9 「右手」はどこに?──絵を描くこと、あるいは『この世界の片隅に』をめぐって

2016.12.3

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  写真と絵はどこが違うのだろうと、ずっと考えてきたように思う。それというのも、高校時代から断続的に絵を描いてきて、今に至るのだが、特に水彩画で風景を描くようになってから、現場でスケッチすることと、撮ってきた写真を見て絵にすることとの間で悩んできたからである。

 ぼくは本格的に絵を習ったことはなかったから、水彩画に関しては、ずいぶん技法書を買い込み、そこから学んできた。そのほとんどの本で、現場で描くことの大切さが説かれていたが、実践はなかなか難しかった。教師という仕事は昔はけっこう暇で、夏休みなどもほとんど一ヶ月はあったのだから、スケッチ旅行なんてその気になればいくらでも行けたはずなのに、とうとう一度も行かなかった。金がなかったせいもあって、自主的な旅行ということをあまりせず、旅行といえば、修学旅行の引率か、学校の先生たちとの研修旅行のようなものばかりだった。そういう旅行では、のんきに一カ所にとどまってスケッチしていることなどもちろんできないから、写真を撮っては、家に帰ってそこから絵を描いてきたわけである。

 それでも、修学旅行の引率やら合宿の引率では、案外自由な時間があったりしたので、そういうときは、小さなスケッチブックで描いたこともある。それはすごく楽しい時間だった。

 中高年になって水彩画なり油絵を習うようになると、すぐに外国へスケッチ旅行なんかに出かけて、帰ってきてグループ展を開くなどということがよくあるが、ぼくには、無縁の世界だったわけだ。

 現場で描くということの大切さ、楽しさを知ってはいたが、そんなわけで、「写真をみて描いて何が悪い」とばかり居直ったあげく、ほとんど現場でスケッチすらしなくなって久しい。けれども、近ごろ、昔自分が描いた絵を整理しながらつらつら見ると、やっぱりちょっとしたスケッチでも、現場で描いたものは生き生きとした息づかいが感じられて、いいなあと思うようになった。

 写真というのは、現場を、瞬間的に切り取る。「あ、いい!」と思ったシーンを撮る。しかし撮るときには、細部まで見えていない。できあがった写真を見て、そこに何が写っているかを(あるいは何を写そうとしたかを)発見する。細部が見えてくる。そういうものだ。もちろん熟達してくれば、発見したものだけを写すこともできるだろうが、旅行中の風景スナップなどではそういうことはなかなか難しい。

 現場で絵を描くとき、細部を見て描く。細部を発見して描く。見えているものを描く。たいてい時間切れになるから(セザンヌみたいに同じところに通いつづければ別だが)、残りは省略してしまう。

 写真を見て描くということは、写っているものを、発見しながら描く。けれども、時間がたっぷりあるから、隅々まで描いてしまう。どこかを省略するかについては、かなり「意図的」になる。

 なにもここで写真と絵の比較論をするつもりはない。「絵を描く」ということは、どういう行為なのかについて考えているのだ。それというのも、昨日、映画『この世界の片隅に』を見たからだ。その映画に対する柴那典君の批評を読んだからだ。

 映画の主人公「すず」は、絵を描くことが好きなのだが、空襲でその絵を描く右手を失ってしまう。映画はその右手を失った後の「すず」のことを描くのではなく、失う「前」を中心に描く。

 映画のすべてのシーンは、もちろん「すず」の描いた絵ではないが、アニメーション映画なので、すべては「絵」である。その絵のうえに、「すず」の絵が重なっていく。柴君もいうとおり、「すず」が描くことで、「風景に命が吹き込まれる」。さらに柴君はいう。

 

絵を描くこと、鉛筆や絵筆で目の前の光景を書き留めること、幻想に思いを馳せること、想像力を働かせること、物語を紡ぐこと――。それらの行為が持つ魔法のような力、その渇望、そしてそれが持つ“業”のようなものにまで踏み込んでいく。

 

 音楽批評を専門とする柴君(君づけでなれなれしく呼んでるのは、彼が、栄光学園時代の教え子で、しかも演劇部員だったからだ。許されよ。)の感性は映画に対してもするどくて、ことの本質を見事にとらえている。

 絵を描くことは、単に現実を「写す」のではない。現実を「変える」ことでもあるのだ。現場でスケッチするとき、目の前の風景の中に何かを発見して、描くと先に述べたが、それは、とりもなおさず現実を自分の目によって、あるいは手によって「変える」ことなのだ。

 そうした絵を描くという行為の意味を考えつつ、もう一つの絵、つまり、「この映画全体の絵」について考える。「すず」が目にする呉や広島の街並みは、「やがて失われることが分かっている」風景である。それをぼくらは、痛いほど分かっていて、その「描かれた風景」を見つめることになる。

 これが大がかりなセットを使った実写映画だったら、同じように「やがて失われる風景」として見るだろうが、そのセットを作っている「作者」への思いはおそらく頭に浮かばないだろう。しかし、絵は、それを「描いている」作者を思い浮かばせる。

 このアニメーション映画を作った人たち、画家たちが、何を思いこの「絵」を描いたのかが、痛切にしのばれる。それは、かけがえのない風景をもう一度蘇らせたいという意志だろう。その「絵」の中で、「すず」が更に絵を描く。その辺の事情は、柴君が的確にこんなふうに言っている。(是非全文を読んでください。)

 

『この世界の片隅に』がとても丁寧に当時の人々の暮らしや日常を「描いて」いるのも、すずさんがスイカや干物や街の風景を作中で「描いて」いるのも、一つのメタ的な相似形なのだと思う。描くことで、手の届かないもの、失われてしまったものを近くに引き寄せることができる。それは「物語」の持つ、とても大きな力だ。

 

 この映画を見る直前に、通っている水墨画教室で、先生がこう言った。「画家は観察しなくちゃ。風景は、いつみても同じじゃないよ。写真は、その一瞬だけを切り取ったものでしょ。それを描いてもダメ。変わっていく風景を、見て、それを描いていくんだ。」

 呉の街も、広島の街も、激しく「変わっていった」。そのことに気づかずに、「すず」は「原爆ドーム」を無心に描く。そして、「変わり果てた原爆ドーム」を「すず」は描かない。いや描けない。右手を失ってしまったからだ。

 それなら「右手」はどこにあるのだろう。柴君のいうように、それは「彼岸」にあるのかもしれない。あるいはまた、映画そのものが「右手」なのかもしれない。繰り返し描かれる呉や広島の「失われる前」の懐かしい風景。その「絵」を描いた「右手」がある。

 ぼくはときどき思うのだ。東京の風景を見ながら、横浜の風景を見ながら。この風景はいつかきっと「失われる」と。さまざまな災害現場の映像をいやというほど見てきた。そこから生まれる想像力がどうしても、東京の、横浜の、いや、日本の風景の「永続性」を感じさせないように働いてしまう。その度にもの悲しい気分に落ち込みそうになるのだが、しかしまた、この映画を見たことでこうも思うようになった。この風景を「描く」ことで、いや、むしろ「描く」ことなど必要ない、これが変わりゆく風景なのだと意識することで、そしてその細部をよく見ることで、風景を心の中に「永遠なるもの」として取り込んでいくことができるのではなかろうかと。

 


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