109 『光る君へ』──発見と感動
2024.9.23
昔は、大河ドラマはあんまり見なかった。歴史物が苦手ということもあったが、セットがチャチというのも理由の一つだった。山道を歩いているのに、明らかに板の上を歩いている音がするといったチャチさが我慢ならなかった。
ポツポツと見るようになったのは、『龍馬伝』あたりからだったろうか。『真田丸』も見た。その後、また見なくなって、『鎌倉殿の13人』に至って、初めて本気で見た。「予習」までしたくらいだ。それまで「武士」とか「武家政治」とかいったことを、なんとなく知っているつもりでいたが、「予習」していくうちに、そうか、「武士」ってこういうふうに発生したのね、というような発見に満ちた本が何冊もあって、すごく勉強になった。そのうえで、『鎌倉殿の13人』を見ると、鎌倉武士というものがそれまでのイメージとぜんぜん違うものに見えてきて、楽しかった。(というか、ぼくの勉強不足にもほどがある、だよね。)
しかし、その勢いで見た『どうする家康』は、安手のCGばかりで、なんとかの戦いとかいっても、いつも同じ山中で数十人が戦っているばかりで、これならかつての戦国ものの大河のほうが数段マシだと思われた。ただ、家康の人物像には新しい知見が盛り込まれていたようで、おもしろかった。
で、今回の『光る君へ』である。平安時代の大河なんて、しかも、紫式部が主人公なんて、いったいどんな変なドラマができるのかと思うと見る気がしなかった。大昔の、長谷川一夫だったかが光源氏を演じたらしい映画が見てもいないのに思い出されたりして、げんなりするばかりだった。
ところが、青山高校時代の教え子の娘さん(見上愛)が、なんと彰子中宮役に抜擢されたと聞いて、これは見なければ、せめて、まだ新人の見上愛が、彰子中宮などという大役をどう演ずるのかだけでも見届けなければ、と思って見始めたのである。
見始めて数回で、これが稀代の名作であることを確信した。すでに、35回を終えたドラマだが、とにかく、ぼくには発見と感動の連続である。書きたいことがありすぎて、どこから書いたらいいのか分からないほどだが(だから、これからポツポツと時々書いていくことにするが)、何よりも、ぼくがびっくりして感動したのは、「紫式部が、『源氏物語』を書いている」シーンである。なんだそんな当たり前のことかと思われるかもしれないが、自慢じゃないが(十分自慢だけど)、ぼくは、『源氏物語』を今まで2回原文で通読してきたのである。さらに自慢すれば、「桐壺」とか「若紫」とかは、その一部ではあるが、何十回となく授業で読んで来たのである。一時間でたった2〜3行について細かく読むことさえしてきたのである。「桐壺」冒頭なんかは、今でも暗記できるほどなのである。(ま、元国語教師ならそれぐらい当たり前だけど。)
そのぼくが、このドラマを見るまで、紫式部が筆を持って「源氏物語」を執筆しているシーンを想像したことすらなかったことに気づいたのだ。紫式部が、『源氏物語』の作者であることは、確かなことだ。一時は、「宇治十帖」の作者は紫式部ではないと与謝野晶子が言ったりしたことがあったが、それも今では大方否定されているようだ。
『源氏物語』の作者は紫式部であり、『枕草子』の作者は清少納言である。『蜻蛉日記』は、藤原道綱の母が作者であり、和泉式部は『和泉式部日記(あるいは和泉式部物語)』を書いた。そんな文学史的な「常識」を、何の疑いもなく、古文の授業ではとうとうと話してきたのに、彼女らが、それらの文章を「書いた」のは、何故だったのか、どこから「書く」ための紙を手に入れたのか、などということに思いを巡らせたことがなかったのは、いかにも不可解だった。
その不可解さを、大学時代の旧友に話したところ、彼の反応も、さすがにぼくほどではなかったけれど、似たところがあった。
日記はともかく、物語となると、『宇津保物語』にしても、『夜半の寝覚め』にしても、『浜松中納言物語』にしても、多くの物語の作者は、いろいろ説があるけど、定説がないからねえ。だから、物語って、「まずそこにある」ものとして考えちゃって、誰が何のために書いたかというようなことは、昔はあんまり話題にならなかったんじゃないかなあと彼は言う。
ぼくらが源氏物語の読書会をやったのは、大学時代のことで、それからもう50年以上も経っている。源氏物語などは、もう研究されつくされてしまっているんじゃないかと大学時代はなんとなく思っていたけど、実は、その後、様々な研究がなされてきたのだった。それも知らずに、旧態依然たる「源氏物語観」から抜け出せないままに、『光る君へ』を見て、愕然としたのも当然だろう。
ちなみに、ぼくらが大学生だったころの文学研究のトレンドに、「分析批評」というのがあって、それは、文学作品の歴史的な背景とか、作者とかいったものを「無視」して(ちょっと乱暴な言い方だが)、とにかく「文章そのもの」だけを、純粋に、分析的に読んでいくという研究方法だった。『古文研究法』で有名な小西甚一先生などがその急先鋒だった。(先生の講義も直接伺った。)だからというわけでもないだろうが、『源氏物語』に関しても、紫式部本人にスポットを当てて研究するということはあまり盛んではなかったのかもしれない。その影響もあってか、あえて、「作者」に注目しなかったのだ、と一応言い訳することはできる。
『光る君へ』には、もちろん史実とは認めがたいフィクションも多くある。しかし、これはフィクションでしょと思ったことが、実は学問的に裏付けられていることが非常に多いことを知って、びっくりしたのだった。
これは、気鋭の国文学者山本淳子の『紫式部ひとり語り』(角川ソフィア文庫)や『枕草子のたくらみ』(朝日選書)を読んだことにもよる。これらの本を読んで、そうか、こんな研究があり、こんな論文の書き方があったのかと感嘆するとともに、脚本家の大石静がこれらの研究を熟読していることも確信したのだった。
それにしても、『源氏物語』は2度も通読したのに、『枕草子』を通読したことがないという不勉強がいけないのだが、清少納言が「はるはあけぼの…」の段を「1枚の紙」に書いて、定子へ渡すために、御簾の下から差し入れたシーンの美しさに、思わず息を飲んだ。そうか、この文章は、こんな思いで書かれ、こんなふうに定子に渡されたのか、と思うと、心がふるえた。実際にはその通りではなかっただろう。これは「一つの説」に過ぎないのかもしれない。しかし、十分にありえたシーンだろう。
『枕草子』が、今では文庫本でも手軽に読める時代とはまったく違って、「出版」ということもなく、紙も簡単には入手できない時代、文章を書くということの意味も今とはまったく違っていたのだ。そんなことは当たり前のことで、ぼくだって、そのくらいのことは「知って」いた。けれども、「知っている」ことが、単なる「知識」であっては不十分なのだ。「ありありと、体験したかのように知る」ことが大事だ。だからこそ、歴史ドラマには意味がある。と同時に、危険性もある。歴史考証がいい加減だったら、「誤った知識」が定着しかねない。フィクションとしての「歴史ドラマ」の限界もあるわけである。
今回のドラマにも危うい点がいろいろある。視聴者が「フィクション」であるということの意味をしっかり理解せずに、そのまま「史実」として受け取ったら困るという点もある。昨今のSNSの反応などを見るにつけ、その点の理解が驚くほど浅いことにも驚かされているのだが、それはまた別の機会にしたい。
ぼくがこのドラマを見始めたころの最大の興味は、見上愛の演技にあったことはすでに書いたが、もうひとつが、紫式部がいったいどのようにして「文学(物語)」に目覚め、どのようにして『源氏物語』執筆に到ったのかという大きなテーマを、脚本家の大石静がどのように描くかということだった。いわば「文学の誕生」の物語である。こんなテーマの大河ドラマがかつてあっただろうか。
そして結論的にいえば、見上愛は、ぼくの想像を遙かに超えた演技力で彰子中宮を演じつづけているし、『源氏物語』は、見事に誕生し、さらに『紫式部日記』が、なぜ彰子の出産シーンから書き起こされたのかまで「解明」されている。見事なドラマというほかはない。
まだ、最終回までは、時間がある。最後の最後まで、しっかり見届けたいと思っている。