 世界は大きなnetwork
田村直美「一秒先の現実 一秒前の憂鬱」
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1999.8.27 |
自転車で歯医者に行こうとしていました。ところが今、自転車の前輪の泥除けが歪んでいるんですよ。そして、 タイヤがそれに擦れる音がして、とっても気になっていたのです。で、あまり気になるものだから足でちょっと 横へずらしてやろうと、横から蹴った・・・つもりだったのが、サンダルの爪先を巻込まれてしまったのです、 自分の漕いでる自転車の前輪に(ドジ!)。お影でサンダルは半壊、足の親指の皮がぱっくり剥けています。 痛い・・(しくしく)。結局歯医者では、歯の治療の前に、その傷を消毒してもらって絆創膏を貼ってもらいました。 普段は優しい看護婦さんが、ドジな私にちょっと意地悪を言います。 「この消毒剤は、シミますよ〜 (^^)」「我慢しますぅ (;_;)」 そう、消毒液は、とってもシミる・・・はずだった・・・。
どうも私の神経系はどこか欠損しているのか、昔から痛覚が鈍感なのです。いや、足の裏をくすぐられても くすぐったくないんで、触覚そのものがそもそも鈍感なのかもしれません。 もう何十年か前に、歯を抜いた事があります。その歯はずっと虫歯で、穴が気になるので年中つついていました。 痛かった事もあるのですが、ちょっとズキズキが続いてもすぐに収まるので、ずっと放ってありました。 で、ある年のお正月、お煮しめの筍を噛んだ瞬間それが来たのです。 バキッ! そう、その歯は筍の堅さに耐えきれず、なんと縦に真っ二つに割れてしまったのです。さすがにこれは歯医者に 行くしかありません。歯医者なんか行ったことのない私も、渋々重い腰をあげました。で、歯医者に怒られました。 「なんでこんなになるまで、放っておいたのです (-"-)」 が、次に聞かれました。 医「しかし、良く痛いのを我慢してましたねぇ (@_@)」
そう、普通はこんなになるようだと、痛みで七転八倒、夜も眠れないハズなのだそうなのです。そう言えば、歯が腫れると みんなげっそりして冷やしてるよな〜。で、歯医者は続けます。 「ふむ、君は痛みに鈍感のようだから、内臓疾患には気をつけるようにな」
私が特に変なのかどうかはわかりませんが、医者がその職業柄忠告する程度には変なようです。 痛くないのって、一見得なように思えますけど、痛みというのはそもそも故障のサインですから、そのサインが出ない というのは本当は危ないんですよね。人より悪化してからでないと故障に気が付かない。そう言えば、1年くらい前から 感覚がなくなってる指もあるんだよねぇ。大丈夫か? 私。 という訳で、皆さんも、痛みに 感謝! (あれっ?) |
1999.8.18 |
この「物思ふ風景」のコーナーが好きです、というご意見を方々から頂き、本当に嬉しく思っています。 ネットを何年かやっていて、自分の想いを文字にする事が多くなりました。逆に他人の想いや考えを文字として読む事も。 年間で万の桁の文章を読み、千を越える文章を書いていると、自然に短い文章の中で如何に自分の想いや考えを伝えるか、 という事に、少しは上達したように思います。だらだら書いていても、伝わらないものは伝わらないですね。 逆に自分の考えを素直に、適切な言葉を選んで書けば、例えたったの一行でも、とても多くの事が伝わるんですよね。 少し前、とある広報誌に載せる短い取材記事を書いて、わかりやすいと誉めていただいた事がありました。その時、 あぁ、日頃の修練のお影かな〜と、思ったものです。そして、やっぱりネットやってて良かったと、また思うのでした。 でも、書き出すと異様に長くなっちゃうのは、私の悪い癖ですね(苦笑)。 |
1999.8.17 |
ネット上の人達には、本当にいろいろな人が居て、その出会いはいつも新鮮で、勉強になる事が多いのですが、 前回書いたオフ会を行なった集まりの人の中に、難聴の方が居られるのです。その人も最初にネット上に現れた時には、 自分の難聴の事を言出しかねていましたっけ。でも、ある時意を決してみんなに表明したのです。その時のみんなの 反応は、しかし、非常に自然なものでした。そもそも、ネットの上では対話のほとんどが文字によって成されますから、 難聴であってもほとんどその対話に困る事はありません。でも、そのような環境的な状況以前に、みんな、その人の個性 をそのまま受け入れ、常と変わらない対話が続きました。前回書いたような、強烈な個性をも自然に受け入れる土壌故、 尚更誰も気にしなかった、というのもあったのでしょう。 そしてその人は、その後オフにも出席する様になったのです。 最初の頃は、その人がいつも持参している紙のメモ帳を回しては、筆談をしていたものです。でも最近は、最新兵器の ノートパソコンの類が幾らでもあります。今回はそれらを活用して、対面チャットという、一番慣れた(苦笑)対話 方法を選んでしまいました。なにより面白いのは、その人との対話は、全部文字になって残る、という事。普通なら 記憶の中にしか残らないオフでの会話が、全てログとなって、オフレポになって戻ってくるのです。聴かなかった事に してくださいってのが通用しない、酔っぱらいの戯言。後で冷や汗の人もいそうなのが、ますます可笑しい。 こういう出会いがあると、改めてネット世界の広さと、包容力の大きさを感じます。環境や物理的条件を乗り越え、 心の対話のできるこの世界が本当に好きです。そして、もっともっといろいろな人に出会い、様々な生き方を教えて もらえたら、と思っているのです。 |
1999.8.14 |
ネットの人達の集まり(いわゆるオフ会)に行ってきました。宴もたけなわとなった頃、そのうちのお一方Gさんが、 お酒も回り、お疲れも出たのでしょう、熟睡状態に入ったのです。で、それを良い事にこちらも相当酔われたお一方が、 Gさんについていろいろと言出されたのです。そして曰く、 「自分の子供がGさんのようになっても、良いのか!?」 ところが、それに対して周りの何人もの人たちが、 「うん。Gさんの様に育ってくれたら、どんなに素晴らしいか」
と異口同音に答えたのでした。 Gさんは相当に変わって見える方です。有り体に言えば、Gさんの主義、思想信条、そして趣味は、けっして一般的 ではなく、偏っていて極端。それは外見や行動にもしっかりと現れていて、初めてGさんに会った方は、大概驚き、 時には呆れ、付き合いに悩む方もおられるかもしれません。その上、Gさんは、安易な気持ちで、その主義、思想を 揶揄しようものなら、非常に真剣に怒りをあらわにされます。しかし、私にとってGさんとの出会いは、とても影響力の 大きいものでした。 Gさんは、その主義主張をきっちり貫き、他人からどう見られようと自らの責任で全てを行う人です。揶揄に対して 非常に厳しいのも、その真摯さ故でしょう。しかし、Gさんは、それを決して人に押し付けないなのです。全く相反する 思想や信条の人に対して、真剣に自分の意見を述べる事はしばしばありますが、でも、相手の事は常に尊重しています。 意見は言っても非難はありません。そして、その他のぶつからない部分では、全く頓着無く、親しみやすい態度で接する 人なのです。Gさんのその生き様は本当に尊敬に価し、私も自らを考え直すきっかけとなったのです。 多分、何の前知識も無く、ネットではない普通の環境でGさんに最初に会ったなら、私も先入観に惑わされ、とても お友達にはなれなかった事でしょう。しかし、ネットで話をしていたお影で、Gさんのその自らを貫く姿勢と、相手への 尊重を理解でき、素敵な初対面となったのを憶えています。 そして、私がGさんの出会いから学んだ事。それは、世の中には本当に色々な考え方、想いを持つ人々がいるのだ、 という事。自分と相反する考え方をする人々、今まで想像もしていなかった想いを持つ人々も、自分の考え方一つで 尊重し、尊敬する事ができるのだという事。そして、その出会いを自分の糧にできるのだという事。Gさんの存在から 得られる事は、本当に大きな物なのです。 久々にGさんとお会いして、改めてそんな事を考えました。
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